Ⅲメメント・モリ

メメント・モリ(1)

 季節が巡り、オズワルドが義肢作りを始めてから一年が過ぎた。

 魔術の痕跡を消す為の石鹸は、今では十分な数が備蓄されている。難易度の高い石鹸作りをオズワルド一人で行えるようになったのは、間違いなくルカの指導の賜だ。

 ルカは相変わらず度々オズワルドを尋ねてきている。目に見えて変わった点といえば、昼には二人で街へ出て食事を取るようになったことだろうか。語らいの中で互いが影響を与え合った結果、意見の衝突も少なくなり、共にいる時間が出会った頃よりも長くなった。ついでだと教わってみた魔法薬作りがオズワルドにはてんで不向きで途中で放り投げ、ルカが勝手に置いていった二十五巻にも及ぶ魔法薬の本に全く目を通そうとしいないことを除けば、二人の関係は問題なく良好と言って良いだろう。

 

 海を渡ってエタンセルへ移住した仲間達とは、手紙でのやりとりを続けている。自身の住所を知らせてメセチナを介さなくて済むようになってからは、四人が寄越す手紙は遠慮なしに分厚い。戦争の無い新天地で安心して過ごしている様子が目に浮かぶ手紙を、オズワルドは何度も読み返しては口角を上げている。

 しかし彼らは、オズワルドが自らの希望でヴェスパー王国に残ると決めたことについては、あまり納得していないらしい。気が変わったらいつでもエタンセルへ来いと、全員が伝えてきていた。

 無事で健康であること以外、オズワルドが手紙に書けることは少ない。

 難しい仕事を請け負っているので忙しくしているとは伝えられても、公にされていないマグヌスと王家の長きに渡る関係や女王陛下からの依頼については、仔細に記すわけにはいかないからだ。無論、マグヌスから古い魔術を教わっている件や、そのせいで将来この国からの移住が不可能になるであろうことも一切書いていない。

 代わりに仕事とは関係のない事でも書けば良いのだろうが、日々の些末な心情を事細かに文章にするのは柄でもない気がして、オズワルドには苦手意識があった。そもそも皆と違って、感情を素直に表現するのが不得手な性分なのだ。故に、オズワルドはリュゼの墓参りに度々行っていることも書きそびれている。端的に言えば「早く追いついてきてくれ」と書いていたユオを納得させ、尚且つ皆に心配をかけない『この国に残った理由』というものを正直に書けなかった。

 心の奥には一つ、この国にいたい明確な理由が見つけられたのだが、それこそ他のどんな理由より公言出来ないものなので、オズワルドのペンは紙の上で止まったまま動かなくなる。

 結果的にこちらからの返事には時間がかかり、書いても短く、内容は淡白なものになった。仲間達はそれを、仕事で多忙であるからだと受け取ったようだ。こちらの忙しさを気遣っているのか、エタンセルから送られてくる手紙の頻度も、最近では減ってきていた。


 オズワルドは今、自身がニコラシュ共和国にいた頃から変化しつつあるのを感じている。

 ヴェスパー王国での常識を知り、王都での生活にも慣れてくると、ルカの言うルールやマナーとやらも時には必要らしいと感じた。殺伐としていた施設生活では悪知恵と魔術を含めた物理的な力こそが身を守る術であったが、成程ここでは余裕と品性こそが重要なのである。女王の国の王都では、誰も机に脚を乗せたりしないし、法を破って道で決闘を仕掛けたりはしないのだ。

 ウィステリアが手配した装いは、貴族が着用していてもおかしくないほど上等なものであるらしい。身なりに見合わない粗暴さが無意識に出てしまえば、奇異な目を向けられる。だからオズワルドは、家の外ではそれなりに気をつけるようになった。

 癪ではあるがマグヌスから厳しく教えられた丁寧な挨拶や美しく見える所作も、体裁を取り繕う際には大いに役立っている。


 

  

***

 

 

