歴史と伝統

すでおに

歴史と伝統

 赤道近くに位置するホキリア共和国。国土の65%を熱帯雨林が占め、世界遺産に登録された国立公園を有する自然豊かな国として知られる。オリンピックは夏季大会でのメダルが銀が1(陸上)、銅が3(陸上と水泳)。冬季大会でのメダル獲得はない。

 人口170万の小国に過ぎなかったが、近年はIT立国を目指して国を挙げて教育に努め、GDPがここ5年で2.4倍になるなど経済成長が目覚ましかった。


 経済発展の一方で深刻な社会問題に見舞われていた。多発する交通事故であった。交通事故による死者が一昨年が1700人、昨年は2200人。人口10万人あたりの交通事故死者数は世界一位で、今年は3000人に迫ろうとしていた。昨年の死者のうち4分の1は未成年と、多くの若者が交通事故の犠牲になっていた。


 急激な自動車の普及に運転技術が追い付かない現状もあったが、根本原因は信号だった。ホキリア共和国の信号は『進め』が緑、『止まれ』が深緑。進めが下で止まれが上と上下の区別はあるものの、急いでいる時などは見落としがちで、確認不足を信号の責任に転嫁する者も少なくなかったが、いずれにせよその見分けにくさが事故を誘発しているのは明らかだった。


 信号はそもそもは緑一色から始まった。点灯している時は進め。そこに止まれを加えたものだから混乱を来したわけだが、発展途上国のホキリア共和国はかつては交通量は少なく、問題にならなかった。それが近年の経済成長とともに急速に自動車が普及し、死亡事故の急増を招いたのだった。


 原因がわかっているのだから世界標準である赤と青に改めるべきという声も出てはいたが、そう簡単にことが運ばないことがこの問題をこじらせていた。緑色こそがホキリア共和国のアイデンティティーであった。


「緑に神が宿る」


 古来よりホキリア共和国民は自然に感謝し、自然と共存してきた。緑色は共和国の国色で、上下に色分けされた国旗も下が緑で上が深緑のツートンカラーであった。


 信号を巡って世論が二分した。


 改色派の主張は、守るべきは人命である。人間の命こそ何より尊いものでそれに勝るものはないと。


 対する保守派は、緑こそ我が国の魂であり、歴史と伝統そのもので、一度手放してしまえば取り戻すことは不可能。何にも代えがたいものである。緑の信号を失うことは、国の支柱を切り落とすのと同じであると訴えた。


 議論が白熱する最中に国政選挙が行われた。無論最大の争点は信号の色だった。


 与党の共和党は現行通り緑色の保持を公約に掲げた。

『緑こそ我が誇りである。歴史と伝統を死守せよ』

 支持者も、注意すればすむこと。死ぬのが嫌なら家にこもってろ。と声を荒げた。


 野党の民主党は人命優先、交通安全を訴えた。

『国民あっての国である。人命救済が第一。過去より未来を語ろう』

 支持者は、信号の色ぐらいでなにをいう。頭上には青い空と真っ赤な太陽が浮かんでいるではないかと熱弁を振るった。


 選挙は与党・共和党の勝利に終わった。国民は現行のまま緑二色の信号を支持した。共和党の支持者は歓喜の声をあげた。 


「これで歴史と伝統が守られた」

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