第25話
【万年筆はかく語りき】
動揺していた。
とっきーは私の腕を掴んだままショッピングモールの中をぐいぐい進んでいく。ほかのお客さんとぶつからないように、大股で。
とっきーは言った。私を女にしてあげる、と。
(それってつまり、そういうこと……だよね)
そう、とっきーは覚悟を決めてくれたのだ。
「下着……いつも穿いてるやつなんだけど」
「気にしないよ」
「とっきーがそれでいいって言うなら……」
ありのままの私でいいらしい。
おそらく始まったらすぐに剥ぎ取られるのだろう。たしかにそれなら、最後の防衛線などあって無いようなもの。
私はさらに質問する。
「シャワーはどうしよう?」
「必要ない」
部屋に入った瞬間、求め合うというのか。
よく映画などで、扉が閉めきる前におっぱじめるシーンがあるけど、ああいうのがご所望らしい。
意外と情熱的だ。そんなとっきーも素敵である。
まだ知らない風町渡季の一面を、私はベッドの上でどれだけ見つけることができるだろう。
あと数分後には……始まっている。想像するだけで、体中を流れる血液が沸騰しそうになる。
「あの……、私、初めてなの」
「大丈夫。全部あたしに任せて」
「とっきー……!」
不安と緊張が溶けていく。
「とっきーって意外と大胆だったんだね」
「こういうのは思い立ったが吉日なのよ」
「うん、そうだよね」
私たちは同性で、出会って日もまだ浅い。けれど、そんなのは関係ないのだ。
相思相愛になったふたりが行き着く答えは、いつの時代もひとつなのだから。
不安も峠を越えて、私も覚悟が決まった。彼女の背中にそっとささやく。
(ありがとう、とっきー。私、とっきーが初めての人でよかったよ)
*
連れてこられた部屋は狭かった。個室トイレくらい。
激しくしたら外に声が漏れそう。
「着替え終わったら呼んで」
「うん……」
扉が閉まり、中で私ひとりとなった。
いきなり交わることはしない。まずは下準備。
羽織っていたカーディガンを脱いでハンガーに吊るす。
腕をクロスさせてスウェットの裾を掴み、上を脱ぐ。
続けてズボン。太もも、脚の順番に肌が外気にさらされた。
鼓動がうるさい。全身は燃えるように熱く、雲の上を歩いているようなふわふわした感覚。
ここまで来たら、もう後戻りはできない。
とっきーも覚悟を決めてくれたんだから、私が怖気づいて恥をかかせてはいけない。
ほとんど質量を伴っていないはずの薄いキャミソールは、まるで
床に落とし、最小限の下着姿となった。
「…………」
姿見に映った自分を見る。醜い体だ。
お腹の肉は指の第一関節でつまめるほどに余っているし、脚だって細くない。
服装にこだわりはないけど、こんな展開になるなら下着くらいはもっと可愛いものを着けてくればよかった。
女の魅力なんてこれっぽっちもない。
こんなはしたない女でも、とっきーは愛してくれるだろうか。
「とっきー、ちゃんといるよね?」
「いるよ。どうかしたの?」
「やっぱりまだ不安で」
とっきーは扉一枚隔てたすぐ外で、私が支度するのを待ってくれている。
早くひとつになりたいという情欲が燃え盛る一方で、一抹の不安が最後に残る。
私を安心させるような声音でとっきーは言った。
「大丈夫よ。あんたはもうすぐ女に生まれた喜びを知ることになるんだから」
「女の喜び……」
女の喜び……。
女のよろこび……。
女の悦び……!
押しとどめていた感情が
私は女ではなかった。生物学的には雌だけど、文化的な意味で女ではなかった。
ずっと焦がれていた推しに『初めて』を捧げ、私は今日、晴れて女になれる。
人生を嘆いている者に言いたい。生きていれば、人は真の幸せを掴み取ることができるということを。
「ん?」
そこで、異変に気づいた。
スウェット上下とキャミソールを脱ぎ、私を
てっきりガウンのようなものに着替えると思っていた。ホテル備え付けパジャマの定番であり、愛を確認するときの正装だからである。
しかし用意されたそれは、丈こそガウンと同じくらいの長さだけど、なんか違う。
滑らかな素材で仕立てられているし、デザインも外行き用のように可愛い。部屋着には到底見えない。
あれ、なんかおかしい。 あれれ? おやおやおや?
数分後。
「終わったよ、とっきー」
扉を開ける。とっきーは私の全身を往復するように眺めた。
「うん! よく似合ってるじゃない」
姿見の中には秋物のワンピースに身を包んだ私がいた。
「サイズ感もちょうどいいし、シックな色もこれからの季節にぴったりね。シャツはやっぱり白で合わせるのが王道かしら」
「あ、あの……」
「あたしの見立て通り、あんたはパンツスタイルよりワンピースとかスカート系が似合うわ」
試着室の鏡に映るのは大仏のような顔をした私。
「次はこの服ね。それが終わったら、これとこれ。あとがつかえてるんだから、じゃんじゃん着替えてよ」
リアル着せ替え人形を手に入れたとっきーはすごく楽しそうだった。
推しの楽しそうな様子が見れて私も幸せだ。ええ、それは涙が出るほどにね。
「あの~風町さん?」
「なによ」
「女の悦びは……?」
「よかったじゃない。可愛いお洋服がたくさん試着できて、女の喜びを知れて」
「こんなオチだろうと思ったよ!」
仏の顔から一転、阿修羅の形相で扉を閉め、二着目のコーデに着替えていくのだった。
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