第6話 陽向の瞳(4)

 実菜穂は帰ると早速、神話の本を開けて、アサナミの神の話を探した。陽向が話していたところはすぐに見つかった。わりと有名な話らしい。先ほどの陽向の話しに付け加えると、次のようになる。


 火の神であった子を生むときに大火傷を負ったユウナミの姿は醜く焼けただれ、腐敗臭を漂わせていた。ユウナミをあがめていた人々はその醜く変わり果てた姿と悪臭のためユウナミを放り出して逃げ出してしまった。また、ユウナミを死の淵に追いやった子である火の神は、親殺しの罪を他の神々から負わされようとしていた。      

 アサナミはユウナミから子を助けてやってほしいと頼まれる。苦しみもがきながらも、子を思うユウナミの姿にアサナミは妹と子供を助ける決意をする。アサナミは火の神が他の神々に見つからないように懐に隠して、泉を掘り続けたのである。泉ができると、その水でユウナミの体を冷やした。アサナミと水波野菜乃女神の懸命な看護により、ユウナミの傷は癒え、姿も美しい女神に戻った。ユウナミが死の淵から戻ったことにより、火の神の罪は消えた。やがて、アサナミとユウナミは神と人の御霊みたまを預かるという役目を与えられる。このとき、ユウナミは人に対して強い憤りがあったことから、人の御霊を預かる役目を自ら引き受ける。アサナミは神の御霊を預かる役目を受ける。こうして、ユウナミは人の死を司る神になったという。

 実菜穂は、この話が気に入って何度も読み返した。他の話しも次々と読み進めて気がつけば1冊を一気読みしていた。


(神話って、なんか不思議だな。まるで人と同じ)


 遊びに来たみなもに気付いたときには、2冊目の本に手をつけようとしていた。実菜穂が今日のおやつだったエクレアを差し出すと、みなもは目を輝かせた。


「一緒に食べよう」

「すまぬな。ご馳走になるぞ」


 みなもはニコニコしてエクレアを眺めた。


 実菜穂は、みなもに本で読んだアサナミとユウナミの話をした。話を聞きながらみなもはエクレアを頬張って何とも幸せそうな顔をしていた。


「みなも、アサナミの神はお母さんなんでしょ。お姉さんはこのときに生まれたんだ。みなももやがて生まれる。そしてここにいる。なんかすごいよね」


 実菜穂は感激してみなもに抱きついた。


「どうした?何をお主はそう興奮しとるのだ」

「何か分からないけど、みなもを見たら太古の神話から繋がっていることにワクワクしてしまって。不思議だなと」  

「そのようなものかのう。確かにさは、太古神たいこしんの中でも信頼が厚い。生の神、神の御霊を預かる神、豊穣の神、海洋の神とも言われとるでな。姉さは、水の神、泉の神、治癒の神とも言われとる。だが、ユウナミはちと違うかのう」

「違うの?」

「お主のその本の話では、足りぬ部分がある」

「えっ、なに?すごく聞きたい。お願い、みなも、教えて」


 みなもは実菜穂が入れた紅茶を少し飲んだ。

「この茶は美味じゃのう。香りも悪うない。儂は好きじゃ」

「あ、気に入ってもらえて何より。このお菓子に合うかなあって思って」

 実菜穂は少し拍子抜けして、みなもを見た。みなもはカップを置くと、実菜穂の目を見つめた。その目は透き通るような青い光を放ち、少し悲しげであった。

「お主、『人は二度死ぬ』という言葉を聞いたことがあるか」


 実菜穂はみなもの鋭く響く声に戸惑った。


「えーと、うん。なんか聞いたことがある。そうだ、おじいちゃんの法要のときに説法で聞いたよ。確か、人は肉体が死んだときにまず一度目の死を迎える。そして、残された者の記憶から消えたとき二度目の死を迎えるって言ってたような」


 実菜穂は一言、一言思い出しながら答えた。みなもは、それを静かに聞いていた。


「実菜穂、その言葉はな……誠のことじゃ。人は一度目の死を迎えたとき、その御霊は体を離れ自由になる。そのままユウナミのもとへ行く者もあろう。また、愛する者、愛する場所に行く者もおる。じゃがな、それは残された者が己を思ってくれておるからじゃ。人の思いがある間は、御霊は自由なのじゃ。じゃが、残された者から己の思いがなくなったとき、人は二度目の死を迎える。そうなるとその者の御霊はもう行き場所が無くなるのじゃ。孤独となり、さまよい、ボロボロに傷つき、最後に救いを求めてユウナミのもとに行くのじゃ。ユウナミはその傷ついた御霊を迎え入れる。そして門を閉じる。その御霊は二度と人の世界に戻ることはない」


 みなもは、紅茶を一口ゆっくりと飲んだ。


「みなも、ユウナミは人を怒っていないってこと?」


「怒っているというのは、少し違うかのう。実菜穂、考えてもみよ、自分を死の淵まで追いやった我が子を苦しみながらも、助けてくれるよう母さに頼んだのじゃ。そのような神が、醜くなった自分の姿に恐れ逃げ出した人への怒りだけで、人の死を司ることはせぬ。ユウナミは死のほかにも絆、慈愛、母性の神でもある。一日の終わりを迎える夕と同じように人の死を受け入れ、朝の生に繋げる神。それがユウナミじゃ。じゃが、人に失望しているのもまた誠のこと。それ故、ユウナミは見ておるのじゃ、人というものを。共に歩めるかということを」


「共に歩む?」


「そうじゃ。ここは八百万やおよろずの神の地じゃ。太古より、多くの神が人と共に生きてきた。人には神にはない多くのさががある。それ故、衝突することもあった。それで人に失望した神も多くおる。なかには人嫌いな神もおるでな」

「じゃあ、もしユウナミが本当に人に絶望したら」

「分からぬな。まあ、そのようなこと考えても仕方あるまい」


 みなもは、フッとほほ笑むと紅茶を飲んだ。実菜穂は時計を見た。


(やばい、9時をとっくに過ぎていた。宿題もまだ終わってない。午前様になる前には片付けねば)

「ねえ、みなもお願いがあるの」

「何じゃ?」

「今日は遅いから無理だけど、また、話し聞きたいんだけど」

「じゃあ、次はおはぎを頼む」

「かしこまりました」

 実菜穂はそう言って笑った。みなも笑って姿を消した。澄み切った空気が実菜穂の前を横切った。

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