第76話 理不尽
「《
魔杖を起点とし、間欠泉を思わせる火力の炎が放出された。炎は轟音と共に空を貫き、陽咲乃へと疾走した。
「くそっ!!!!!!」
陽咲乃は勇香の腕を強引に手に取り、射程内からの逃走を試みる。
「ゔぇ!」
しかし、すぐさま足を止めた。
「これ……!」
老婆の視線に気づき、自らの足元を探る。そこには陽咲乃と勇香を包囲するように、目を凝らせばかろうじて見えるほどの円形紋様がいくつも浮き出され始めていた。
(魔法陣!?)
「陽咲乃っ!?」
陽咲乃はポーチからビー玉サイズほどの翠色の魔法具を取り出すや否や、炎に投げつけた。
(勇香を狙ってる奴らだ。こんくらいで、十分なはず!)
魔法具によって強固な翠色の膜が展開。熾烈な火の粉を一切寄せつけず、眼前で炎を食い止めた。
老婆が静かに拍手を打つと、陽咲乃と勇香を取り囲んでいた魔法陣が、炎に焼かれるが如く、一つまた一つと消え去っていった。
(あぶな……)
「【
詠唱中、声としては発せられなかったが、老婆は何かを口ずさんでいた。同時に、視線をぐるぐると円を描くように巡らせていた。
(……とっさの判断、やるじゃん、アタシ)
そう自らを鼓舞するも、心臓の鼓動が止まない。
(落ち着け……思考を集中させろ……)
考えるべきは脱出方法。今、この場には二種類の結界が展開されている。
ひとつは老婆を透明化、もしくは老婆を除く人間に対し、認識阻害を引き起こす趣旨の結界。陽咲乃が感知できなかったことから、これは魔法具ではなく結界によるものと推測。これは老婆が姿を現した時点で焼ききれただろう。
そして二つ目は、この不気味な青白い障壁。
結界は目には見えない結界と、目に見える不透明な結界に大別される。後者の場合、幽閉型・広域
では眼前のそれはどうか。この脱出者を許さぬ青白い障壁が、結界の一部で間違いない。
隔離結界の場合、独自の世界に監禁されることで空間の広さに変化が生じるらしい。
空間内は先ほどの廊下と同一で、拡大縮小した様子はない。恐らく老婆、陽咲乃、勇香を除く生徒に対して認識阻害を引き起こす結界だ。
(アイツ、舐めてんのか?もしくは、結界を判別できるかどうか見極めている?なんのために?)
もしこの場にいるのが同級生なら、入学してまだ半年程度の彼女は結界を見分けられず、隔離結界に幽閉されたと泣き喚いてる頃合いだろう。
侮蔑か策略か、どちらにせよこちらには好都合だ。空間が隔絶されていない以上、老婆の目を盗んで逃走する猶予は残っている。
ただ、それでは面白みがない。どうせならこのタイミングで、老婆が所属する団体の悪事を衆目に晒したい。
だったらこの結界を何とかして破壊したいが……
獲物を捉えた肉食獣のように、陽咲乃に魔杖を突き立てる老婆。
「地を這いなさい、魔王軍よ」
「ぃ……ぃやぁ!!!!!」
「勇香しっかり!」
老婆は叫喚する勇香を一瞥するも、陽咲乃に魔杖を突きつけたままでいる。陽咲乃はよろめく身体を意思の力で叩き起こし、勇香に寄り添った。
勇香は呼吸が荒げ、赤子のように嗚咽を漏らす。
陽咲乃はそんな勇香を宥めるように声をかけるが、老婆はカツカツとハイヒールの音を立てて近寄ってきた。
(お、落ち着け……落ち着け落ち着け落ち着け!)
