第2話 自分を認めよ
実菜穂の足取りは軽かった。(今日はみなもに会える)そう考えるだけで、苦痛な時間はかなり楽なものになっていた。
あの夜公園で泣き尽くした後、みなもに言葉の意味を聞いた。
「空っぽなのが良いって言ったの、みなもなの?」
実菜穂はやっと会話らしい言葉を口にした。
「ああ、そうじゃ。お主は空っぽだと言うたのう。だけど、空っぽなら何でも入るではないか。なぜ、詰め込んでみないのだ。何でも良い。やってみたいこと、興味が少しでもあるもの、気まぐれで偶然見つけたもの。何でもじゃ。そうやって、いろいろなものに出会えば、何かお主が本当に興味を持つことが見つかるのじゃ。やってみて詰まらぬのなら止めてしまえばいい。それはお主に縁がなかったもの。数々の出会いをしないと本物は見つからぬ。その一つ一つがお主を成長させる。必ず心が満たされ
るものが見つかる」
みなもは、実菜穂を優しく抱き寄せて言った。
「のお、この世界は広い。その中で儂らがおる世界は小さなものじゃ。その中で何を悩む。詰まらぬ。お主の時間は無限ではない。なら、悩む時間なぞもったいないぞ。もっと、自分を誉めよ。お主は成長する」
みなもの言葉がこのときは何を伝えたいのか実菜穂にはよく分からなかった。ただ、あえて言えば心の空間になにか沁みこんでくるものがあった。
昨日は、新学期の委員を決める集会があった。ここでみなもの言葉が少し実菜穂を動かした。
(何でも良いのじゃ。少しでも興味あるもの)
実菜穂は図書委員にすぐに立候補した。
(自分から動くことなどいつ以来だろう)
まったく憶えがない。すぐさま同じ委員に立候補した者がいた。陽向である。陽向は
図書委員は男子の候補者がいないため、この二人にあっさり決まった。
実菜穂と陽向は目が合った。陽向はにっこり笑っていたが、実菜穂はそのまま俯いてしまった。
(こんな時、どんな顔をすればいいのだろう?)
気まずい思いがこみ上げた。
そのようなことを思い出しながら、実菜穂は和菓子の店に立ち寄っていた。
買う物は決まっているので時間は掛からなかった。渡された包みを鞄にしまい込み、早足で家路をたどった。
(みなも、喜んでくれるかな)
時計は午後6時を過ぎていた。実菜穂の母は、週に2回ほど近くの公民館で書道教室の講師をしている。田舎にいたときは小さな教室を開いていたが、こっちに来てからは公共のスクールで手伝いをしていたのがきっかけで、今は講師として呼ばれていた。なのでこの日は父が帰る8時までは、実菜穂にとっては一人の時間なのだ。
家に帰ると着替えを済ませ、台所で買ってきた包みを開けた。可愛らしいおはぎが顔をだした。以前に、一度食べて気に入っていたことを朝に思いだして、一日中おはぎを手に入れることばかり考えていた。
(そろそろ、来るかな?来るよね)
待っている間に不安が少しこみ上げてくる。期待と不安が交互に押しては引く。実菜穂は居ても立ってもおれず外に出たると、玄関には女の子が立っていた。みなもだ。その姿を見た実菜穂は思わず声を上げてしまった。着ているのは、ジャージ。一昨日前の着物からのジャージ姿。しかも、淡いブルーは実菜穂の学校指定服である。さらに、衝撃だったのは、みなもの髪がショートになっていたことだ。腰まで延びていたあの髪は、今は肩にも届かないほど短くなっていた。
「待っておったぞ」
みなもは、にこりとして実菜穂を見た。
「ずっと、待っていたの?いつからいたの?」
「そうじゃのう。お主が家に帰ったときからかのう」
「じゃあ、30分以上もここで待っていたの?声かけてくれたらよかったのに」
「お主を呼び出すのも悪う思えて。こうして待っておった」
「気を使わなくていいよ。何か事故でもあったのかと心配したよ。さあ、早く入ろう」
実菜穂は部屋に案内するなり、みなもの顔をじっくりと見た。
「髪が短くなってる。切っちゃったの?」
(ジャージはまだいいとして、髪型の変わり様はすごく気になる)
実菜穂は聞かずにはいられなかった。
「ああ、これかのう。お主に会ったとき、儂のことあまりよく思い出せないようじゃから、お主と遊んだ頃の姿に戻ってみたぞ。これなら、お主も憶えておる儂じゃろう」
みなもは笑いながら実菜穂の肩をたたいた。
「それは、そうだけど。そんな理由で?あんなに綺麗な髪だよ。何かあったの?」
実菜穂は納得いかないという顔だった。
「それだけじゃ。髪などどうにでもなるでな。すぐに伸びる。それに、この方が儂には動きやすいし、楽しいのじゃ」
みなもは笑顔のままだった。
(みなもは、いつも何か不思議なことを言う)
実菜穂は、このときはあまり気には止めなかった。それよりも、改めてみなもを見て可愛いと思った。桜の下で見たみなもは清楚で美しかったが、ジャージ姿のショートヘアのみなもは活発で可愛いという表現が合っていた。
(クラスにもこんな感じの子いないな。いや、陽向ちゃんならみなものこの感じに少し似ているのかな)
実菜穂はなぜか陽向のことが頭に浮んだ。
みなもは、実菜穂が差し出したおはぎを見ると目を輝かせて声を上げた。上品で小振りなおはぎだった。
「おー、おはぎじゃな。思い出すのう。お主のおばば様がよく作ってくれてたなあ。それをお主がいつも持ってきてくれたのう。あれは、儂は好きじゃった。大きくて、甘くて、何よりもお主と食べるのが楽しかった。おばば様の大きなおはぎも良いが、お主が儂のために用意してくれたこの可愛いらしいおはぎもええのう。何より実菜穂の気持ちが儂には嬉しい」
みなもの言葉はけして大げさには聞こえなかった。それは、みなもが心から本当に喜んでいるのが実菜穂に伝わっていたからだ。実菜穂が期待していた以上にみなもは喜んだ。嬉しい、優しい、可愛い笑顔で喜んでいた。そんなみなもを見ていると、実菜穂も幸せになった。
みなもは、小振りなおはぎをさらに竹の菓子楊枝で細かく切り口に運んだ。
「甘もうて、うまいのう。これは幸せなことじゃな」
みなもは満面の笑みで食べた。
「みなもがおはぎ好物だったのを思い出して。でも、大げさだよ」
「儂の本当の気持ちじゃ。実菜穂は儂のこと思ってくれたでの。その気持ち、よく伝わるのじゃ。有難いことじゃ」
みなもは実菜穂を見つめて、また笑った。実菜穂は照れながら自分もおはぎを口にした。
昨日のことをみなもに話した。泣き尽くしたおかげで、夜はぐっすり眠れたこと、川で遊んだ夢を見たこと、少し勇気をだして図書委員に立候補したこと。大した内容ではなかったが、みなもはおもしろそうに聞いた。心から楽しんでいるのが実菜穂にもよく分かった。話すことがなくなると、話題は陽向のことになった。陽向が同じ図書委員であること、性格が明るく成績も良いこと、可愛くてクラスでの受けも良いこと、先生がいつも誉めていること。
「あ~、実菜穂よ、お主が陽向とかいう者のことに興味があるのはよく分かるのじゃが、儂はもっと実菜穂のことを聞きたいの」
みなもが残念そうな顔をして実菜穂を見る。
(あ~、話題がない)
みなもの視線に実菜穂は自分のことを一所懸命考えた。
「私、陽向ちゃんほど明るくないし、面白くないし……」
言葉が詰まる。自分が惨めになり、劣等感がよみがえった。そんな実菜穂を見て、みなもは軽いため息をついた。
「のう、実菜穂、お主は本当にまっすぐな『あほう』よのう」
