第17話
「今のお仕事に不満はないけど、新しいこともしてみたい。ただ、方向性を変えることに不安を持っている。とっきーちゃんの悩みをまとめるとこんな感じかしら?」
「はい」
声優やラジオのことは伏せて、お仕事相談という形でかすみさんの意見を伺うことになった。
「そうねぇ」
かすみさんは顎に指をあてがって上に視線を向ける。
具体性の欠いた話だ。どこまで伝わっているかわからない。
なにかを閃いたのか、かすみさんは口角をつり上げる。
「とっきーちゃんって向上心がある女の子なのね」
「からかわないでください」
「うふふ」
「矛盾してますよね。現状に満足しているって言っておきながら、新しいことにもチャレンジしたいなんて」
そんなことないわ、とかすみさんは言った。
「とっきーちゃんの気持ち、なんとなくわかるわ。おねーさんも昔、同じようなことで悩んでいたから」
「そうなんですか?」
かすみさんは店内に視線を移した。
「オープン初期の頃に客足が伸びなくなった時期があったのよ。一時的なものならよかったんだけど、これがけっこう深刻でね。出口の見えない経営不振に陥ったの」
穏やかな口調で話しているけど、言葉の裏には重ねた苦労の日々が宿っている気がした。
「新作メニュー考えたり、試行錯誤の日々。でも、目に見える成果はなかった。本気でお店を畳むことも視野に入れたの」
なんとかしたい気持ちと、なんとかしようとすればするほど自分の店のコンセプトから遠のいていくジレンマを、きっと当時のかすみさんは感じていたに違いない。
「だからね、とっきーちゃんの姿が、昔の自分を見ているようなの」
「かすみさんは、低迷しているお店をどうやって立て直したんですか?」
「お客さんからアイディアを募ったの」
「お客さんから……ですか?」
「どんな軽食を提供したらいいかとか、店内のBGMはどんなのがいいかとか、片っ端からアンケートを取ったの」
「大胆ですね」
「なりふり構っていられなかったのよ。とっきーちゃんが座っている椅子だって、そのひとつなのよ?」
お尻に視線を落とす。どこにでもある普通の椅子に見えるけど……。
「レトロな雰囲気の喫茶店にしたいと思ってね、オープン当初はカウンターチェアを導入していたの」
「あの足が床につかない背の高い椅子ですよね」
「そうそう。それがね、お客さんの評判がよくなかったのよ。使いにくいって」
カウンターチェアは固い材質で作られているものが多く、ゆったりと座れない分、どこか緊張した姿勢になってしまう。デザインと快適性はトレードオフだ。
「だから、お客さんの要望で機能性を重視した椅子に替えたってわけ」
「そんな経緯があったんですね」
結果、全体の回転率は下がったものの、利用者の滞在時間が増えた。
根強い常連さんを獲得できたことが経営回復につながったと、かすみさんは最後に補足した。
(お客さんの声を聞く……か)
消費者アンケートなどで、商品・サービスの改善を図る試みはどこの業界でも行われている。
でも、
「あたしは素人なので出しゃばったことは言えませんけど、そういうお店の方向性をお客さんに委ねるのって、なんか違わないですか」
「経営に芯がないって言いたいのかしら、とっきーちゃん?」
「言葉を選ばずに言えば……」
言葉尻をすぼめるように言うと、かすみさんは微笑む。
「とっきーちゃんの意見は正しいわ。確固たる意志なくして商売なんてできないもの」
「じゃあどうして」
「たしかにLysはおねーさんのお店。でもね、同じくらいお客さんたちの居場所でもあるのよ。どちらが欠けてもこのお店は潰れちゃう。双方が支え合って経営はできるの。言ってみればお店は、お客さんと店員の共有財産みたいなものなのよ」
「共有財産……」
かすみさんの言葉は、胸の中にすとんと落ちた。
「そう思えるようになったのはつい最近なんだけどね」
「いいえ、かっこいいと思います」
確固たる意志なくして商売なんてできないと、かすみさんは言った。
お客さんに店舗の改善案を求めるのは経営の丸投げだ。普通の人ならそう思うだろう。
しかし、お店は互いの共有財産として成り立っている――その揺るがない気持ちがあったからこそ、当時のかすみさんは大きく舵を切ることができたのだ。
助力を仰ぐ素直な姿勢こそが、彼女にとっての確固たる意志なのだから。
自分の信念をしっかり持っているかすみさんが羨ましいと思った。
「とっきーちゃんはフリーランスなのよね?」
「はい。仕事内容は詳しくお話できないんですけど」
「どんなお仕事だって顧客はいるわ。肩肘張らないで、意見を求めるのも悪くないんじゃないかしら」
かすみさんにとって、Lysはお客さんとの共有財産。なら、あたしにとってのラジオはファンとの共有財産になる。
そう考えると、自分の番組に特別な価値がプラスされた気分になった。
「あ、クラブサンドできたみたいよ」
運ばれてきたパンにはこんがりとした焼き目が刻まれており、サーモンとチーズ、それからオニオンがぎっしりと挟まれていた。香ばしい匂いが食欲をそそる。
「いただきます」
「あ、ちょっと待って」
手を合わせたところで、かすみさんが待ったをかけた。早足で厨房に向かい、すぐに戻ってきた。
「なんですか、それ?」
「アボカドよ」
彼女の手には黒い楕円が握られている。
「閃いたんだけど、アボカドをトッピングしたら絶対においしいと思うの。試してみない?」
「人を新作メニューの実験台みたいに」
「それがうちのモットーだからね」
かすみさんがウインクした。
さっきまで真面目な話をしていただけに、その様子がちょっと可笑しかった。こういう茶目っ気のある部分も含めて大人の余裕を感じさせる。
目まぐるしく変化する地で、自立して生きる幡杜かすみさん。
生きる業界は違えど、かすみさんは昔のあたしがなりたかった大人のひとつであるように感じた。
「なにかヒントは見つけられた?」
「はい。自分なりに試行錯誤してみようと思います」
「それがいいわ。二十代なんて冒険した者勝ちだから」
相談してよかった。
ちなみにトッピングされたアボカドはまったくの不要で、ふつうに食べたほうがおいしかった。
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