<case : 52> anonymous grave marker - 風
ようやく空が白み始めた早朝。下層にある共同墓地の、その一角。
事件の収束後に、ミコトたちが秘密裏に作ってくれた、兄の墓。
「あれ?」
いつもなら、何もないはずのその無記名の墓標に、今日は花がささげられていた。ノアが首をかしげていると、墓守の中年男性が、水の入った桶を運んできて言う。
「綺麗な女の人がきよったよ。ノアちゃんよりも大人だったね」
レイカだ。クシナダ配達を卒業して、今は正規の配達屋として元気にやっていると聞く。彼女の中に、まだ兄がいることがノアは嬉しかった。
墓標の前にかがんで、目を閉じ、手を合わせる。
「お兄ちゃん、行ってきます!」
///
少し前まで静まり返っていた街は、それが嘘のように活況を取り戻していた。
〈カオティック・コード〉にまつわる事件の全貌は、今も、そして恐らくはこれからも公表されることはないだろう。
突如出現した怪物は、軍とファントムの共同組織によって多大な犠牲を出しながらも殲滅された。〈カオティック・コード〉の拡散が防がれたことで、怪物の増加に歯止めがかかったことが大きな勝因である。
マキナスの暴走は、一部のメンテナンス不良があった個体に侵入した、不正プログラムによるゲノム改ざんが原因であるとされ、個体間での感染はないと政府が正式に声明を出した。
ほどなくして緊急事態宣言も解除され、民衆は止まっていた経済の回復を急いでいる。
以前と変わりなく、せわしなく行き交う人とマキナスたちを横目に、ノアも目的の場所を目指し、下層の大広場を抜けていく。しばらく道なりに走り、細い一本道に出る。
瓦礫の壁を登り、景色に目を向ける。
視線の向こうに白い小さな塔のようなものが建造され始めているのが見える。あれがミコトの言っていた、最下層居住者を受け入れていくための一時シェルターなのだそうだ。
大きな一歩には程遠い、だが、必要な一歩を、世界は少しずつ踏み出している。
「おい、何してる」
下から声がして顔を向ける。ヴェルがこちらを見上げている。
「遅いよ!」
叫びながら、ノアはヴェルの傍に飛び降りる。
「遅刻。人工肉のパイ、おごりね」
「行くところがあってな」
パイの件を綺麗にスルーしながら、ヴェルが言う。
「カホちゃんのところ?」
「児童保護局から連絡があって様子を見てきた。快復して、すっかり元気だ。里親になりたいと申し出ている上層の夫婦がいるらしい。今度面談を設けるから、来てくれと言われた」
「ヴェルが引き取って、一緒に暮らさないの?」
「俺に育児ができると思ってるのか?」
「あは、確かに」
ノアは笑う。二人のデバイスが同時に鳴って、ARスクリーンにキオンが投影される。
「よう。揃ってるな、お二人さん」
スクリーン越しにキオンが言った。
「どうした? 今日はコイツと最下層で──」
「長官直々の通達だ。テンペストの後継と思われる組織の足取りを掴んだ」
その組織の名前に、ヴェルもノアも瞬時に顔つきを変える。
「二人で現場を探ってほしい。現場には先行して冴継が潜っているから、連携してくれ」
「分かった」
「やるじゃん、ナタリ」
「こら、新人。先輩には、さんをつけろ」
ノアはスクリーン越しのキオンに向かって、舌を出す。
「呼び方なんて何でもいいのよ。ねえ、ヴェル?」
「おい、俺を巻き込むな」
ノアとヴェルのやり取りを見ていたキオンが、スクリーン越しに思わず噴き出す。
「まあ、いいか。それじゃ、すぐ座標を送るから頼んだぞ」
キオンとの通話を終えると、二人のデバイスにさっそく座標が共有される。
「え……? ちょっと待って。これって何かの間違いじゃないの?」
デバイスが指し示す座標を見て、ノアがそう言うのも無理はない。
「マップに表示されてるのは上層、しかも本部から数キロしか離れてないよ? こんなところにテンペストが潜伏してるっていうの?」
「それを確かめるのが俺たちの仕事だ」
ヴェルがARスクリーンに、一番近い公人用エレベータまでのルートを表示させながら言う。
「お前も掃除屋になったんだから、早く慣れるんだな」
「言われなくても分かってる! 行くよ!」
そう言って、ノアが駆けだす。
走っていくノアの後ろ姿を見て、誰にも見えないようにヴェルは薄っすらと微笑む。
先ほどまで彼女が座っていた場所を見上げると、ひと呼吸置いて、ノアの後を追いかける。
二人の背中を押すように、一陣の風が吹き抜けていく。
了
〈カオティック・コード〉人工生命犯罪対策室 -蒼井ヴェルと緋色髪のマキナス- 眞 @shinnoji365
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