メメント・モリ(2)
オズワルドとルカは予定していた食事を取りやめて、急ぎ王都へ戻った。
トリアングルム・エクスプレスの中でも人々は号外記事の内容で持ちきりだったが、王都の目抜き通りはそれ以上に騒がしくなっていた。
「国境の防衛魔術が破られるなんて」
「ここまでの危機は、二十年以上なかったことだよ」
「メセチナ・ブランシュは、偉大な魔術師だと持て囃されていたものだがね」
「王都も安全ではないのかしら。国境とは随分離れているけれど……」
「ウィステリア様はお可哀想に」
「警戒しようにも、相手が魔術師ではどうしたらよいものか」
「こんな時の為に王都には軍警察がいるんだろう。彼らは何をしているのかね」
耳に入ってくる話し声に、オズワルはあまり良い印象を持てなかった。自国の守りについて、彼らの知識のなんと薄いことか。国境の魔術結界は案外脆く、あくまでも敵地からの侵入を知らせるシステムとして使われているということも知らないようだ。
おまけに、そこで戦っている魔術師を身を案じる声は一つも届いてこない。王都に住む大多数の人間には、魔術師達が中心となっている戦争は遠いものであるらしい。
「ルカ!」
オズワルドの家を目指して歩いていると、ルカを見付けた五人の男女が走り寄ってきた。全員が髪や瞳の色に珍しい色素を持っているので、見た目だけで魔術師なのだとオズワルドにも分かる。ルカが今日休んだ、女王の教室に通っている連中だ。
「私達、これからアデルのお見舞いに行くの」
「アデルの? 王都にいるのか?」
「ああ。現地での治癒魔法は実力者と重症者を優先したから、軽傷の若い魔術師は故郷で治療を受けるそうだ。君も一緒に行くか?」
問われると、ルカは真剣な目でオズワルドを見上げた。
「アデルは教室で共に学んでいた独創者で、最近国境の町へ行ったばかりだったんだ」
「行って来いよ。メセチナがどうなったのかも、現地にいた奴に話が聞けるならそっちの方が確実だろう」
号外を読んでから、ルカはメセチナの身を心配している。だが無事であるかを知る確実な手段は無い。それで一か八か、城へ電話をしてみようと家へ向かっていたのだった。
「一緒に考えていてくれたのに、済まない。後で家に寄るよ」
五人と共に見舞いに行くことにしたルカと、オズワルドは街中で別れた。
工房にある魔力を通した電話はウィステリアの方からかかってくるものなので、こちらからかけた電話に彼女が応答するのかは不確かだ。オズワルドは呼び立てに合わせて城に赴いているだけなので、こちらからは今までかけようと思ったことすらない。
ウィステリアが不在であった場合、誰かが電話に応じて取り次いでくれる可能性は低い。だからさっき誘われた見舞いの方が、ルカの望む話を聞ける確率は高い筈だ。
アデルとやらの具合が悪くて話を聞けなかった場合には、こちらの持つ手段を試してみてもいいだろう。そう考えながら、オズワルドは自身の家へと帰宅した。
「オ帰リナサイマセ、オズワルド」
「やあ。俺の留守中は何もなかったか、エスピエーグル」
玄関扉を開ければ、自身と同じ背丈ほどの機械人形が出迎える。
現在マグヌスの使用している四番目の義肢と同様に、この機械人形も四号機。三度の改良を重ねた力作だ。すらりとした無駄のない肢体は、歩行も滑らかで人間のものに近い。
会話も円滑になった機械人形を四号と呼ぶのも味気ないので、オズワルドは名前を付けた。未だ不安定な動作にすら感じる愛着を込めて
「ゴ報告。オ客様ガ、アリマシタ。マグヌス様ガ、オ部屋デ、オ待チデス」
「マ……? いや、嘘だろ。誤作動か?」
城から堂々とは出られない存在であるマグヌスが、ここに来る筈がない。
