確固たる意志なくして商売なんてできない
「仕事の方向性……ねぇ」
声優をしていることは伏せて、フリーランスをやっている設定でかすみさんに相談してみた。
「今のお仕事が上手くいってないわけじゃないなら、それでいいんじゃないの? ムリに変えようとしなくても」
「たしかに低空飛行ではありますけど、不調というわけでもありません」
ラジオは好きでやっている。チャンネル登録者数は少ないけど、毎回お便りを送ってくれる根強いファンもいる。趣味でやっていく分にはなにも問題ない。
「とくに不満はなかったんですけど、現状のままで本当にいいのかなって最近は思うようになったんです」
「新しくやりたいことができたとか?」
「明確にはまだ……。仮に路線を変えたとして、それで今までのスタンスが変わってしまうんじゃないかって不安なんです」
「ふむ」
具体性の欠いた話だし、どこまで伝わっているかわからないけど、かすみさんは顎に手を添えて深く考える仕草をした。
難しい顔をしたのは一瞬だけで、すぐに元の柔らかい表情に戻った。
「とっきーちゃんって可愛いのに、すごく向上心があるのね」
「か、からかわないでください」
「うふふ」
「やっぱり矛盾してますよね。今のままで良いって言っておきながら、新しいことにもチャレンジしたいなんて」
小気のあたしに、かすみさんは朗らかな笑みを浮かべた。
「とっきーちゃんの気持ち、なんとなくわかるわ。おねーさんも昔、同じようなことで悩んでいたから」
「そうなんですか?」
かすみさんは店内を見渡した。
「オープン初期の頃に客足が伸びなくなった時期があったのよ。一時的なものなら良かったんだけど、これがけっこう深刻でね、出口の見えない経営不振に陥ったわ」
穏やかな口調で話しているけど、言の葉の裏には重ねてきた苦労の日々が宿っている気がした。
「新作メニュー考えたり、看板であるコーヒーの味を変えようとしたこともあったわ。でも、目に見える成果はなかった。本気でお店を畳むことも視野に入れたわ」
なんとかしたい気持ちと、なんとかしようとすればするほど自分の店のコンセプトから遠のいていくジレンマを、きっと当時のかすみさんは感じていたに違いない。
「だからね、進路に悩むとっきーちゃんの姿が、まるで昔の自分を見ているようで、すごく共感できるのよ」
「どんなお仕事だって最初は誰かの役に立ちたいって気持ちから始まりますし、最後は誰かを幸せにできたら嬉しいなって思います。その過程で苦しいこともたくさんあります。誰もが行き着く悩みだと思います」
「あら、とっきーちゃん良いこと言うわね」
「す、すみません! かすみさんのほうがずっと経験豊富で、色々な修羅場をくぐり抜けてきたはずなのに、あたしったら知ったような口きいて」
「私ってそんな風に見える?」
「ちがうんですか?」
「さあ、どうでしょう」
細い指を唇に当てながら、かすみさんはまた妖しく微笑んだ。
「かすみさんは、低迷期からどうやって経営のアイディアを得たんですか?」
「お客さんに直接訊いたわ」
「お客さんにですか?」
「どんな軽食を提供したらいいかとか、店内のBGMはどんなのがいいかとか、片っ端からアンケートを取ったわ」
「大胆ですね」
「それくらい余裕がなかったのよ。とっきーちゃんが今座っている椅子だって、そのひとつなのよ?」
お尻に視線を落とす。どこにでもある普通の椅子に見えるけど。
「レトロな雰囲気の珈琲店にしたいと思ってね、オープン当初はいかにもっていう家具を導入したの。カウンターチェアとか」
「あの足が床につかない背の高いやつですよね」
「そうそう。それがね、お客さんのウケがよくなかったのよ。使いにくいって」
カウンターチェアは固い材質で作られているものが多く、ゆったりと座れない分、どこか緊張した姿勢になってしまう。デザインと快適性はトレードオフだ。
「だから、お客さんの要望で機能性を重視した椅子に替えたってわけ」
