第68話

 送別会から数日が経った。


 バイトのとき以外はずっと家に引きこもっている。


 大河ドラマの続きを観て、名前も知らないおじさんたちのゴルフ番組か囲碁の対局を眺める。

 退屈なワイドショーを流し、深夜アニメを消化ながら寝落ちする。


 毎日その繰り返し。


 年末年始にあった創作意欲は、完全に冷めていた。


 虚無な日々を過ごしていた一月も下旬に差し掛かった頃、インターホンが鳴った。


 どうせセールスか宗教勧誘だ。


 やり過ごそうとしたらまたインターホン。しかも連打。


「しつこいな……」


 警察を呼ぶことも検討するくらい鳴り止まないピンポン。


 仕方なくユリクロのパジャマのまま玄関に向かう。くだらない営業だったらブチギレてやる。 


「はいはい、今出ますよー」


 ドアを開ける。立っていたのは意外な人物だった。


「あ、生きてた」

「どうしてかすみさんが?」


 幡杜はたもりかすみさん。行きつけの喫茶店Lysの店主。


「んー生存確認? そういえば今年会うのは初めてね。明けましておめでとう、姫」

「おめでとう……ございます」


 状況がわからず、オウム返しのあけおめ。


「なんで私の住所知ってるの?」

「ちょっと裏サイトでね」

「この国の個人情報はどうなってるんだ」

「うふふ、まあ細かいことはいいじゃない。せっかく来たんだし上がっていってよ」

「それは私のセリフ!」


 寒い中追い返すのも気が引けたので、とりあえず上がってもらう。


 仕事着じゃないかすみさんは新鮮だった。


 ロングブーツのファスナーを下ろして脱いで、トレンチコートのベルトを緩める。


 いつものお団子ヘアではなく、髪はゆるりとほどかれていた。


 かすみさんが入室すると、大人の女性のいい香りが加わった。


「ここが姫のお家なのね~」

「オンボロでしょ」

「趣はあるわね」


 かすみさんは興味津々だ。


 そして彼女は目の当たりにしてしまう。とっきーに染まりきった痛部屋を。


「……オゥ」


 欧米人みたいな野太い声を出して面食らったのは一瞬のこと。


「とっきーちゃんって本当にアイドルだったのね~!」


 かすみさんは目を輝かせて、とっきーのポスターが無尽蔵に貼られた部屋をぐるりと見渡す。


 一回転し、視線を漂着させたのはアクリルフィギュアと缶バッジがてんこ盛りの祭壇だ。


「これが、とっきーちゃんが演じたキャラクター?」

「そうだよ。猫屋ねこや依鈴いすずちゃん。私の最推し」

「かわいいわね」

「あ、祭壇に触っちゃ駄目だよ。一ミリ単位で緻密に積み上げてるんだから」


 この部屋にコートハンガーなんて気の利いたものはないので、かすみさんは脱いだトレンチコートをきれいに折りたたんで畳の上に置いた。


「姫が一ヶ月もお店に来ないから、おねーさん心配しちゃって」

「かすみさんはいい人だ」

「姫も大事な収入源のひとりだからね」

「かすみさんは卑しい人だ」


 いつものように掴みどころのない笑みを浮かべるかすみさんは、


「コーヒー淹れるから台所借りるわね」


 と言って腕をまくった。


 専門店の店主が、プライベートでコーヒーを淹れてくれる。なんとも贅沢だ。


 そう期待して出てきたのは、


「ドリップコーヒー?」

「あら、不満?」

「そういうわけじゃないけど」

「喫茶店を生業なりわいにしてるからって、休みの日もちゃんとしたコーヒー淹れてるわけじゃないわよ。手を抜きたい日だってあるわ」


 かすみさんは形のいい唇をカップにつける。私も一口啜る。


 やっぱり苦い。


 しかし、かすみさんが来てくれたことは幸運だった。


「かすみさん、相談があるの」


 普段Lysでそうしているように、私は心に溜まったおりを吐き出してみることにした。


 塞ぎこんでいたのは、複数の感情が入り混じって身動きが取れなかったからだ。


 絡まった毛糸玉から一本一本糸を抜き出していくみたいに、気持ちをひとつずつ整理した。


 一通り話し終えると、かすみさんはマグカップの縁を指でなぞりながら訊いた。


「姫は悔しいの? 自分のほうが年上で執筆歴も長いのに、その後輩ちゃんに先を越されて」

「正直……それもある」


 いっそのこと天狗になってくれていたら清々しかった。嫌味のひとつでも言ってくれたら対抗心を燃やして執筆の原動力にできた。


 賞を取ったあとの理玖ちゃんは、取る前の理玖ちゃんとなにも変わっていなかった。


「理玖ちゃんは才能の塊なのに、小説を仕事にするのは簡単じゃないって身の程をわきまえてる。なのに私は理玖ちゃんみたいな才能もないくせに、夢を追ってる」


 実力をわきまえ、人生をしっかり見据えている理玖ちゃん。

 一方の私は定職にも就かず、箸にも棒にもかからない物語を書いているだけ。


 白と黒のような対照的な関係が、私の惨めさを浮き彫りにする。


「つまり後輩に現実を突きつけられて、自分の不甲斐なさを嘆いているのね?」


 私は力なくうなずいた。


 ――このまま小説を書き続けていいのかな。


 送別会の日から何度も押し寄せる自問。気にしたら駄目だってわかってる。


 でも、一度目についた汚れが視界の隅でずっと気になるように、その問いかけが無言で威圧してくる。


 そして放置したクモの巣が領土を拡大していくみたいに、その疑問も日々大きくなっていく。


「かすみさん。私、どうしたらいいんだろう」


 かすみさんはコーヒーを飲み干した。


 たたんであったコートを広げ、袖を通す。颯爽と立ち上がった。


「よし、帰るわ」

「は?」


 間の抜けた声を上げてしまった。


「私を元気づける流れでしょ!?」

「お店で姫の愚痴は散々聞いてるじゃない。業務外までお悩み相談受ける義理はないわ」


 かすみさんは微笑み、手首に白いもこもこが付いた手袋を装着する。


 え、ほんとうに帰るじゃんこの人。


「はい、どうぞ」


 防寒を整えたかすみさんから手渡されたのは一枚のラブリーなチラシ。


「バレンタイン限定メニュー?」

「来月の頭からやるから、姫も食べにきてね」

「セールスと宗教勧誘お断り!」


 きっちり宣伝をして、かすみさんは帰っていった。


「この薄情者ー!」

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