第26話
【渡り鳥はかく語りき】
八重城の私服選びも終わって、あたしたちは当初の目的であるケーキ屋に場所を移していた。
新装オープンということもあって、店内に入るまでにけっこう並んだ。
ファミリー向けというより若い子たちが友達同士で来るような店の雰囲気だ。
「なににする? かすみさんからもらったクーポン使えば、ケーキ全種五パーセントオフになるみたいよ」
「……うん」
メニューを開いて訊ねても、八重城からはむっつりした返事しか返ってこない。さっきからずっとこの調子だ。
「いい加減、機嫌直しなさいよ」
「だって、とっきーが乙女の純情を弄ぶから。やっと最愛の人とひとつになれると思ったのに」
「どこまで煩悩の塊なのよ」
店員さんに注文を伝えて、あたしは物憂げに口を開く。
「泣きたいのはこっちよ。なにが悲しくてパジャマ女とデートしなくちゃいけないのよ」
「デートだって意識してくれてたんだ?」
「べ、べつに……。あんたがデートだって言うから……っ」
「ふうん? ふうん! へえ~!」
急に表情が一転して、口元を緩める八重城。要らない材料を与えてしまったかもしれない。
「けど、本当にこの服もらっちゃっていいの?」
「いいよ、プレゼントであげたんだし」
「でも……」
「あんた、よそ行きの服一着も持ってないって言うじゃない」
冗談ではなく、八重城は本当にユリクロの部屋着しか持っていないという。急に冠婚葬祭が組まれたらどうするつもりなのか。
八重城の私服事情を見かねて、代金はあたしが受け持った。結局、最初に試着させたワンピースが一番似合っていたので、それに決めた。
八重城はしばらく遠慮していたけど、風邪を引かせてしまった埋め合わせという口実で説得したら、渋々受け取ってくれた。変なところで律儀な奴だ。
「ありがとう、大切にするね」
ぱぁっと表情が明るくなる。やっといつもの彼女に戻ったようだ。
店員さんが注文の品を運んできてくれた。
あたしは桃を丸ごと一個使ったケーキ。八重城はアップルパイを注文。
添えられたアッサムの香りが、ケーキの品格をさらに高めている。
「「いただきます」」
拳サイズほどある大きな桃を二つに割ると、中にはカスタードクリームが入っていた。爽やかな果実の味と濃厚なクリームが調和しておいしい。
八重城が食べているアップルパイも、じっくり煮込まれた飴色のりんごが生地の上に惜しげもなく盛られている。
この店は旬のフルーツを活かしたオーダーが得意らしい。
「うまっ! んめ! んめえ!」
八重城は牛丼をかっ食らう会社員のように、ケーキを貪っていた。ひどい絵面だ。
「あんたにはマナーがないの? 一緒にいるあたしまで恥ずかしいんだけど」
「だっておいしいんだもん」
「やれやれ」
「……っは!」
頭上に雷が落ちたように、八重城が閃いた。
「もしかしてとっきー、私のケーキも食べてみたくなっちゃった? 私があ~んして食べさせてあげる。そしたら、とっきーもお返しに桃のケーキをくれるんだけど、お互い自分のフォークを使ったから間接キスになっちゃって……! きゃああああ~~~!」
「…………」
「無言で食べてらっしゃる!?」
リラックスした空間なのに、こいつといると台無しだ。まぁ、それもけっこう慣れたけど。
「八重城」
「んぐ?」
リスみたいに頬をふくらませた彼女が、こちらを見た。
「今回は打ち合わせに協力してくれてありがとう」
「どうしたの改まって」
「ちゃんとお礼言えてなかったから」
「とっきーに正面からお礼言われると、くすぐったいよ」
ケーキを頬張りながら満面の笑み。新装開店のCMを作るならうってつけの人材だろう。
「あたしひとりじゃ打開策が見つからなかったから、八重城には感謝してる」
「なんだかプロポーズされてるみたいで照れちゃうよ、いひひ」
「真面目に話してるんだから茶化すな」
「ごめんなさい」
八重城は紅茶のカップを、酒の入ったジョッキのように持ち上げた。
「じゃあ今日は、ラジオの新しい門出を祝う記念日だね」
「大袈裟よ」
