第72話

 怖いご婦人と別れたあたしたちは、その足で八重城のアパートにやって来た。


「はぁい、というわけでぇ~実は絶賛家出中の不良娘でしたぁ~!」


 もう隠し事はできないと踏んだのだろう。


 あたしが質問攻めする前に、八重城は手品のタネ明かしでもするような調子で言った。苦笑いしながら。


 ゆみ子さんから八重城の内情を聞いて以来、どういう態度で彼女と接すればいいか迷っていた。


 そんな折に明るみになった家出という新たな事実が、混乱に拍車をかける。


「この部屋って叔父さんの伝手つてで借りてるんだって?」


 どこから突っ込めばいいかわからず、あたしは室内を眺めながら質問した。


「うん。ほら、私って家元とはあんな感じでしょ」

「叔父さんとも仲悪いって言ってなかった?」

「悪魔に魂を売る気持ちだったよ。でも、ほかに頼れる人がいないんだ」


 ほかに頼れる人がいない。


 それは、人が発するにはあまりにも寂しい言葉のはずなのに、八重城はその寂寥せきりょうがわかっていないような口調で言うのだった。


「お父さんは? やっぱり母親と同じで厳しい人?」

「お父さんは優しいよ。でも、人が良すぎるんだろうね。実家には――家元には頭が上がらないんだ。私のことは大切にしてくれるけれど、なにかあったときは家元のほうに味方するの」

「なによ……それ」


 母親からは夢を捨て、家を継げと言われる。

 父親は母親の意向に逆らえない。


 じゃあいったい、誰があんたの見方になってくれるのよ。


 本当の家族がいないあたしは、普通の人とは違うんだと思って生きてきた。

 八重城は家族がいながらも普通じゃない。


 普通って……普通の家族ってなんだろう。


「もしかして急にバイトを始めたのって」

「さすがに一年も生活してると貯金が底をついてね」


 立派な家柄だからといって小遣いが潤沢なわけではないらしい。もちろん実家からの仕送りも望めない。


 金銭的にかなり切羽詰まっていたようだ。


 文豪に憧れているからレトロな物件を選んだと言っていたけど、真実はもっと現実的なものだった。


「よく一年も逃げれたわね。警察がすぐに見つけると思うけど」

「警察に捜索をお願いしたことが村中にバレるのを家元は恐れたんだよ。だから懇意にしている探偵とか興信所に頼んで秘密裏に私を探していたんだ」


 我が子の安否より、家のプライドを優先する。気持ちのいい話ではない。


 質問を重ねるあたしであったが、ひとつだけちゃんと確認しなければいけないことがある。


「とっきー、跡継ぎの話なんだけど……」


 あたしから訊くつもりだったけど、口火を切ったのは八重城のほうだった。


「うん。ゆみ子さんからだいたいのことは聞いてる」

「そう、なんだ。ゆみねえが……」


 八重城は視線を落とし、指を組む。そして細い声で言った。


「本当はね、お姉ちゃんが次の当主になるはずだったの。私はお姉ちゃんの代わりなの」


 あたしはこういう跡継ぎ問題に詳しくないけど、八重城が言うように、ふつうは長女が家督を継ぐ候補となるのだろう。


 でも、お姉さんは亡くなってしまった。だから妹に白羽の矢が立った。


 代わり。その言葉もまた耳心地のいいものではない。


「でもあんたは跡を継ぐ気はない。だから家を飛び出した。そうだよね」

「これでも昔はお姉ちゃんの代わりを務めるつもりだったの。だから大学も経営学部に進んだ。家元は私が家督を継いでくれるって信じていたから、すごく優しかった。でも、在学中に進路を小説家に変更したことが家元の反感を買っちゃったんだ」


 最も近しい家族を失った八重城は、姉の遺志を引き継ぐんだという使命感に燃えていた。


「でも私には無理だった。村の方針さえも占う八重城の屋台骨なんて荷が重すぎたの。お姉ちゃんのすごさを認識したのはそのとき。なんでも出来て、誰に対しても温厚な態度で接することができる。肝も据わってる。お姉ちゃんこそが次期当主にふさわしかったんだ」


 まるで、自分には一切の価値がないと自らを卑下するものに聞こえた。


 八重城の話を聞いたあたしは、顔も憶えていない実母のことを思い出し、目の前の女の子と重ねる。


 赤子のあたしを育てようと奮闘したけど、過酷な日々に体を壊して育児を断念した実母のことを。


「有力な後継者を失った母親は、もうあんたに縋りつくしかないってわけね。由緒ある家系を絶やさないために」

「そういうこと」


 状況を整理してて虫唾が走る。これでは母親が中心となった八重城一族のエゴだ。


 小説家になりたいという彼女のささやかな願いさえ、巨大な力によって封殺されようとしている。


「ってまぁ、よくある話だよ。ははっ」


 八重城は自嘲っぽく笑うけど、あたしはまったく笑えない。


 話の内容自体は、進路を決めるうえで親子間で意見が割れるという、おそらくどこの家庭でも見受けられるものだろう。


 しかし、彼女の場合はスケールが違う。八重城の判断が村の命運さえ左右するのだから。


 あたしは訊ねる。


「当主の役目と作家を両立することはできないの? 副業で小説を書くとかさ」

「難しいと思う。実家に帰れば当面は家督の引継ぎに集中しなくちゃだし、ただでさえ一年のブランクがあるからお母さんの稽古も厳しいと思う。実際に当主になったらもっと大変だろうね。仮に小説家として商業デビューできても、実家を切り盛りしつつ執筆時間を確保するのはベリーハードモードを通り越してインフェルノモードだよ」


 あたしには具体的な忙しさなど想像もつかないけど、極めて困難な道ということか。


「そっか」

「どうしたの?」


 八重城はなにかを得心した表情をした。


理玖りくちゃんが兼業作家を断ったことを思い出したんだ。兼業でも絶対にやったほうがいいって私は思ってたけど、自分に置き換えたら、とてもじゃないけど続けられる気がしないよ。本業でいっぱいいっぱい」


 それに、と八重城は寂しそうな声音で言葉を継ぐ。伏せられた目は、あたしを見てくれない。


「私が小説を書くことを、家元は快く思ってないんだ」

「どうして?」


 正座している八重城が、太ももの上に置かれた拳に力を入れる。


 そして、枯れた笑みを浮かべて言った。


「お姉ちゃんが死んだのは、私のせいだから」

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