「あっあぁぁぁぁぁぁぁ……」
(ここで死にかけるのは二度目だろ)
「
陽咲乃は異空武具廠から短剣を抜き出し、老婆に刃を突き立て牽制。
「やだっ……やだ……地獄はやだ地獄はやだ地獄やだ……」
老婆は刃を向けられたと同時に足を止め、陽咲乃を睥睨する。
「これ以上近づいたら、殺す!!!」
そう威嚇するも、老婆が見つめる刃先はブルブルと震えている。
(やめろ……勇香の前でダサいんだよ……)
「まぁ、血気盛んな卵ですこと」
その一言が、まるでナイフのように陽咲乃の心臓に突き刺さる。
陽咲乃は反射的に刃を降ろし、膝から崩れ落ちた。
(なに、これ……)
たった一言だけで闘争心が消え失せ、じわじわと恐怖が膨張する。
(……あいつを、視認してるだけで)
真夜中に狼に足を捥がれ、餌食が確定した小鹿のように。
(五感が……死を……感知している……)
「……っ」
(無理だ……見えない……未来が、見えない)
「なるほど……」
(これ……負けk)
チャリチャリチャリ
「……っ!!!!!!!!」
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
陽咲乃は舌を噛み千切り、刃を突きつけながら立ち上がる。
(何、びびってんだよ……いっぺん死んだ身だろうが!!!!!)
口から洩れた鮮血を制服でふき取り、陽咲乃は短剣の柄を強く握る。
(こんなの想定内、思い出せ、アイツは理不尽だ……!)
///だから僕は成ったんだ。理不尽を滅する正義の盾にね///
父から受け継いだ正義をあの日、陽咲乃は振り下ろすと決めた。
動揺は禁忌。眼前で微笑む老婆こそ、理不尽の象徴だ。
(負け確……には、させねえぞ!!!!!)
陽咲乃は老婆にぎっと視線を突きつける。
(
陽咲乃は瞬間を捉えた。勢いよく短剣を振り上げたと同時に力強く地面を蹴り上げる。
次に姿を見せたのは、老婆の間合い。
迷いはない。刃は確実に老婆の喉元に刃を振るった。
「おぅらァ!!!!!」
「……」
女は臆することなく呟くように詠唱。
直後、陽咲乃はまるで時間が止まったかのように身動き一つできずに静止した。
老婆は再度口ずさみ、掌をゆっくりと陽咲乃の顔面に翳した。
老婆の掌から炎が噴出し、轟音を伴って陽咲乃に襲いかかった。
しかし、炎が陽咲乃に触れた瞬間、陽咲乃の姿は霧のように霧散する。
「これは、分身っ!」
勇香を背負った陽咲乃の姿は老婆の背中越しにあった。
「なるほど、高度な付与魔法をお使いに」
「分身得意なんでね!!!!!」
陽咲乃は老婆に踵を返すことなく、全速力で前方に広がる障壁に向かって走り続けた。
懐から取り出したのは赤褐色の球体。
「おりゃああああああ!!!!!!」
陽咲乃は自暴自棄に結界に叩きつけると、球体はべちゃっと溶解。直後には結界と混同した。
だが、それは一時的に結界の配色を変えただけで、球体は静かに消失。何も起こらず、結界は元の静謐を取り戻した。
「っうそ!?」
(おかしい……並の結界相手に結界破壊の魔法具が効かない!?)
驚愕も、陽咲乃は瞼を強引に閉じて思考を入れ替える。
考えられるとすれば、老婆の展開した結界が魔法具ではなく魔法によるもの。
結界破壊の魔法具は結界の対抗処置として非常に有用とされているが、魔法具由来の結界にしか作用しないという弱点がある。
数秒のみの思考後、陽咲乃はそれを否と推測した。
(そんなはずない。結局魔法具は意味を成さなかったが、結界と反応したのは事実だ。これが魔法の結界ならば、反応どころかスカに終わる)
考えられる事象。老婆は魔法具に、ある効果の付与魔法を施した。
(結界の連続展開……いや、単の複製。一つの結界を何十層にも複製し、折り重ねているのか)
老婆は御名答とでも申すかのように、にっこりと微笑む。
「付与魔法は聖ヶ崎さんがひとつの火球を複製してみせたように、術者の手腕次第では何に対しッ!どのような装飾でも施せる。まさに魔法の神髄!無限の可能性!よく、覚えておきなさい」
ふふっと、ほくそ笑む老婆。その緩んだ目で陽咲乃に視線をやった。
(くっ、ふざけんな!!!!!!!)