エスピエーグルの誤った報告を確かめようと、工房にしている部屋の扉を開く。
しかし中には、本当に黒のサイハイブーツに黒いマントという出で立ちの魔女と、相棒の黒い犬が待っていた。ルカがよく座っている木製の椅子に偉そうに腰掛けているマグヌスが、オズワルドの姿を見るなり不機嫌な面持ちで怒鳴りつけてくる。
「遅いぞ! 斯様な居心地の悪い部屋で師を待たせるとは何様じゃ、リゲルが寛げるソファも無いではないか!」
「知るかよ! お前が勝手に不法侵入してるんだろうが!」
怒鳴り返してやった。許可も取らずに人の魔術拠点に入り込んでいる奴を、師だなどと認めたくない気持ちでいっぱいだ。
苛立ちながら、乱暴に部屋の扉を閉める。
「この家の術式を潜る許可は、メセチナとその弟子以外には下りていない筈だ。どうやって入った?」
この家に張られた術式は、義肢製作を隠蔽する為の精密なものだ。政府機関の上層部にいる独創者が三人がかりで考案したもので、招かれざる者はこの家を気にかけることもなく通り過ぎ、扉を叩くことも不可能になる。土地の精霊の力を借りて何とか隙間なく繋げている、国境の厚みのない結界とは出来が違うのだ。
「少々女王陛下に無理を言ってな。術式の変更をしていただいたのじゃ」
「何の為に?」
「お主、国境で一悶着あったのは知っておろうな?」
「号外なら目を通した」
「あれのせいで、メセチナが予定よりも早く任を解かれることとなった。儂にとっては僥倖たる知らせじゃ。兼ねてより計画しておったスパイ一掃にとりかかるべく、儂らは独創者による新組織を早急に立ち上げようと思うておる」
どうやらメセチナは無事であるようだ。
任期の途中で退けば不名誉な噂が広まりそうではあるが、実情を知ろうともしない奴には言わせておけばいい。ルカならば新たにスパイ排除を目的とした仕事を始める師匠メセチナを、世間の評判などお構いなしに支えるに違いないのだから。
「前から言ってた仕事だな。二人だけでやるのかと思ってたけど、組織にするのか」
「うむ。それで準備の為に、儂はここに住むことにしたという訳じゃ。組織の始動までに、お主は完璧な義肢を用意せよ。儂がこれまで以上に指導をしてやるのでな、古き魔術の真髄を確と学ぶがよいぞ」
「そんなの納得できるか! お前がここに住むだって?」
肩に流れる真っ白な長い髪を優雅に払いつつ宣ったマグヌスに、オズワルドは一気に詰め寄る。
木製の椅子の隣に座るリゲルが険しい顔で向かってきたオズワルドを警戒して、低く唸った。マグヌスは相棒の大きな背中を撫でて落ち着かせる。
「お主の魔術拠点と寝室は一階であるな。儂とリゲルで二階を貰うぞ」
「空き部屋なんかない。二階だって使ってる」
上の階は図面室と実験室にしていて、一番広い部屋は制作半ばで保留にしたガジェットや工房に置ききれない材料を入れておく、物置部屋として使っている。
「一階だけで十分な広さではないか。ここで全てやればよい」
マグヌスが手を翳すと、ドカン、と見覚えのある机が天井をすり抜けてきた。二階で図面を引くのに使っているものが、机上に広げてあった紙もそのままに魔術で転送されたのだ。落ちてきた衝撃で、気に入っていたインク瓶が机から転げ落ちて、割れた。
「他の荷物も動かすなり片付けるなりして、今日中に二階を空けよ」
あまりに一方的なマグヌスの振る舞いに、オズワルドの中で何かが切れた。
城では流石に騒ぎを起こせないと我慢していたが、もう限界だ。少しは痛い目を見ればいいと、目の前の図面机に乗り上げる。手を振り翳せば工房全体に光の帯がバチバチと走り、
「何じゃ、この儂と殺し合いでもするつもりか?」
嘲るマグヌスを目掛けて雷を落とす。食事をし損ねて空腹ではあるが、帰宅したばかりで魔力を増幅させる腕の機械は装着したままなのが功を奏した。想定していた威力は出せただろう。
しかし攻撃は、防御魔術の護りに見事に弾かれた。マグヌスは戦い慣れているようだ。
「手加減をしたな。雷程度で儂を戦かせるとでも思ったか。来るならば全力で来るが良い!」
見えない力に弾かれ、オズワルドは乗り上げていた机上から床へと落とされる。
何とか受け身は取れたので、素早く半身を起こした。だが、これ以上やり合えば工房を破壊してしまうのは目に見えている。オズワルドは攻撃した理由を有耶無耶にする為に、鼻で笑ってみせた。
「よく動くじゃないか。俺はその義肢のどこが不満なのか、知りたかっただけだ。今後の参考にしたくてな」
「ははは! 上手く誤魔化すではないか!」
マグヌスは大袈裟に哄笑した。
だが、オズワルドを見下ろすその目の奥は笑っていない。
「反抗的な弟子へ灸を据える代わりに、助言をするとしよう。例の墓地への訪問は危険と判断した故、もう行ってはならんぞ」
急にまた何を言い出すのだと、オズワルドは不満げに眉をしかめた。改造したヘリオスを面白がって見逃し、魔術の痕跡を消す方法を教えたのはこの魔女であるのに。
「墓地へは真夜中に、少しの時間行ってるだけだ。魔術の痕跡も消せている。俺はあれ以来、誰にも見つかっていない」
「国境の拠点は敵に襲撃されたのじゃ。これまで以上に警戒するに決まっておろう。真夜中の不法侵入など、見つかれば有無を言わさず攻撃されても文句は言えぬ。万が一にも、再びの襲撃に居合わせれば更に厄介、お主はニコラシュ共和国側からすれば裏切り者なのじゃからな。生きていると知られれば、敵の魔術師にも真っ先に命を狙われるであろう」
「そんな事態にはならない。俺はヘリオスで帰って来られるんだからな」
「お主は違法に改造したヘリオスを、人前で堂々と使うというのか? それこそまずい。スパイ暗躍と魔術師誘拐が問題視されている今、疑わしき行動を取るのは探して処刑せよと言っているようなものじゃ。お主の正体と問題ある行動が明るみに出ようものならば、此度の件で評判を落としたメセチナでは庇いきれるかどうか」
マグヌスが言い終わらないうちに、オズワルドの舌打ちが重なる。
「ああそうだな、困るよな。俺が死んだらお前の義肢が完成しない。何から何まで、弟子はお前の言いなりって訳だ!」
ヤケクソになって、手加減無しの雷を落とそうと腕を大きく振り上げた。しかし今度は時を操作されたようで、気付けば右腕はマグヌスに強く掴まれていた。機械の腕は、握力を維持するのに長けている。これでは振り下ろすことが出来ない。
「どうあっても納得せぬようじゃ。あの墓地への訪問は、それほど大事であるか」
「……こんなやり方は、虫唾が走る」
「儂の忠告は、聞き入れられぬと申すのか」
「お前は、ニコラシュ共和国のあいつらと同じだ! 戦争で手柄を立てるために、俺達を力で従わせて利用することしか考えていない。だから虫唾が走ると言っている!」
「なれば仕方があるまい、お主があの墓地へ固執する理由を取り除いてやるわ。メセチナから話は聞いておる。友の死を忘れられぬのは、さぞ苦しかろう」
オズワルドは目を見開く。リュゼのことを知っているマグヌスが何をする気なのか察しがついて、寒くもないのに背筋が震えた。
「やめろ……そんなことをしたら」
マグヌスの指先が頭部に触れた途端、思考に霞がかる。ぐらりと意識が揺らぐ。
「許せよ、我が弟子よ」
「お前を、許さない……」
気力で何とかそれだけ言い残して、オズワルドは気を失った。
マグヌスは支えたオズワルドの頭をゆっくりと傾け、床に横たわらせる。