「こういうのは気持ちが大事だから」
乾杯してフォークを進める。
食べ終わるのを見計らったように八重城のスマホが鳴った。
「電話?」
「うん。あ、ゆみ姉だ」
「お姉さんがいたの?」
「ちがうちがう、大学時代の先輩」
「へぇ、大学出てたのね。意外」
「む、なんか含みのある言い方ですな、とっきー?」
「気のせいよ。言葉の裏とか行間を読もうとするのは、小説家志望の悪い癖ね」
着信音は鳴り止んで、画面には不在着信と表示された。
「かけ直したら?」
「でも、今はとっきーとデート中だし。ほかの女性と通話するなんて」
「その気遣いは不要よ」
「んもう! この温度差はなんなの!?」
頬をふくらませた八重城が席を立つ。
「お代置いておくね。お会計は済ませちゃっていいから。あっ、先に帰っちゃイヤだよ? 一緒に帰るまでがデートなんだから」
「わかってるわよ」
「待てよ? 帰りの電車で、疲れたとっきーは寝落ちしちゃうの。そして隣に座っている私の肩にもたれかかってきて……んんんーーー!」
「早く電話してきなさいよ!」
追い払って、あたしは残っていた紅茶を飲み干した。
あいつが置いていった代金(しかも若干足りていない)を回収して、支度をする。
午後三時をまわって店内も混雑してきた。長居しても迷惑だろうし、さっさと会計をすることに。
横から声をかけられたのは、そのときだった。
「ひばりちゃん……?」
*
【万年筆はかく語りき】
私はフロア隅にある非常階段の踊り場にいた。不在着信にかけ直すと、すぐにゆみ姉が出た。
『もしもし、姫梨? 今、大丈夫?』
「平気だよ。ゆみ姉こそお仕事は?」
『休憩中だから心配ご無用よ』
柔らかくて、包容力のある声が耳朶を打つ。
『風邪はもう治ったの?』
「とっくに治ってるよ。私を誰だと思ってるの」
『人に看病させておいてよく言うわよ』
年の差を感じさせない人柄。ゆみ姉とお話する時間が昔から好きだ。
でも、私は知っている。
ゆみ姉は風邪の経過を訊く程度で電話なんかしてこないことを。LIMEのメッセージで済ませればいいのだから。
スマホの着信画面に掟川ゆみ子の表示を見た瞬間、予感めいたものがあった。
そして、その予感は運悪くも的中することになる。
ゆみ姉は本題を切り出した。電話の向こうの柔らかい声が徐々に
「ごめんね、ゆみ姉。迷惑ばかりかけて」
『気にしないで。私はあなたの――』
わずかな沈黙が流れた。
『ううん、なんでもない。私は、あなたの味方だから。それだけは忘れないで』
「うん。ありがとう、ゆみ姉」
それが別れの言葉となった。通話を終えて吐いた息は、とても重かった。
さっきまでの和やかなムードは霧散していた。
ゆみ姉は悪くない。悪いのは、なにも果たせず、ゆみ姉に迷惑をかけている自分だ。
今日は楽しい一日になるはずだったのに……。
(でも、デートはまだ終わってない。推しにこんな暗い顔を見せちゃダメだ)
気分を新たにして、踊り場から階段を下りようとしたときだった。
電話に夢中になっていたせいか、こちらに向かって階段を上がってくる人影に気づくのが遅れてしまった。
相手もぶつかりそうと思ったのだろう、私を避けようとしてバランスを崩した。重心が揺れて、体は背後へ傾いていく。
「危ない!」
咄嗟に手を伸ばした。彼女はなんとか私の手を掴んでくれて、踏み
「す、すみません! ありがとうございます!」
「ううん、私のほうこそよそ見してて。ごめんなさい」
転落していたらと思うと肝を冷やす。大事にならなくてよかった。
お互いに会釈して、彼女は脇を通って過ぎ去ろうとする。
そこで違和感を覚えた。
マスクをしていて目元しか見えなかったし、声も曇り気味だった。でも、いくら素顔を潜めても隠し通せないスター性というものがある。
「あのっ!」
切れ長の瞳に、特徴的な声。彼女を構成する要素に、私は覚えがあった。
「朱羽紅音ちゃん……?」
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