第21話

 目の前に座る八重城は上機嫌だった。秋どころか冬さえもスキップして、彼女の周りだけ春の陽気が漂っているよう。


「うれしそうね」

「うれしいに決まってるじゃん。とっきーが私に相談事なんて……はっ!」


 雷に打たれたように、八重城が目を見開いた。


「もしかして仕事の悩みっていうのは建前で、実は恋の相談だったり!? しかも『これは友達の話なんだけどさ……』っていう架空の友達設定からの、本当はとっきー自身の話で……。そしてそして、その相手は私だったりして! きゃあ~~~~~!」

「さすが小説家志望さん。妄想だけは一人前ね」


 相変わらず騒がしい女だ。四六時中こんな様子で疲れないのだろうか。


「こうして話すの、ずいぶん久しぶりね」

「うん。風邪引いちゃってさ」

「それって……」


 やっぱり、あたしのせいだよね。


 あたしが自分を責めると思ったのだろう。八重城は「夜更ししてたら体調崩しちゃってさ」と見え透いた嘘を吐いた。


 優しくて不器用な子だ。


「だから最近バイト先に来なかったのね」

「もう治ったから、またいっぱい会いに行くね」

「お気持ちだけで結構です」

「そこは社交辞令でも『待ってるね』って言ってよ!」


 かすみさんが注文のコーヒーを運んできた。


「今日もブラックでよかったの、姫?」

「文豪にお砂糖もミルクも不要だって、何度も言ってるでしょ」

「飲めるようになってから注文してって、何度も言ってるわよね」


 かすみさんがこめかみをピクピクさせながら怖い笑顔を作った。この人を怒らせるとヤバそうだ。


「いずれは優雅にブラックコーヒーをたしなめるレディーになるんだから。文豪は夜明け前に起きて、シャワーを浴び、熱いブラックコーヒーに舌鼓を打ちながら筆を走らせるのよ」


