第4話 陽向の瞳(2)
玄関にみなもがいるのが見えた。実菜穂は、みなもが振る腕を素早く絡ませ「ただいまあ」と叫ぶと同時に、みなもを抱えて自分の部屋に駆け込んだ。みなもは、引かれるまま部屋に押し込まれた。
「どうしたんじゃ、何か慌てておるようじゃが」
まだ息が整わない実菜穂を眺めて、みなもが言った。実菜穂は言葉を発するため、必死で深呼吸をした。学校から家までダッシュした結果、体力の衰えを痛感した。改めて水泳を再開するべきだなと頭で呟いた。だがこれは、みなもへの質問からの現実逃避であり、息が整う頃には、なんとか考えがまとまった。実菜穂はみなもの反応が怖いなと思いながらも
「みなもは神様なの?」
「そうじゃ」
みなもは、何を今更といった表情であっさりと答えた。
「お主、それを聞くために血相変えて走って帰ってきたのか?」
実菜穂は、みなもの指摘に何も言うことができず、完敗の表情で頷いた。みなもは、軽くため息をつくと優しく笑みを浮かべて実菜穂を見た。
「お主、憶えておらんかったのかのう。まだ、これくらいに小さき頃かの。何度も言っておったのじゃが」
(ごめんなさい。全く記憶にございません)
実菜穂は深く頭を下げるだけだった。
「儂の名は
みなもの話では、水波野菜乃女神は姉になる。姉の母はイサミノアサナミという太古の神だという。多くの神は分霊をすれば同じ神として増えていくことになる。だけど、水波野菜乃女神は分霊になればその妹が生まれてくるというのだ。なので、みなもの他にも同じように妹となった神は沢山いて池や川や水路に祀られている。
「みなもって水波野菜乃女神妹が名前なの?私ずっと『みなも』って呼んでた!?」
実菜穂は、今更ながら本当の名を知って驚いた。
「あぁぁ、儂は何度も名乗ったんじゃがの。お主があまりに小さくて『み・な・も』としか憶えられなかったんじゃろう。そのうち、馴れたでな。そのままじゃ」
(えっ、私、神様の名前変えちゃったの。それって、まずいよね)
実菜穂は深々と頭を下げた。
「ごめんなさい!私、勝手に名前変えちゃった。水波野菜乃女神妹様。もしかして、怒ってますか?」
実菜穂は恐る恐る頭を上げた。今更ながら神という響きが怖くなっていた。みなもはきょとんとして、目を大きくして実菜穂を見ている。どのような表情をしていても、みなもは可愛いなと思いながらも緊張が止まらなかった。
「なぜ、儂が怒るのじゃ?儂と同じ妹は沢山おる。川に池に湖に山に多くおる。みな同じ名じゃ。儂もそのうちの一つ。だから、お主がくれたこの名前、響きも悪うはない。儂は好きじゃ」
みなもは笑っていた。本当に嬉しい気持ちがありありと
(よかった……)
実菜穂は改めてみなもの優しさを感じていた。
「みなもは、陽向ちゃんを知ってる?」
「儂のこと話しておった者であろう。知っておるぞ。
(心に引っかかっていたことは合点がいった。みなもは陽向ちゃんを見ていた。じゃあ、あのとき私に陽向ちゃんが敵わないって言ったのは、意味があったのかな)
実菜穂はがぜん、みなもの存在に興味が湧いてきた。今まで思い出の中の友達であったみなもが、今は神様として目の前にいてくれる。不思議だけど、もう怖いと思わなかった。今は、みなもといるといつも感じたあのワクワク感が心から溢れてくるのだ。
(これは夢じゃない。なんだろうこの感じ、心が躍る感じ)
実菜穂の顔から笑いがこみ上げてきた。
「みなものそのジャージ姿は、ひょっとして陽向ちゃんを見て真似たの?」
実菜穂の問いに、みなもはしばらく考えていた。
「あの陽向という者が、この格好でいろいろ動きまわっていたからな」
「みなもは、どんな格好も真似られるの?」
「できるが、好みもあるでな。これは色が好きじゃ。水の色じゃ」
(なるほど、さすが水の神様だ)
実菜穂は、みなもの些細な一言一言に感心してしまった。次々と聞きたいことが湧いてくるが、自分でもなにから聞いていいのか分からなくなっていた。
「陽向ちゃんは、みなもを見たと言ってたよ。陽向ちゃんにも見えるんだね」
「陽向は、巫女じゃ。しかもかなり力も強い。火の神の声も聞こえろう」
「陽向ちゃんも声を聞いたって言っていた。でも、一度も姿は見ていないって」
「あの火の神は人を恐れておる。そのうえ恥ずかしがり屋ときているから、人にはなかなか姿を現さぬ。それでも声を聞くことができるのは陽向の力もあろうが、それ以上に信頼されておるのであろう」
(陽向ちゃん、やっぱりすごいんだ)
「姿を隠すのは、どうすればできるの?」
「心を閉ざせば人からは見えなくなる。人との心の繋がりを閉ざせば姿も声も消すことになる」
みなもの話では、心を閉ざす具合によって、姿だの声だのを消すことになると言う。人との繋がりを完全に閉ざすわけではないので、人の姿や声は神からは分かるらしい。これは、なんとも不思議でならない。実菜穂は感激するばかりだった。
実菜穂は、頭の中で足し算引き算を指を折りながら必死で計算していた。
「何を悩んでおるのじゃ」
みなもは実菜穂の一人考え込む姿を覗き込んだ。
「みなも~。わかんないんだけど。陽向ちゃんは、強い力があるからみなもが見えるとしたら、私はなぜみなもが見えるの?話しもできるんだろう?」
「儂はそれほど人を遠ざけてはおらぬでな、陽向は儂を見ることはできるじゃろう。お主は、初めから見えておったようじゃ。こーんなに小さいときから」
みなもは笑って、
(答えになってないなあ。でも、確かにみなもとは普通に話してたなあ)
実菜穂は、ぷくっと膨れながらみなもを覗き込んだ。
「私、みなものこと、なあんにも知らないよ。何だか寂しいな」
「そうかあ。人には話すことなどないからのう」
みなもは実菜穂を見ると、笑って語り出した。みなもの話では、今から600年ほど前に、姉から分霊されて実菜穂が住んでいた田舎の川辺に祀られたとのこと。同じ頃に陽向ちゃんの神社が
みなもは、すごく
(みなもだって、綺麗なのに……その姉さの美しさは想像がつかないな)
「儂は姉さの前では、口も利けぬほどじゃ。儂は姉さであり、姉さは儂だから全てお見通しなのじゃな」
みなもは、笑って言った。実菜穂がその笑顔が何となく寂しく見えたのは、きっと間違いではなかったのだろう。
「ねえ。みなもの姿を見ることができた人は私や陽向ちゃんの他にもいたの?」
「おったなあ。一人な。おったよ。遠い昔じゃなあ。儂の声を人に届けてくれた」
みなもは静かに目を閉じて呟いた。そのときのみなもの姿は少し小さく見えた。
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