女のよろこび
【万年筆はかく語りき】
頭の中が混乱していた。
とっきーは私の腕を掴んでショッピングモールに入ると、人の間を縫って進んでいく。腕を引っ張られている私は、されるがままに彼女の後ろをついていく。ちらりと見えた彼女の横顔は怒っているように見えた。でも、とっきーがなぜ怒っているのか分からない。今日はまだ何もしていないはずだけど……。
そういえばさっき、とっきーは言った。私を女にしてあげる、と。
心臓が高鳴る。
(それってつまり、そういうこと……だよね)
頭の隅で生まれた光はそのまま解決の糸口に繋がる。
今日は何の日だ? 答えてみろ、八重城姫梨。
デートだ。自分で言ったんじゃないか。自分で言っておいて深く考えていなかったのは私の方。とっきーは、私よりもずっとデートという言葉を重く受け止めてくれていたんだ。
全てを理解し、顔は収穫を待ちわびるパプリカのように真っ赤に、心は食べ頃のミカンのように甘酸っぱくなった。そう、とっきーは覚悟を決めてくれたのだ。
「私、その……、下着いつも履いてるやつなんだけど……」
「気にしないよ」
「と、とっきーがそれでいいって言うなら……」
変に気取らず、普段の――自然体の私としたいということか。始まったらすぐに剥ぎ取られるのか。たしかにそれなら、最後の防衛線などあって無いようなもの。
とっきーの横顔からは凛々しさが感じ取れる。そんなとっきーも素敵だ。
「シャワーはどうしよう?」
「必要ないよ」
やはりそうだ。部屋に入った瞬間、求め合うのだ。よく映画などで、扉が閉まる前に二人が我慢しきれず愛し合うシーンを見かけるけど、ああいうのがご所望らしい。意外と情熱的だし、そんなとっきーも素敵だ。まだまだ知らない風町渡季の一面を、私はベッドの上でどれだけ見つけることができるだろう。
あと数分後には……始まっている。それを想像するだけで、体中を流れる血液が沸騰しそうだった。
「あの、私、はじめてなの……」
「大丈夫。全部あたしに任せて」
「とっきー……!」
不安と緊張でいっぱいになっている私を安心させるように、とっきーの表情が和らいだ。
「とっきーって、意外と大胆だったんだね……」
「こういうのは思い立ったが吉日なのよ」
「うん、そうだよね。私ったら難しく考えすぎてたんだよね」
私達は同性だし、出会ってから日もまだ浅い。けれど、性別とか、重ねた時間の長さとか、そんなのは関係ないのだろう。相思相愛になった二人が行き着く答えは、いつの時代も一つなのだから。
緊張も峠を越えて、私も覚悟が決まった。腕の強張りも自然と溶けていく。とっきーも、もう私が抵抗しないと分かって無理に手を引くことはしない。母親を追う子どものように、彼女の背中についていく。そんな最推しには聞こえないように、そっと呟いた。
ありがとう、とっきー。
私、とっきーが初めての人でよかったよ。
*
「さ、入って」
「う、うん……」
案内された部屋は想像以上に狭かった。部屋というよりはトイレの個室くらいの狭さ。激しくしたら汗だくになるし、外に声だって漏れるかもしれない。だけど、理性をほとんど手放していた私にはもう関係ない。
中はとても明るい。営みの際は薄暗い照明を好む人が多いと聞くけど、明るい方がお互いの顔がよく見えるというメリットがある。愛を確認している最中、推しと見つめ合うことができる。こんなに幸せなことはないだろう。
「終わったら呼んで」
「……うん」
扉が閉まり、中には私一人となった。とっきーはすぐ外で、私が支度するのを待ってくれている。
まずは羽織っていたカーディガンを脱ぐ。たった一枚取り払っただけで
腕をクロスさせてパジャマの裾を掴み、上へ引き上げる。続け様にズボンに手をかけて、ゆっくり脱がしていく。太もも、脚の順番に肌が外気にさらされた。空調が効いてて寒くはない。
生唾を飲む。自分の耳でも感じ取れるくらいに鼓動が鳴り響いていた。全身が燃えるように熱く、雲の上を歩いているようなふわふわした感覚。
ここまで来たら、もう後戻りはできない。とっきーも覚悟を決めてくれたんだから、私が怖気ついて恥をかかせてはいけない。
緊張と焦りが織り混ざって、吐息に熱がこもる。薄いキャミソールは、まるで
「…………」
等身大の鏡に映った自分を見る。醜い体だ。お腹の肉は指で摘めるほどに余っているし、脚だって周りの子みたいにすらっとしていない。
服装には
魅力なんてこれっぽっちも無い。
こんなはしたない女でも、とっきーは愛してくれるだろうか。
壁一枚隔てているだけなのに、彼女の顔が見えないだけで心細くなってしまう。早くひとつになりたいという情欲が全身をかき乱す。
「と、とっきー……。ちゃんといるよね?」
「いるよ。どうかしたの?」
「なんだか緊張しちゃって」
「大丈夫だよ。あんたはもうすぐ、女に生まれた喜びを知ることになるんだから」
「女の喜び……」
女の喜び……。女のよろこび……。女の悦び……!
その言葉に、私の胸はきゅんと締め付けられる。ああ、もうダメだ。甘酸っぱい感情が波のように押し寄せて、私をさらっていく。心はもう完全に支配されていた。
人生を嘆いている者に言いたい。人間はこんなにも幸福を得ることが出来るのだということを。私のような粗末な人間でもだ。ずっと恋焦がれていた推しに『初めて』を捧げることができて、晴れて女になることができる。人として、女として、これ以上の幸せはない。
「ん?」
そこで、異変に気付いた。
上下のスウェットとキャミソールを脱いだ。あとは胸と腰に
あれ? あれれ?? おやおやおや???
――数分後。
「終わったよ……、とっきー」
モジモジした声が出た。開けるよ、という彼女の声に、肯定の意の無言を返す。ゆっくりと扉は開かれ、外で待ち構えていたとっきーが顔を覗かせた。
「うん! よく似合ってるじゃない」
穏やかな表情を浮かべる彼女の視線の先には、ブラウンチェック柄のワンピースに身を包んだ私がいた。
愛しの女性は、私の全身を値踏みするように眺めて、うんうんと楽しそうに頷く。
「サイズ感もちょうどいいし、シックな色も今の季節にぴったりね」
「あ、あの……」
「やっぱり、あんたはパンツスタイルよりもワンピースとかスカート系が似合うわ。春夏だったらブラウスとスカートのコーデもオススメね。花柄や涼しいカラーのお洋服もたくさん出るし」
試着室の中で大仏のような顔をする私に、とっきーが早口で感想を述べる。
「次はこれね。今度はもっとカジュアル目だから。それが終わったら、これとこれ。あとがつかえてるんだから、じゃんじゃん着替えてよ」
リアル着せ替え人形を手に入れた彼女はすごく楽しそうだった。推しの楽しそうな様子が見れて、私も幸せだ。ええ、それは涙が出るほどにね。
「あ、あの~……、風町さん?」
「なんですか八重城さん」
「女の悦びは……?」
「よかったじゃない。可愛いお洋服がたくさん試着できて、女の喜びを知れて」
「こんなオチだろうと思ったよ!!」
仏の顔から一転、阿修羅の形相で扉を閉め、二着目のコーデに着替えていくのだった。
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