陽咲乃は短剣を構えながら老婆に突進。と同時に、陽咲乃の姿が消えた。
「これは……」
陽咲乃は、老婆の背後に──
「
老婆が反応する前に、陽咲乃は拘束魔法の詠唱を開始。
老婆も反応と同時に詠唱の短い初級の拘束魔法で応戦。詠唱速度の差により、陽咲乃よりも数秒早く
遅れて陽咲乃の魔法縄も飛翔し、老婆の魔法縄と接触。同系統の魔法は、接触すれば相殺され無に帰す。
しかし、老婆の魔法縄は陽咲乃のを蹴散らし、そのまま陽咲乃めがけ飛び続けた。
「そして、セオリーは
「わぁってるよ!!!!!」
だが魔法縄が触れた瞬間、陽咲乃の身体は突如として爆ぜ、粉々に消え去った。
「っ!?」
本物の陽咲乃は、端から老婆の正面に。
老婆が振り向いた瞬間、老婆に相殺されない、詠唱させないほど速く。
バシュン!!
(さっ、勇香。今のうちに逃げ……っ!!)
「ですから、それがセオリーですわ」
距離を詰めて確実に老婆を搦め捕るであろうと放った魔法縄。老婆はそれをノンアクションで詠唱した魔法で応酬。魔法縄は老婆を拘束するわけでもなく、なぜか陽咲乃自身に巻きついた。
「ぐぎ!!!!!」
「なるほど……単なる分身を主旨とした魔法具ではない。簡易的ではあれど、意志を
(拘束魔法を放つ余裕はなかったはず……なんで)
両手足を拘束された陽咲乃は、前屈みに倒れ込む。
陽咲乃の眼前では、老婆が嘲笑するかのように口を緩め、見下ろしていた。
(まさか、
術式拿捕──対象が放った魔法に自身の魔力を送り込むなどして魔法の主導権を奪い、自分が放った術式として発動するという上級の付与魔法。
自身の周囲数メートルで放たれた魔法すべてにノンアクションで適応できる汎用性の高さ、そして極端に短い詠唱で発動できる即応性に反し、その魔力消費量は魔法自体の消費量と奪い取る周囲すべて魔法の消費量が合算され、並の盗賊では賄えないほど絶大。
魔力量の高さが適正とされる魔術師でさえ、一回使用で半分は持っていかれる、まさに諸刃の剣。この魔法を戦闘手段に取り入れることができて初めて、一流の盗賊と名乗ることができる、とも言われるほど。
陽咲乃ですら戦闘手段には入っていない。ましては魔力の調節にいやがうえにも気を配るとされる魔術師が使用するなんて、とっさの判断では眼中にも入っていなかった。
「演習課題です。解除して見せなさい」
「こんなの……!!!」
(ナニコレ!風魔法で縄をぶった切ったところで、別の縄が生成される!?違う、奥に潜んでいたものが表面上に浮き上がってくる)
魔法発動時、任意で設定した単体から複数の付与魔法を自動的に付与できる上級付与魔法、
(このままじゃ風魔法の余波でアタシの皮膚を傷つけるだけ!埒が開かない)
老婆は廊下を闊歩し、無残に倒れる陽咲乃を通り抜ける。
そして、陽咲乃の奥で震え固まる勇香に、手を差し伸べた。
「さぁ聖ヶ﨑さん、魔王軍を拘束する間に、私と共に参りましょう。あなたには、世界を救う才能がある」
「ぃや……」
差し伸べられた手を見る勇香の目は、すぐそこまで迫る地獄に怯える囚人のようなだった。ここで諦めてはいけない。
「チッ!!!」
盗賊は機動力が命。そのため、魔法を乱用して魔力を消費するのはできるだけ避けたい。そのためには魔法具を乱用するまで。
「勇香!私のポケットの中から白いビー玉みたいなの取り出して!それを地面に思いっきり叩きつけて!」
「……っ!!」
「そのあとアタシの手を握って!」
勇香は息の詰まりを堪えながらこくりと頷き、陽咲乃の身に着けたウェストポーチに手を突っ込んだ。中ではたくさんのビー玉のようなカラフルな球体がひしめき合っている。勇香は底から陽咲乃の指示通りの球体を取り出す。
「これっ」
「聖ヶ崎さん?」
「……っ」
「あなた」
「……ぐっ!」
静かに問いかける老婆に、勇香はきっと眼力を強めながら叫んだ。
「私の才能は、
言葉の終わり、勇香は勢いよく球体を地にぶつけた。
すると、壊れた球体から白煙が立ち込め、一瞬で視界を白き霧が覆った。
「煙幕?」
老婆は霧払いの魔法で霧散させ、視界を取り戻す。だがそこには──
「消えた……」
勇香と陽咲乃の姿は、跡形もなく消えていた。
ゼロから始まる勇者学 ホメオスタシス @HOMEOSTASIS
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