「そんな経緯があったんですね」
結果、リラックスした時間が過ごせるようになったことで利用者の滞在時間が増え、全体の回転率は下がったものの、根強い常連さんを獲得できたとかすみさんは最後に補足した。
なるほど。お客さんの声を聞く、か。消費者アンケートなど、商品・サービスの改善を図った試みはどこの業界でも行われている。でも、
「あたしは素人なので出しゃばったことは言えませんけど、そういうお店の方向性をお客さんに委ねるのって、なんか違わないですか?」
「経営に芯がないって言いたいの、とっきーちゃん?」
「言葉を選ばずに言えば……」
小声で言うと、
「とっきーちゃんの意見は正しいわ。確固たる意志なくして商売なんてできないもの」
「じゃあどうして」
「たしかにここは私のお店。でもね、同じくらいお客さんたちの居場所でもあるのよ。どちらが欠けてもこのお店は潰れちゃう。両方が支え合って経営できているの。言ってみればお店ってね、お客さんと店員の共有財産みたいなものなのよ」
「共有財産……」
かすみさんの言葉は、胸の中にすとんと落ちた。
「まぁ、当時はなりふり構っていられなかったから、こうやって自分の言葉で説明できるようになったのはつい最近なんだけどね」
「いいえ、かっこいいと思います」
確固たる意志なくして商売なんてできないと、かすみさんは言った。利用客に店舗の改善案を求めるのは、経営の丸投げだ。普通の人ならそう思うだろう。
しかし、お店は互いの共有財産として成り立っている――そういう揺るぎない気持ちがあったからこそ、当時のかすみさんは大きく舵を切ることができたのだ。
それこそが、彼女にとっての確固たる意志に他ならないのだから。
自分の信念はしっかり持って、他人に頼る素直さを忘れない。そんな幡杜かすみという女性の生き方が羨ましいと思った。
「とっきーちゃんはフリーランスさんなのよね?」
「はい、仕事内容は詳しくお話できないんですけど」
「どんなお仕事だってお客さんはいるわ。お客さんあってのお仕事なんですもの。肩肘張らないで、意見を求めるのも悪くないんじゃないかしら」
かすみさんにとって、お店はお客さんとの共有財産。なら、あたしにとってのラジオはファンとの共有財産になる。そう考えると、自分の番組に特別な価値がプラスされた気分になった。
「あ、クラブサンドできたみたいよ」
厨房から仕上がったクラブサンドを、かすみさんが目の前に置いてくれた。表面にはきれいな焼き目が入っており、サーモンとチーズ、それからオニオンがぎっしりと挟まれている。パンの香ばしい匂いが食欲をそそる。
「いただきます」
「あ、ちょっと待って」
手を合わせたところで、かすみさんが待ったをかけた。早足で厨房に向かい、すぐに戻ってきた。
「なんですか、それ?」
「アボカドよ」
彼女の手には黒い楕円が握られていた。
「今閃いたんだけど、アボカドをトッピングしたら絶対においしいと思うの! とっきーちゃん試してみない?」
「人を新作メニューの実験台みたいに」
「それがうちのモットーだからね」と、かすみさんはウインクした。
さっきまで真面目な話をしていただけに、その様子がちょっとおかしかった。こういう茶目っ気のある部分も含めて、大人の余裕を感じさせる。
目まぐるしく変化する地で、自立して生きる幡杜かすみさん。
生きる世界は違えど、目指す場所は違えど、かすみさんは昔のあたしがなりたかった大人のひとつであるように感じた。
「なにかヒントは見つけられた?」
「はい。自分なりに試行錯誤してみようと思います」
「それがいいわ。二十代なんて、冒険した者勝ちなんだから」
相談できてよかった。かすみさんみたいな頼もしい知人ができてよかった。
ちなみに、トッピングされたアボカドはまったくの不要で、ふつうに食べたほうがおいしかった。
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