第24話

【渡り鳥はかく語りき】

 

 ――オーディション決まったわよ! おめでとう!


 ――初の主役ね。緊張すると思うけど、自分らしさを大切にね。


 ――わたしも風町先輩みたいに早くデビューできるようにがんばります!


 ――『残荘』毎週観てます! 依鈴いすずちゃん応援してます!


 あの頃は楽しかった。先輩声優から激励されて、後輩からもチヤホヤされて、ファンも増えた。


 これからもっと楽しくなるはずだった。


『お世話になりました。ご迷惑をおかけして、すみません』


 プロダクションは自分から辞めた。


 後悔はない、なんて虚勢を張るつもりもない。やり残したことばかり。


 あのときほど声の仕事が好きなんだなって思い知らされたことはなかった。


 養成所期間を含めて三年。あまりにも短い夢の舞台だった。


 *


 八重城とは現地で落ち合うことになっている。


 約束の時間まで三十分。さすがに早く着きすぎた。


 べつに今日という日を楽しみにしていたわけじゃない。前科があるので、今回は早く家を出ただけ。


 さすが池袋の巨大商業施設だ。平日なのにとても賑わっている。

 気をつけて歩かないと人の塊に飲み込まれてしまいそう。


 人混みを避けて八重城を待つ。


(……変じゃないかな)


 スマホをインカメラにする。前髪を整え、顔を左右にひねって容姿をチェックする。


(これじゃまるで、あたしが期待してるみたいじゃない……)


 あいつがデートだとか誇張するものだから、変に意識してしまっているに違いない。そうだ、そうに決まっている。


 相談に乗ってもらったお礼に食事するだけ。


「とっきー!」


 能天気な声に顔を上げる。八重城のご到着だ。


「ごめん、待った?」

「ううん、あたしもさっき来たとこ」


 自己暗示をかけるようにデートじゃないと言い聞かせていたのに、ついデート定番の挨拶をしてしまった。


「はぁああああん!」

「なによ、エロい声出して」

「やっぱりとっきーの私服姿って素敵!」


 短丈のテーラードジャケットにライトグレーのデニムパンツが本日のコーデ。


「とっきーはかっこいい系のファッションも似合うね」


 八重城は両手を後ろで組んで腰をおとし、下からのぞき込むような姿勢であたしを見つめた。


 照れくさくなったあたしは視線を逃がす。ネックレス選びに一時間もかかったなんて口が裂けても言えない。


「でも、伊達メガネだけでいいの?」


 八重城が質問する。


国立くにたちと違ってここは人も多いんだし、もっと変装したほうがいいんじゃない? サングラス&マスクとか、オペラ座の怪人みたいに仮面かぶったりとか」

「ただの危ない人でしょ。こんなもんでいいのよ」


 収録現場への行き帰りやオフの日は、これくらいの身バレ防止対策をしている声優が多い。

 がっつり変装してしまうと、それはそれで不審がられてしまうからだ。


 風町渡季の存在が周りのお客さんにバレやしないかと八重城は懸念しているようだけど、あたしは正直そこまで心配していない。


 知名度も高くないし、退いてもう三年だ。伊達メガネだって自己満足の一部にすぎない。


 誰もあたしのことなんか憶えていない。


 八重城以外、あたしに気づいてくれる人なんていない。


「それより、あんたどういうつもりよ」

「はえ? なにが?」


 あたしが声音を鋭くすると、八重城は間の抜けた声を上げた。


「なにが、じゃないわよ。その服!」


 八重城はいつものスウェットに、ピンク色のカーディガンを羽織っている。


「寝起きみたいな格好して、どういう了見なのかって訊いてるのよ」

「昨日は寝てないから寝起きじゃないよ! とっきーとのデートなんだもん。うきうきして寝れるわけないじゃん」


 会話のキャッチボールができなくて頭痛がする。


「このルームウェアね、ユリクロでいちきゅっぱで買ったんだ。コスパ最強だよね~。ちなみにカーディガンもユリクロ! ちょっとチクチクするけど安くて暖かいんだ。あ、前にもこんな話したっけ?」


 知り合いと思われたくないから、他人のフリをして逃げようと思ったけど、あまりに能天気なこの女を見ていたら別の感情が込み上げてきた。


「あんた、今日を楽しみにしてたんでしょ!? これはデートなんでしょ!? なのにパジャマで来る奴があるか!」


 近所のコンビニに行くならまだしも、大勢の人が行き交う都心の商業施設でパジャマ姿とは。羞恥心はないのか。


「とっきー、見た目で人を判断する時代は終わったと思うんだよ。弘法筆を選ばず。文豪服を選ばずってね」


 ミルクキャンディーのパッケージに描かれた女の子のように、八重城がぺろっと舌を出す。


「あんた、いつもその格好なの?」

「ずっと同じの着てるわけじゃなくて、同じサイズ・カラーのモノを何着か買いだめしてあるんだよ。ちゃんと洗濯してるから安心してね」

「なんの救いにもならないフォローをありがとう」


 あまりにも純真な面持ちで言葉を継ぐので、おかしいのはあたしのほうなんじゃないかと錯覚を起こしそうになる。


 こいつを見ていると、身支度に気合いを入れてきた――もとい、服選びにほんの少しだけ……本当にほんの少しだけ時間をかけた自分が馬鹿らしく思えてくる。


 八重城はお花畑を舞う妖精のように、ぽわぽわした表情を浮かべている。


 なんだか腹が立ってきた。


「ちょっと来なさい」

「え? ちょ、ちょっと、とっきー!?」


 乱暴に彼女の腕を掴み、ショッピングモールの中へ。


「ねえ、とっきーってば! どこ行くの!?」

「あたしが、あんたを女にしてあげるのよ」

「私を……女に? え……、えええええ!?」

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