みなものみたま 1 ~神の御霊の帰る場所~
水野 文
第1話 再会
1日が24時間、1年が365日と誰が決めたの?
足取りは重く、息苦しい。行き場のない自分。帰っても何もない自分。友達も、やりたいことも話したいことも何もない。
(私は何をしているのだろう?このまま息をして生きていくだけなのだろうか)
「お帰りなさい」
実菜穂の母が元気に声をかける。
「ただいま……」
蚊の鳴くようなか細い返事をすると実菜穂はまっすぐ部屋に入った。鞄を投げ出し、制服のままベッドに体を預ける。
(もう……消えたい)
実菜穂は腕を目に押しつけ、そのまま眠ってしまった。
「実菜穂、起きて」
母の声で目を覚ました。いつの間にか寝ていたようだ。時計を見たら午後6時35分の表示が滲(にじ)んで見えた。泣いていた?起きがけだから?実菜穂は目をこすり起きあがった。制服が重たく感じる。
「あらいやだ。制服のまま寝てたの?明日の朝食のパンをきらしたのよ。買いに行ってちょうだい」
母はそう言うと実菜穂の頭を軽く撫でて部屋を出た。実菜穂は、中学三年の歳にしては素直な子であり、特に嫌がることはなく用件を受けた。外にはあまり出たくないという気持ちはあるが、家族の一人として何かすることは嫌ではなかった。
実菜穂の家は父と母の3人暮らし。6年前にここから車で3時間ほど離れた田舎から越してきた。越す前には父と母そして祖母の4人で暮らしていた。祖母は元気であり、特に周りにも知り合いが多いので、父が仕事の都合でこの街に来ることになっても、一緒に来ることは拒んでいた。
実菜穂が住んでいた田舎に比べてここは賑やかで華やかだった。人が多い分、静かな場所にいた実菜穂には窮屈だった。人に合わせることが苦手な実菜穂には、話題、物欲、おしゃれなどとても興味が追いつくものではなかった。話が合わず、ついていけない実菜穂から友達が離れていくのは、自然なことなのだろう。話したいことがないわけではなかったが、何か心がついて行けない。慌ただしく変わる話題に合わせるのに疲れてしまったのだ。
それでも実菜穂は、得意な水泳で心を満たそうとしていた。ここにくる前は水泳部と地元クラブにも所属していた。きっかけは、幼いときに友達から教えてもらったことだ。得意だった。好きだった。でも、ここではただの泳ぐだけのモノ。自分より速い人ばかり。たちまち自信は打ち砕かれ、楽しい時間は苦痛と無力感で覆われた。それで、今は泳ぐのも止めていた。
(自分はだめなのだ)心はカラカラに乾いて疲れ果てていった。しだいに自分の存在が空しくなっていった。
実菜穂はヘッドフォンをしたまま、近所のスーパーへと足を運んだ。全ての雑音を遮断した。この街は騒がしすぎる。
夕刻過ぎのスーパーには多くの客が押し掛けていた。この時間は、いろんな人が出入りしている。深夜までやっているスーパーだから、人の出入りは激しかった。
うつろな目でスーパーを出る。どこを歩いてもここには人がいて息苦しい。(なぜだろう?)実菜穂は、歩みをゆるめた。足が重く動かなくなった。他の人の目が怖かった。自分は劣っている。何もない。笑えない。次々にわき上がる劣等感と無力感。居場所のない絶望感。何かに追いつめられている脅迫感。どんどん心も頭も空っぽになる。心が壊れそうなくらい空っぽになる。
実菜穂は立ち止まると、後ろからきた通行人は迷惑そうに追い越していく。
(もし、ここで一歩道路へ踏み出せばどうなるかな?何もかも消えるかな。私も消えるかな。私……帰りたい。笑えた時間。待ち遠しかった二人だけの時間。ワクワクした。あの子の笑顔が見たくて心が弾んだ。あの川原だ。会いたい。いまなら何を話せるだろう。いっぱい、いっぱい話したい)
実菜穂の頬は濡れていた。涙が溢れていた足が精一杯、道路に出ないよう踏ん張っていた。
(私、なぜ泣いてるの?何をしているの?)
自分でも分からなかった。でも涙は止まらなかった。
(話すことなんてない。私の心は空っぽ。何もない。なにも)
「帰りたい……」実菜穂は自分を慰めるように呟いた。
(お主、疲れとるのう……しんどかったんじゃのう……)
誰かが自分に話しかけている。いや、ヘッドホフォン当てているから、ほとんど音は聞こえない。これほどはっきり声が聞こえるのなら、相手から叫ばれている。でも周りの人は何事もなかったように歩いている。
(心が空っぽなんじゃと?そのように嘆かなくても良いではないか)
やはり聞こえる。しかもこの聞き覚えのある言葉、声の響き。また涙が溢れてきた。
(なぜ……?)
