風町渡季を消滅させないために
Lysから帰宅して、そのままリビングへ直行。パソコンの電源を入れ、マイクをセット。デスクトップ画面が表示されたら録音と編集ソフトを起動させる。
まるでレシピから調理工程まで体に染みついた料理人のように、慣れた動作で収録の準備を進めていく。
常温の水で口を湿らせたら、オンエア。この瞬間から、扇ひばりという前世を忘れ、あたしは風町渡季になる。
『みんなーーー! はろはろとっき~~~! パーソナリティーの風町渡季です』
ちなみに声が響いてもいいように、住まいは防音の効いた賃貸を選んだ。バイト生活のあたしには高めの家賃だけど(というか、収入のほとんどを家賃に持っていかれているけど)YuriTube活動のためには致し方ない出費だ。
『今週もたくさんのお便りをいただきました! いつもありがとっきーです!』
本当は数える程しか来てないけどね。それでも、視聴者からのお便りはなによりの宝。
『まず一通目。ラジオネーム:もみじ
はろはろとっき~!
ワタシはこの前映画を観に行ってきました。現代に転生した中世の国王が、中小企業の新卒枠として働く洋画です。B級感が満載なんですけど、これがすごく面白くて、途中から主人公の国王に感情移入しちゃって、最後は泣いちゃいました。渡季ちゃんは普段、映画は見ますか? おすすめの作品があったら教えてほしいです。
わあ、なにその映画!? めっちゃ気になるんですけど!』
そんな感じで今日も雑談ラジオを進めていく。ラジオだけど、リアルタイムの配信ではない。収録して編集したものを毎週金曜日に投稿している。
冒頭はあたしのフリートークから始まる。最近発売されたコンビニスイーツがおいしかったーとか、どこどこの観光スポットに行ってみたーとか。毎日のように誰かが話している、とりとめのない話。
後半は視聴者から届いたお便りを消化していく。いわゆる【ふつおた】。特にお題は決めていなくて、リスナーの日常や、あたしへの質問など何でもOKだ。
雑談から始まり雑談に終わるラジオ。それが風町渡季のラジオ。
なんの生産性もない番組と揶揄されるかもしれない。それでもいい。誰かとつながっていたくて、風町渡季はまだ生きているよって知ってもらいたくて、このYuriTubeを始めた。
だから、こうして定期的にコンテンツを投稿し、それに対する反応をもらっているだけで、当初の目的は達成されている。
それだけでよかった。それだけで……。
お便りを四通読んで、ラジオも終盤。いつもなら今日の感想を話したり、お別れの挨拶をして番組を締め括るのだけれど、
『実は、今日はみんなにお知らせがあります』
なるべく緊張を滲ませず、いつも通りの調子で告知をする。
『このラジオ番組なんだけど、新コーナーをやろうかなって思っています! まだ具体的には決まっていなくて、みんなにはこういう企画をやってほしいって希望があったら教えてほしいの。あっ、【ふつおた】は今まで通りやるから安心してね』
あたしのラジオは雑談オンリーだった。しかし、どんな有名なラジオ番組だって様々なコーナーを設けて視聴者を楽しませている。雑談だけで持たせられるのは、本当に実力があるパーソナリティーがいて、視聴者もそれを許容している番組に限られる。あたしのようなトーク力も乏しい無名声優にはバリエーションが必要だ。
人気のないコンテンツは淘汰されていく。このラジオも変化や成長がなければ消えていく。
そこで考えたのが新コーナーの設立。ラジオを盛り上げて、番組を存続させていくための小さな一歩。
けれど、発想力のないあたしではどんなコーナーを企画したらいいかアイディアが浮かばなかったので、視聴者からやってほしい企画を募ることにした。
なにかを成すときには素直に他人の協力を仰いでもいい、というかすみさんの言葉があたしの背中を押した。
『というわけで、みんなからの要望待ってるからね~! お便りはこの動画のコメント欄にお願いします。それじゃあ今週はこの辺で。またみんなに会えるのは一週間後かぁ。えーん、寂しいよぉ~~~! あたしが寂しくならないように、いっぱい、い~~~っぱいお便り送ってほしいな、えへへ。それじゃあ、バイバイとっき~~~』
録音を止めて、マイクから体を離す。
「ふぅ……」
風町渡季の皮を脱ぐと緊張から解放される。べつに嫌々ラジオをしているわけではないし、収録は純粋に楽しい。一方で、キャラ作りとして体に余計な力が入っていることも事実。それくらい素の『扇ひばり』とアイドルの『風町渡季』はかけ離れている。
声優はキャラに魂を吹き込むのが仕事だ。同時に、声優自身もファンにとっては架空のアイドル。メディアでの露出が増えた近年はその傾向が強い。つまり、声優はキャラを演じつつ、自分自身さえも演じている。
窮屈な生き方をしていると思われるかもしれない。
それでも、
「あたしは、こういう生き方しかできないから……」
*
日付が変わったばかりの金曜日の深夜。今日も今日とてバイト。ワンオペだ。一時間くらい前にレジが並ぶ程度に混んだけど、今はしんと静まり返っている。
今日の昼過ぎにラジオが予約投稿される。先日録ったやつだ。編集はすでに終わっていて、あとは自動的にアップされるのを待つだけ。
(お便り、たくさん来るかな……)
リスナーからの反応がどうしても気になる。反応が全然なかったらどうしよう。視聴者が離れていったらどうしよう。そういう不安は常にある。
視聴者がいつあたしのファンになって、いつ離れていくかなんて、あたしにはどうこう言う権利はない。来る者拒まず去る者は追わず。好きなときにファンになって、興味がなくなったら見捨てられる。そんなことは当たり前なんだけど、やっぱり怖い。
この業界に生きる者は、ずっとその不安と戦っていかなければいけない。
あたししかいない店内にコラボキャンペーンの告知放送が延々とリピートされている。ゆっくりした夜が流れていく。
(そういえば、あいつ最近来ないな……)
あの一件以来、八重城は来なくなった。行き違いになっているだけかもしれないけど、以前はあたしのシフトを見計らったように来ていた。頻繁に来るのはやめてと言った手前、彼女なりに遠慮しているのかもしれない。まぁ、あの女にそんな謙虚さが備わっているかは疑問だけど。
そばにいたら鬱陶しいし、居ないなら居ないで調子が狂う。本当に迷惑な奴。
「くすっ……」
迷惑な奴だけど、あいつのことを考えると、自然と笑みが零れる。
八重城に出会ってなかったら、あたしは変わらなかったと思う。あまり彼女を持ち上げるつもりもないけど、このままでいたくないと前向きになれたのは彼女の影響だ。
そして、八重城みたいなファンがまだ他にもいるかもしれないと思えたから、新しいことにチャレンジしようと決意できた。
ネットの片隅で細々と活動しているのが好きだった。本気であたしのことを好きでいてくれる人達だけに届けばいいって思っていた。
けれど、ぬるま湯みたいに居心地の良い日々は、きっと永遠には続かない。
昔のかすみさんがそうだったように、あたしも変わざるを得ない段階に差し掛かっている。
ラジオ番組という、みんなとの交流の場を守るために。好きでいてくれるファンの気持ちに応えていくために。
なにより、風町渡季を消滅させないために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます