第25話 捕食

 ゴォォンと鐘をつくような重い金属音が鳴り響いた。

 食事中のボクを衝撃が襲う。

 次いで男が叫んだ。


「はぁ、はぁ! お、思い知ったか、この薄気味悪い糞ガキがぁ! 俺様はここら一帯を取り仕切る大盗賊団のかしらだ! 舐めてんじゃねえぞ!」


 ゆっくりと背後を振り返る。

 ボクは食事を摂る手を休めぬまま、そこに立っていた男を見上げた。


 随分と大きい。

 いま、野盗どもの頭目と言っていたか。

 身の丈ほどもある戦鎚せんついを、両手で構えている。


 それにしたって巨大なハンマーだ。

 常識的に考えて、こんなものただの人間が持ち上げられるような重量ではないと思う。

 なのにそれを武器にして振り回すだなんて、これにも魔力とやらが関係しているのだろうか。

 腕力強化とかそんなのが。


 まぁそれは置いておこう。

 ともかくどうやらさっきボクを襲った衝撃は、この鉄塊による殴打らしかった。

 気付けば強かに打たれたボクの頭は、心なしかへこんでいた。


 へこみを戻してから、周囲を見回す。

 この頭領をのぞき、野盗の集団はまだ驚いて固まったままだ。

 一方的に行商人を襲うはずが、なぜか自分たちの方が襲われ返し、初手から仲間を喰われた現実を受け止めきれないのだろう。


 その点、頭目はまだ肝が据わっていた。

 この状況でいち早く動けるようになり、ボクに殴り掛かってくるなんて、大したものだ。


 ◇


 ボクは改めて野盗のかしらを見上げた。

 この彼、さすがに言うだけあって、場に集った荒くれ者のなかでも飛び抜けた巨漢である。

 身長2メートルを優に超えている。

 加えて全身はち切れんばかりの筋肉に覆われているし、横幅もかなりあった。


 ……これは食いでがありそうだ。


 ああ、なんて幸せなんだろう。

 例えるならいまの状況は、まるで期せずしてコース料理にありつけたようなものだ。

 捕食中のこの男が前菜なら、頭目を名乗った巨漢はさしずめメインディッシュの一皿というところか。

 他にもデザートだって山ほど用意されている。


 餓死寸前のところに降って湧いた奇跡みたいな満漢全席。

 まさに恵みの雨である。

 ボクは神が与えたもうた(まぁボクは現代日本人の多分に漏れず、無信心ではあるのだが)この大盤振る舞いに感謝した。

 余さず全部、きれいに平らげよう。


「ふふふ……。次はどれを食べようかなぁ……」


 ボクは獲物たちを見つめて舌なめずりをする。

 すると頭目が後ずさった。


「て、てめぇ! さ、さっきから、なんだその目は! くそが、その目で俺様を見るんじゃねえ! ……ち、畜生! 震えが止まんねぇ……なんでか分かんねぇけど、お前に見られると、身体が震えて止まんねぇんだよ……!」


 男はその巨軀に似合わず、リスか何かの小動物みたいに、全身を小刻みにぶるぶると震わせていた。


 ボクは首をかしげた。

 はて?

 どうしたのだろうか。


 だっていまのボクの姿は可愛いユウナだ。

 こんなに怯えられる覚えはない。

 不可解だなと考えるボクに、頭目が唾を飛ばしてくる。


「だから、俺をみて嗤うんじゃねぇ! そんな嬉しそうにすんじゃねえよ! お前、この状況わかってんのか! 俺たちは盗賊だ! 襲う側なんだ! なのに襲われる側のお前が、なんでそんな化け物みたいな悍ましいかおでニタニタ嗤ってんだよぉ!」


