幡杜かすみ
【渡り鳥はかく語りき】
某日、夜勤にて。
「はぁ」
「どうしたんですか、先輩」
あたしのため息に、隣に立っていた井澤さんが反応した。彼女は学生バイトで、あたしと同じく深夜のシフトに入ることが多い。アンニュイな性格をしているが、仕事は卒なくこなすし、ミスも少ない。優秀なアルバイトスタッフだ。ただ一点を除けば。
「ごめんなさい、なんでもないの」
「そーですか。自分、バックに行っていいですか?」
「またゲームするの?」
「ダメですか?」
「一応、勤務中だし」
「だってお客さんいないですし」
井澤さんの言う通り、深夜一時のコンビニには人っ子一人いなくて、商品補充や洗い物などの業務も一通り終わっている。これで時給が発生するのが不思議に思えるくらい、やることがない。
「なにかあったら呼んでください」
「……うん」
あたしのほうが年上なんだけど、先輩を顎で使う図々しさも持っている。生意気な後輩だ。
でも、別に構わない。あたしだって裏で声優をしていることを隠して、こうして働いている。伊達メガネで変装し、物静かなキャラを装って、素顔を隠して生きている。
井澤さんだって学校では全然違うキャラかもしれないし。
それぞれのスタッフが、それぞれの思惑で働いている。それでいい。自分の仕事さえきちんとしてくれれば、互いに干渉する必要なんてないのだから。
スタッフは誰もあたしが以前に芸能活動をしていた事実を知らない。
最初は複数の『自分』を使い分けるのに疲れていた。が、腐っても声優だ。色々なキャラを演じ分けることには慣れている。
しかし実のところ、その風町渡季の活動が、最近の悩みの種だったりする。
*
バイトから帰って就寝。お昼前に起きて、惣菜パンをかじりながら収録していたラジオの音声データを編集していく。編集というと難しく聞こえるかもしれないけど、今はソフトも充実しているので素人のあたしでも簡単にできる。
音量の調整、ノイズの除去、BGMの追加。一回三十分ほどのラジオ番組なので、どんなにダラダラ編集しても二時間もあればお釣りがくる。一年近くも続けていれば意外と慣れるものだ。
編集が終わって、YuriTubeに予約投稿したら完了。腕を上げて大きく伸びをする。起床してまだ間もないのに、まるで一日の仕事を終えたかのような気分になる。
でも――。
本来得られるはずの達成感がまるでない。最近はずっとこんな調子。声優業という好きな活動をしているはずなのに、どこか不完全燃焼な気持ちになってしまう。
原因は自分でもわかっている。これからの方向性に迷いが生じたからだ。
風町渡季のラジオは雑談メインの番組である。フリートークと、リスナーからもらったお便りを読み上げる【ふつおた】のコーナーのみで成り立っている。
視聴者がゆったりとくつろげる番組を目指してきた。勉強時の作業用BGMとして。寝落ち用の睡眠導入剤として。
のんびり喋っているのが楽しかったし、力を抜いて聴いてほしかった。
知名度も派手な特徴もないけど、あたし自身はひっそりと活動できれば、それでよかった。
しかし最近、迷いが生まれた。
チャンネルを立ち上げて約一年、ずっと同じスタンスでやってきた。それは、視聴者にとっては変化のないコンテンツに映っているのかもしれない。どんなエンタメも変化がなければ飽きられてしまう。あたしのような底辺声優であれば、なおさらだ。
自分らしさを確立していくことと、常態化して新鮮さが失われていくことは同義だ。そして、娯楽の世界でそれは死活問題になりうる。
きっかけは、ここには居ない一人の女の子。騒がしい彼女の顔を思い浮かべながら、再びパソコンの画面を開いた。
*
午後になって、あてもなく街の中を歩いていた。気分転換に散歩でもすれば良いアイディアが思い浮かぶかもしれないと期待したけど、現実はそう甘くないらしい。
今日は平日なので、人の波も緩やかで、平和な午後が過ぎていく。気温もちょうど良く、日差しが届いてとても歩きやすい。
「う~ん……」
今まで通りの活動を継続していきたいという思いと、マンネリから脱却したいという思いが、脳内でぶつかり合う。
あたしは今、コンテンツ作りの難しさを実感している。台本がすでに用意されていた声優のときとは、また違う難しさがある。
窓に映る自分が視界に入った。表情が強張っていたので、無理やり口角を上げて笑顔を作ってみる。
「そういえばここって……」
