第14話
【万年筆はかく語りき】
「はっくしょん!」
あー……のど痛い。くしゃみ止まらない。
体温計を使うまでもない。うん、完全に風邪だ。
何時間も雨に打たれたのだから当然か。せっかくとっきーがお風呂まで貸してくれたのに。
こういうとき看病してくれる人がいない独り身は辛い。ひとり暮らしの学生や独身の社会人は、体調を崩したらどうしているのだろう。
布団で横になったまま築年数の古いワンルームを見上げる。
四方の壁に隙間なく敷き詰められた
大量のアクリルフィギュアと缶バッジで組まれた祭壇。
天井にとっきー本人のポスターを貼ることで、寝る直前まで推しと見つめ合うことができる。最初にこのやり方を考案したオタクを褒め叩いてあげたい。
同じポスターが部屋の至る所に貼ってあるのは、常にとっきーを視界に入れておかないと、とっきー成分枯渇症により息絶えてしまうからだ。
ちなみにこのポスターは『残念ヒロインには
推しを引く確率は四分の一。本当に悪どい商法だと思う。
でも、背に腹は代えられなかった。
結局、とっきーのポスターを三十枚入手することに成功した私の部屋には、CDが百枚近く居座ることになった。
そしてそして、忘れてはいけないものがある。とっきー直筆のサイン(一枚目はしわくちゃにしてしまったので、二代目)
額縁に入れて祭壇に供えてある。ご飯を食べるときは「いただきます」を、出かけるときは「いってきます」をサイン様に言うのが絶対。
推しに囲まれている幸せを実感する。
「私、本当にとっきーの部屋に行ったんだよなぁ……」
お近づきになれるだけでも凄いことなのに、あろうことか自宅にまでお邪魔してしまった。
彼女のアパートは
私の下宿先が同駅南口から少し離れた場所。なんと最寄り駅が同じだけではなく、三十分とかけずに彼女の自宅に行けてしまうのだ。
こんなにも近くに推しが住んでいたなんて、世界は広いようで狭い。
雨で濡れた私を気遣ってお風呂まで貸してくれた。とっきーは猫かぶりの姿だったけど、やっぱり優しい女の子だった。
「とっきー……」
枕を抱いて切ない声を漏らす。とっきーに会いたい。
体が弱まっているから、なおさら人恋しくなっているのかもしれない。
深夜のコンビニに行けば、会えることは会えるんだろう。けれど、これからは適正な距離を保ちながら応援すると言った昨日の今日で、バイト先に押しかけるのも気が引ける。
とっきーのことばかり考えて、とっきーの迷惑になりたくないと思っている。恋する乙女は、皆こんな面倒くさい思考を重ねているのだろうか。
……待てよ?
ぼーっとする頭の中に光明が差す。
こういうピンチのときはお見舞いイベントが発生するんじゃないか!?
私を誰だと思っている。文豪の卵だぞ。
勉強のために読んだ恋愛小説は数知れず。
関係性が変化し、相手のことが心配になり、ふと相手の家に寄ってしまう。そんなテンプレートな展開を幾度となく読んできた。
私の想いは彼女に届いた……はず。今のとっきーと私の関係なら……いける!
『まぁ、あんたが風邪ひいたのって、あたしのせいでもあるし……。看病くらいするわよ』
みたいなお約束ツンデレ展開が待っているだろう。
どうしよう、彼女の来訪に合わせて部屋を少し片付けたほうがいいだろうか。
いや、多少散らかっていたほうが「もう、しょうがないわねぇ」と掃除までしてくれるご褒美イベントが発生するかもしれない。
体は清めておくべきか? それも無粋だろう。
「どうせお風呂にも入ってないんでしょ?」と肩を竦めて、タオルで背中を拭いてくれるかもしれない。
「前は……、その、自分で拭けるから……」なんて恥ずかしがったりしないぞ、私は。体の隅々までとっきーに清潔にしてもらう所存だ。
うん、ありのままの自分で迎えよう。
時刻は午後一時。昼夜逆転しているとっきーはもう起きているだろうか。
私の予測が正しければ、夕方くらいに家のチャイムが鳴るはずだ。高鳴る鼓動を抑えて、頭から掛け布団を被る。
ヤバい。お見舞いイベントが来ちゃう!
「……あ」
よく考えたら、とっきー私の住所知らないじゃん。
連絡先も知らないじゃん。
私が風邪引いてるのも知らないじゃん。
…………。
「お見舞いイベント発生しないじゃん!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます