第5話 陽向の瞳(3)

 実菜穂は陽向に頭を下げていた。


「陽向ちゃん。昨日はごめんなさい。私が変に言葉受けちゃって、きつく言っちゃった」


 陽向は、いつもの笑顔で気にしてないとばかりに首を振った。


「全然、何とも思ってないよ。私の言い方も変だったから、誤解して当然だよ。でも、実菜穂ちゃんは、私の言うこと素直に信じてくれたんだ」

「うん。おかしいとは思わなかったよ。『みなも』に直接聞けばいいと思ったし」

「『みなも』?あの子みなもっていうの?」


 陽向は、思い当たる名前があるか考え込んだ。


「あっ、みなもは私が勝手にそう呼んでるの。本当は水波野菜乃女神妹が名前なんだけど知ってる?」


 実菜穂の言葉に陽向はウンウンと頷いた。


「水の神様ね。水波野菜乃女神は雨を恵み、作物の成長や水路を守り、水難を祓う神様。美しく舞い、見る者の心に安らぎを与える女神。その姿の美しさは多くの神様の中でも抜き出てると言われているの」

「分かる。みなもすごく綺麗に舞うの。ほんとこれがね。見とれたよー」


 実菜穂は、桜の下のみなもの姿を思い出していた。確かにあの舞を見たとたん心が静かになった。不安も辛さも忘れて見とれていた。


「えー!羨ましい。実菜穂ちゃんすごいよ。神様の舞を見るなんて」


 陽向の声が響いた。みんなが一斉に注目する。実菜穂は、視線に苦笑いすると陽向に耳打ちした。


「陽向ちゃん、声大きいよ。私、みなもが神様だなんて、今まで全然知らなかったんだから」


 実菜穂がそう言うのと同時に始業のチャイムが鳴った。陽向は放課後図書室で話そうと持ちかけた。実菜穂は頷いた。知らない間に二人だけの秘密ができてしまった。自分とは縁遠い感じがしていた陽向とこうも仲良くなるとは、つい2週間前には想像もつかなかった。  


 放課後の図書館は、ほとんど貸し切り状態である。図書委員は隔週1回当番が回ってくる。この日は陽向が当番であるが、帰ってもやることがない実菜穂は手伝うつもりで一緒に残っていた。


「陽向ちゃんは、神職に就くの?」

「うーん、正直、まだわかんない」


 陽向は、ゆっくり首を傾げて笑った。陽向の笑顔は、いつものんびりとした可愛さがある。名前の通り、温かさと明るさに心も和んでしまう魅力があった。


「ねえ、知ってる?日御乃光乃神と水波野菜乃女神は近い間柄なんだよ」

「えっ、そうなの!」


 陽向の話では、水波野菜乃女神の母はイサナミノアサナミ、日御乃光乃神の母はイサナミノユウナミという姉妹の神様である。姉がアサナミ、妹がユウナミというわけである。ユウナミが日御乃光乃神を生むときに、火の神であることから大火傷をおった。死の淵をさまよう妹を助けるには、傷を癒すための大量の清き泉の水が必要であった。アサナミは手でその泉を掘らなければならなかった。何日も何日も硬い土を素手で掘るため、手は傷つき、痛みと疲労からアサナミは涙を流した。それでもアサナミは妹を助けるため掘り続けた。その涙が呼び水となり、水が湧き上がりやがて大きな泉を作った。そのときの涙から生まれたのが水波野菜乃女神である。


「つまり、日御乃光乃神と水波野菜乃女神はイトコってこと?」

「そう、面白いでしょ。実はこの話は少し端折ってるんだ」

「えー、気になる。聞きたいよ」  


 実菜穂が身を乗り出して聞こうとしたとき、陽向は先生に呼び出されてしまった。図書室の利用時間が終わったので、閉める準備をするようだ。陽向に先に帰るように言われたのだが、自分も図書委員であることを思いだした。もともと、本が読みたくて委員になったのだ。役得とばかり、実菜穂は神話の本を探した。ギリシャやローマ神話は数が多いが、日本の神話は2冊しかなかった。もちろんこの2冊は実菜穂の手にあった。あと、古典を1冊持ち出し、貸出の手続きを済ませると帰った。

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