真面目系男子の送りオオカミ

水棲虫

真面目系男子の送りオオカミ

 サークルの飲み会の終わり際、酔っぱらった同級生を送ってくれと頼まれた。

 ちょっと金欠ぎみで二次会はどうしようか迷っていたので、別に嫌ではなかったし二つ返事で引き受けた。

 ただ問題なのは、相手が女子だった事だ。しかもサークル仲間兼同じ専攻の大上沙由おおがみさんは、俺がちょっといいなと思っている相手。……嘘です。かなりいいなと思っている相手。


「じゃあ赤須あかず君。さゆの事よろしくね」

「……了解。だけど――」

「大丈夫大丈夫」


 男の俺が送っていいのかと聞こうとしたのだが、バシバシ肩を叩かれた。結構痛いぞこの酔っ払いめ。


「赤須君なら変な事しないでしょ? さゆも赤須君の事は信用出来るって言ってたし。ね? さゆ」

「うん。赤須君がいいー」


 ぞんざいに腕を引っ張られながら、普段よりふにゃっとした調子の大上さんが少し申し訳なさそうに、そしてどこか嬉しそうに笑う。


 嫌ではないしむしろ、なのだが、その理由は複雑だ。

 信用されているのは嬉しいし、そういう意味でないのは分かっていても「赤須君がいい」なんて言われたら舞い上がりそうになるが、信用のされ方がまるで対象外のようで辛い。


「じゃ、そゆ事で。私二次会行くからこれよろしくね」


 やはりぞんざいに背中を押された大上さんが少しふらついたので、思わず腕が前に出た。しかし彼女は自力で持ち直し、えへへとはにかんだ後で俺の手に気付き、更に頬を緩めた。

 どちらかと言えばほわほわした印象を受ける大上さんだが、雰囲気や外見に反してガードが堅い事で有名だ。しかし今、酒のせいで本来の白い肌はほのかに赤らんでいて、腕を引っ張られていたせいか襟ぐりからは鎖骨が覗く。隙だらけに見える。


