case2 「不死身 参」


 不死身の体になって以来、忘れかけていた感情が蘇る。

 この男には勝てる気がしない。何者かを詮索するより、逃げる事を考える。

 「お前、本物の吸血鬼を知っているのか?」

 俺は男に問う。

 「知っているよ」

 即答する男。

 「昔、あの国に住んでいた事があるからね。彼らとは何度も会った」

 そう言って、男は窓の外を見た。

 遠くを見つめているような表情。

 昔の記憶をたどっているのか。

 月明かりだけの薄暗い部屋だが、今の俺の目は昼間と変わらない明るさで見えている。

 男の表情はどこか悲しげだ。

 「彼らにもいい人と悪い人がいてね、君は悪い人に関わっちゃったようだね」

 男の隙をうかがいながら、

 「どういう意味だ?」

 と尋ねる。

 「彼らにはどうしても克服できない弱点がある。その研究のサンプルとして君が選ばれたんだ」


 弱点。サンプル。

 本物は確か太陽の光を浴びると灰になってしまうとか。それを克服するため俺をサンプルに?

 俺はそのために生きているのか・・・・

 関係ない。

 素直な気持ちだ。

 「関係ない」

 声に出して宣言してみた。

 動揺はしなかった。

 「俺は自分の欲望のまま生きる。例えそれが研究サンプルだとしても」

 男はため息をつき、少し困った顔をした。

 「もう少し早く君に出会っていれば間に合ったかもしれない」

 残念だよ、と小さな声で最後につぶやく。


 今だな。

 俺は助走ゼロの状態から全力で駆けた。

 まばたきする間に少女を抱え、割れたガラス窓から外へ飛び出す。

 すぐ外壁を蹴り跳躍の距離を稼ぐ。

 ビルからビルへ。細身だが長身のあの男が、俺のこのスピードについてこれるとは思えない。

 追って来る気配はない。

 人知を超えた俺の五感に反応はない。

 

 電飾の大きな看板のあるビルの屋上。

 昼間のように明るい繁華街。

 目覚めた少女は悲鳴をあげることすら出来なかった。

 屋上の外周に設置された柵の外側。一歩踏み出せば地面に落下する場所に立っていた。正確には、手足を捻じ曲げられた金属製の柵で拘束され、立たされている。

 吹き上げる風に、制服のスカートがなびいていた。

 「なかなかいい景色だろ?」

 俺は乱れた少女の髪を整えながら言った。


 さっさと終わらせよう。


 俺は少女の首筋に顔を近づけた。

 彼女を拘束した柵が不自然に揺れる。同時に、俺の視界の中に人影が映り込む。

 金属製の柵の上に、不死鳥ワタルが立っていた。


 逃げ切れなかったようだ。


 覚悟を決めるしかない。


 俺は柵に手を掛け飛び上がった。男と同じく柵の上に立つ。

 幅数センチの柵の上。地上から数百メートルの高さで、俺と男が向かい合う。

 吹き上げる風に柵が小さく揺れている。

 指先に意識を集中する。爪が一気に伸びて鉤爪と化す。

 疾走。

 柵の上を平地と変わらず翔る。

 ワタルという名の男は無防備のまま立っている。

 俺は鉤爪を振り下ろした。男の顔をスライスしたが、それはただの残像だった。

 もう一度腕を振り上げたが、そこに鉤爪はなく、十の爪が俺の体に突き刺さっていた。引き抜こうとした俺の手より男の方がコンマ数秒速かった。

 男の手にある自身の爪が心臓を貫く。

 もう一本引き抜かれ、それが俺の首をはねる。

 柵の上で倒れ、屋上の地面で転がる体を見ながら、おれの首も転がる。


 勝敗は一瞬で決まった。


 最後に、俺の首が男の姿が見える位置で止まったのが、せめてもの救いだった。

 首から下の喪失感。

 俺の体が灰となって消えていく。


 「ア、リ、ガ、ト・・・・」

 無意識に俺の口から出た言葉。

 男は微笑んで何かを言ったが、声は聞こえなかった。

 男の手が俺の顔に触れる。


 ゆっくりお休み。僕ももうすぐそっちへ行くから


 男の言葉が頭の中で響く。


 やがて目に映る景色は、パズルのピースの様に少しづつ剥がれ落ちて、闇に覆われた。


 ああ。これが”死”というものか。


 このあと、男が何をしたか、少女がどうなったか、俺は知らない。

 俺は灰となり、吹き上げる風と共に四散した。


 あとは君に任せるよ。


 最後の瞬間は、とても穏やかな気分だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イ・マ・ヲ・イ・キ・ル 九里須 大 @madara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