 近頃のオズワルドは、実際多忙だった。義肢に新たな技術を取り入れようと、王都にある様々な機関や施設を訪ね回っているからだ。

 マグヌスの義肢は、五作目の構想に取り掛かっていた。前回の一式は激しい動きにも耐えられる仕上がりとなり、オズワルドはそれで完成としたいところだったが、マグヌスは妥協を許さなかった。無理難題である、周囲を欺けるほどの見栄えに相変わらず拘っているのだ。そんな要求をされても人の皮膚と同質の素材などこの世に存在している筈もなく、オズワルドは仕方なしに、マグヌスの持つ変化の術を義肢にまで適応させる方向に舵を切った。

 マグヌスの望む義肢を実現させるには、これまでの魔力で義肢の動きを補助するという考え方を捨てて、義肢全体に肉体と全く同じ量の魔力を循環させなければならない。他人の魔力をその領域まで適応させるとなると得意の金属でも難しいが、義肢に於いて最重要とも言えるソケットは固い金属で作る訳にはいかないので、更に頭を悩ませた。


 何が閃きに繋がるのかすら、最早見当がつかない。オズワルドはヴェスパー王国に存在する技術を片っ端から知ろうと、蒸気機関の研究都市ヴァレリオスにも足を伸ばした。

 普通ならば見学を断られそうな工場だろうと許可は下りる。何しろオズワルドの表向きのパトロンは誰もが名を知る魔術師、現在国境を守っているメセチナ・ブランシュだ。 

 

「──行方不明?」

「ああ、三日前からね。だから君が話を聞きたいと言っていたジェネラスは、今日ここにはいない。それでも良ければ、工場の中は自由に見ていっていいよ。うちで働いてくれてる魔術師は彼一人だから、いるのは職人だけだけどね」 

 蒸気機関車トリアングルム・エクスプレスに揺られること三時間。ヴァレリオスになら蒸気機関技術にも詳しい魔術師がいるだろうと見当をつけて赴いてみたものの、当のジェネラスは三日前から行方不明だという。語った工場の責任者である男は白髪混じりの眉を下げて、浮かない顔をしている。

「それは心配ですね。ジェネラスさんの捜索願いは出されたんですか?」

 男への気遣いを見せつつ、質問を投げかけたのはルカだ。見聞を広めたいのだと同行をせがみ、女王の特別教室を休んでまでオズワルドについてきた。

「捜索願いなら、とうにジェネラスのご家族が出しているよ。子供もまだ小さいから、彼の奥さんは心細い思いをしているんだ。僕も皆も、無事を願っているよ」

「きっと大丈夫です、ヴァレリオスの警察は優秀ですからね」 

「そうだな。ありがとう」 

 ルカと責任者の男が話を終えるのを待って、オズワルドは工場の内部へゆるりと進み始めた。

 足元に敷き詰められた錆びた敷鉄板が、歩むごとにカンカンと高く鳴り響く。作業に伴う幾つもの音が、吹き抜けの広い通路で反響している。進むごとに大きくなってくるけたたましい音の中で、オズワルドはふと先日読んだ新聞記事を思い出して、ルカに話しかけた。

「魔術師の行方不明事件って、別の町であったよな?」

「ああ。近頃、同様の事件が頻発している。ニコラシュ共和国が諜報活動を活発化させているんじゃないかと、保安局でも問題視しているらしい」

あいつ・・・がメセチナと組もうとしている理由がこれか。確かに魔術師を攫うスパイは魔術師だろうし、捕まえるには相応の魔術師が要るな。ただの警察組織や保安局じゃ無理がある」

「けど、ヴァレリオスの警察が、地方警察の中じゃ随一の捜査力を誇るのは本当なんだ……無理だとか、ここで言うなよ。ジェネラスさんの安否を心配しているんだからな」

 後方にも誰の姿もないのをちらと確認しつつ、ルカは溜息混じりに忠告してきた。その態度には、敵国への怒り以上に行方不明者の無事を願う気持ちが現れている。ニコラシュ共和国の魔術師といずれ直接戦う気でいる者ならば、この話題で敵意の方を吐露したっておかしくはないものだが。  

