第12話

「なに……これ」

「読んで」

「読んでって言われても……」


 テーブルに山積みにされた紙の束。それらはすべて原稿用紙で、広辞苑のような厚さを成している。


「そういえば、あんた小説書いてるんだっけ。新作?」

「作品じゃないけど、とっきーに読んでほしくて書いたの」


 釈然としない様子の彼女は、私と原稿の山を交互に見る。


「一ページだけでもいいから、お願い!」


 懇願された彼女は渋々と一番上の用紙を手に取り、片端から目を通していく。


・放課後ふるーつ探偵(女子中学生B)

・超鉄合体グレートゴージャー(幼女)

・聖剣コンチェルトの魔法序曲(案内人)

・残念ヒロインには理由があり荘(猫屋依鈴)


 ――『放課後ふるーつ探偵』は風町渡季の名前が初めてエンディングのクレジットに表記された作品。全十二話で、登場はワンシーンだけ。


 一言しか喋らないのに、何度も巻き戻して観ちゃった。あれがとっきーの船出だと思うと感慨深い。


 ――二作目はロボット物で、災害から逃げ惑う幼女役。例によって台詞が一言だけのモブキャラ。


 私はロボットアニメをまったく見ない。でも、私にとっては推しが出演している貴重なアニメ。


 ――異世界ファンタジーのギルドの案内人。初めて複数の出番が与えられ、台詞の数も多かった。


 クレジットに載っていないモブキャラもとっきーが担当していた。


「これって……」


 原稿用紙には彼女の出演作、役柄、それに対する私の感想がびっしりと書き込まれていた。文字の行列は、まるで蟻の群れのよう。


 もっとも文字数を割いたのは『残念ヒロインには理由があり荘』の感想だ。


 とっきーが演じた猫屋依鈴ねこやいすずの出演シーンと好きなポイントが延々と綴られている。


「…………」


 無言で用紙をめくるとっきーを、固唾を飲んで見守る。


 こんなにじっくり読んでもらえるとは思っていなかったから緊張する。叔父に添削してもらっているときとは比較にならないほどに。


 果てしない『残荘』の感想記事が終わると、最後に待ち受けるはラジオの感想だ。


 各回のトーク内容をまとめ、番組内で紹介されたお店に実際に足を運んだ記録なども付けてある。


 私の知るとっきーのすべてがここにある。差し詰め風町渡季クロニクル。


 こうして時系列に沿って来歴をまとめていると、なんだか子どもの成長記録をつけている気分になった。


 憶えていないだけで、とっきーを産んだのは私なのかもしれない。「姫梨ママ」と呼ぶとっきーを想像してみる。


「…………」


 アリ、だな。


「あんたさ、ニヤニヤしながらこっち見るのやめてくれない?」

「に、ニヤニヤしてた!?」

「ふひひひって、妖怪みたいな笑い方してね」


 恥ずかしい。


 落ち着こう。私がとっきーを産んで母娘百合に目覚めるのは別世界の出来事。


 こっちの世界では、あくまで推しとファンの関係。純愛ハッピーエンドを目指さなければいけない。


「気持ち悪い妄想、全部口から漏れてるからね」

「あちゃあ!」

「いいから静かに読ませてよ」


 そう言って彼女は再び原稿用紙に視線を戻した。


「ちゃんと……読んでくれてるんだ?」

「人が頑張って書いたものを無下にするほど性根腐ってないだけよ」


 水を飲むこともなく黙々と原稿用紙を読み進めるとっきーを、私は静観していた。


 途中で彼女が口を開くことはない。読了済の用紙が隣に累積されていくのみ。


 嫌な沈黙ではなかった。私の文章を真剣に読んでくれているのだから。


 そして、長い夜も終わりが見えた午前四時。


 凝りをほぐすように目元を揉んで、とっきーはふぅと息を吐いた。さすがに全部とまではいかなかったけど、半分以上は読んでくれた。


「ど、どうだった?」


 乾いた口で恐る恐る訊く。


「なんていうか、重い」

「紙が?」

「あんたの気持ちが」


 ……ひどい。