 そういえば、前に一緒に来たときも八重城は独特の苦さに顔をしかめながらコーヒーを飲んでいた。


 なるほど。どうやら八重城は小説家への偏ったイメージを持っていて、彼らがしていそうな習慣や仕草を真似しているらしい。


「カウンター越しから見てたんだけど、ふたりともこの間より距離が縮まってない?」


 かすみさんが含みのある笑みを浮かべた。


「え! そう? そうかな? やだなぁ、やっぱりかすみさんには隠し事できないか~! 私たちはもうただならぬ関係なんだよ」

「そうなの、とっきーちゃん?」

「事実無根です」


 あたしの冷淡な反応が気に入らなかったのか、八重城は頬をふくらませた。


「ていうか、とっきーとかすみさんこそ仲良しになってない!? さっきから『とっきーちゃん』って呼ぶし。やっぱり浮気なの!?」

「あら、おねーさんととっきーちゃんは仲良しよね~」

「いくらかすみさんでも、とっきーは渡さないから!」

「あたしを介さないで勝手に話を進めるのやめてもらっていいですか」


 八重城も八重城だけど、かすみさんもかすみさんである。このふたりを相手にしていると無駄に体力が削られる。


「でも、とっきーちゃん。この前とはずいぶん印象が違うわね」

「え、そうですか?」

「先日はなんだか、いい子いい子してる感じだったから」

「そんなつもりはないんですけどね~はは……」


 枯れた笑いが出る。


 八重城は「はわわ」と震える口に手を当てていた。あたしの猫かぶりの本性が露呈しないか、八重城は危惧しているのだろう。


 けれど、当のかすみさんは特に気に留める素振りもなく、伝票をアクリルの伝票入れに丸めて忍ばせ、カウンターのほうへ体を翻した。


「とっきーちゃん。ここはこじんまりしたお店だから、ここにいるときくらい羽を伸ばしていいのよ。鳥だってずっと飛んでいたら疲れるでしょ」

「かすみさん……」

「それじゃあ、お邪魔虫は退散しましょうね。あとは若い者同士でごゆっくり~」


 要らぬお節介を焼いて、かすみさんは退散していった。


 あたしが生きにくい性格をしていることを、かすみさんは見抜いている風だった。茶化す発言も多いけど、なんだかんだ察しのいい人だから。


「それで、とっきーの相談っていうのは?」

「ああ、うん。ラジオのことなんだけど」

「YuriTubeやめるの!?」

「やめないわよ」

「焦ったぁ。あれだけが生きる希望だから」


 どんな人生を歩んでるのよ。


「最新回もう聴いてくれた?」

「もち! 五千回リピした」

「告知で話した新コーナーについてなんだけど――」


 八重城に悩みを打ち明ける。


 変化の乏しいコンテンツは徐々に廃れてしまうこと。番組を存続させるために新コーナーを設けて方向性を変えようと思っていること。


 その背景には、あたし自身とリスナーの居場所を守りたいという想いがあること。


 八重城は居住まいを正して、あたしの話に耳を傾けていた。


 不思議と八重城を前にしたら、心の奥底で堆積していた気持ちが言葉になって、すらすらと喉を通して外に出すことができた。


 そこまで深刻な話をするつもりはなかったのに、彼女があまりにも真剣に聞くものだから、緊張した空気になってしまった。


 それだけあたしの番組を楽しみにしてくれているのだろう。


「そっか……。新企画をやろうって言ったのは、そういう理由があったからなんだね」

「うん」

「うれしいな」

「うれしい?」

「とっきーが私たちリスナーのことを考えていてくれて」


 朗らかな顔で八重城は言う。


「寄せられた意見の中でピンとくるものがなくて困ってるんだね?」

「それもあるんだけど、あたしは今の番組の雰囲気がけっこう好きなんだ。だから、無理に変える必要もないんじゃないかっていう気持ちがまだ残ってるの。いろいろ考えてたら頭の中がぐるぐるしちゃって」


 なにかを決断すれば「やらなければよかった」という後悔に蝕まれそうで。


 なにも変えなければ「やっていたらどうなっていたのだろう」という空想に苛まれそうで。


「八重城はさ、どうしたらいいと思う?」

「私は……」


 彼女はたっぷりの思考を重ねてから口を開いた。


「私は、従来のままでもいいと思ってた。無理に新しいことをしなくても」


 八重城のように現状維持を望む声も上がっていた。しかし彼女は『思ってた』と言った。

 それはつまり、続きがあることを示唆する。


「でもね、心の中の――もうひとりの私が叫ぶの。胸が張り裂けそうなくらい悲痛な声で。それはね」


 八重城は右手で胸元をぎゅっと掴み、あたしの目をまっすぐに見た。


「とっきーに、もう一度アニメに出てほしいってこと」

「…………」


 アニメの話題はタブーだと、内心で感じていたのだろう。彼女の声色には幾ばくの不安が読み取れた。


「私は今が幸せなの。言い方は悪いけど、ファンが少ないほうが私たち一人ひとりのことを見てもらえるから。同時に、とっきーの魅力をもっとたくさんの人に知ってほしいっていう気持ちもある。そのためには、もっともっとチャンネルを盛り上げていかなくちゃいけない。でも、人気が出てとっきーが遠くに行っちゃうのは、なんだか寂しいの」


 ごめん、言ってる意味よくわからないよね、と八重城は笑いながら頭を掻いた。


 その笑顔の裏に隠された寂寥せきりょうを読み取ってしまい、あたしはなにも言えなかった。


 でも、八重城の気持ちはなんとなく理解できる。


「とっきーは、これからの活動をどうしたいの?」

「YuriTuberとして?」

「どちらかというと、声優として……かな」


 ラジオ番組だけを考えるのではなく、今後の人生を真摯に考えること。それがそのまま答えにつながることを、きつね色の瞳が強く訴えている。


「あたしは……」


 目の前に置かれたコーヒーの水面に視線を落とす。


「声優復帰は現実的に厳しいと思う。一度身を引いた人間が簡単に戻れる業界じゃないから」

「うん」

「でも、もっとたくさんの人にあたしの声を届けたい。この気持ちは声優を目指したときからなにも変わってない」

「とっきー……」


 あたしの夢は三年前で途絶えてしまった。


 でも、こんなあたしでも、また立ち上がることを許されるなら。


「あたしは……もう一度、夢を見てもいいのかな」

「いいんだよ。夢は何回見たって」


 もしも幸せに形があるなら、その具現化された幸せを口の中で噛みしめるように、八重城が言った。


 胸の奥が温かい。春の陽気みたいに。


「そうと決まれば、企画を練りますか」

「一生ついていくよ、とっきー! 親衛隊一番隊長の名にかけて!」

「変な組織作らないでくれる」

「公式ファンクラブがないんだから、名乗った者勝ちだよ」


 人生を左右する分水嶺は案外、こういうなにもない平日の午後から生まれたりするのかもしれない。


 そんな風に思った。

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