「お前は何となく、警察あたりが向いてそうだな。国境へ行くよりいいんじゃないか」

「そうか? でも、仕事は自分で選べるものじゃないからな。戦争が終わったら、メセチナ様と同じ秘密情報部に配属される可能性が高いだろう」

「メセチナの弟子だから何なんだ。お前が何になるかは、お前が決めていいものだろ」

 オズワルドは、何の気なしに言った。ルカは驚いた顔を向けてきたが、それは一瞬だ。浮かんだ感情を隠すかのように、少しぎこちなく口角を上げる。

「独創者の職業は、女王陛下が決定するものだ。俺達みたいな個性的な魔術特性を最大限に生かす措置でもあるし、大多数の魔術師ではない国民の安全を脅かさない為でもある。昔から法律で決まっている事だから、君も知っているだろ?」

「……ああ。そうだよな」 

 頷いて、オズワルドは口を噤んだ。自分はともかく、この国の全ての独創者に職業を選ぶ権利が無いとは知らなかった。ヴェスパー王国では魔術師もそうでない者も平等だという思い込みから、全ての魔術師が自由に仕事に就けるものと思っていたのだ。

 ヴェスパー王国に住む者なら知っている常識をオズワルドが把握しておらず、やんわりとルカに教わる場面はこれまでにもあった。ルカは明言しないが、理解しているのだろう。オズワルドは元々、この国の人間ではないのだと。今のやりとりが決定打だと感じて、オズワルドは立ち止まる。

 歩みを止めたオズワルドに気付いたルカも、振り返って足を止めた。

「どうした?」

「何回か、思ったことはあったんだ。俺が何処から来たのか、見当がついてるんだろ」

 初めて自分からこの話題に触れた。自分から言い出すつもりは無かったからだ。

「いいや、俺に分かるわけがないよ。君が王都に来る以前のことは、誰からも聞いてないんだから」 

 返ってきたのは苦笑混じりの返答だった。

 何故知っていると認めないのだろうと、オズワルドは訝しむ。ルカには些細な違和感から真実を導き出せる聡さがある。誰からも明かされなくても、オズワルドと接してきた一年間のうちに、敵国から来た独創者だという答えに行き着いてしまったに違いないのに。

「お前の勘は、多分当たってるよ。今なら、俺の言っていた意味が分かるだろ。最初から、お前は俺の」

「勝手に肯定しないでくれ、何も知らないって言ってるだろう。俺は今の関係のままでありたいんだ。君との間に、今更余計な意味を付加されるのは御免だ」 

 お前は俺の監視役なのだと、久しぶりに口に出す言葉を言いかけたところで言い返された。

 とはいえメセチナが弟子へ頼んだ世話役が、自然と監視役を兼ねるよう計算されたものであるのは、オズワルドは初めから理解しているところだ。自身と同じ未成年でありながら能力の高いルカは、目立たない監視役として全く適任だと思った。それは国の防衛を担う立場としては正しい判断である。何にせよオズワルドからしてみれば、ルカは純粋な友人とは認められない立ち位置の人物である筈だった。

 誤算だったのはオズワルドの高い警戒心を上回る程に、ルカが誠実であり続けたことだ。ルカの言葉には一切の嘘がないのを、オズワルドは知ってしまっている。

 ルカが敵国の者だと明言されるのを頑なに拒む理由を面白がって、オズワルドはにやりと笑いかけた。

「メセチナは、俺を全面的に信用しているわけじゃない。大事な弟子が俺に丸め込まれたと知ったら嘆くだろうな」

「なんて言い草だ。友人なんだから信用して当然だろ。君はもう少し素直になった方がいい」

「お前だって頑固すぎるところが面倒だ。仕方ないから俺の故郷の話は、戦争が終わってからしてやるよ」

 二人は再び歩き始める。ヴェスパー王国でも信頼に足る友人を得ていたのだと、オズワルドは静かに実感した。

 

 工場内では蒸気機関の部品を作っていた。

 ここで作られる部品は、蒸気機関車の他に採掘場や紡績工場でも使われている。大型鍛造の現場に圧倒されるばかりのルカと違って、オズワルドは大きなフライホイールやクランクシャフトを造っている場所に近づいていっては、担当者に積極的に声をかけた。場に慣れてきた頃にはルカも、オズワルドに疑問を投げかけるようになる。太陽歯車を中心に回る遊星歯車の動きなどは、天体観測を好むルカの目にも興味深く映ったようだ。

