第26話 とある家族の結末

 半狂乱になった母は、罵詈雑言を喚き散らしながらボクをち続けている。


「この悍ましい化け物! ユウナをどうしたの! 黙ってないで答えなさい! 答えろ! ユウナをどこにやった!」


 泣きながら激しく罵ってくる。

 ボクはその様を眺めて思った。


 これは家庭崩壊だろう。

 この女性は、たった今ボクの母親であることをやめた。

 ボクは捨てられたのだ。


 今度は御者台から降りた父が駆けてくる。


「ユウナ! ああ、なんてことだ……!」


 息を切らせて走ってくる父の表情にも、ボクを糾弾する色が伺えた。

 つまりボクは両親ともどもに見放されたのである。

 これでもうお終いか。

 ボクたち一家はあんなに仲睦まじかったというのに、終わってみればあっけないものだ。


 ……いや、待てよ。


 ボクは考えた。

 まだ挽回出来るのではないだろうか。

 ここで終わらせるのは惜しい。


 確かにもう、ボクが本物のユウナでないことはバレてしまった。

 まぁこれがショゴスの擬態だとまでは見抜かれてはいないものの、ともかくこれ以上、ユウナとして家族に紛れ続けることは難しいだろう。

 ならユウナをやめればいいのだ。


 思い付きを行動に移す。

 ボクは父に向けて、即座に精製した麻酔針を飛ばした。

 駆けてくる彼にプスリと突き刺さる。


「……ぅ、……ぁ……」


 父が短く呻く。

 しばらくよろめいてから、ドサリと倒れた。


「いやぁ⁉︎ あ、あなた!」


 倒れ込んだ彼を見た女が、髪を振り回しながらさっきまでより大きく甲高い声で、一層狂ったみたいに叫ぶ。


「こ、この化け物ッ! ユウナだけで飽き足らず、あの人にまで……! どれだけ私から奪えば気が済むの!」


 ボクは喚く彼女を無視して、父の状態を確認する。


 ……よし。

 ちゃんと麻酔が効いた。

 ピクリともしていないし、あの様子だとしっかり昏倒しているようだ。


「返して! 全部返しなさいよ! 私の家族を返し――」


 刃の触手を振り抜いた。

 それと同時に、母親だった女の首がぼとりと落ちた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ――パチパチと焚き火の薪が爆ぜる音で、男は目を覚ました。

