大晦日、ハネムーン前

ささやか

大晦日ホワイトアウト

 大雪だ。吹雪と言ってよかった。外に出れば吹きすさぶ風にほほを引っぱたかれ、ふかぶかと降り積もっていく新雪に足をとられることになるだろう。

 こんな日はできるだけ外出を控えるのが賢い生き方だ。こうしてエステラーゼ発寒305号室はすっかり陸の孤島になってしまった。

「というわけでマジで雪が降ってる」

「そりゃあまあ北海道だし札幌だし」

 連続殺人が始まりやがては性格に難のある名探偵が推理を披露しそうな勢いで自室を陸の孤島呼ばわりした啓介が仰々しく窓を指さした。

 みのりが同意しつつ窓を見やるとタイミングよく吹雪が窓を叩く。確かにひどい吹雪だ。大晦日おおみそかは今年一番の大雪になると朝のニュースで天気予報士がうそぶいていたが、彼の予報は見事に現実となった。ベッドの上で二、三度ローリングしてからみのりはうんうんと頷く。

「ちゃんと雪だしさすが天気予報士だね」

「ああ、天気予報士がニュースで言ったことは必ず現実になるんだ」

「マジマジアルマジロー? じゃあ天気予報士がわたしらの買った宝くじは一等が当たるって言えば?」

「ハルマゲドン級に前後賞まで当選する」

「神じゃん」

「いや、天気予報士だ」

「そうだった」

 みのりがスマートフォンでお天気アプリをひらくと、明日の朝までずっと雪の予報だった。予報どおり朝には終わってほしいとみのりは思った。吹雪が長引くと明日のフライトに影響が出るかもしれない。

 啓介はといえばフローリングに積まれた文庫本を取っておくものと売るもので仕分けしていた。いる、いらない、いる、いる、いる。いらないに分類された方に以前流行ったミステリが混ざっていた。彼はそのままテンポよく仕分けし、ほどなくして作業は完了した。

