二人の聖女と魔王、そして女神

「まぁ……そんな夢を見たの」


 光あふれる庭のテラスで紅茶を飲みながら、ミーアがおっとりと頷く。


 目に入れても痛くないほど可愛がっている孫娘、アンネリィエの様子がいつもと違っていた。

 明るくて朗らかで生粋のお姫様である彼女が、今日は時折不安そうな色が瞳に浮かび、なぜか執拗に三十年前の話を聞きたがる。昨日、絵本を読んだから、と。


 身に覚えがあったミーアは、優しくアンネリィエに問いかけた。

 何があったの? 誰かに会ったの? それとも……声が聞こえたの?と。


 さすが『聖女』であるおばあさまは何もかもお見通しなのだわ、とアンネリィエは素直にすべてを話した。

 まだ五歳の彼女は、すべてを抱えるには幼すぎだ。


「それでね。そのあと、とっても綺麗な場所で聖女さまに会ったの」


 こっちは夢じゃないと思うんだけど、と言いながらアンネリィエは自分が見た光景を一生懸命に伝えた。

 そして「ナイショ」と言われたことも忘れずに。「おばあさまは特別なの、だから……」と、精一杯言い訳をして。


「マリアンセイユ様は、魔物を抑えるためにときどき地上に降りて来ていらっしゃるのかもしれないわね」

「かもしれない? おばあさまも、知らないの?」

「ええ」


 魔物サルサを介し、ミーアは地上のことをマユに報告している。『人の聖女』として見たこと、感じたこと、その他いろいろなことを。

 それに対し、マユが「ありがとう」「よろしくね」といった簡潔な言葉以外の何かを寄越したことはない。ましてや、その姿を見せたことさえ。


 でも、きっと。

 別れたあのときの、あの晴れ渡った空の向こう。あの日からずっと今も、私達は繋がっている。


 ミーアはそう確信していた。だから揺らがない。

 この幼い未来の大公を見守り導くのは、『人の聖女』である自分の役目だと感じていた。


「人と魔物、相容れない二つの存在が共存する世界というのは、そんな生易しいものではないわ」

「仲良くできないの?」

「急にはね。そのために、わたくし達はそれぞれの世界で生きることを選んだのよ。希望を、未来へと繋ぐために」

「未来……」


 ――それは、アンネリィエがいつか大公となったときの未来にも繋がるわ。

 このことは、誰にも言っては駄目よ。おばあさまとの約束。

 ……でも、忘れないで。あなたが見たその光景を。

 人と魔物が共存する世界、きっとそんな理想の一つ。マリアンセイユ様と護り神たちの姿を。


 ミーアの言葉に、アンネリィエは

「はい!」

と力強く答え、しっかりと頷いた。


「また怖い夢を見たら、わたくしのところにいらっしゃい」


 アンネリィエの瞳の奥を見つめ、「いつでも待っているわ」とミーアが声をかける。そして両腕を伸ばし、しっかりとアンネリィエを抱きしめた。

 その温かさに、心が満たされる。

 アンネリィエは――そしてアンネリィエの中の小さな少女は、ミーアの腕の中でようやく安堵の吐息を漏らした。



   * * *



「ごめんなさい、セルフィス。アンネリィエに見つかっちゃったわ」


 魔界の魔王城に帰ってきたマユが、肩をすくめる。

 魔界では、地上とは時間の流れが違う。あれから三十年経ったとは思えないほどにマユの姿は若々しく、どこまでも明るく無邪気でマイペースだ。


「それで? 聖女の泉の結界は張れたのですか?」

「ええ。王獣から預かっている力とあの場に残されていた聖女の魔精力を使って、どうにか」


 まさかその途中で乱入者が現れるとは思わなかったけど……と、マユが不思議そうに首を傾げる。


 ロワーネの森にある聖女の泉は、確かにリンドブロム大公宮からそう離れた場所にある訳ではない。

 しかしその正確な場所は歴史の中に埋もれ過去の伝承となっており――正確に言えば、長い間魔王の結界が張られ、大公宮の人間と言えど立ち入ることができなくなっていた。


 しかし最近、その結界も揺るぎ始めた。今度は魔王の結界ではなく『聖女の結界』を張るように魔王セルフィスに言われたマユは、聖獣を伴い地上に降りたのだが。

 結界の隙間から、アンネリィエが入り込んでしまったのだ。


「子供の足でどうやって来たのかしら……」

「アンネリィエの魔精力とマユの魔精力が反応した結果でしょう。転移魔法のような形になって現れたのでは? 聖女の泉の結界は揺らいでいましたから、あの場に引き寄せられたのでしょうね」