 どうやら夜のようである。


 彼の記憶は混濁していた。

 野盗に襲われそうになったことまでは覚えている。

 そのあと、彼の愛娘であるユウナに大変なことがあったような気がするのだが、よく思い出せない。

 考え出すと、こめかみの辺りがズキンと痛むのだ。


 男は暗闇を見回した。

 焚き火の向こうに彼の妻がいた。

 妻は拾い集めた石で組んだ簡素なかまどに鍋をのせ、料理をしている。


「あら、あなた。起きたのね? ふふふ、よく眠っていたわよ」


 妻が笑い掛けた。

 男が身を起こす。


「……野盗は? たしか襲われそうになったよな。あれからどうなったんだ?」

「野盗? 野盗ならどこかに行っちゃったわよ」


 妻は事もなげに応えた。

 彼女の普段通りな様子につられ、男も平素の落ち着きを取り戻していく。


「ともかくあなたは、ゆっくり休んでいて。何も心配しなくていいの。すぐに食事にするわ。いまスープを作っているから」


 男はあたらめて周囲を見回した。

 どうやら今いる場所は、街道を少し外れた辺りらしい。

 ユウナの姿が見えないが、きっと夜も更けているし荷台で眠っているのだろう。


 ほどなくして料理が出来上がった。

 妻からわんを受け取った彼は、熱い湯気を立てるスープにふぅふぅと息を吹きかけてから、ゆっくりと汁を啜る。

 具材は肉だけだった。

 男はその具を匙で掬い上げ、口へと運ぶ。

 もぐもぐと咀嚼すると、舌のうえに肉の味が滲み出てきた。


「どうかしら? においの強いお肉だったから、下拵えのときに香草で少し誤魔化してみたんだけど」

「……うん。まだ少しクセはあるけど美味い。とてもお腹が空いていたからね」

「ふふふ。それなら良かった。おかわりまだあるから、たくさん食べてね」


 男は頷いてから食事を続ける。

 飢えていた彼は、ただ黙々と匙を動かし続ける。

 しばらくしてようやく少し腹の満たされた男は、ホッと息を吐いてから疑問を口にした。


「ところでこれ、なんの肉なんだろう? 臭いはともかく、ちょっと硬いのは何とかならないかなぁ」

「さあ? 私にはよく分からないわ。だってそれ、どこかに行ってしまった野盗たちが落としていったお肉だもの」

「ふぅん……」


 もしかするとあの野盗たちは、狩りをしてきた帰りだったのかも知れない。

 ならこれは魔物の肉という可能性もある。

 男はそう考えた。

 ともかく食えるなら文句はない。


「それにしても野盗はどこに行ったんだろうなぁ」


 自分たちが見逃された理由が腑に落ちないが、考えても結論なんて出そうにない。

 彼は首を捻るのをやめて、食事を再開した。

 すると肉を咀嚼した途端、奥歯に硬い感触がした。


「……あがっ! なんだこれ?」


 噛んだものを手のひらに吐き出す。

 まじまじと見つめた。


 人間の歯のように見えるが、そんな筈はない。

 きっと魔物の骨か何かだろう。

 そう結論づけてから、彼は食事を続ける。


「……うーん、やっぱり肉が筋張って硬いなぁ。もっと柔らかい肉が食べたいもんだ」

「もう、あなたってわがままねぇ。本当はお肉を食べられるだけでありがたいことなのよ。でも分かりました。ちょっと待っていてね」


 妻が立ち上がる。

 彼女は荷台に行ったかと思うと、その手に新たな肉を握って戻ってきた。


「このお肉を調理するわ。これ、私もさっき食べたんだけど、他の筋張ったお肉と違って柔らかかったの」

「そうか。じゃあよろしく頼むよ。楽しみだな」


 女は手にした肉塊をひと口サイズに刻み、下味をつけてからくつくつと沸いた鍋に放り込んだ。

 すぐに熱が通る。

 再び手渡された椀を受け取り、男は匙で新しい肉を掬って食べた。


「……うん。柔らかい」


 もぐもぐと咀嚼する。

 この肉もまだ硬いけど、さっきまでのものと比べたら遥かに柔らかかった。

 それに臭いもマシだ。


「美味いな」

「そう? なら良かったわ」

「この肉、もっとよそってくれないか?」

「はいはい、わかりました。でもその雌のお肉は、あと少ししかないの。だから大切に食べてね」


 男は満足いくまで食事を味わった。


 ◇


 空腹を満たした男は、ユウナの様子をみようと荷台に向かった。

 起こさないようにそっと覗き込む。

 けれどもそこに、彼の愛娘の姿はなかった。


「……あれ?」


 てっきりそこで寝ているものと思っていた彼は、振り返り、少し大きめの声で妻に尋ねる。


「なあ、お前。ユウナはどこにいるんだ?」

「ユウナ? そういえば見ないわね。でもそれがどうかしたの?」


 男は唖然とした。

 対して妻は平然としている。


「私は知らないわ。襲われたときに、はぐれちゃったのかもしれないわね。でもそんなことより・・・・・・・私は食事の後片付けをしておくわ」


 男は妻の言葉が理解出来なかった。

 彼らにとってユウナは宝だ。

 断じて『そんなこと』などではない。


 彼は酷く不安になった。

 いったい妻はどうしてしまったのだろう。

 いや、それよりも今はユウナだ。


 靄の掛かった頭で考える。

 するとまたこめかみがズキンと痛んだ。

 まるで男の精神が残酷だった記憶に蓋をしたがっているかのように……。

 けれども彼は考える。

 そして思い出した。


「……あ、……あぁ……」


 脳裏に浮かんでくる。

 荷台から飛び降りて、野盗たちに飛び掛かったユウナの姿。

 血の海に溺れ、ニタニタと悍ましい笑顔を浮かべながら、殺した襲撃者どもの肉を貪り食う愛娘の姿。


 あんなもの、断じてユウナではない。

 あれはユウナの姿を借りて、家族に紛れ込んだ化け物だ。

 では本物のユウナはどこに?


 そのとき、男の鼻にどこからか生臭い匂いが届いた。

 精肉現場にするような血の匂い。

 ふと見れば荷台の隅に、大小二つの麻袋が積まれていた。

 この堪えがたい臭気は、どうやらあそこから漂ってきたものらしい。


 彼は麻袋を開いた。

 袋のなかには中途半端に血抜きされた食肉がぎっしりと詰まっていた。

 これは先ほど彼の妻が言っていた、野盗が落としていった食糧だろうか。

 何の気なしに次の麻袋も開いてみる。

 小さい方の袋だ。

 こちらには腸や心臓などの臓物と思しきものが詰まっていた。

 そのなかに、人間の手があった。


 男の思考が停止する。

 彼は目を疑った。

 しかし何度みても、たしかにこれは人間の手だ。

 しかも見覚えがある。

 その手から生えた細く白い指には見覚えがあったのだ。


 それは彼が何度も繋いできた手だった。

 長い間、彼と苦楽をともにしてきた、働き者の手だった。


 止まっていた頭が動き出す。

 それと同時に、心臓が早鐘を打ち始めた。

 どくんどくんと鼓動がうるさい。

 目の前がぐらぐらと揺れて、猛烈な吐き気が男を襲う。


 男は思い至った。

 先ほど食べたスープ。

 具材は正体のよく分からない肉だったが、これだ。

 叫び出したいのを堪えながら、彼は気付かれないようにそっと、焚き火の後始末をしている妻を見やった。

 姿形は瓜二つである。

 けれども男にはもう、そこにいる者が自分の妻には到底見えなかった。


 ◇


 男は息を殺しながら、得体の知れない何者かを観察する。

 こいつは誰だ?