「ごめんだけど、よろしくね」

「いや、ごめんとかは全然気にしなくていいよ」

「流石赤須君」

「流石って何が?」

「秘密ー」


 少し妖しい微笑みを浮かべながら瑞々しい唇に人差し指を当てる仕草がエ……艶めかしい。


「……じゃあ、行こうか。家どっち?」

「あっち!」

「了解」


 と、こちらの気も知らず上機嫌な大上さんと歩き出したはいいものの――


「あれ?」


 今度は背中を押された訳でもないのに大上さんが少しふらついた。


「大丈夫?」

「うん。そんなに飲んでないし、ヒール履いてくるんじゃなかったよね」

「確かに、ヒールって普段でも大変そうだもんね」

「慣れるとそうでもないんだけどね」


 そういうものだろうかと大上さんの足元を見てみると――


「あ。視線がえっちだ」

「違う違う違う! ヒール! ヒール見ただけだから!」


 確かにスカートから覗く膝下部分は見た。見たけど今に関して言えば本当にそういう意図は無い。


「なんてね。冗談だよ」

「いや心臓に悪い」


 あははと笑う大上さんに対し、大きく息を吐いてから小さな声で返す。これで嫌われたらシャレにならない。それなのに、大上さんは不機嫌そうな顔を作る。


「冗談だけど、そんなに必死に否定されると女子としては悲しいものがあるんだよね」

「見てたって言った方がいいって事?」


 エロい目で。


「んー。それはそれで赤須君のイメージと違うからダメかもね」

「何選んでもダメなやつだ」

「だね。でも不正解は不正解だから、何か罰ゲームしてもらっちゃおうかな」

「お手やわらかに頼むよ」


 理不尽な言いようではあるが、ここまで含めて冗談なのは分かる。


「何にしようかな――あれ?」


 今度は先程よりも更に大きくふらついたので、また思わず腕が前に出た。

 そしてその俺の差し出した手を、今度は大上さんが掴んだ。俺のよりも一回り小さな手のやわらかさは、少しひんやりとしていて余計に心地良い。


「ありがとう、赤須君。助かっちゃった」

「い、いや。このくらいなら、全然」


 俺の手を握ったまま、目を細めて優しく、嬉しそうに笑う大上さんから思わず視線を逸らした。


「やっぱり赤須君の手おっきいね。それにあったかいし。安心出来る」


 安心、ね。こっちはそれどころじゃないんだけどな。我に返って心臓が死にそうなくらいバクバクしてるし、手を離したいけど離したくないジレンマでどうしようもない。

 しかし大上さんだいぶ酔ってるんじゃないだろうか。普段彼女が男にスキンシップをしているところなんて見た事が無いのに、今は両手で俺の手を握っている。現実かこれは?


「あ、そうだ。罰ゲームこれにしよう」

「これ?」

「そ。部屋までこのまま支えてほしいな。転んじゃうとその方が赤須君に迷惑だし、ダメかな?」

「ダメじゃない」


 どこか気後れしたような上目遣いに脊髄反射が起こる。

 離したい気持ちはあるが、結局のところ自分からそれを選択する事など出来はしない。


「……ありがと」


 大上さんが吐き出した小さな息が白く輝く。

 手を握られる力が少し弱まっている気がする。最初は手を掴むような形だったから、多分これが普通くらいの強さなんだと思う。今までは緊張していて、いつからこの強さだったのかは分からないけど。


「赤須君は断らないよね」


 手を繋ぎながら歩いている関係上なのか、先程までより近くに来ている大上さんが懐かしむような声を出した。


「そんな事無いと思うけど」

「そんな事あるよ。私最初は、赤須君の事パシリみたいな人だと思ってたもん」

「ひどいなー」


 一部からそういう扱いをされている事も、大部分からそういう認識をされている事も知っているので、口では否定しつつも苦笑が漏れてしまう。

 でも、大上さんは、最初はそうだったかもしれないけど、今は俺をそんな風に見ていないと思う。多分。


「雑用を頼まれても嫌な顔なんて一切しなくて、何でもしてあげちゃう、断れない、頼りない人ってイメージだったんだよね。最初の頃はさ」


 大上さんの手に少し力が入ったのが分かった。


「でも、レポートとか課題見せてっていうお願いだけは、私が知ってる範囲でも、他の人が話す中でも、毎回断ってた。教えてあげるからって、そっちの方がよっぽどめんどくさいのにね。しかも結局みんな『じゃあいい』って嫌そうに言うしね」

「まあ……他の奴に見せてもらった方が楽だろうしね」


 だからもう、俺にレポートを見せてくれと言ってくる奴はいない。

 唯一の例外がこの大上沙由さんだ。例外と言うと少し語弊があるか。彼女は一度もレポートや課題を見せてほしいと言った事は無い。『一緒にやろうよ』と誘ってくれるだけだ。


「まあそうだよね」


 大上さんはけらけらと笑ってから白い吐息を漏らし、「でも」と優しい声を俺の耳に届けた。だが、しばらく待ってもその続きはやって来ない。


「でも?」

「ううん。やっぱり何でもない」

「気になるなー」

「教えてほしい?」


 立ち止まった大上さんは、俺を見上げ、少しからかうように笑いながら首を傾げた。アルコールと外気の冷たさによる紅潮が、その笑みを妖艶に見せてドキリとする。


「……そりゃあね」

「じゃあ」


 ニコリと顔を綻ばせた大上さんは、俺と繋いでいない方、右腕を指先まで伸ばして隣の建物を指示した。


「立ち話もなんだし、上がっていってよ。私の家、ここだから。あったかい飲み物も出すよ?」


 断るべきだと思った。足取りは多少おぼつかないが、大上さんは泥酔している訳ではないのだから、ここで別れても心配事など無い。

 むしろ酒に酔った状態の、隙だらけの大上さんの部屋に上がる事をしてはいけないと思う。仮に普段の彼女を送って来たのなら、上がっていけとは言われないはずだ。


「ええと……」


 それなのに、断りの言葉が頭に浮かばなかった。


「じゃ、行こう。送ってくれるって約束だったよね?」

「……うん」


 確かにそうだ。結局、部屋の前までと結論を先延ばしにして彼女の部屋まで。「三階だからこういう時は面倒なんだよね」と、大上さんは内容の割りに何故だか上機嫌で口にしていた。


