交点を持たない平行線

第13話

【渡り鳥はかく語りき】


 今日は、後悔の日になるはずだった。 


 八重城やえしろとの約束をすっぽかして、悪いのはあたしなのに、そんな自分に嫌悪して。


 一度ならまだしも二度までもひとりのファンを傷つけて、居心地の悪さを覚えながら眠りにつくはずだった。


 でも、そうはならなかった。


 土砂降りの中、八重城は必死にあたしを探していた。行くなんて一言も返事していない、些細な約束を守るために。


 開口一番、あいつなんて言ったと思う? よかった、あたしが無事でいてくれて……だってさ。


 馬鹿じゃないのって思った。あたしよりも自分の心配しなさいって。


 どれくらい外を走り回ったのか、立っているのもやっとって感じだった。傘もささず、服もびしょ濡れ。


 約束を破ったあたしに文句のひとつでも吐いてみなさいよって言おうとした。


 けれど、胸を撫でおろす八重城を見て、あたしはなにも言えなくなってしまった。


 気づいたら八重城を自宅まで連れ帰っていた。


 ファンに住所を教えるなんてご法度はっとって言われるだろう。あたしもそう思う。


 でも、ずぶ濡れの女の子を放置するわけにもいかない。


 初めて同年代の子を家に招いた。しかも出会ってから日も浅く、友達でもない子を。


 八重城やえしろ姫梨ひめり。感情の起伏が激しくて、小説家志望で、あたしを好きでいてくれる女の子。


 つい今しがた八重城は帰っていった。


 途中まで送ろうとしたけど、「これ以上とっきーに優しくされたら、幸せホルモン過剰分泌で死んじゃうからー!」と意味不明な文言を叫んで、足早に去ってしまった。変な奴。


(みんな元気でやってるかな……?)


 八重城がいなくなった部屋は、いつもより静かに感じた。


 だからだろう。柄にもなく心寂しさみたいなものを感じて、家族のことを思い出した。


 高校を卒業してひとり暮らしを始めて、もうずいぶんと会っていない。


 たまには手紙を書いたり、直接会いに行ったりしてみようか。


 少し前までのあたしなら、そんなこと考えもしなかっただろう。あのお転婆娘との出会いが、気持ちに変化を与えたのかもしれない。


 テーブルの上にどっさりと積まれた塊が視界に入ってくる。八重城が置いていった“風町かざまち渡季ときの活動記録”だ。


 分厚い辞書みたいに見えるそれは、すべて原稿用紙。ペラペラの用紙をいったい何枚重ねればこんな有様になるのやら。


 見た目も酷いけど、内容はもっと酷い。あたしの出演記録や演技に対する感想が、論文かよって突っ込みたくなるほど詳細に記述されている。


 携わった作品なんて全然多くないのに、どうやったらこんな文字数にできるんだか。


 終盤はもっぱらYuriTubeのことが書かれている。第◯回のラジオはこういう雑談をして~、こういうところが可愛くて~など。


 「〇〇分△△秒のところの息遣いがたまらない!」「今回の尊い咳払いは✕✕回でした!」というコメントはさすがにドン引きした。


「くすっ。これ書くのにどれだけかかったのよ……まったく」


 こんなものを読ませるために、八重城は大雨の中を走り回ったのだ。用紙の端はリュックからの浸水によって灰色に変色している。


 それとは別の斑点模様が見て取れる。あたしの涙だ。


 あたしの涙を、あいつはどういう風に受け取ったのだろう。あたしはなんで泣いたのだろう。


 八重城から真っ直ぐな気持ちをぶつけられてうれしかったからだろうか。単にあの子が馬鹿すぎて、呆れ混じりに笑い泣きしてしまったのだろうか。


 八重城が戸惑いを見せたのと同様に、その涙の理由をあたしもまた知らない。


 あたしは、八重城が離れていくのを覚悟のうえで突き放した。それなのに、あのバカ女はこれからも応援してくれると言う。


 初めて会ったとき、八重城もただのファンのひとりだと思った。でも、違った。


 メインキャラを務めた作品は『残荘』の一本だけ。

 Blu-rayの累計販売数だって二千枚に満たない。爆死である。


 出演声優のトークイベント参加券を円盤に封入したり、広告に資金をかけたりと、企業努力は惜しまなかった。それでこの結果である。


 『残荘』が好きだった人も、一時的にあたしのファンだった人も、とっくにほかの作品や推しに乗り移っている。


 コンビニでバイトしていることは他言無用と八重城にお願いしたけど、そんなことする必要ないって心のどこかでわかっている。


 誰もあたしのことなんて憶えていないのだから。


 でも、あいつは違った。


 放送から三年以上経っても、ずっとあたしを好きでいてくれた。


 それが素直にうれしい。あいつの愛は正直重いけどね。


 あたしはもう地上波の作品に出ることはないけれど、ネットの隅っこで活動していれば、なにか恩返しができるかもしれない。


 八重城みたいにあたしを憶えている絶滅危惧ファンが、ほかにもいるかもしれない。


 だったら、あたしがするべきことは風町渡季としての活動を続けていくこと。


 日陰者と揶揄やゆされても構わない。特別なことなんてしなくていい。


 ただファンに向かって「今も元気でやってるよ」と伝えるだけでも意義があるんじゃないか。八重城と話していてそんな風に思った。


 カーテンを開ける。長い夜を越えた空は白く霞んでいて、あけぼの色の朝焼けが窓から差し込んだ。


 それは、とても優しい光だった。

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