第78話

 夜勤明けのある日、とある人物に電話をかけた。


「と、渡季!? ど、どうしたの急に」

「ちょっと話があって」


 朱羽あかば紅音あかね


 今や、非オタ界隈にも名前が知れわたるようになった人気声優。


 軽くチェックしただけでも、今期だけで三つのアニメに出演している。


「渡季がわたしに? ふ、ふ~ん、そうなんだぁ」

「忙しかった?」

「ま、まあ? 台本のチェックもあるし、SNSだって更新しなくちゃいけないし!? 暇ではないわね!」

「なら日を改めるよ、ごめんね」

「わあああああ、大丈夫だから! 忙しいけど忙しくないから!」


 日本語が不自由なのだろうか。


 単刀直入に伝える。


「あたしも『氷ラビ』のオーディションに応募したから」


 先程までの騒がしさは鳴りを潜め、毛色の違う嬉々とした声が鼓膜に届いた。


「これでお互い同じ土俵に立ったわけね。どちらが役を勝ち取るか勝負よ!」


 土俵は同じでも実力は天と地。


 アマも応募OKだから、プロとしてのキャリアは不問。形式上はそうなっている。


 しかし、あたしが声優を辞めたあとも、紅音はプロの現場で揉まれてきた。四年間も。


 その差は選考が進めば否応なしに見せつけられることになるだろう。


 これが賭け事なら、あたしにベットする奴は正気じゃない。


「わたしはすでに本審査の準備も進めてるわよ。渡季も出遅れちゃ駄目だからね」


 どうやら一次はすでに突破した気になっているらしい。まぁ、紅音なら足切りなんて眼中になくて当然か。


「既刊をぜんぶ読み込んで臨むんだから。もちろん原作者のインタビュー記事や関連資料もね。利用できるものは全部使うわ」


 そう、ここが紅音のすごいところ。自分が携わった作品をきちんと愛している。


 事務所が獲ってきた仕事だからとか、相性が良さそうなキャラだからとか、タイトルだけ知ってるからとりあえず受けてみようだとか、そんなふうに片っ端からオーディションを受けていない。


 これだけ複数の作品に出演していても、ひとつひとつの役に誠心誠意向き合っている。


 もし、「演技が上手ければ、どんな役も務まるし、食いっぱぐれることもない」と主張する同業者がいたら、きっと彼女は嫌悪と軽蔑を隠さないだろう。


 それは紅音の主義に対する冒涜だから。


「ロレッサってわたしすごい好きだなぁ。不穏な登場からの、案の定主人公たちと敵対関係になるんだけど、真の黒幕が現れることによって最後は共闘するの。回想シーンを挟むタイミングもすごくよかったなぁ」


 ロレッサは、今回のオーディションであたしたち応募者が競い合うキャラクターだ。


 第二クールは原作の途中まで。だから、紅音が読んでいる最新刊のほうはまだアニメ化されない。


 それを承知で研究している。オーディションキャラと世界観を深く理解するために。


 素直に尊敬する。もし神様がいるなら、こうやって努力している人を決して見捨てないだろう。


 そういう相手に、あたしは勝たなければいけない。


「渡季も準備万端でかかってきなさい。ちゃんと原作を読んで、アニメ一期も見直してくること。まぁ、渡季なら要らぬ説法かもだけど」


 あたしは思わず吹き出してしまった。


「笑うところ?」

「いや、あんたって変な女よね」

「誹謗中傷!?」

「ふつう志願者はひとりでも少ないほうが嬉しいはずでしょ? なのに紅音はお節介まで焼いてる」

「渡季のことはライバル認定してるんだから、簡単に勝ったらつまんないでしょ?」


 バトル漫画の主人公みたいな女だ。


 そもそも紅音がこの勝負をふっかけてきたのは、YuriTube対決で負けた腹いせのため。


 役を勝ち取って、自分のほうが実力が上なんだと示したいのだ。


 敵に塩を送るような行為も、紅音なりのポリシーなのだろう。


 YuriTube対決といえば。


「紅音、あんた?」

「……どういう意味かな」


 あたしは姫梨と唄多の助力を得て、接戦を制した。とはいっても素人の集まりだ。


 紅音なら著名人やインフルエンサーの人脈をもっと借りることだってできたはず。

 コンテンツのアップも最低限だった。


「本気で負かす気なら、もっと再生数を稼げたはずでしょう」

「わたしが手を抜いたって言いたいの?」

「そこまで言わないけど、やりようはいくらでもあった」


 憶測で話すあたしに、紅音は潔く言った。


「わたしは精一杯やったわ。何事も結果がすべてなのよ。オーディションだってそう、最後に残った人に特別な価値があるの。渡季はわたしに勝った、それでいいじゃない」


 はぐらかされた気もするけど、それ以上の追及はしなかった。


 紅音が決意を滲ませる。


「でも、今度は負けないから」

「あたしだって、今度は自分の実力で勝ってみせるよ」

「ふん、それでいいのよ。せいぜい白熱したオーディションになるように牙を研いでおきなさい。渡季が上手ければ上手いほど、わたしだって燃えるんだから」


 そして、「結果はどうなるかわからないけど」と言葉を区切って、紅音は最後にこう添えた。


「必ず……戻ってきなさいよ」

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