第42話 礼をもって礼に応える(7)
実菜穂は夢を見ていた。小さい子供となって、みなもと一緒に川辺で遊んでいた。実菜穂はやがてお母さんに呼ばれる。帰る時間だと告げられる。実菜穂は、みなもに「またね」と言う。みなもは笑っている。実菜穂も笑って別れた。実菜穂を見送り、みなもは一人たたずむ。そして、静かに涙を流す・・・・・・
実菜穂は目が覚めた。自分の頬が濡れているのに気付いた。
ホテルの朝食を実菜穂はモリモリ食べていた。考えてみたら、昨夜はあまりにも疲れていたので、シャワーを浴びてからそのまま眠りについてしまったのだ。お腹が今頃になって、グーグー鳴いていた。
このホテルはパンが美味しいのが嬉しかった。バイキングで助かったと思いながら、ふと、このパンもみなもは、どんな顔をして食べるのかな、ご飯の方が好きなのかな?などと想像して笑った。
(陽向ちゃんと神社巡りで来ても良いかも。秋人もいれば楽しいかな。みなもといれば、色々な神様に会えるんじゃないかな)
実菜穂は、ワクワクしながら紅茶を飲んで、目の前でみなもが美味しそうに食べている姿を思い浮かべていた。とにかくお腹が膨れれば何とかなる。何故かそんな気分になっていた。
実菜穂は、アサナミの神社を見て感嘆のため息をつく。まさに偉大な世界である。その社の姿は、太古神のイサナミノアサナミを祀るに相応しい構えであった。大きさだけではない。歴史を感じるその姿に実菜穂は、しばし呆然とした。水波野菜乃女神の社もその風格に驚いたが、この場はそれを更に大きく包むような存在感があった。
きっと、多くの神や人がこの場を訪れたであろう。考えてもみれば、実菜穂自身が神様を見ているのである。今この場にも多くの神がいるのかもしれない。そう思うと、どことなく楽しくなってきた。みなもは、ここで御霊を授かったのだ。もう、何百年も前にみなもが、ここで生まれたのだ。実菜穂は、太古神の社に入る前に少し考えた。
(水波野菜乃女神は、なぜ自分を母のもとに送り出したのか。答えを考えれば、一つしかない)
実菜穂は、社に足を踏み入れた。外の空気から一変したことを感じた。水波野菜乃女神の社で感じた空気とは、また違っていた。冷涼で静粛であった水波野菜乃女神の社に対して、ここは大らかで、包み込むような雰囲気の中に厳しい空気があった。ただ、その厳しさは、押さえつけや萎縮させるものではなく、導くための厳しさ。いうなれば母という温かさによる厳しさであった。この中にいれば、全て守られているという懐の深さと安心感が至る所に漂っていた。きっと、多くの傷ついた神々がアサナミのもとに来るのではないかと実菜穂は想像しながら参道の外側の玉砂利を歩いた。歩きながらもまた昨日のことを思い出していた。
(水波野菜乃女神は、アサナミの涙から生まれたのだ。みなもが流した悲しみの涙は冷たかった。でも、水波野菜乃女神は冷涼な空気ではあるが、それは心や態度が冷たいのではなく、冷静であることの冷たさである。もし、あの瞳に吸い寄せられていたらどうなっていたのか?正直分からない。ただ、みなもの記憶を残したいという思いは、何者にも触らせる気は無かったと言える。おそらく、陽向が言いたかったことが、このことではなかろうか。ならば、私を送り出だす気になったのは・・・・・・)
考えを巡らすうちに、いつの間にか拝殿までたどり着いていた。改めて周りを見渡し、その雄大さに実菜穂は心を打たれた。
(広い!そして深い。これが太古の神の懐なのか。みなもはここで御霊を授かった。そして、今度は返そうとしている。私はみなもと一緒にいたい。これからもずっと・・・・・・。陽向ちゃん、やっぱり私、伝えたい)
実菜穂は、まっすぐ拝殿に顔を向けると、礼を尽くして思いの全てを伝えた。アサナミという太古神への敬意。水波野菜乃女神を生みだし、この地に多くの恵みを授けたこと。そして、みなもに御霊を授け、迎えられる地へ送り出したこと。そのみなもに多くの恩を受けたこと。実菜穂は、自分の心にあった最後の思いを伝えると、深く礼をした。
(全部、伝えた。礼を持って、礼を伝えた。みなも、ありがとう)
実菜穂が参道の方に向きを変える瞬間、何かが心の中を撫でる感じがした。頑なに蓋をしていた隙間は、いとも簡単に開けられてしまった。実菜穂の動きは止まった。僅かに空いた心の隙間からは、水が溢れてくる感覚があった。実菜穂の意識は、次第に薄れていった・・・・・・
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