原稿用紙のラブレター
「なに……これ」
「読んで」
「読んでって言われても……」
テーブルに山積みにされた紙の束を見て、とっきーが困惑する。それらはすべて原稿用紙で、ミルフィーユばりの厚い層を形成していた。
「そういえば、あんた小説書いてるんだっけ。新作?」
「作品じゃないけど、とっきーに読んでほしくて、とっきーのために書いたの」
釈然としない様子の彼女は私と原稿の層を交互に見る。
「一ページだけでもいいから、お願い!」
懇願されて、彼女は渋々と一番上の用紙を手に取り、片端から目を通していく。
・放課後ふるーつ探偵(女子中学生B)
・超鉄合体グレートゴージャー(幼女)
・聖剣コンチェルトの魔法序曲(案内人)
・残念ヒロインには理由があり荘(猫屋依鈴)
――『放課後ふるーつ探偵』は風町渡季の名前がはじめてエンディングのクレジットに表記された作品。親友を探す主人公に「屋上に……」と教える女性生徒の役。全十二話で、登場はそのワンシーンだけ。でも、とっきーが演じているって知ってから観ると、ああ本当にとっきーの声だなって感じた。一言しか喋らないのに、何度も巻き戻して観ちゃった。あれが風町渡季の船出だと思うと、今でも感慨深い。
――二作目はロボット物で、逃げ惑う幼女役。例によって台詞が一言だけのモブキャラだし、そもそも私はロボットアニメをまったく見ない。でも、私にとっては推しが出演している貴重なアニメ。とっきーの幼女声はとてもあどけなく、可愛らしくて。厄災から避難するというシリアスな場面ながら、なにか新しい性癖に目覚めてしまいそうだった。恐るべし幼女とっきー。
――しばらくして、再びとっきーが起用された。ラノベが原作の現代ファンタジー。今作は初めて複数の出番が与えられ、台詞の数も多かった。モブというよりはサブキャラに近い。正直ストーリーはあまり面白くなかったから、とっきーが出ているシーンだけ何度も見直した。
「これって……」
原稿用紙には彼女の出演作、役柄、それに対する私の感想がびっしりと書き込まれていた。文字の行列は、まるで蟻の群れのよう。彼女が読んだ枚数はまだ十ページほど。それは積み重ねられた山の百分の一にも満たない。広辞苑をも凌駕する紙の頂は、依然としてその輪郭を崩さない。
でも、ここからが本番だ。
数本のモブキャラを演じた後、風町渡季は晴れて『残念ヒロインには理由があり荘』――通称『残荘』のメインキャラクターに抜擢される。ここからは、残荘の感想が延々と綴られている。
各エピソードのあらすじ、とっきーが演じた
「…………」
無言で用紙をめくるとっきーを、固唾を飲んで見守る。こんなにじっくり読んでもらえるなんて思っていなかったから緊張する。叔父に添削作品を読んでもらっているときとは比較にならないほどに。
果てしない『残荘』の感想記事が終わると、最後に待ち受けるはラジオの感想だ。まだ歴史の浅い番組ではあるけれど、各回の内容や印象的な台詞などをまとめてある。
送ったお便りが採用されて飛び跳ねるほどうれしかったこと。番組内で紹介されたスイーツショップやインテリアショップなどを実際に回ってみた記録などもつけてある。
私の知る限りの風町渡季がここにある。差し詰め風町渡季クロニクル。こうして時系列に沿って来歴をまとめていると、なんだか子どもの成長記録をつけている気分だ。
憶えていないだけで、とっきーを産んだのは私なのかもしれない。試しに「姫梨ママ」と呼ぶとっきーを想像してみる。
「…………」
アリ、だな。
「あんたさ、ニヤニヤしながらこっち見るのやめてくれない?」
「に、ニヤニヤしてた!?」
「ふひひひ……! って、妖怪みたいな笑い方してね」
恥ずかしい。
落ち着こう。私がとっきーを産んで母娘百合に目覚めるのは別世界の出来事。こっちの世界線では、あくまでも推しとファンの関係。純愛ハッピーエンドを目指さなければいけない。
「気持ち悪い妄想、全部口から漏れてるからね」
「あちゃあ!」
「いいから静かに読ませてよ」
そう言って彼女は再び原稿用紙に視線を戻した。
「ちゃんと読んでくれてるんだ……?」
「人が頑張って書いたものを無下にするほど根性腐ってないだけよ」
そこからは本当に無言の時間が続いた。水を飲むこともなく原稿用紙を読み進める彼女を、私は静観していた。
ゆっくりと時間をかけて、読了済の用紙が隣に置かれていく。彼女が感想を口にすることはない。黙々と紙の塊を消化していく。
緊張はしたけど、嫌な時間ではなかった。私の文章をこんなに真剣に読んでくれているのだから。
そして、長い夜も終わりが見えた午前四時。目の凝りをほぐすように顔を上げ、彼女はふぅと息を吐いた。さすがに全部とまではいかなかったけど、半分以上は読んでくれた。
「ど、どうだった?」
乾いた口で恐る恐る訊く。
「なんていうか、重い」
「紙が?」