 もっともらしく解説している魔王セルフィスだが、今回の件はわざとだった。

 もともとは魔王が張っていた結界。しかし自分が降りることはなく、マユに結界の修復に行かせたのも。

 すべては、アンネリィエとアンネリィエに転生したマリアンセイユ・フォンティーヌの心を守るため。



   * * *



〝迷ったのだけど、やはり同じ世界に生まれ変わらせることにしたわ〟


 三級神の紡ぎの女神、スラァからそんな話が出たのは五年前。

 以前、セルフィスが回収し、天界へと預けられたマリアンセイユ・フォンティ-ヌの魂に肉付けをし、『リンドブロムの聖女』世界に送ったというのだ。


〝彼女の知識も無駄にはならないし、混乱も少ないだろうし〟

「だからといって、なぜよりによって大公家に……」


 スラァの思いつきとその決行の早さに、セルフィスは苦渋の色を滲ませた。

 その魂があった身体に収まっている、『聖女マリアンセイユ』の影響がまだ色濃く残る世界。

 大公宮には実際の彼女を知る人間も多い。彼女の生きた形跡が完全に伝承となるまで待てなかったのか、と。


〝二つの魂を有するミーアが生きている間に転生させた方がいいと思ったの。その気持ちがわかるのは、彼女しかいないでしょ?〟

「……」


 揉め事も起きそうですが、という言葉を、セルフィスはとりあえず飲み込んだ。

 もうマリアンセイユはアンネリィエ・リンドブロムとして転生してしまったのだ。ここで異を唱えたところで事態は変わらない。


〝そういう訳だから、何かあったら頼むわね、セルフィス〟



   * * *



 正式な『浄化』を受けなかった『マリアンセイユ』は、前世の記憶を思い出す可能性が高い。思い出さないのなら、それに越したことは無いが。

 しかしセルフィスの心配は現実のものとなり、アンネリィエの魂は揺らぎ始めた。


 まだ五歳――はたしてその事実を受け止められるだろうか。


 そうして悩んだ末にとった策は、

「『本人』にすべては夢だと思い込ませること」

だった。

 ある程度の年齢に達していては誤魔化せるものではないが、まだ五歳だからこそ可能性はある。


 まわりに愛されているという事実。まわりに期待されているという未来。

 これからも着実に積み重ねていく『現実』が、前世の彼女を救い、現在の彼女の力となる。



「そういえば、サルサはどうしましたか?」


 何食わぬ顔で、魔王セルフィスがマユに問いかける。


「アンネリィエを眠らせて部屋に連れて行ってもらったの。恐らくそのまま地上に留まって、しばらくその後の様子を見てるんじゃないかしら」

「……そうですか」

「戻ってきたら、セルフィスに報告に行かせるわね」


 お願いします、とマユに応えつつ、魔王セルフィスはやや疲れた溜息をついた。


 いまだに裏で何かと立ち回る羽目になる自分の立場を呪う。既にこの世界の魔王としての役目をこなしているにも関わらず、だ。

 すべては自分が撒いた種。マユのそばでこの世界に在ることを決めた以上、女神から便利に使われることは諦めなければならない。


 しかし、サルサがどのような報告を持って来るかは、とても重要なことだった。


「聖女が地上に降りた際に起こる不測の事態への収拾を、すべて任せる」


とサルサに依頼したのは、他ならぬ魔王なのだから。



   * * *



 聖后と大公女の内緒のお茶会を見ていたサルサは、その後こっそりとミーアに会ったあと魔界へと帰って来た。

 第三の聖獣として動く彼女は、この三十年の間に身も心も逞しくなり、魔王とも対応できる有能な輩下となっていた。


 サルサは簡潔に地上での出来事を報告したあと、一通の封書を差し出した。


「ミーアの書簡、ですか」

「はい」


 サルサから封書を受け取ると、セルフィスは右手をかざして魔法をかけた。

 地上からのミーアの報告は、マユの手に渡る前に必ず魔王セルフィスが中身を確認している。


 まだマユには知らせたくない情報がある場合には改竄することもあるが、よほどのことで無い限りはそのままマユに渡していた。

 二人にしか分からない、と思い込んでいる暗号も、そのままに。


「……ふっ」


 魔王が、珍しく柔らかい笑みを浮かべる。マユがいない場では無表情の冷たい金色の瞳しか見ていなかったサルサは、少なからず驚いた。


「どうぞ、聖女に」


 その笑顔はあっという間に消え、封書はそのままサルサへと返される。


 珍しいこともあるものだわ、何が書いてあったのかしら、そもそも今回は何やら意味ありげだったわねぇ……と内心思いつつも、魔王セルフィスに問いつめることなどできやしない。

 サルサは黙って頭を下げると、背中の蝶の羽を大きく広げ、謁見の間から飛び立っていった。


 ――繭が失っていた、マリアンセイユの欠片を見つけたわ。でも安心して私に任せてちょうだい。大事に護るから。


 暗号化してあった文章。ミーアではない、恐らく早坂美玖が書いたもの。

 マユがマリアンセイユの記憶が無いと言っていた、その裏側に隠された真実に一番近いところにいる彼女の、頼もしい言葉だった。


 きっとマユも、気にしていたことだろう。

 自分は果たしてマリアンセイユ自身なのか、それともマリアンセイユの魂を追い出して体を乗っ取ったのか。

 何度かセルフィスに「この世界の転生」について話を聞いていたマユは、そのたびに考え込むような顔をしていたから。


 すべてはまだ天界の者だった頃の自分の驕りが元凶。だが……これで、マユの長年の憂いも消えるといい。

 厄介なことをスラァ様に押し付けられた、と思っていたが、結果としてはこれで良かったのかもしれない……。


 独りその場に残された魔王セルフィスはそう考え、穏やかな表情を浮かべた。





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 『収監令嬢』34000PV記念。

 もうこれで完全にオシマイ!……と『蛇足』のあとがきで言いつつ、いつまで書くねん、という感じですが。


 気になっていた『真マリアンセイユのその後』、どうしようかと思いつつもせっかくなので書いてみました。

 これで全部ひろったかな? だいじょぶ?


 『収監令嬢』の世界に触れてくださった方々に、最大級の感謝を。

 本当にありがとうございました。


                   2021年12月20日 加瀬優妃

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【収監令嬢・おまけ】聖女の幻影 加瀬優妃 @kaseyou

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