 こいつは異形の怪物だ。

 思えばユウナも、異形が化けたものだった。

 いつからこんな物が家族に紛れていた?


 男は荷台の隅に手を伸ばす。

 そこに立て掛けられていた薪割り用の斧を、そっと手に取った。

 さっきからどくんどくんと鼓動がうるさい。

 膝がガクガクと笑っている。

 しかし男は平静を装ったまま、焚き火の跡まで引き返した。

 妻の姿をした何かが話しかけてくる。


「……? なぁに、あなた? 私のことをじっと見て。そんなに見つめられると、照れちゃうじゃない」


 異形の怪物が妻の顔で照れ笑いをする。

 男は無性に腹が立った。


「ああ、そうだ。あなた、それより大事なことを伝えるのを忘れていたわ」


 男は背中に隠しもった斧の柄をギュッと握る。

 手のひらに酷い手汗をかいていた。


「荷台に積んだ麻袋の中身は見ないで頂戴ね。あの袋にはさっき話したお肉を詰めているんだけど、まだ下処理が済んでいないものもあるから」


 もう遅い。

 彼はすべて見てしまったあとだ。

 ぽつりと呟く。


「……正体を現せ……」


 言うや否や、男は頭上高く斧を振り上げた。

 淡い月の光が、刃に鈍く反射する。


「……え? あなた? 何の冗談を――」


 男は妻の姿をした化け物の言葉を最後まで聞かずに、斧を振り下ろした。

 しかしすんでのところで躱され、足をもつれさせた異形の怪物がその場に倒れ込んだ。


「きゃあ⁉︎ な、何をするの、あなた……!」

「うるさいッ! よくも俺の家族を! よくも!」

「お願いよ、あなた! 落ち着いて! やめて!」


 男は無茶苦茶に斧を振り回しながら、異形の顔を見つめた。

 どこからどう見ても妻と同じ顔をしている。

 彼の脳裏を、夫婦の思い出が駆け抜けた。


 初めて出会って、優しげに微笑む彼女に恋に落ちたあの日。

 プロポーズをして結ばれた日のこと。

 ユウナを授かり、貧しいながらも家族三人で幸せに暮らしてきた日々。


 男は泣いていた。

 両の眼から止めどなく涙を溢れさせながら、斧を振り回した。

 妻の姿をした何かが懇願してくる。


「や、やめて……! 急にどうしたの⁉︎ もしかして、私がいなくなったユウナを探しに行かなかったことを怒っているの? でも仕方がないじゃない。もう見つかりっこないんだもの!」


「ふざけるな! 家族を……俺の家族をよくも……!」


「そうだわ! ねぇあなた、私良いことを思いついたの。ユウナのことはもう忘れて、また子どもを作りましょう。今度は二人作ればいいじゃない。賑やかになるに違いないわ。そうすれば居なくなった子のことなんて、きっとどうでも良くなると思うの!」


「黙れ! 頼むからもう黙ってくれ! 妻の顔で、あいつの顔で、それ以上喋るな!」


 そのとき、妻に化けた異形に変化があった。

 真顔になり、ため息をついたのだ。

 化け物が呟く。


「……あーあ、さすがにこれはもう無理かな。仕方がない。もうこの家族はお終いにするしかないよね」


 男は渾身の力をこめて、斧を振り下ろした。

 それを最後に、彼の意識は永遠に途絶えることとなった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 天高く澄み切った青空の下。


 ユウナの父親の姿に擬態したボクは、御者台に腰を下ろし、時折りチョ◯ボの手綱を操りながら街道をいく。


 ここまで結構大変な道のりだったけれども、都市まであともう少しだ。

 荷台にはたくさんの食糧を積んでいるから、飢えを心配することもない。

 悠々とした旅である。


 結局ボクは、また独りになってしまった。

 無くしてしまった家族に想いを馳せる。

 最期は残念な結果になってしまったけれども、途中までボクたちは仲の良い一家だった。

 だから家族は良いものだという想いは変わらない。


 都市ではどんな出会いがあるのだろう。

 そこにはボクの家族になって、ボクを愛してくれる人はいるだろうか。

 孤独を癒やしてくれる人はいるだろうか。

 ボクはまだ見ぬ出会いに期待を膨らませた。




ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ

これにて完結とします。

お読み頂きありがとうございました。

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ショゴス転生 猫正宗 @marybellcat

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