第66話

 ”一月往ぬる”とはよく言ったのもので、年が明けてあっという間に二週間が過ぎた。


 今日は理玖ちゃんの送別会だ。


 さすがに半纏はんてんとメデューサみたい頭で出席するわけにもいかないので(数ヶ月前の私だったらやりかねないけど)、最低限の小綺麗さを繕って家を出た。


 場所は仙台駅近くのホテル。


 国立くにたちから電車を乗り継いで東京駅へ。そこからJR東北新幹線やまびこで二時間。宮城に到着。


 お車代は文芸部から支給された。気前がいい。


「一年ぶりの地元かぁ」


 私の生家はここからさらに電車とバスを乗り継ぐので、正確な地元はもう少し先になるけど。


 不思議なもので、宮城には故郷の匂いが溢れているはずなのに、東京でしばらく暮らして戻ってくると、懐かしさよりも疎外感に近い気持ちが上回った。


 正直、地元に帰ってくるのに抵抗はあった。でも、仲のよかった大学の後輩を祝えないほど人間性は腐っていない。


 目的地のホテルは西口から目と鼻の先。中に入る。


「ええと、会場はっと……」


 ロビーの案内板を見上げる。五階に私の出身大学が書かれており、その横には文芸部御一行様の文字。


 フロントに断りを入れてエレベーターに乗る。ホテル独特の重くしっとりした空間のエレベーターに揺られ、目的の階に着いた。


 フロアに降りると、ひとりの女の子がこちらに気づき笑顔を咲かせた。友達との談笑を中断して、私のもとへ駆け寄ってくる。


「姫センパイ! お忙しい中、お越しいただいてありがとうございまっす!」


 本日の主賓、三駒理玖ちゃんだ。


「卒業おめでとう理玖ちゃん」

「ありがとうございまっす! センパイにお祝いしてもらえて感激っす!」


 理玖ちゃんは大学に通っているときのような普段着で、ほかの部員と思われる子たちも私服だ。いかにも学生の催しらしい雰囲気。


 下手にドレスとかレンタルしなくてよかった。


 理玖ちゃんに案内されてホールに向かう。


 すでに二十~三十人ほどが集まっていた。理玖ちゃんの代、つまり今年の卒業生は五名しかいないが、その分在学生が多い。


 私と同じくOBOGと思われる人もちらほらいるけど、知らない人ばかりだ。


 唯一面識がある四年生の部員たちが、私に挨拶してくれた。どこか遠慮がちで、来賓だからとりあえず挨拶をしなければ……という感じだった。


 彼らの態度がよそよそしいのは当然。私が交流を深めなかったからだ。


 仲がよかった理玖ちゃんでさえ部活で会話していた程度。ほかの子とは満足に雑談した記憶すらない。


 もちろん一緒にご飯を食べたこともないし、休日に遊んだこともない。


 当時の私は殻に閉じこもっていた。それで距離ができてしまった。


 その距離が縮まることなく、私は卒業した。


「短い時間ですけどゆっくりしていってくださいっす。姫センパイ大好物のローストビーフもあるっすよ」

「私が好きなのはチキンステーキだよ」


 送別会が粛々しゅくしゅくと始まった。


 三年生のMCが開会をして、理玖ちゃんが卒業生を代表して謝辞を述べた。


 活動を共にしてきた部員。OBOGや顧問の先生、家族。

 お世話になった人たちへの感謝を、時折ウィットに富んだ発言で場内をわかせながらまとめる。カンペもない。


 止まない拍手が送られ、理玖ちゃんは恭しくお辞儀をした。


 会の最後にほかの卒業生からもひとりずつ挨拶をしてもらうプログラムになっていて、それまでは自由時間。


 立食パーティ形式で、各自料理をプレートに盛りながら、好きな人と談笑している。OBOGが孤立しないようにする在学生の配慮も流石。


 そんな中、理玖ちゃんの周りには一際ひときわ大きな人の輪ができていた。


 今日は卒業生である四年生全員が主役だけど、やはり理玖ちゃんは特別である。みんな彼女との思い出を作りたいのだろう。


「すごいですよね~三駒先輩。頭もよくて、謙虚で。おまけに中性的な顔立ちでイケてますし」


 人の輪を抜けて私の隣に漂着してきたのは、先日つきの書房で会った白石さんだ。


「八重城さんは、三駒先輩と同じ時期に文芸部にいらっしゃったんですよね?」

「そうだよ」


 初々しく緊張した面持ちで部室のドアを叩いた理玖ちゃんを思い出す。


「三駒先輩って昔からあんな感じだったんですか?」

「あんな感じって?」

「頼もしい感じというか、人として大きいというか」


 私の記憶は大学一年の理玖ちゃんで止まっている。当時はかなりのあがり症で、発表会も緊張してカミカミだった。


 生来の長所はそのままに、彼女はこの四年間で立派に成長した。

 声に自信があり、瞳は快活に潤っている。


 さきほどの堂々としたスピーチが、それを雄弁に物語っている。


「後輩の成長って感慨深いよねえ」

「八重城さんが、大きくなった孫を見るおばあちゃんみたいな顔をしてます」


 理玖ちゃんは大勢の前では緊張しやすいタイプだったけど、一対一では学年関係なく会話を弾ませていた。


 だから自分の殻に閉じこもっていた私にも積極的に話しかけてくれた。


 理玖ちゃんの気さくな性格がなかったら、文芸部で私の居場所を見つけることはできなかっただろう。


 大学の思い出が腐るものにならなかったのは、ゆみ姉と理玖ちゃんのおかげだ。


 でも、先輩面ができたのも過去の話。


 理玖ちゃんのほうが先に書籍化を決めた。後輩だった彼女はもういない。


 これからは、私が理玖ちゃんを追いかける番だ。


 若き芽を開花させた三駒先生は、今後も躍進を続けていくのだから。


 白石さんがぼそっと言った。


「でも、もったいないですよねえ」

「なにが?」

「あんなに才能があるのにって話です」


 白石さんの横顔を窺う。白石さんは、歓談している理玖ちゃんを遠目で見ていた。


「わたしだったら小説書くの続けるんですけどね」


 どういう意味だろう。それじゃまるで、理玖ちゃんがもう小説を書かないみたいに聞こえてしまう。


「理玖ちゃんの小説家ロードは始まったばかりだよ。気が早いかもだけど、きっと二作目だって理玖ちゃんらしさ全開の作品を書いてくれるに決まってるよ」


 そうだ。学生作家受賞という華々しい経歴を担いで、商業小説家デビュー。

 重版続々のお祭り状態が、彼女の名声を不動のものにするだろう。


 今後も素晴らしい作品を生み出していくのだ。


 そうに違いない。


 勝手にそう思い込んでいた。


「八重城さん、三駒先輩から聞いてないんですか?」


 私は怖くて「なにを」と聞き返すことができなかった。


 白石さんが教えてくれた。


「三駒先輩は春から一般企業に就職するんです。卒業したら、もう小説は書かないって言ってました」

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