「あんたの気持ちが」
「ひどい!」
「このメンヘラブレターを読ませて、どうしろと?」
「とっきー前に言ったよね。風町渡季と扇ひばりを同一視するのはやめてって。あれから自分の中でも気持ちを整理したの。声優さんにだってプライベートはあるから私生活の中までアイドルを貫くのは窮屈だろうって。だから、私も考えを改めたの」
「だったら」
「でもっ!」
一度息を整えて、言葉を継ぐ。
「私は……、あなたを諦めることができなかったのっ! 風町渡季がオタク受けを狙った猫かぶりの姿で、その素顔が言葉遣いの汚い性悪女でも――」
「おい」
「それでもっ! 風町渡季は扇ひばりで、扇ひばりは風町渡季なの! 両方とも私の大好きな女の子なの! この気持ちは変わらない!」
語気が強くなる。
書けば書くほど、彼女の魅力が見えてきて。筆を走らせれば走らせるほど、彼女を好きになっていく。この気持ちに嘘はつけない。二面性があろうと、猫を被っていようと、関係ない。風町渡季と扇ひばり、私はどっちも好きなのだから。
作り物であっても、そこからもらった勇気は本物。かすみさんの言葉を、私は今思い出していた。
早口で
「無茶苦茶でしょ」
「よく言われる」
帯びた熱を冷ますように、私は椅子に座り直した。
「さっき『あたしのこと嫌いになったでしょ?』って訊いたよね。その質問に自信を持って『そんなことない』って言える。風町渡季も、その中身の扇ひばりも、私のとっては大事な推しなんだから」
「八重城……」
だから、この原稿用紙の塊はこれからも推していくという決意表明文であり、人生で初めてのラブレターだ。
「とっきーとの関わり方は変えていく。リアルで話しかけるなって言われれば、もう話しかけない。今後バイト先に来るなって言われたら、もう行かない。でも、風町渡季のことはこれからもずっと応援し続ける。ラジオだって毎回視聴するし、お便りだってたくさん送る。ずっとずっと応援し続けるんだから!」
刹那、彼女の瞳が大きく見開いた。
私の気持ちがどれだけ届いたかはわからない。言いたいことは言った。自己満足かもしれない。それでもいい。悲しい気持ちのまま推しとさようならするのが嫌だった。拒絶されても、風町渡季を好きでいつづけたいという気持ちは紛れもなく本心なのだから。
再び沈黙が訪れた。まるで止り枝を探す鳥のように、彼女の視線は私と原稿の間を行き来する。
そして。
「…………ぷっ」
「なっ!?」
彼女は笑った。
「あっははははは!」
「な、なんで笑うの!?」
「だってあんた、あたしのこと好きすぎるでしょ」
「最初からそう言ってるじゃん! 私はとっきーのこと愛してるんだって!」
お腹を抱えて笑う推しに、私もムキになる。
「しかも原稿用紙のラブレターって……! 明治の文豪みたい……くくくっ。しかも、なによこの量……あっははは!」
「も、もう! 馬鹿なりに真剣に考えた結果だもん。私は真面目にとっきーのことが――」
言いかけて、言葉の矛先を見失った。
「あはは……っ、ホントに……っ、あんたって奴は……」
彼女はもう一度用紙を手に取って、目を通していく。用紙の上にぽたぽたと斑点ができて、文字のインクを滲ませていく。それは雨で濡れた染みとは別のもの。
誰もが生まれながらにして持つ、この世で最も純度の高い雫。
「ぐすん……、ふふっ、いったい何時間かかったのよ……これ書くの……」
「とっきー……?」
頬から一滴、また一滴とその雫が落ちては、紙に灰色の模様を作っていく。
彼女は笑いながら、泣いていた。
とっきーの泣き顔を見るのなんて当たり前だけど初めてだった。でも、悲しそうな感じではなかった。
彼女は目尻に溜まった涙を拭いて、明るい口調で言う。
「あんたの気持ちはわかったわ」
「じゃあ……!」
「あんたがまだ風町渡季に幻滅していなくて、こんなあたしでも推してくれるっていうなら、これからもファンでいてくれる、かな?」
「とっきー……っ!!!」
思わず今度はこっちが泣きそうになった。
「もちろんだよ! 墓場に入るまで、ううん、死んで魂になったあとも応援し続けるから!」
「だから愛が重いんだって」
とっきーはやれやれと呆れた。
「コンビニの件は、節度を守ってくれるならこれからも来ていいよ」
「ホント!?」
「節度を守るなら、ね」
「うわ~~~ん! あ゛りがどう゛、どっぎぃいいい! いっぱい貢ぎばしゅうぅぅぅ」
「あんたが買い物しても、あたしの時給が上がるわけじゃないけどね。てか、どさくさに紛れて抱きつこうとするな!」
とっきーは声優で、アイドルで。私はただの一般人。住む世界が違う。
でも、この夜、彼女との距離がちょっとだけ縮まった気がした。とっきーもそう感じていてくれたらうれしいなって、心の中で思った。
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