第40話 礼をもって礼に応える(5)
実菜穂は少しだけ状況が飲み込めて呟いた。意を決し、一歩踏み出して鳥居をくぐる。一歩踏み込んだとたん、空気が変わった。清められ、澄みきった空気。静粛と包容、そしてピーンと張りつめる清涼感。明らかに外の空気と違っていた。この空気は、みなもからも何度か受けた経験はあるが、少し異なる感じがした。表現すれば、みなもで感じた空気より厚く、厳粛でどことなく壁があるようだった。
(やっぱり‼)
実菜穂は確信した。水波野菜乃女神がここに存在していることをこの空気は示していた。参道の端を通り、随神門でも1礼して通った。
みなもに出会えたことで、自分が救われたこと。みなもが地域に多くの恵みを与えてくれたこと。なにより、水波野菜乃女神をみなもだけでなく自分も尊敬していること。感じたこと思ったこと、全てに感謝を込めて述べた。どれくらい時間がたったか分からなかったが、全て伝えることができた。
静かに1礼すると、実菜穂は参道へと向きを変えた。目は随神門に自然と向く、その瞬間、実菜穂の背筋に冷たいものが走った。そこには、白き着物に瑠璃紺の帯と天色の羽衣を纏った女が立っていた。大きな桜の髪飾りが目を引いた。
(みなも・・・・・・いや、違う)
まだ、遠くではあったが、その姿はハッキリとしていた。女の姿は見た目はみなものようであったが、みなもがもう一回りぐんと成長した感じと言うのがピッタリだった。更に、この場からでも受け取る雰囲気は、みなもとは全く違っていた。みなもが、マリンブルーのような澄みきって明るく、どこか幼さが残る柔らかい雰囲気なのに対して、女は地下深くからわき上がってきた水のように深みのある青色で冷涼、一切の混じりけがなく清廉で厳格でありながら、どこか抱擁されたような温かみがある雰囲気であった。実菜穂は、雰囲気の違いを感じると同時に、自分がいまどんな状況なのか理解した。
(全て支配されている)
直感であった。実際いま、実菜穂自身、女が何者であるかは分かっていた。だけど、分かっていながら答えを出すことをグッと押さえつけられているのだ。声に出すこと頭で考えること、全てを押さえつけられていた。喉元を締められている感じであった。実菜穂が1歩進めば、女も1歩近づく。
実菜穂は参道の端を女は正中を進み寄ってきた。女の群青色の瞳が実菜穂を捉えている。実菜穂はその瞳に抗うことはできず、惹かれていった。近づくにつれ、実菜穂は衣服が一枚一枚脱がされている感覚がした。そして、目前に迫ったときには生まれたままの姿で立っているように感じた。もちろん、そのような姿にはなっていないが、この女の瞳は実菜穂の全てを見通していることは間違いなかった。
しかし、ことはこれだけではなく、さらに続く。今度は実菜穂の中に確実に入ってきた。みなもと神霊同体なったときと同じ感覚だった。乾ききった身体と心に水が染み込む感じ。実際、のどの渇きは癒されていった。緊張も不安も全てが抱擁されて無くなる感じ。ただみなもと違うのは『重い』と感じたことだった。もう一つ、実菜穂の心にはこの時、少し隙間のようなものがあることに自分でも気がついた。水がそこに届く前に、自分の意志なのかそれとも違うものか分からなかったが、ガッチリと蓋で閉じてしまった。水はそこだけを残し、全てを包み込んでしまった。実菜穂は抗うことができないまま、女がすれ違おうとするまさにその瞬間、群青色の瞳で実菜穂を捉えたまま、声をかけてきた。
「何か?」
澄みきった、ハッキリとしてそれでいて柔らかい声だった。
「なにも・・・・・・」
実菜穂は、女の瞳に惹かれたまま、このまま何もかも投げ出して寄りかかってしまいたくなったが、何とか一言返すことができた。
女は微笑むとそのまま顔を本殿の方に向けて、進んでいった。実菜穂は、女の瞳から解放され、すっと身体が自由になるのを感じると、すぐさま後ろを振り向いたがそこに女の姿は無かった。今まで押さえられていたものが無くなると今度は、訳も分からず身体が震えだした。実菜穂は自分の両手で肩を抱きしめて、震える身体を必死で止めた。
(間違いない・・・・・・あれは、みなもの姉様。水波野菜乃女神だ)
やっと、答えが出せた。心が落ち着いた頃に身体の震えは治まった。
この瞬間から、実菜穂は自分が生まれ変わったような清々しさを感じていた。
(そうだ、ここは参道(産道)なのだ。いま、その話を思い出した。鳥居は女性を象徴したもの。ここを出るときは、新たに生まれ変わることを意味する。なら、さっきの生まれたままの姿になった感覚は、水波野菜乃女神が私を送り出したということ。アサナミのもとに行く私を。陽向ちゃんの震えもこれで理解できた)
実菜穂は、鳥居を出ると、振り返り一礼をした。
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