 ああ、そうだったのか。

 理解した。

 ボクは嗤っていたのか。

 これは気付かなかった。

 嬉しさのあまり、内心が顔に出てしまったようだ。


 野盗たちを怖がらせてしまった。

 それにしたって彼らはいたいけな少女に対して怯え過ぎな気もするけど、もしかすると生物としての格の差がなせる業なのだろうか。

 とにかく恐怖した彼らに逃げ出されでもしたら面倒だ。

 ここは一旦野盗を落ち着かせよう。

 ボクは嗤うのをやめ、荒くれ者どもに向けて無垢な笑顔でにこりと微笑みかける。


「ひぃ⁉︎」


 また野盗から悲鳴が上がった。

 なぜだ。


「……このガキ、目だけが笑ってねぇ!」

「畜生! なんだってんだよ! なんで人間の血を飲みながら、そんな顔で笑えんだよぉ!」

「お、俺、ますます身体が震えて……」


 そんな顔ってどんな顔なんだ。

 難癖をつけられている気分である。

 けれども実際に、ボクの意図に反して、野盗たちの怯えはますます強まっていく。

 どうやら彼らを安心させるのには失敗したようだ。

 頭目が叫ぶ。


「はぁっ、はぁっ! 舐めんじゃねえ! 盗賊が舐められたら終わりなんだよ!」


 頭目としての意地だろうか。

 怯えてしまった有象無象とは異なり、彼だけは後退りするのをやめて、その場に踏みとどまった。

 かと思うと荒い呼吸に乗せて、気を吐いてくる。


「はぁっ、はぁっ、この俺様を誰だと思ってやがる! 敵も味方もいままで何人もぶっ殺してきた大悪党なんだ! 聖堂騎士から逃げ延びたことだってある! その俺様が、こんな薄気味悪い糞ガキ一匹に、びびってたまるかぁ!」


 ◇


 頭目が戦鎚を振り上げた。


「うおおおおおおおおおおっ!」


 雄叫びを上げながら突進してきたかと思うと、ボク目掛けて振り下ろしてくる。


 まったく食事の邪魔をするなんて無粋なことである。

 ボクは一度だけ、軽く首を振った。

 するとしゅるしゅると長く伸び始めたボクの頭髪が、彼の巨体に纏わりついていく。


「――ふぐぅ!」


 全身を巻き取った。

 顔も、目も、口も、首も、腕も、胸も、腹も、脚も――


 頭目は悶えている。

 頭髪に力を込めた。

 そのまま締め上げる。


「……ぐぎぎぎぎ……! やめ……、やめろ……!」


 囚われた頭目の巨軀がぐしゃぐしゃにねじれ、パキパキと小枝を手折るような小気味のよい音を立てて、骨という骨が砕けていく。


「た、助け……ごふっ!」


 頭目が大量に吐血した。


「……い、いでぇ……やめ……助け……!」


 絶命した。

 けれども彼の巨体はその場に崩れ落ちることすら許されず、絡まった髪と一緒にボクのもとへと引き寄せられていく。

 ボクはまだ死んだばかりの新鮮な彼を手もとに招き入れ、その肉に齧り付いた。


 周囲から悲鳴が上がる。


「ひぃぃぃ! お頭がっ、お頭が、殺されちまった!」

「く、喰われてる!」

「化け物だ! こいつはガキの形をした化け物だぁ!」

「逃げろぉ!」


 身じろぎひとつ取れずにいた野盗たちが、一斉に走り出した。

 てっきり激昂して襲い掛かってくるかと思ったのだけど、そうはならないらしい。

 野盗たちは四方八方散り散りに、必死の形相をして蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 けれどもすぐに彼らは、その全員が動きを止めた。


「……なんだ⁉︎ う、動けねぇ……!」


 粗野な男たちから、苦悶と驚愕の声があがる。

 恐慌をきたした荒くれ者どもが、みっともなくジタバタと足掻こうとする。

 しかし無駄だ。

 だって彼らが動くのをボクは許していない。


「……な、なんでだ⁉︎ なんで動けねえんだよぉ!」

「……く、くそぉ! 何かが俺の身体に絡まって……」


 野盗たちの動きを封じたもの。

 それは『ワイヤー』だった。

 しかもこれはただのワイヤーではない。

 その正体はボクの細胞だ。


 ショゴス細胞からなるワイヤーは伸縮性能は言うに及ばず耐荷重にも優れているし、何より意のままに動く。

 結構すごいワイヤーなのである。

 ボクはこれを(ちょっと安直だけど)ショゴスワイヤーと名付けた。


 このショゴスワイヤーを使えば、これこの通り野盗を捕らえるなんて朝飯前。

 それにワイヤーの形状を刃にして捕らえた相手をバラバラに斬り裂くこともできるし、やろうと思えばこんな事もできる。


「は、離せえ! 助けてくれえ!」


 命乞いを始めた彼らを無視して、ボクは麻酔を精製し、ワイヤーから染み出させた。

 野盗たちが麻痺していく。

 拘束を解くと、舌の根まで完全に痺れてしまった野盗どもがパタパタと倒れていく。


 これにて確保完了だ。

 麻痺させた彼らはあとでしっかりと頂こう。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 すべての野盗を捕らえたボクは、ゆっくりと食事を再開した。