「空っぽだから良いのじゃ。空っぽだから何でも入るのだ。なぜ、それを楽しまぬのだ」
実菜穂は確かに声のする方に顔を向けた。目の前には女の子が立っていた。背格好は自分と同じ位で、凛として真っ直ぐに立っていた。何よりも驚いたのはその出で立ちだ。隙がなく締った淡い桃色の着物を身に纏い、頭には桜の髪飾りが優美さを引きたてていた。そして整った顔立ち、特に腰まで伸びている黒髪は目を引いた。
(美しい、綺麗……)
コスプレでこのような格好はできない。そのような作られた姿ではなかった。いわば、絵そのままの姿。余計なものがなく、自然に受け入れられるほどの凛々しさと美しさがあった。
実菜穂はその顔を見つめた。いや、心奪われて見とれていた。すぐにその子が誰かは分かった。
「み……み・な・も」
「そうじゃ。儂じゃ」
実菜穂は、みなもの方に近づいた。
「これ、夢?わたし、寝てる?」
「夢ではないぞ。お主はそこの店から出てきとったぞ。ここはちと騒々しいのう」
みなもは、辺りを見渡した。
「お主の家はこの近くか?」
「あっ……うん。5分ほど歩いたところ」
「そうか。なら、ちと案内してくれぬか」
「分かった。いいよ」
実菜穂は何も考えずにすんなり返事した。心が少し軽くなっていく感じがした。足が動く。さっきの足枷がつけられたような感じはなくなっていた。軽くなっていく。
(いまは夢でも妄想でもいい。みなもが自分の前に現れたことが嬉しい。でも、家に着いたらみなもはいなくなるのかな)
実菜穂の歩む速度は自然とゆるんでいった。
「心配せんでもええ。儂はしばらくここにおるからのう」
実菜穂の心を読んだようにみなもは答えた。実菜穂の口元が少しゆるんだ。
(みなもだ。あのときと同じみなもだ。私の心をいつも知ってくれているみなもだ)
「おー、実菜穂、おもしろいところがあるのう。ここに入らぬか」
みなもが見ているのは、小さな公園だ。
「ええのう。こういう所、儂は好きじゃ。子供の遊ぶ声が聞こえるようじゃのう」
無邪気な顔で辺りを見渡した。四月の新学期明け、遅咲きの桜の木が華を散らしていた。みなもは、桜の木の下で華ビラと戯れていた。たんなる戯れがいつの間にか流れるような舞になり、いつしかみなもの舞を華ビラが飾っり彩っていた。
(美しいなあ……みなもは)
その一言しかなかった。実菜穂は、みなもの姿に心を奪われた。幻想的というのか、小説やマンガの場面のような姿。絵になるというのはこういうことなのだろう。
「のう、実菜穂は憶えておるか?一緒に川辺の桜並木歩いたのう。あそこと比べるとちと寂しいが、お主と見るこの桜も悪うはない」
二人はブランコに座っていた。みなもは無邪気に揺られている。前に後ろに、みなもがゆれる度に黒い美しい髪がなびいている。
「みなもは、どうだった?」
何か言いたいけど、話題がなく、でも話たい気持ちが前に出て実菜穂は言葉をかけた。
「儂か?儂は相変わらずのんびりじゃ。お主が去って、寂しかったがな。のんびりじゃ。想像つこう」
確かに想像はつく。実菜穂が知っていた頃のみなもなら想像がつく光景だった。道端の猫や華に話しかけている不思議でのんびりとした姿。でも、今のみなもは違う。
「みなも、すごく綺麗だよ。さっき見たときちょっと分からなかった」
「そうかのう。儂は、あのときのままだと思とるが」
「全然、違うよ。ほんと、綺麗だな。良家のお嬢様のような……ううん、もっと高貴な感じ」
「お主にそう言われると、照れるのう……でも嬉しいぞ」
みなもは、恥ずかしそうに顔を下げた。
「お主は?」
「私は……」
今度は実菜穂が
(私はどうだろう……何もない……苦しいだけ)
言葉が出ないまま実菜穂は深くうなだれると、その頭を優しく撫でるものがあっ
た。
「お主、頑張っておるのう。一生懸命だったのう。本当に一人で必死じゃったのう」
みなもの手が優しく頭を撫でていた。疲れが、緊張が、不安が薄れていく。そして、また涙が溢れてきた。もう、泣かないと思っていたのに涙が止まらない、止められない。
「必死だったんじゃのう」
みなもの言葉に実菜穂は頷いた。顔を上げるとそこには、みなもが外灯を背にして立っており、大きな瞳で実菜穂を見つめていた。
「お主は悪うない。偉いのう」
実菜穂を優しく包み込むように抱きしめた。
「だめだよ。みなも、着物が汚れるよ」
「そんなことはよい。儂はそんなお主が愛おしいぞ」
実菜穂はこらえきれない涙を思いっきり流した。桜が舞散るなか、実菜穂は泣き尽くした。
実菜穂の家の前に二人は立っていた。門の石壁には【田口】の表札が目に入り、門灯に照らされ、泣き尽くした実菜穂の目と鼻は真っ赤になっているのも分かった。。
「ここがお主の家か。優美じゃのう」
みなもは、家を眺めて感激して言った。
「みなも、おかしなこと言うなあ。普通の家だよ」
実菜穂は笑うと、みなも笑みを返した。
「みなもは、どうするの?ここに用事があったの」
「ああ、儂は行くところがあってな。まだ、間がある。それで、しばらくこの辺りにおる馴染みの者のところで世話になっとるでな」
「じゃあ、明日も会えるかな?」
「明日はちと行くところある。明後日でいいかのう。さっき会ったくらいの時間でいいかのう?」
「もちろん。ここ、分かる?」
みなもは笑って頷いた。
突然、玄関が開いた。心配していた実菜穂のお母さんが飛び出してきたのだ。
「声がしたから、心配になって。どうしたの? 目が真っ赤じゃない」
「友達と話してたの」
実菜穂はみなもがいた方を見たが、そこにみなもの姿はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます