救いの連鎖(3)
マグヌスへ義足を届けてから三日後。オズワルドがキッチンで悪戦苦闘している真っ最中に、家の扉がノックされた。作業の合間に新しい言葉を学習させていた機械人形第二号が、真っ先にノックの音に反応して走っていく。
「ゴ来客、ゴ来客。データ登録済ミノ人物カ、確認シマス」
ガシャガシャと機械独特の走行音を鳴らして玄関へ向かう二号は、一号を元にして昨日組み直したものだ。以前のものより大きく、背丈はオズワルドの膝上ほど。言葉の発音も動きも、より滑らかに仕上がっている。この調子で改良を重ね、いずれは様々な仕事をこなせるものにしたいとオズワルドは考えていた。来客への対応も、いずれ機械人形に任せたい面倒な雑用の一つである。
とはいえ、自分を尋ねてくる人物など今は一人しかいない。扉の向こうに誰がいるのかは、機械人形に確認させなくとも分かっているのだが。そう思いつつオズワルドは二号の後を追いかけて、ノックが続いている玄関扉を開く。
「すまないオズワルド。君を誤解していた。これからは出来る限り、君の仕事を支援したい」
「……は? え、なに」
扉の前に立っていたルカは、顔を合わせるなり真摯な眼差しを向けて謝罪してきた。頼んでもいないのに、大きな紙袋いっぱいのパンまで抱えている。オズワルドには謝罪もパンの手土産も唐突なものに思えたが、ルカは先日ウィステリアと話をしたばかりだ。何を話したのか詳しくは聞いていないものの、ウィステリアから明かされた内容が言動の原因なのだろうと当たりをつける。
「まあ、何でもいいか。ちょうど魔術師の助言が欲しかった所なんだ。さっさと入ってくれ」
「……! ああ、お邪魔する」
玄関で帰れと言わなかったのは、これが初めてかもしれない。ルカは驚きの表情のあとで、ほっとしたように微笑みを浮かべた。
家の中に入れると、機械人形は客をルカ・エルムンドだと正しく認識する。主であるオズワルドが招き入れたのを理解して、追い返そうともしない。それに対してルカは「やあ。君、少し成長したな」と気安く声をかけた。
オズワルドが案内したのは工房にしているいつもの広い部屋ではなく、作業中のキッチンである。散乱しているガラス製の道具と、積まれた書物。様々な植物、サラサラの白い粉、オリーブオイル、精油。一目でルカは、食べ物を作っているんじゃないという事だけは察したらしい。
「凄い散らかりようだな。魔法薬でも作ってるのか?」
「石鹸を作ってるんだ」
「石鹸? 買ったら済むじゃないか、石鹸なんて。君は師匠マグヌスの義肢作りで忙しいんだろ。ウィステリア様からそう聞いてるぞ」
「駄目なんだ。売り物の『鈴蘭の香りの石鹸』に入ってるのは、みんなそっちの人工香料だけだった」
テーブルの上にある小さな青い瓶を指差せば、ルカはその隣の瓶のラベルも同時に確認する。二つの瓶を見比べてやや怪訝な面持ちを浮かべ、それから両方の蓋を開けて香りを確かめた。
「まさか石鹸に、こっちの本物の鈴蘭から採った精油を入れるつもりか? 鈴蘭の精油は毒物だ。魔法薬の免許を持つ魔術師でも購入が制限されている危険なもので、香料には向いていない。君の鼻が確かなら、人工香料の方が遥かにいい香りなのも理解出来ていると思うけど」
「香りについては俺も同意見だ。だが、本物の鈴蘭の精油じゃないと意味がないらしい。マグヌス曰く、このメモの通りに作れば毒の作用は無効になると」
オズワルドは、石鹸の作り方が書かれたメモを手渡す。
鈴蘭の精油入りの石鹸で、手を洗うこと。それはマグヌスから聞いた、魔術師の痕跡を残さないためにするべき行いのうちの一つである。ルカはメモの内容に、じっくりと真剣に目を通す。
「毒消しの魔法薬の応用……と前半は言えなくもないが、後半は違うな。完成に近づくにつれ、手の抜けない複雑な手順になっている。君は鬼才たる師匠から魔術の知識を教わっているらしいが、これは師匠から出された課題なのか?」
「そんなところだ」
別に課題ではないが、メモがマグヌスの教えであるのは事実なので、オズワルドは適当に返事をした。
「素晴らしい知識だ。オズワルド、君は幸運だな。師マグヌスはこんな高度な知識を、弟子に授けるおつもりなんだから。君がメモを見せてくれたってことは、俺もこれを手伝って構わないんだな?」