「……儂は今代の女王陛下のもと、必ずや国の混沌を終わらせてみせる。世の苦しみに足掻く犠牲の子よ。お主の友の記憶は、終戦を迎えた後に必ず返してやろう」
片膝をついた状態からマグヌスが立ち上がると、リゲルが待ち構えていたかのように昏睡中の弟子の匂いを嗅ぎ始めた。
「死んではおらんぞ。美味そうな魔力を蓄えておるので気になるであろうが、此奴を食うてはならぬ」
ぴんと耳を立ててマグヌスの言葉を聞き取ったリゲルは、興味を失ってオズワルドの傍を離れた。
すると直後に、力加減を間違ったのではないかと思える勢いで部屋の扉が開かれた。この家に入った時にも客の対応めいた動きをしていた、見目の良い機械の人形。それが、茶器を乗せたワゴンを慎重に押し進めながら入ってくる。
「報告。オ客様ト、オズワルドニ、オ茶ヲ煎レマシタ。破壊シタカップ数、イチ。自動学習機能ヲ作動シ、失敗ニ基ヅイタ、微細ナ調整ヲ行イマシタ。作業時間ハ前回ヨリモ、二十五秒、短縮サレマシタ」
機械の人形は机の影になっていたオズワルドを見つけると、ワゴンを押すのをやめて静止した。
「オズワルド、来客中ニ機能ヲ停止。コレハ、ハジメテノ、パターンデス。最適ナ行動ヲ導ク情報、該当ナシ。オズワルドへノ質問、現在不可能ト判断。後程確認ノ必要性アリ、メモリニ状況ヲ、記憶シマス」
よく話す人形だ。マグヌスは義肢の合間に作ったとは思えない機能に関心した。
「たかが人形と思うておったが、なかなかのものではないか。人形よ、お主は主が昏睡しておるというのに動けるのだな」
「マグヌスノ推測ヲ、肯定。現在、オートモードヲ、テスト中。機械人形四号機『エスピエーグル』ニハ、オズワルドカラ魔力供給ガ、常ニ自動デ行ワレテイマス」
「一度名乗っただけであるのに、儂の名も覚えたのか。ならば人形よ、リュゼという名は記憶しているか?」
「否定。『リュゼ』トイウ音ヲ、起動中ニ記憶シタコトハ、アリマセン。但シ、『リュゼ』トイウ人物ガ、機能ヲ停止サセタ『友人』デアルノハ、認識シテイマス」
「なぜじゃ?」
「回答。『リュゼ』ハ、オズワルドノ記憶。『エスピエーグル』ハ、停止ヲ伴ウ設定作業ヲ行ウ際ニ、オズワルドノ記憶ヲ、共有シテシマウノデス」
「ほう。確かに、魔力の流れには記憶が乗ると見る向きもある。皇太女の力を鑑みても、有り得ぬことではないな。して、リュゼの記憶を知る人形よ。お主の複製、もしくは同等の記憶を持つ機械は他にあるのか?」
「否定。全テノ機械人形ガ行ッテキタ学習ハ、私ノ心臓部ニアル、長期保存型記憶装置ニ、統合サレテイマス。スペアハ、アリマセン」
「うむ。そうか」
こんなにもすらすらと答えてしまうのは、この家がオズワルドと、メセチナの弟子しか存在しない環境であったからであろう。
人形の言葉の全てが事実であると判断したマグヌスは、迷いなく攻撃態勢に入る。
「では、さらばだ。麗しく賢き、機械の人形よ」
掌に集中させた魔力を一息に放ち、機械人形を破壊した。周囲を爆発から守る為に作った狭い簡易結界の中で、機械人形は音も立てずに爆発して粉々になった。
結界を解除すれば、機械人形だったものが鉄屑となって床に重なる。その音と振動にも、オズワルドは目を覚まさない。
マグヌスは暫くそのまま立ち尽くして、足元の鉄屑の山を見詰めていた。
「許せ……いや、許さなくともよい。所詮、儂が人と過ごすのは一時に過ぎぬ。お主とも、義肢が仕上がるまでの師弟関係じゃ」
魔女の紅い瞳が心苦しげに揺らいでいたが、その様を心配して駆け寄ったのは同じ色の瞳を持つ大きな黒い犬のみである。
昏睡しているオズワルドが、マグヌスの内に秘めた心を知ることはなかった。
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