「じゃあ入って」


 ドアを開いた大上さんに何を言うべきか迷っていたら、結局ずっと繋いだままの手を引っ張られ、驚く程あっさりと俺の体は彼女の部屋の中に引きずり込まれ、そのまま靴を脱いで上がらせてもらった。

 いや、驚く事なんて何一つ無い。これが自分の願望な事は重々分かっていたのだから。そう現実逃避的な思考をしなければ、好きな女の子の部屋という空間に耐えられそうにない。


「上着預かっちゃうね」

「え、あ。ありがとう」

「どういたしまして」


 ニコリと笑う大上さんが、てきぱきと俺の上着をハンガーにかけていく。

 そう言えば、上着を脱いだのに寒くない。スマートリモコンによる操作なのか、既に暖房が効いていて部屋が暖かい。


「コーヒーとココアどっちがいい?」

「……ココアで」

「おっけー。テーブルで待ってて」

「うん」


 大上さんの部屋は、確かに可愛い女の子の部屋という感じはするのだが、思っていたよりもシンプルで機能性を重視したような印象を受けた。

 ただ、あまりじろじろ見るのは悪いだろうと努めて無心を意識――矛盾しているが――し、大上さんを待った。随分と長く感じたが、時計を見ると彼女は割とすぐにマグカップを二つ持って戻って来て、そして――


「なんで隣?」

「この方があったかくない?」


 テーブルの向かいではなく、何故か俺の隣へ。

 肩が触れ合い、上着を脱いだせいもあって確かに温かさを感じる。ただ、暖房が効いているのだからその必要は感じない。


「ココア冷めちゃうよ?」

「あ、うん」


 言葉を返せなかった俺に対して楽しそうに笑い、大上さんは自分の前のマグカップに手を伸ばし、少しだけ唇を突き出してふうふうとココアを冷ましている。

 火傷する程ではないが少し熱いココアを口に含み、飲み下す。そんな様子は大上さんにずっと見られていたようで、「どう?」と彼女は首を傾げる。


「おいしいよ」

「良かった」


 そう言って体を少し揺らした大上さんの腕が、俺の腕にぴたりとくっつく。肩が触れ合うよりも近い距離だ。


「そ、そう言えば。さっきの話の続き。聞かせてよ」

「えー? 何の事?」


 くすりと、からかうような笑みを浮かべた大上さんが、そのまま俺の手を握る。思わずびくりと反応してしまった俺に、彼女はまたくすりと、少し妖しく笑う。


「冗談だよ。『でも』の続きだよね。大丈夫大丈夫」


 そう言って、大上さんは俺に耳打ちするように顔を近付ける。


「ちゃんとした続きとはちょっと違うけど許してね。赤須君は、さっきも言ったけど、何か頼まれても嫌な顔しないでしょ? だから、誰も赤須君が困った顔してるの見た事無いんだよ。今の私以外はね」


 俺の耳をくすぐった大上さんが少し離れて行くので、その表情に目を向ける。妖艶な微笑みがそこにはあった。


「赤須君が嫌がる事はしないつもりだけど、困った顔はみたいなってずっと思ってたんだ。誰も知らない、私だけの赤須君……因みに、嫌?」


 多分、いやきっと、大上さんは俺がどう答えるかなんて知っていたのだろう。頬を染める色は部屋に入るまでよりもずっと濃い。それなのに、浮かぶ微笑みは優しく、包容力を感じるもの。

 だから俺は、彼女の想定通りの答えを返す。


 気が付けば俺の背中はカーペットの上で、満足げな彼女の顔が近付いて来ていた。




「真面目系男子の送りオオカミ」

改め

「真面目系男子と送られオオカミちゃん」


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