(あほう……いま、すごいショックっぽい言葉がでたような)
実菜穂は驚いてみなもを見ると、みなもは言葉とは裏腹の優しい目を向けた。
「実菜穂、お主は人の良きところを素直に見つけるという貴重な力を持っておる。その力はいずれお主にとって身を助けるものとなろう」
「みなも、何言ってるのか分からないよ」
実菜穂は、言葉の意味が理解できず、みなもの言葉に戸惑った。みなもは優しく囁いた。
「儂はお主の口から今まで一度も人の悪口というものを聞いたことがない。実菜穂、人は他の人の欠点を見つけるという力には優れておる。これは、人の性じゃ。自分よりも劣るもの、異なるものを見つけるのが得意なのじゃ。じゃが、お主はどうか。人の良きところを見つけながら、己の欠点を見つけてはそれで傷ついておる。誰にでも欠点はあろう。でも、誰にでも良きところがある」
みなもは、実菜穂の手を優しく包んで言葉を続けた。
「実菜穂、そのお主の優れた力の方向を変えて、もう少し自分に向けてはくれまいか。自分の良きところを見つけてくれぬか」
みなもの言葉に実菜穂は戸惑った。
「みなもが言っていることは何だかすごく誉められていて、嬉しいんだけど、陽向ちゃんの方がよく気づく方かなと……」
実菜穂の言葉にみなもは優しい声ながら、強い意志を込めて言った。
「そのようなことはない。なら、儂が言い切っておく。実菜穂のその良き力に陽向は敵わぬぞ」
(みなもは陽向ちゃん知らないのに……)
実菜穂は、みなもの言葉が引っかかりながらも心の中で呟いた。
みなもはさらに言葉を続けた。
「実菜穂は自分に厳しすぎるのじゃ。それでは、あまりにも実菜穂が哀れではないか。人は他の人に認められることが好きなのじゃ。だから、賢明に自分を良く見せようとする。それは、ある意味悪いことではない。しかし、たとえ認められぬとも、決して忘れてはならぬ人がおる。分かるか?」
みなもの問いに実菜穂は分からないと首を振った。みなもは、そっと実菜穂の手を取り、それを実菜穂の胸に置いた。
「実菜穂、お主自身じゃ。己の良き面も悪き面も全て認めて受け入れよ。そして、良き面を誉めよ。実菜穂よ、お主はけして駄目ではないぞ。一つ、一つ成長しておる。ぐっすり眠れたこと、お主の決断で動いたこと。みな、以前の実菜穂には出来なんだこと。少しでも、僅かでも昨日の実菜穂より成長している。それを見つけて、どうか誉めてやってくれ」
(駄目じゃない?成長?そんなこと一度も考えたことなかった。自分は駄目だ。力が足りない。頑張っても無駄。そう思っていたのに)
「実菜穂の良き力、それをもっと自分に使ってもらえぬか」
実菜穂の目から涙が溢れてきた。また泣いてしまった。みなもは、優しく抱きしめていた。
「やれやれ、実菜穂はこうも泣き虫じゃったかのう」
「みなもが変なこと言うから」
「そうかのう……」
実菜穂は玄関を出てみなもを見送った。食べかけのおはぎをみなもはゆっくり味わいたいから持って帰ると言ったので、余った分も渡そうとしたが、みなもは自分の分だけを持ち帰った。
みなもと入れ替わりに、父と母が仲良く一緒に帰ってきたので実菜穂は二人に聞いた。
「いま、友達が帰ったけど、そこで会わなかった?」
「すれ違った人はいなかったわよ」
母が不思議そうに言うと、父と顔を見合わせていた。
みなもが神社の鳥居をくぐる。懐からおはぎを差し出して、優しく語った。
「これはな、儂が大好きで大切な人が儂のために用意してくれたものじゃ。お主にも食べさせたくてのう。一緒に食べようか」
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