第80話
夜空に無数の星が煌めくように、うたたね先生の頭上にたくさんの疑問符が浮かんだ。
「あのあの、誤解があったらいけないので確認したいんですけど、姫梨おねえちゃんは前々からひばりちゃんのことが好きだったんですよね?」
「そうだよ」
「その好きというのは、お友達としての好きじゃなくて……あのあの」
うたた寝先生は言いにくそうにモジモジした。
「とっきーから『エッチしようよ』って言われたら、『いいね、やろう!』って二つ返事するタイプの好きだよ」
「そんな放課後にスタバに行くJKみたいなノリで言われても……」
遅めの昼食とはいえ、お客さんはそれなりにいる。食事の席でみだらな発言は慎んだほうがいいかもしれない。
私って声が大きいからなぁ。
軽い咳ばらいを挟んで、私は告げる。
「とっきーのことは前から好きだよ。今までの好きが大きくなったわけじゃなくて、別の好きが自分の中で生まれつつある感じなの」
そう、なにかが自分の中で変わったのだ。
まるで戦闘機やら戦車やらが一斉に敵国に向かうように、私の気持ちもまた、とっきーに向かう感情が複数ある。
問題は、司令官がひとつひとつの感情をディレクションできていない点である。
「自分の気持ちが迷子になって。それでうたた寝先生に相談しようと思ったの」
「どうしてワタシに?」
スプーンでガパオライスの具と米を混ぜながらうたた寝先生が訊ねる。
「こういう話を真剣に聞いてくれる知り合いがいなくて」
「前に行った喫茶店の店主さんは? ええと」
「かすみさん?」
「はい。ワタシよりもずっと的確なアドバイスをくれると思うんですけど」
「ちゃんとした意見もくれそうだけど、その分茶化してくるから」
諸刃の剣だ。
あと相談できる候補はゆみ姉くらいだけど、仕事で忙しいだろうし。
「ん~」
一休さんがアイディアを捻り出すときみたいに、うたた寝先生が眉を八の字に曲げる。
「もしひばりちゃんがお付き合いしてって言ってきたら、姫梨おねえちゃんはどうするんですか?」
以前なら迷う余地なく首を縦にシェイクしていただろう。でも、今の私にそれができるかわからない。
気持ちと行動が連動しない。
「姫梨おねえちゃんは、ひばりちゃんをアニメで知ったんですよね」
「うん」
「ありがちな話かもですけど、アイドルとして推していたのが、いつの間にかひとりの女性として好きになっていた……というのはないでしょうか?」
風町渡季は、憂鬱だった私を助けてくれた救世主。そこに人間的な魅力も相まって推すようになった。
もともと声優としても推していたし、ひとりの女性としても好きだった。
近頃の違和感は、それらの気持ちが純粋に大きくなっただけなんだろうか?
「釈然としないみたいですね」
うたた寝先生は再び頭を働かせる。そして閃きを得た。
「昔読んだ少女マンガでこういうヒロインがいました。その子は主人公のことが大好きなのですが、学校中にそのことを吹聴していたのです。彼女もまた校内で一、二を争うくらいの美少女で言い寄る男子生徒も多かったのですが、主人公のことが好きだと公言することで、告白されるのを回避していたのです」
主人公は超絶イケメンとか文武両道とかじゃなく、すべてのパラメーターが六十点くらいの平凡キャラらしい。
「そのヒロインは主人公を虫除けとして利用してたってこと?」
私は質問した。
「結果だけ見れば。でも、彼女が主人公を想う気持ちは本物でした。彼女はもともと引っ込み思案で、趣味も特技もありませんでした。個性がなかったんです。そこで好きな人を作り、その人を愛し続けることを自身のステータスにしたんです」
好きな人を作って、愛し続けることをステータスにする?
「そのヒロインは、自分がどういう人間なのかわからなかったんです。なにをしているときが楽しくて、いつ幸せを感じるのか。説明書も、プリインストールされたデータもないロボットみたいな感じですね。彼女には、なんでもいいから自身を形作る要素が必要だったんです」
「それが彼女にとっては恋愛で、主人公はその謎哲学の標的にされたと?」
「そんな感じです」
主人公からしてみればいい迷惑である。
「姫梨おねえちゃんもそれと似ているんじゃないかなって」
「私はとっきーを虫除けになんか利用してないよ。そもそも私を好きになる男なんていなかったし」
「そこは疑ってないから大丈夫です」
否定してるのは虫除けのほうであって、交際歴が皆無のほうじゃないよね? ね?
「憶測ですけど、今の姫梨おねえちゃんを形作るのに、ひばりちゃんは必要だったんじゃないでしょうか」
「ちょっと待って。ヒロインの奇行はアイデンティティの欠如が招いたものなんでしょ? 私には小説っていうアイデンティティがあるよ」
小説家になって、天国のお姉ちゃんのために作品を書き続けること。それが人生の意味だと胸を張って言える。
「姫梨おねえちゃん、昔イヤなことありませんでしたか?」
「え」
ドキッとした。
「気を悪くしたらごめんなさい。もし昔の姫梨おねえちゃんが彼女と同じく空っぽだったら、自分の存在を確立するなにかが必要だったんです。ひばりちゃんを好きでいること――それが当時の姫梨おねえちゃんのアイデンティティだったんじゃないでしょうか」
うたた寝先生にはお姉ちゃんのことや家庭の事情は一切話していない。
にも関わらず、彼女の推理は脳天を強く揺らすほどの衝撃があった。
「私が私でいるための……」
「姫梨おねえちゃんがひばりちゃんを想う気持ちは本物だと思います。同時に、そういう自分を作ることで、いやな現実を打破しようとしたのではないでしょうか?」
こんなにも自分の内面と向き合ったことはない。
憂鬱だった日々をとっきーが変えてくれた。だから彼女を推すと決めた。
自分の中ではシンプルな動機だと思っていた。
しかし、うたた寝先生に指摘されると、そういう側面もあったんじゃないかと思えてくる。
風町渡季を応援することは、八重城姫梨のアイデンティティの一部になっていた……と。
「で、でも、なんでこんなに心が揺れてるんだろう」
「ひばりちゃんと最近なにかありませんでしたか?」
鋭い質問に再びドキッとする。
親子の血縁で結ばれているのに正面から話し合う勇気もない弱虫な私に代わって、とっきーが頑張ってくれた。
決定打はそのときかもしれない。
推しに一方的な感情を向けていれば満足だった。
突然の出会いから少しずつ距離が近くなっていき、そして、彼女もまた私を見てくれるようになった。
八重城姫梨を形作っていた一方的な関係性が崩れつつある。
だから、戸惑っているんだ。
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