第65話

「あ~ダメだ。……ぜんぜんダメ」


 途中まで書いたプロットに何度目かわからない斜線を引いて消す。


 合同コンテストに向けて私は走り出していた。そして、早くも頓挫とんざしていた。


 アイディアは豊富にある。けれどコンテストを意識するとプレッシャーを感じてしまい、思うように筆が進まなくなる。

 

 これではまた落選する。それくらいの目利きはできるようになっていた。


 筆が重い理由はほかにもある。


 最近は短編のことばかり考えていたし、ラジオの台本も作っていたから、コンパクトな文章作成に慣れてしまっていたのだろう。


 最低字数十万字という応募要項が、とてつもなく高い壁に感じるのだ。

 

「理玖ちゃんだって頑張ってるんだから、私だって」


 そうだ。私がこうして足踏みしている間にも彼女はどんどんプロへの階段を駆け登っていく。


 理玖ちゃんは私を先輩としても物書きとしても敬ってくれているから、こっちだってなにか成果を出さないと彼女に顔向けできない。


 そう意気込んでみるけど、暗礁あんしょうに乗り上げた船は大海原へ戻ってくれない。


 気づけば床に落ちた髪の毛をコロコロしたり、部屋の模様替えなんかを始めてしまっている。試験前の学生みたい。


 そうして部屋の中を縦横無尽に動いていたら、カレンダーが目に入った。


「そういえば明日って」


 ――クリスマス・イヴ。


 パブロフの姫梨は、メモリアルなイベントを目の前にすると条件反射でとっきーの顔が思い浮かぶように調教されていた。


(とっきーはイヴの夜、誰かと過ごすのかな……)


 彼氏はいないって公言してたし、ラジオの手伝いで何度かお宅にお邪魔したけど男の痕跡はなかった。でも、油断はできない。


 当日の予定を訊きたい。しかし仕事以外で連絡するのは迷惑だろうし。


 とっきーの連絡先が表示されたディスプレイの上を、欲望と理性に挟み撃ちされた指がさまよう。


「ああもう、とっきーの予定が判明するまでなにも手が付かないよ~!」


 掃除も模様替えも途中だし、ティッシュとハンドソープも切れそうだから買ってこなくちゃだし。


 …………。


 あれ、今日は本来なにをする日だっけ?


「あっ」


 気を取られていたら誤って通話をタップしちゃった。


 慌てて通話を終えようとしたけど、思いの外早く繋がってしまった。


『もしもし?』

「も、ももも……もひもひっ!」

『イタズラ電話なら切るわよ』


 あぁ~! スマホ越しのとっきーの声だあ!


 実績解除:とっきーとお電話。


 人を殺したいほどの憎悪があっても、彼女の声を聞けばたちまち心が浄化される。鶴の一声ならぬ推しの一声である。


 これは怪我の功名だ。この際、イヴの予定を聞き出してやる。

 男の影があろうものなら地の果てまで追及してやろう。


 焦ってはいけない。


 今日なにしてたの~とか、たわいもない話題から入り、徐々に核心に迫るのだ八重城姫梨。アイスブレイク大事。


「とっきーってさ、クリスマスなにか予定あるの?」

『クリスマス?』


 …………。


 口と脳を結ぶ神経が断絶してるんか、私は。


『オーディションの応募締切が今月いっぱいだから、年末はずっと家にいるつもりだけど』


 そういえばそうだ。今が一番大事な時期じゃん。なにやってんだよ、私は。


『あんたは年末どうするの? 実家に帰省したりするの?』

「私は帰らないよ。親とあんまり仲良くないから」

『そうなの?』

「うん。それに小説コンテストに応募することになったから、その原稿も書きたいし」


 そこでようやく小説を書くという使命を思い出した。床掃除だの模様替えなどにうつつを抜かしている場合ではなかった。


『また参加するんだ?』

「今回はいろんな出版社やレーベルが集まる大きなやつ」

『そうなんだ。いい結果が出るように、お互いがんばりましょうね』

「はわぁあ! とっきーから応援メッセージ! んんんーーーっ、今ならどんな賞にも受かりそうな気がするよ!」


 本当に結果が出せたらいいんだけどね。


『それで、電話の用件はなんだったのよ』

「あー……特にないというか、目的はすでに果たされたというか……」


 聖夜にとっきーの貞操が保たれると判明し、これ以上の安堵はない。


 とっきーが今もSNSをやっていたら、二十五日が終わるまで監視の鬼と化していただろう。


「ごめんね、間違って電話しちゃったの」

『……構わないけど』

「へ?」


 急にとっきーが小声になった。


『だから……、電話くらい、べつに構わないけど……』


 それって、どういう……。


『もしかして、クリスマスにあたしと遊びたかったの?』


 えー……なんで今日に限って勘が働くの、風町さん。


 潔く「はい」と答えるけどさ。


『さっきも言ったけど、年内はオーディションに集中したいから、ごめんね』

「滅相もございません! 空気読まない私がいけないんだから、とっきーは気にしないで! それじゃオーディションがんばってね! バイバイ~」


 いたたまれなくなって駆け足で通話を終えようとする。


 が、彼女が待ったをかけた。


『クリスマスは無理だけど、初詣なら……いいよ』

「いいよ、というのは?」

『だ、だからっ! 初詣だったら一緒に行ってあげる……って言ってるのよ』


 ひえええええええ! まさかのとっきーからお誘い!?


「それって肩を並べて一緒にって意味だよね? 私だけ前を歩かせて、とっきーは数メートル後ろからついてくるとか、そういうのじゃないよね!?」

『あんたはもう少し人間を信用しなさい』


 一曲演奏できそうなくらい鼓動が鳴り響く。名前も知らないホルモンがめっちゃ分泌されてる気がする。


『日時とか場所はまた今度決めましょう。それまではお互い目標に向かって頑張るってことで』

「うん!」


 ラジオを手伝ったお礼で一緒に食事したり、ポートフォリオ作成で水族館やプラネタリウムに行ったりしたけど、これは違う。


 なんの建前も挟まないお出かけだ。


 一年の最初の行事を、最推しと共にする。初詣は神様への謁見えっけんである。


 こんなの、ほとんど結婚式みたいなもんだろ……。


『妖怪みたいな薄気味悪い声出すのやめてくれない?』

「ついにとっきーと結ばれるんだなって考えたら想像の羽がパタパタと」

『はあ?』

「でもでも、よろしいのですか? こんな私めと初詣なんぞに出向いて?」

『あんた神社出禁にされてる魔物なの? 断りっぱなしも悪いから誘ってるだけよ。他意はないから』


 なにそのいじらしい反応。抱きしめたい。


 通話を終えると、盛大な余韻と活力がわき上がってきた。


「よっしゃあああ、俄然がぜんやる気が出てきたあああ!」


 執筆再開。ご褒美が待っていると思えば、万年筆にも力が宿る。


 生きるってこういうことなんだなぁ。

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