壁打ちをするのと文字をただ打つのは同じだと思う。一人でもくもくと文字を打つ。

しかしそれ自体に意味はなくても、自分の考えを整理するのに、あるいは穴を掘ることでよきせぬアイデアと出会う事が出来るかもしれない。穴の中からアイデアの元、水や粘土や鉱石が見つかるかもしれない。それを手に入れあるいは加工すれば作品の為の何かしらもとになるかもしれない。しかしこのままでは何もまとめていないからだめなのも知っているしこれはただ筋肉をつけるための文、壁打ち文字うちの文であり、だれも見ていない孤独な戦いである。休日に一人でこういう行為をしているのはむなしくもなるが、たとえ今日明日死んだとしても生きたあかしとしてもがいたあかしとして意味はゼロにはならないと思う。正直生きたあかしとして、ちゃんと残し評価されたい気持ちはあるが、そこまでの才能と努力が出来る才能に恵まれているとは思わないし、今ので一枚描いたからずっとパソコンの前に張り付いていればすぐに10枚百枚はかけると思うけどなんでやる気が出ないのかは本当に分からない。もっと腰を据えて生きていたい。日常がほぼ精神的に安定していないから休日ぐらいとストレスをかけたくないからこんな適当な文字うちになっているのだろうな。仕事をやめたら楽になるのだろうけど、それはほんの一瞬だけで生きていくためにはお金がかかるから、結局安心できないですぐにストレスになるだろう。そして仕事探しをしなくてはいけなくなって、お金も無くなっていき今よりも厳しい環境になるのは目に見えている。だから仕事をやめるわけにはいかない。それに仕事から学ぶことは本当に多い。才能あふれる人たちから学べるのは幸運な事である。楽して稼げることというのは本当に世の中には少ないのかもしれない。才能とか効率の良さとか頭の良さが備わっていれば違うんだろうけど。しかしそれが直で幸せになるとも限らない。お金があれば時間が買え幸せも買えることもあるだろうけど、幸せと言ってもどんな質の幸せか、とかいろいろあるから。俺が求めている幸せは金で買える部分はかなりあるけど、もちろん今の経験からもらえる幸せなどは買えない。でも一旦お金で何の心配もしないで文字うちを出来る環境に小説をかける環境に全国を自由に毎日めぐれるような環境になってみたい気もする。その為にはお金がほしいけどそうまくはいかない。小説家はまだ夢のまた夢だ。手が届かない。夢はみるものじゃない叶えるものだという人もいる。その通りではあるし、その通りではないこともある。かなえる事で幸せを得る。かなえないことで夢を追える。どちらが幸せなんだろうか夢の質とかも関係する。かなえるべき夢とかなえられない追い求めるべき不可能な夢物語その二つがあって車輪のごとく動くことで人間の生きる希望や糧となり、活力の元になるとかなんとかかんがえたりした。一旦休憩。

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文字打つ事で筋肉を鍛える 日本語破綻者 @mojiuchisyuukann

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