見覚えのあるお店の外装だった。目線を広げて全体を見る。そうだ、はじめて八重城に会った日、彼女に連れてこられた珈琲ショップだ。
お店の名前はLysというらしい。ドアノブには『営業中』の札が掛けられており、店頭には『本日のメニュー』と手書きで書かれたブラックボードが置かれている。
コーヒーでも飲めば打開策が見つかるかもしれない。淡い期待を秘めて、店内へと入っていった。
「いらっしゃいませ……あら?」
入店したあたしを女性店員が出迎えてくれた。
「あなたはたしか、姫のお友達の……」
「あ」
以前に来たとき、八重城と親しげに話していた店員さんだ。すらっとした背丈に、こなれたお団子ヘア。白のシャツとブラウンのエプロンをばっちりと着こなしている。
「そうそう、とっきーちゃん!」
店員さんが手を合わせる。どうやら八重城から名前を聞いたらしい。
「風町渡季です」
「かざまちときちゃん……うん、いいお名前ね」
リアルでは声優名を名乗るようにしている。もしかしたら、あたしのことを知っているかもしれないと危惧したけど、かすみさんの表情から察するに杞憂だったようだ。所詮、あたしの知名度なんてこんなものだ。
ちなみに今はお得意の猫かぶりモードを発動している。
「さ、どうぞ。カウンター席でいいかしら?」
店内には数人のお客さんがいて、読書したりご飯を食べていたり、みんな思い思いの時間を過ごしている。
「ちゃんと話すのは初めましてよね。店主の
「オーナーさんなんですか」
「あら、なぁに。見えない?」
「い、いいえ! すごいなーと思って」
二十代後半か、三十代前半くらいに見える。その若さでひとつの店を経営しているのは純粋にすごいなって思った。
「注文はどうする、とっきーちゃん」
「あの、そのとっきーちゃんって呼び方、ちょっと恥ずかしいです」
「あら、だめだった?」
「いえ、ダメじゃないですけど……」
「おねーさんのこともかすみちゃんでいいわよ」
距離の詰め方が早い人だ。
オリジナルブレンドと、本日の軽食ランチであるサーモンとチーズのクラブサンドを注文。かすみさんはクラブサンドのオーダーを厨房スタッフに伝えると、目の前でコーヒーを焙煎し始めた。
「そういえば、姫がこの前とっきーちゃんのこと探してたわよ」
きっと、あの大雨の日だろう。
「ものすごい形相で来るから心配したわよ」
「そんなに慌ててたんですか?」
「絶望と焦燥の顔をしていたわ。あれは家族全員を鬼に殺された人間の顔ね」
「それはそれで……怖いです……」
でも……そっか。あいつ、あたしのことをそんなに心配してくれてたんだ……。
あっという間に目の前から湯気が立ち、コーヒーの芳しい香りが漂ってきた。手元に差し出されたカップに、いただきますと断って一口飲んでみる。
「おいしい」
「苦味とか酸味とか大丈夫?」
「すごく飲みやすくて、おいしいです」
「よかった。味の好みがあったら言ってね。次から調整してあげるから」
先日も飲んだけど、やっぱりおいしい。細かいテイストの調整もできるらしい。若オーナーの腕は本物のようだ。
「かすみさんは、八重城さんとは古くからの付き合いなんですか?」
「いいえ。姫がこっちに引っ越してきてからよ。最初はお客さんとして来てね、それで知り合ったの」
「今はお客さんじゃないみたいな言い方ですね」
「実際、お悩み相談所扱いされてるからね。別の言い方をすれば、愚痴の処理場よ」
かすみさんは聞き上手な雰囲気を放っている。八重城の世間話やら愚痴やらに付き合わされているかすみさんの姿が目に浮かぶ。
「というか、八重城さんって
「ええ、そうよ。地方から来た子でね、今は一人暮らし中よ」
大学に通うために上京して、そのままこっちで就職……みたいな感じだろうか。
「とっきーちゃんこそ、姫とは仲良しさんなの?」
「いいえ、最近知り合ったんです」
かすみさんはふうんと言って、含みのある反応をした。なんだろう……?
「それよりも、何か悩みがあるんじゃない、とっきーちゃん?」
「え」
「さっきうちの窓を眺めてたでしょ。険しい顔で。うふふ、美人な顔が台無しよ?」
……見られていたらしい。
「おねーさんでよければ話聞くよ?」
「べつにそんなんじゃ……」
「言ったでしょ、お悩み相談所も兼ねてるって。あの子なんて、聞いてもない愚痴ばっかり置いていくんだから。私が自分から悩みを聞いてあげるなんて滅多にないわよ?」
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