「あたしにこれを読ませて、どうしろと?」


 私は背筋を伸ばして答える。


「私は……、あなたを諦めることができなかったの。たとえ風町渡季がオタク受けを狙った猫かぶりの姿で、その素顔が言葉遣いの汚い性悪女でも――」

「おい」

「それでもっ! 風町渡季は扇ひばりで、扇ひばりは風町渡季なの! 両方とも私の大好きな女の子なの!」


 語気が強くなる。


 書けば書くほど、彼女の魅力が浮き彫りになる。筆を走らせれば走らせるほど、彼女を好きになっていく。


 この気持ちに嘘は吐けない。


 猫を被っていようと関係ない。私は、目の前の女の子が好きなのだから。


 作り物であっても、そこからもらった勇気は本物。かすみさんの言葉が私を支える。


「だからこれは、今後も推していくっていう決意表明文であり、人生で初めて書いたラブレターだよ」


 まくし立てる私に、とっきーはしばし圧倒されていたけど、


「無茶苦茶でしょ」

「よく言われる」


 呆れ交じりに破顔した。


「とっきーとの関わり方は変えていく。リアルで話しかけるなって言われたら、もう話しかけない。バイト先に来るなって言われたら、もう行かない。でも風町渡季のことはこれからも応援する。ラジオだって毎回視聴するし、お便りだってたくさん送る。ずっとずっと応援し続ける」


 刹那、彼女の瞳が大きく見開いた。


 私の気持ちがどれだけ届いたかはわからない。でも言いたいことは言った。


 自己満足かもしれない。


 それでもいい。悲しい気持ちのまま推しとさようならするのが嫌だった。

 風町渡季を好きでいたい気持ちは紛れもなく本心なのだから。


 再び沈黙が訪れた。まるで止り枝を探す鳥のように、とっきーの視線は私と原稿の間を行き来する。


 そして、


「……ぷっ」

「なっ!?」


 彼女は相好を崩した。


「あっははははは!」

「なんで笑うの!?」

「だってあんた、あたしのこと好きすぎるでしょ」

「最初からそう言ってるじゃん!」


 お腹を抱えて笑うとっきーに、私は頬をふくらませる。


「しかも原稿用紙のラブレターって……! 明治の文豪みたい……くくくっ。しかもなによこの量……あっははは!」

「も、もう! バカなりに真剣に考えた結果だもん」

「あはは……っ、ホントに……っ、あんたって奴は……」


 用紙の上にぽたぽたと斑点ができて、文字のインクを滲ませていく。


 それは雨で濡れた染みとは別のもの。誰もが生まれながらにして持つ、この世で最も純度の高い雫。


「とっきー……?」

「ふふっ、いったい何時間かかったのよ……これ書くの……」


 一滴、また一滴。雫が頬を伝って落ちては、紙に灰色の模様をつくる。


 掛けるべき言葉を模索していると、彼女は目尻を拭いて、「あんたの気持ちはわかったわ」と明るい口調で言った。


「あんたがまだ風町渡季に幻滅していなくて、こんなあたしでも推してくれるっていうなら、これからもファンでいてくれる、かな?」

「とっきー……っ!」


 思わず今度はこっちの涙腺が緩む。


「もちろんだよ! 墓場に入るまで……ううん、死んで魂になったあとも応援し続けるから!」

「だから愛が重いんだって」


 とっきーはやれやれと肩をすくめた。


「節度を守ってくれるなら、これからもバイト先に来ていいよ」

「ホント!?」

「節度を守るなら、ね」

「うわ~~~ん! あ゛りがどう゛、どっぎぃいいい! いっぱい貢ぎばしゅうぅぅぅ」

「あんたが買い物しても、あたしの時給が上がるわけじゃないけどね。てか、どさくさに紛れて抱きつこうとするな!」


 とっきーはアイドル声優で、私はただの一般人。住む世界が違う。


 でも、この夜。彼女との距離がちょっとだけ縮まった気がした。


 とっきーもそう感じていてくれたらうれしいなって、心の中で思った。

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