33.神様のお守り②

 その日の夜、狭間の宅配便屋で荷物の受付に精を出していると、クロから呼ばれた。


「おい瑞穂、お前目当ての客が来てるぞ」

「え?」


 豆太くんか河太郎さんが来たのだろうかと、ガラス扉の向こうへ視線を向けてみたが、彼らの姿はない。

 建物内にもそれらしき者はいない。


 いったいどこにとクロに目で訴えると、奥で荷物を積み変えているクロのすぐ横に、筋骨隆々とした背の高い男性が立っていた。


(誰……?)


 私がふり返ると、礼儀正しくお辞儀をしてくれたが、まったく見覚えがない。


「少し窓口を変わるから、とりあえず話を聞いてやれ。しつこくてかなわん」

「……うん」


 クロがイライラしながら歩み寄ってきたので、私は彼に場所を譲って男性のところへ向かいかけた。

 だけど隣のシロが吹き出していることが気になる。


「ぷぷっ……やっぱりこうなると思った」

「だから関わるなと言ったのに……」


 クロの忌々しげな声も引っかかりながら、男性の前に立った。


「あのう……」


 私が前に立つと男性はさっと床にひざまずき、手にしていた小箱を恭しくさし出す。


「瑞穂殿! どうか私と結婚してください!」

「け、結婚!?」


 思わず叫んでしまって、シロが遠くで大きな声を上げて笑った。


「うっわ、いきなり。その前の段階全部すっ飛ばし! はははっ」

「馬鹿か」


 クロとの会話を聞いている限り、とても助けてくれそうにはないのだが、大柄な男性にじりじりとにじり寄られて、私は若干恐怖を覚えている。


「いえ、あの……どちら様でしょうか?」


 後退りしながら問いかけると、男性ががばっと顔を上げた。


「僕です! 河太郎です!」

「河太郎さん!?」


 私の驚きの声に、またシロの笑い声が重なる。


「ははは、彼はねー、その時の精神状態が見た目にも性格にも反映されるから……失恋でしょんぼりしてた時は、痩せっぽちで木の陰から出て来れないくらい内気だったのに、今はすっかり体も大きくなって、俺たちのことも気にせず建物の中まで入って来れるみたいだねー……いやぁ、恋ってすごい」


 感心しつつ笑っているが、熱烈な求愛を受けている私はたまったものではない。


「いや、ほら、河太郎さん、里穂さんのことは……?」


 あれほど想いを寄せていた元カノのことを持ち出して、なんとか逃げようとする私を逃すまいと、河太郎さんも真剣だ。


「過去の恋は美しい思い出に昇華しました。里穂も前を向いて生きているので、僕も前向きに生きることにします!」

「だからって、こんな手近なところで済ませなくてもいいじゃないですか! もっと広い目を持ちましょうよ!」


 困りながら目を向けた彼のてのひらに乗っている箱は、里穂さんに届けるように私が依頼されたあの小箱だった。

 もう渡す機会はなくなったので、そのまま流用されたというわけだ。


「いいえ! 僕は瑞穂殿に惚れたのです!」


 必死に訴えられても、どうしても信憑性に欠ける。


「僕のためにあれほどがんばってくださったのだから、瑞穂殿だって……!」

「――――!」


 河太郎さんに突然間合いを詰められた瞬間、私の隣に誰かが立った気配があった。

 クロだった。


「そろそろやめておけ、陰気河童。瑞穂が怯えているのがわからないのか」


 私を背に庇いながら言ったクロに、河太郎さんがキッと厳しい目を向ける。


「いかに黒羽殿といえども、人の恋路を邪魔するのはやめていただきたい! 僕は瑞穂殿と幸せに……」

「だから、一刻の自分の感情の盛り上がりを、その時一番近くにいた女に押しつけるなと言ってるんだ。まったくお前はいつも……」


 多少言葉を選んでないふうはあるが、河太郎さんを説得しようとしてくれている様子に安堵して、私はクロの背中に隠れた。

 しかし――。


「わかりましたぞ! やはりそうだったのですね……黒羽様! あなたも瑞穂殿に懸想を……!」


 河太郎さんの妄言が自分にも及ぶや否や、クロは私たちにくるりと背を向けてどこかへ行ってしまう。


「そんなわけあるか! 誰がこんな……!」


 途中で言葉を濁したのは、せめてもの気遣いだったのか、よほどひどい表現しか思いつかなかったのか。

 とにかくきっぱりと否定して、私たちの傍からいなくなってしまった。

 このまま河太郎さんを退けてもらえるとばかり思っていた私は、焦ってクロのあとを追う。


「ちょっと! 逃げないで、クロさん!」

「誰が逃げた! 人聞きの悪いこと言うな!」

「黒羽殿が引くのなら僕は諦めない! 瑞穂殿! どうか僕と結婚を!」

「だから、それは無理!」


 混沌と化したカウンターの中で、若干笑いながらではあるが仕事をしているのはシロだけだ。


「はーい、どっちでもいいんで、早く二人とも仕事に戻ってくださーい」


 カウンターの向こうの狭間の宅配便屋には、今日もたくさんの利用客が列を作っている。

 これからますます忙しくなることはまちがいない。


 さっさと自分だけ仕事を再開したクロを横目に見ながら、私は河太郎さんに頭を下げた。


「とにかく、私にその気はありませんので、結婚はお断りします。ごめんなさい」

「ううう……瑞穂殿ぉ……」


 低く唸った河太郎さんが、取り乱して暴れるのではないかという心配もあったが、そういうことはなかった。

 下げていた頭を上げてみると、河太郎さんはあの痩せた姿に戻っており、机の陰に必死に身を隠そうとしている。


「え……?」


 眩しそうに目を細めて私を見ているので気がついたが、私の胸もとが金色に光っていた。

 そこには内ポケットに、みやちゃんから貰ったあのお守りが入れてある。

 ひっぱり出してみるとやはり、発光していたのはお守りだった。


「ひぇええええ」


 河太郎さんは叫びながら外へ逃げていき、クロには憮然とした顔を向けられる。


「なんだ、宮様の加護をいただいていたのなら先にそう言え」

「だって……!」


 これが心理的な拠り所ではなく、実際に私を守ってくれる物なのだとは、思ってもいなかったのだ。


「よかったじゃない。これから肌身離さず持ってたらいいよ。あやかしに限らず、人間にも効力があると思うし」


 シロに言われて「うん」と頷いてから、私は改めてクロにも頭を下げた。


「助けてくれてありがとう、クロさん」

「お前のためじゃない、仕事の支障になるからだ」


 間髪入れずにそっぽを向かれても、彼が隣に立ってくれた瞬間、私がとても心強く思ったことは確かだ。


「でも、ありがとう」


 しつこくくり返すと、顔を完全に背けながらではあるが、頷いてくれた。


「ああ」


 長めの黒髪にほぼ隠れてしまっているクロの耳の先が、ほんのりと赤いことに気がつくと、私の胸はどきりと跳ねる。

 それがどういう心理からなのか、考えようとする前に、シロの声が飛ぶ。


「はい、二人とも働いて! 働いてー! 残業になりたくないでしょ? クロ。そのせいで夕飯が遅くなるのは嫌でしょ? 瑞穂ちゃん」


 その言葉にぱっとお互いに背を向け、それぞれの仕事に向かうことになり、私はほっとしたような惜しかったような、自分でもよくわからない不思議な気持ちだった。

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