 ヴェスパー王国の山地には数多くの鉱山があり、金属の原料となる鉱石が豊富に採れる。採掘中に美しさの際立つ宝石も時折見つかるが、海の向こうの大国シュトレアンほどではない。大概の魔術師は相性の良い宝石の方を重宝がって欲しがるものだが、オズワルドの魔術に限っては宝石は重要ではなかった。つまり手に入る金属の種類が豊富で安価であるヴェスパー王国は、オズワルドにとって正に天国なのである。話を聞きながら工場を見て回った後で、オズワルドは最初に話した工場の責任者を再び捕まえて、模型を用いた組み立て後の構造まで説明してもらった。


「君、この町が気に入ったみたいだな」

「ああ。この景色も含めて最高だね」 

 工場から一歩外へ出ると、辺りはそこかしこから吹き上がっている蒸気で真っ白だ。真顔のままに二人で軽口を叩きあってから、駅の近くの店で買っておいたゴーグルを揃って装着した。

 街の中心や住宅地の方はまだましだが、工場が立ち並ぶ周囲は見通しが悪すぎる。普段よりゆっくりとした歩調で歩き始めると、ルカがヴァレリオスについて話し始めた。

「こういう場所だから、研究都市になった頃は治安が悪化したんだ。蒸気のせいで、事件があっても犯人が見つかりにくくて」

「今はそうでもなさそうだけど? 街中なんて外から来た輩が多くて、まるで人気の観光地じゃないか」

「警察が頑張った結果だよ。重要な研究都市だからという理由は勿論、曲がりなりにもヴァレリオスは、元々王都だった歴史的価値のある場所だ。遷都のあとも残って住み続けている貴族もいるから、彼らの為にも治安は守らなくてはならない」

「へえ」

「とはいえ一時は荒くれ者が目立つ街だったから、その名残りでウィザード・コロッセオでは荒々しい決闘がしょっちゅう行われる。これは法律違反ではないし、掛け金の一部は税金として徴収されるから止められない。だから今でも、この町は多くの地方警察官がいるんだ。周囲の町とは規模が違う」

「益々気に入った。決闘が盛んなら、魔術師もそこそこ住んでるってことだろ。それでいて王都ほどお上品じゃなさそうだし、俺には過ごしやすそうだ」  

 本心だった。何処へ行っても目立つ色の髪と瞳が蒸気で白く染まって景色に溶けてしまうのも、悪くないなと思える。

「でも、ヴァレリオスには君みたいな独創者は多分いないぞ。魔術師は全人口の一割強、独創者は更にその中の二割程度だ。それが俺達の世代じゃ、王都に殆ど集められている訳だからな」

「じゃあ逆に、ここじゃ王都にいるより浮くか?」

 薄くなってきた蒸気の中で、オズワルドは顔の横の髪をついと指先で摘んだ。

「どうだろうな。外国からの旅行者も多いから、見た目については多少個性的でも気にしないのかも。住んでみないとわからないよな」 


 王都へ戻る前に食事をしようと大通りへ出ると、人だかりが出来ていた。新聞記事を手にざわついている。

「号外ー! 号外ー!」

「号外記事か。ジェネラスさんの件かもしれないな」 

 ルカが記事を受け取る為、早足で群集に向かう。

「ヴァンジェーロ様、戦没! 国境で負傷者多数!」

 聞こえてきた記事を配る男の声に、ルカは全力で走り出した。人を掻き分けて新聞記事を一部手にすると、オズワルドのところまで戻って来ないまま俯いて、唇を噛み締めた。

 傍に寄って記事の内容に素早く目を通したオズワルも、眉を顰める。


『ニコラシュ共和国の魔術師軍、国境を超えて侵入、我が国の魔術師達と衝突。

 拠点とする町までもが戦場となり負傷者多数。敵国の魔術師、逃亡者数名につき警戒が必要。

 皇太女の婚約者ヴァンジェーロ・セシル卿、味方の魔術師を庇い戦死。』   



 

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