第67話

 理玖ちゃんがもう小説を書かない……?


 白石さんが告げた衝撃的な言葉を、頭の中で反芻はんすうさせる。


「どうして……。せっかく書籍化もされて作家の道が開けたのに」

「わたしだって八重城さんと同じ気持ちですよ。最初に聞いたときはびっくりしました。でも、尊敬する先輩が選んだ道なら、なにも言えないじゃないですか」


 今日は卒業生に挨拶して、適当に時間を潰して帰ろうと思っていた。


 でも、そんな悠長な気分ではいられなくなった。


 理玖ちゃんを囲む群衆をかき分けて輪の中心に向かった。


「あっ、姫センパ~イ」


 私は今、どんな顔をしているだろう。動揺を隠しきれている自信はない。


「理玖ちゃんは小説家にならないの?」


 恐る恐る訊ねると、


「はい。旅行代理店に就職することになったっす」


 彼女は爽やかに答えた。


 ……どうして。


「働いてみたい会社とか考えてなかったんすけど、就活が始まって業界研究しているうちに、ツーリズムに興味を持つようになったっす。説明会でお話を聞いてみて自分に合ってるかな~と」


 違う、私が聞きたいのはそういうことじゃない。


 どの業界・職種に就くのかが問題なのではない。


 小説家になるか、ならないのか。それだけが私の中で意味を持つ問いだ。


「理玖ちゃんはてっきり専業小説家になると思ってたよ」

「ムリムリ、恐れ多いっす!」

「そんなことないと思うけど」

「才能ないっすから」


 謙虚な言葉が私の胸を深くえぐった。


「才能がなかったら賞なんて取れないでしょ」

「ビギナーズラックってやつっすよ。小説で食べていくなんて自分には想像できないっす」


 理玖ちゃんに悪気がないのはわかっている。


 でも、


 ふざけないで――反射的にそう放ちそうになった。


 世の中にはなりたくてもなれない人がたくさんいる。私も例に漏れない。


 彼女は権利を手にしながら、自ら手放そうとしている。


「わたしも説得したんですけど、三駒先輩ったら聞く耳を持たなくて」


 話に割り込んできた白石さんが、眉をハの字に曲げる。


 理玖ちゃんが言った。


「自分にとっての創作は部活動として割り切ったものだったっす」

「だから本業である学生をやめたら、創作もやめるってこと?」


 私が訊ねると、理玖ちゃんは「はい」ときっぱり答えた。


「兼業作家じゃダメなんですか」


 と次に白石さんが質問したけど、理玖ちゃんは首を縦に振らない。


「自分、要領悪いっすからきっと続かないっす」


 そんなことない。私を含めたここにいる誰もがそう思うだろう。


 けれど、当の本人は自身の可能性についてどこまでも消極的だった。


「才能って生まれ持った素質って意味で使われることが多いっすけど、継続する力とか、夢を持ち続ける情熱も含めて才能だと思うんす」


 新社会人の卵にしては達観した言葉が理玖ちゃんから生まれた。


「ですから、姫センパイこそ小説家に相応しいっす」

「私?」


 思いもよらぬ方向から叩かれたように呆気にとられてしまった。


「センパイ、今も書いてるんすよね」

「まぁ、うん」

「姫センパイは好きなものを好きでいつづけて、ずっと創作を続けてるっす。それってすごいことっす!」


 私は理玖ちゃんのように殊勝な物腰を見せることも、照れた表情を浮かべることもできなかった。


 ……私は夢を追いかけてるといえるのだろうか。ただ縋っているだけじゃないのか。


 自分を保つために。


「八重城さんは小説家なんですか?」

「ううん……、ただの作家志望だよ」


 白石さんの質問に、自分でも驚くほどか細い声が出た。


 OGに恥をかかせたと思ったのだろう。自らの失言に具合を悪くした白石さんは、声音を明るくして私をフォローする。


「三駒先輩があまりにも熱弁を振るうので、わたしも八重城さんの小説を読んでみたくなりました」

「自分が一年のときの文化祭の文集があるっす。そこに姫センパイの作品も載ってるっす。卒業する前に持ってくるっす」

「本当ですか!? ありがとうございます」


 おそらく白石さんの期待に添う出来ではないだろう。今でも拙作せっさくなのに、当時はもっと粗削りな拙作だった。


 手放しで褒める理玖ちゃんが異質なのだ。


「姫センパイの小説大好きなんで、早く書籍化されてたくさんの人に読んでほしいっす」

「本当に素質があるなら、とっくにプロになってるよ」


 皮肉めいた言葉の真意も、理玖ちゃんには伝わらない。


 本気で私の作品が好きで、本気で私が小説家になれると信じているから。


「今度お時間があるときに、卒業後に書かれた作品も読ませてほしいっす」

「あー……原稿はぜんぶ賞に送ってるから、手元に残ってないんだよね」

「そういえば姫センパイは手書き派でしたっすね。くぅ~そこがまたしびれるっす!」


 その後の理玖ちゃんは、ツーリズムの魅力や旅行業界を志したきっかけなどを熱く語ってくれた。


 けれど、まったく頭に入ってこなかった。


 もうひとつなにか弾みがあれば、この黒鉛にように真っ黒な感情をぶちまけてしまいそうだった。


 必死に堪えて、ご高説を賜った。


「ごめん。私、先に帰るよ」

「ええ、もうっすか!?」

「明日用事があるから早く帰って休みたいんだ」

「まぁ東京からはるばるご足労いただきましたので、これ以上わがままは言えないっすけど」


 改めて卒業おめでとうと伝えて、今夜は楽しかったよと添えた。


 それは、理玖ちゃんとの最後の日が気まずい思い出で終わらないようにするため。


「じゃあ自分、姫センパイを送ってきまっす」

「駄目だよ。主役に退席させたら顰蹙ひんしゅくを買っちゃうって」

「でも」


 言葉を遮って私は逃げるように去った。私の名前を呼ぶ理玖ちゃんの声が背中に届く。


 無視した。


 彼女の声を聞きたくなかった。

 もうなにも聞きたくなかった。


 理玖ちゃんは己の受賞をビギナーズラックと評した。


 なら、そのビギナーズラックすら掴めない私はどうしたらいいの。


「教えてよ、理玖ちゃん……」

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