「まあこれで終わりかな」

「おつかれー」

「つかれたわー」

「そんなあなたに名推理、お前は腹が減っている!」

「そりゃあ割と真面目に大掃除してましたから。ってかいま何時?」

 みのりの名推理が炸裂した。しかし簡単に流された。

「だいたい七時半」

「腹減るわそりゃ。なんか食べるものある?」

かすみ

 みのりは真顔で答えた。

「なんだって?」

「霞」

 みのりは真顔で答えた。

「えー、みのりさんやみのりさんや、そいつは美味いのかい? 腹が膨れるんかい?」

「仙人を自称する一部の好事家には大変好まれております」

「質問に答えろし」

「いやだって冷蔵庫の中身も今日に合わせて整理しちゃったから、ほんと何もないんだよ。だから霞。ビバ霞」

 みのりは冷蔵庫の扉を開いて、その中を啓介に見せつける。調味料や飲料こそ残っていたものの、夕食になるような食材は見事なまでに残っていなかった。

「そ、そんなバナナ……」

「意外と余裕あるね啓介」

「なら今からどっか食べに行くとか買いに行くとか」

「啓介、啓介」

 みのりが窓を指さす。ひときわ強い吹雪が窓を叩く。外は真っ白だった。

「冬、真っ盛りです。陸の孤島なう」

「神は死んだ……」

「まあまあ。明日はハワイに行くんだから、ハワイアンカレーでも思い浮かべながら早めに寝るとかでどう?」

「ハワイまで何時間かかると思ってんだとかそれなら空港でなんか食べればいいだろとか言いたいことは色々あるが、それよりもまずハワイアンカレーって何?」

 少しだけ考えた後、みのりは答える。そもそもハワイにカレーがあるかどうかすら知らなかった。

「さあ? シュリンプとかパイナップルとかぶちこまれてるんじゃない?」

「適ッ当!」

「人間だもの」

「主語でかくない!?」

「人間だもの」

「それで全部ゴリ押しできると思ってない?」

「滅相もございま胡麻煎餅」

「胡麻つける必要あったかなあ!」

「誤魔化そうと思って。胡麻だけに!」

「誤魔化せてたまるか!」

「お、元気出たね。これぞ内助の功ってやつかな。お礼はハワイのマカダミアナッツでいいぜ」

「出たのは元気じゃなくて怒りだけどな!」

 みのりはまあまあと胸の前で両手の掌を啓介に向ける。

「まだ慌てる時間じゃない。大丈夫、これから考えていこう」

「いや、切迫したハングリーなんだけど。ハングリー精神旺盛なんだけど」

「わかった、じゃあ霞とかどう?」

「堂々巡りやめろし!」

 啓介は立ち上がり、キッチン周りの戸棚を片っ端から開けはじめる。

「何か、何かあるはずだ! 希望を捨てるな、諦めるな!」

「その台詞が遭難したときとかだったら、惚れ直すんだけどなー」

「ここが陸の孤島ならば遭難とさして変わらんわ!」

「いや、外が吹雪なだけで陸の孤島じゃないし、なんだったら出前とかできるよ」「おお! それだ!」

 啓介の顔が輝いた。さながら厳しい冬を耐えしのぎ、春に芽吹いた名もなき草木のような笑顔だった。

「でも吹雪だからいつ来るかわからんけど。こういうときって下手すると数時間単位で来ないよね」

「おお、それな……」

 啓介の顔が曇った。さながら厳しい冬に耐えかね、無残に枯れ果てた名もなき草木のような落ちこみようだった。

「だ、だが、明けない夜がないように、届かない出前もまたない」

「でも人生は有限なんだぜ。出前は諦めよう、高いし」

「うい……」

 啓介は肩を落とす。結局キッチン周りの戸棚にめぼしいものは残っていなかった。

「……じゃあどっか行く?」

「まあ最終兵器的な発想だけどしかたないかー。カップ麺とかレトルトとか残しとけばよかったね」

「あっ! ちょんぶりけ!」

 啓介は突如として叫び、彼の衣服が入ったクローゼットを開ける。そして取り出したのは「大晦日用」と書かれた付箋が貼られたビニール袋だった。

「ここに俺達の希望がある!」

 ビニール袋の中にあるのは緑色のパッケージをした天そばのカップ麵だった。

「年越しそば用にってずいぶん前に買って、うっかり食べちゃわないようにクローゼット入れといたんだ。」

「なんたるご都合主義的ミラクル。最高じゃん」

 啓介は恭しく両手でカップ麵を掲げる。みのりもノリで手を合わせる。

「俺達の救世主、その名もマルちゃん緑のたぬき天そば!」

「神様仏様緑のたぬき様!」

「緑のたぬき様はお湯をご所望であられる!」

「ははっ! 直ちに用意させて頂きます!」

 こうしてお湯が用意できてから三分後、二人は待望の夕食にありつけることになった。ふわりと昆布出汁が香り、口にすればちぢれた麺と温かなつゆがからまって調和をなす。後乗せした天ぷらはさくさくと小気味よい感触だ。

「うみゃい」

「みゃみゃい」

 二人でふにゃふにゃとした感想を言い合ってから笑う。

 みのりはかりかりっと天ぷらをかじる。

「あのさあ、明日からハワイじゃん」

「ハワイだね」

「新婚ハネムーン的なアレじゃないですか」

「新婚ハネムーン的なアレと称して差し支えないでしょうね」

「うちの家族は年末年始ずっと家にいて一緒に初詣みたいなのがデフォだったんだよね。退屈っちゃ退屈だけどそういうのが年末年始だからしかたないと思ってた。でも、明日は違うんだよね」

「ああ。」

 啓介は頷く。

「でもまあ家族と一緒ってのは同じだ。そうだろ?」

「そっか、そうだね」

 啓介の答えに、みのりはふんわりと微笑む。

「惚れ直した?」

「したした、時速30キロメートルくらいで惚れ直した」

「それってどれくらいの意味合い!?」

「さあ。それより明日楽しみだね」

「ああ、そうだな」

「今もしあわせ?」

「そりゃそうだよ」

「おそばうみゃい?」

「おそばみゃみゃい」

 他愛のないやりとりと温かな美味しさが二人の心にやんわりとしみていった。

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大晦日、ハネムーン前 ささやか @sasayaka

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