第7話

「はあ~~~~~」

「こっちに聞こえるようなわざとらしいため息吐いて憂鬱アピールするのやめてくれない、姫?」

「かすみさぁん」


 翌日の珈琲ショップLysにて。テーブルに突っ伏して、かすみさんに切ない声を漏らす。


「なにかあったのって訊いてほしいんでしょ?」

「ディズ◯―ランドの帰り道に寂しくなる理由ってさ、きっと夢の世界とバイバイしなきゃいけないからなんだよね。夢の時間が幸せだっただけに、現実に戻るのが切ないんだよ」


 かすみさんが踵を返そうとしたので、仕事着を鷲掴みにして食い止める。


「うーんと。サザエさん症候群が姫の悩みなの?」

「もう、かすみさんも女なのに、ちっとも乙女心を理解してないんだから」

「はいはい、ごめんなさいね。若い女の子の気持ちに疎い三十路ババアは退散しましょうね」

「申し訳ございません、私が悪ろうございましたので話を聞いてくださいまし」

「おねーさん暇じゃないんだけど」

「いいじゃん、ほかにお客さんいないんだから……って、無言で立ち去らないでーーーっ」


 とっきーの名前や彼女が声優をやっていることは伏せて、あくまでも人間関係の悩みとして、かすみさんに相談してみた。


 かすみさんには私が東京で一人暮らしを始めてから何度も愚痴を聞いてもらったり、相談に乗ってもらったりしている。


「なるほどね」


 器具の水気を取りながら、かすみさんが言った。


「とういうか、好きな人がいたのね、姫」


 改めて指摘されて、酸っぱい梅干しと甘い果実を同時に口に含んだような気分になった。


「あら、姫もそういう可愛い反応するのね」

「か、からかわないで! 私は真面目に話してるの」

「うふふ、ごめんさない。お転婆てんば娘が女の子みたいな反応するから、おかしくって」


 私は生粋のレディーだ、と言い放ってカップに口をつける。でも、やっぱりコーヒーは苦くて一口でやめた。


「話を整理すると、姫にはずっと片思いをしている人がいた。偶然その人と出会えたんだけど、姫が抱いていた印象と違っていた。……合ってる?」

「そんな感じ」


 きっとかすみさんには、SNSのフォロワーさんとオフ会で面会し、ネット上の雰囲気と全然違くて幻滅した程度に伝わっているのだろう。


 と、油断していた。妙なところで鋭いかすみさんは不意にこんな質問をぶつけてくる。


「姫が好きな人って、もしかしてこの前連れてきた子?」

「!? なんでわかったの!?」

「姫がお友達を連れてくるなんて珍しいからね。それに、あのときの姫すごく楽しそうだったから」

「そんなに嬉しそうだった?」

「宝くじでも当たったのかと思ったわよ」


 前回この店に来たのは、とっきーと初めて会った日。間違いなく私の人生で一番幸せだった日だ。第三者から見てもそれは明白だったらしい。


「一応確認するけど」


 思ったことは忌憚きたんなく言うかすみさんが前置きを挟む。


「あの子って女の子よね?」

「当たり前じゃん。天使で女神だよ」

「姫も一応、女の子っていう設定よね?」

「次『設定』って言ったら店中のコーヒーカップ割るからね」


 かすみさんは顎に指を添えて、もう一度私を見た。


「姫ってビアンなの?」

「わかんない。男の人好きになったことないし、女の子だからって誰でもいいってわけでもないし。純粋にとっきーのことが好きになっちゃった……って感じ」

「でも、姫が言う『好き』はセックスしたいっていう意味での『好き』なんでしょ?」

「言い方!」

「ちがうの?」

「ちがわない! 私はとっきーとエッチなこともしたい!」


 なにを言っているんだろう、私は。


「姫はそのとっきーちゃん? と喧嘩したの?」

「喧嘩っていうか、ネット上の自分と現実の自分を一緒にするのはやめてほしい……みたいなこと言われた」

「なるほどね。姫は『ネットの彼女』がありのままの彼女でいてほしいって願ったわけね。そこで両者の気持ちに齟齬そごが生じたと」

「ねえ、かすみさん。私、どうしたら……」


 あの晩、とっきー本人から現実を突き付けられて、目を背けたくて逃げ出してしまった。あのまま居続けたら、きっと彼女のことを嫌いになっていたから。


「う~ん」と、かすみさんは思案した。


「ぶっちゃけさ、ネットの中のキャラクター像なんて嘘偽りマウント合戦の雨あられでしょ? 現実で真面目そうに仕事していても、ネットでは荒らしコメントを繰り返している人もいるし。逆にネット上では不誠実に見えても、リアルでは堅実に人徳を積んでいる人もいる。現実と仮想の人物像が一貫しているほうがレアでしょ」

「かすみさんもそうなの?」

「毎日裏アカで毒吐いてるわよ」


 かすみさんの闇を垣間見てしまった。


「大切なのは姫がなにを見てきたか、でしょ。理想の彼女――姫がずっと見てきたものが真実だって場合もあるんじゃない?」

「私が見てきたもの……」

「男子は特撮ヒーローに憧れて、女子は魔女っ子に夢を持つ。もちろん、そういうコンテンツなんて架空のもので、実在しない。でも、見ているときは嫌な現実を忘れられるし、勇気をもらえる。そのときもらった勇気は時間が経っても憶えているものよ。そうでしょう?」

「…………」


 そうだ……そうだった。かすみさんの言うとおりだ。


 私は、風町渡季を知って嫌な現実を忘れることができて、一度は逃げた現実と再び立ち向かう勇気をもらった。だから、とっきーは私にとってかけがえのない存在になった。


 でも、バカな私はその思いが強くなっていくことに気づけなかった。いや、気づいていないフリをしていた。


 風町渡季……ううん、扇さんにだってプライベートはある。そんな当たり前のことなのに、「とっきーはこうあるべきだ」「こうであってほしい」という願望が肥大化していた。「アイドル風町渡季」という理想像を扇さんに押し付けていた。


 私がなにかを得心したのを見抜いたように、かすみさんが柔らかい笑みを浮かべる。


「姫だって嬉しい日もあれば、悲しい日もある。だからといって、元気な姫と落ち込んでいる姫は別物じゃない。どっちも本当の姫。そうだよね」

「……うん」


 我ながら苦笑する。まるで児童が先生から諭されているみたい。


 いや、間違っていない。私は子どもだった。こんな小学生でもわかりそうなことで自暴自棄になっていたのだから。


 とっきーとの出会いが劇的すぎて、そんな当たり前のことすら見失っていたのだから。


 席を立つ。


「かすみさん。私、行かなくちゃ」

「うん。行っておいで」

「お代置いとくね。お釣りはいらないから」


 桜が描かれた銀貨二枚をテーブルに置き、駆け足で退店しようと――


「ちょっと姫。全然足りないわよ」

「……ちっ」

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