 頭目の首をぶちぶちと引きちぎり、髪を掴んで逆さに持ち上げる。

 血液が滴り落ちてきた。

 ユウナ姿のボクは小さな唇を開いてそれを受け止める。

 ごくりごくりと喉を鳴らして嚥下していく。


 ああ、潤う。

 もっと欲しい。

 もっと飲みたい。


「……ユ、……ユウ……ナ……?」


 気付けば母親がそばに立っていた。

 血溜まりにうずくまり、全身を赤く染めながら肉を貪るボクを見つめてくる。

 ボクも彼女を見つめ返した。


 母の頬は痩せこけていた。

 とても疲れてみえた。


 目の下には酷いクマが出来ており、艶やかだった肌もカサカサに乾燥している。

 雰囲気も暗い。

 村を出立する前にボクに見せてくれた溌剌はつらつとした彼女の姿は、もう見る影もなかった。


「……ああ、……そんな……」


 母は泣いていた。

 声が震えている。

 そんな母を見つめながら、ボクはこの旅で彼女にかけてしまった苦労を思い返していた。


 ボクの空腹を抑えるため、父も母も、自分はろくに食べもせずに食糧を分け与え続けてくれた。

 もしあの献身がなければ、本当にボクは餓死していたかもしれない。

 飢えを凌げたのは両親のおかげだ。


 深い愛情を実感する。

 ボクは、温もりに包まれる。

 優しい気持ちが、空洞みたいに空っぽだったこの胸を満たしていく。


 家族とは、本当にいいものだなぁ。

 ボクは深く感謝すると共に、母親である彼女をここまでやつれさせてしまったことを悔いていた。


 ありがとう。

 そして、ごめんなさい。


 ずっとまともに食べていない母は、疲れ果てている。

 いまも随分とお腹が空いていることだろう。

 思えばそれなのにボクは、自分のことしか考えず、ただひとりで食事に夢中になっていた。

 申し訳なさでいっぱいだ。


 でも今からでも間に合う。

 だってボクらは家族だ。

 ならみんなで一緒に食事を摂ろう。

 それこそが一家の団欒だんらんに違いないのだ。


 ボクは食い散らかされた頭目の遺体から、右手を引きちぎった。

 それから食べやすいように指を一本一本引き抜いて、ひと口サイズにしてから目の前に立ち尽くす母親へと差し出した。

 精一杯の笑顔で、微笑みかける。


「ね、ママ。一緒に食べよ?」


 母が激昂した。


「……ふ、ざけ……ないで……」


 差し出した食糧が跳ね除けられる。

 返す手でパンッと頬を叩かれた。


 いま、叩かれたのか?

 そうだ。

 ボクはいま、母親からの平手打ちを受けたのだ。

 その衝撃で我に返る。


 ……あれ?

 ……ボクは何をしていたのだ。


 しまった。

 空腹のせいですっかりと理性を失っていた。

 思考能力が鈍ってしまっていた。


 人間は、人間を食べない。

 そんなことは言うまでもない。

 当たり前だ。

 もし食べてしまったら、それはカニバリズムだ。


 ボクは野盗どもを貪り食う姿を両親に見せてしまった。

 大失態だ。

 さすがにこれは正体がバレただろうか。

 いや、まだ大丈夫かもしれない。

 とにかく誤魔化すんだ!


「……あ、……マ、マ……違うの。これは違うの。ユウナはね、ユウナは――」

「――ッ⁉︎ こ、この! 化け物が、ユウナの名前を騙るな!」


 また平手打ちをされた。

 打たれた頬がジンジンと熱くなる。


「……ふ、ざけ、……ないで……! 私は、私はユウナの母親よ! あんたみたいな化け物を産んだ覚えなんてない! ふざけないで! ふざけないで! ふざけるんじゃないわよ! この化け物! ユウナを……私の娘をどうした! 答えなさい! 答えなさいよ! ユウナを返せ! 返せ!」


 何度も何度も叩かれる。

 ボクは家族から受けた攻撃に、ただ呆然としていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る