ルカの瞳が期待に輝く。手伝ってくれと言う前に、やる気を見せてくれるとは拍子抜けだ。ルカは毒のある精油を扱っているのをもっと非難する気がしていたので、どうにか喜びそうな報酬で釣って、その上でどう言いくるめて手伝わせようかと考えていたのだから。
知的好奇心の高さだけが理由ではない、向けられている好意みたいなものをルカの態度に感じる。オズワルドは思い通りに事が進んでいるにも関わらず、これまでとは違う和やかすぎる状況に少々引いた。
「早速、作業の続きをしよう。どこまで進んでる?」
「ああ……じゃあ、あれだ。計量を任せる。メモにあるやつを全部量ってくれ」
「全部? ふふ、わかったぞ。君、焦って途中で失敗したんだな」
ルカはキッチンの隅にあるガラスの容器の中に、メモにはない色の大量の液体が出来上がっているのに気付いた。けれどルカは、失敗を莫迦にしたりはしない。それどころか、君は忙しいのだから無理もないさとオズワルドを労う。
ルカは慣れた手つきで、一つ一つの材料を丁寧に計量していく。メモを見ながら、きちんと使う順番に沿って量っているようだ。
「……得意なのか? こういう作業は」
作業を眺めながらオズワルドが聞けば、ルカは軽く頷いた。
「魔法薬作りなら、わりと得意な方だ。俺達みたいな独創者は、全ての魔術師が扱えるからという理由で魔法薬の勉強を軽んじる傾向があるけれど、俺は大切な技術だと考えている。持ち運び出来て誰もが使える魔術というのは、貴重だと思わないか。事前に備えておけば魔力の温存になる、という考えは、俺の師匠のメセチナ様の受け売りだけどね。でも実際、魔法薬なら遠方にいる師匠の手助けも出来るだろ」
ルカの手際は、メセチナの手助けをするために磨いたものらしい。
語るその声には、やはり今までのような棘がない。着々と準備されていく材料とメモを交互に眺めやりながら、オズワルドは無視出来なくなってきたルカの柔らかい態度の原因について質問した。
「なあ。ウィステリアから、俺の何を聞いたんだ」
「……君が作っているのは、城に身を置いている師匠マグヌスの義肢であること。それと並行して、鬼才である師から魔術を学んでいること。君の生活と義肢開発の支援をしているのは、女王陛下だということ。以上だ」
「それだけか?」
「それだけだ。ウィステリア様は俺が質問すれば、もっと君のことを教えてくれたかもしれない。例えば君が何処から来た何者なのか、とかね。でも、それは直接君に会って聞けることでもある。ウィステリア様は君の義肢作りの支援を促すために、俺に一部の人間しか知らない秘密を明かしてくださった。説明としてはそれで十分だと納得したから、君のことはそれ以上訊ねなかった」
「そうか」
態度からして、てっきり俺の好感度の上がる作り話でもされたのかと思ったが気のせいか。ルカが手伝いを文句も言わず引き受けてるのは、俺が女王陛下も認めたものを作っているって納得したからかに過ぎないというわけだ。
オズワルドがそうして話を終わらせた気でいると、ルカが思いもよらぬ言葉をかけてきた。
「君は、俺もメモチナ様からとっくに事情を聞かされていると思ってたんだろ。だから最初から俺を信頼して、気兼ねない態度で接してくれていたんだよな。そうとは知らず、一方的にあれこれ君のことを疑っていた自分が、今となっては恥ずかしいよ」
的外れな指摘に驚きすぎて、オズワルドは無言になった。どう解釈したら今までの俺の態度をそんな風に考えられるんだと思っているその間に、ルカが更に言葉を重ねる。
「俺のことを、君は褒めてくれていたのにな。もてなしをする余裕もない自分に、熱心に王都のことを教えてくれるって。ウィステリア様から聞かされて、君の気持ちをまるで理解していなかったと反省したよ」
──言った。確かにルカのことをウィステリアに聞かれたとき、そう報告した。もちろん本心は言葉の意味そのままではない。皮肉で言ったつもりだった。
何故ルカが、こんな誤解をする事態になっているのか。そう考えてみて、オズワルドはふと思う。ウィステリアは容易く人の心を読む力を得ているばかりに、会話に含まれる微細な皮肉には鈍感なのかもしれない。
「そうか……」
気まずさに一言呟いたのち、オズワルドが何を言ったものかと考えていると、ルカは何かを誤解されていると思ったのか、慌てて付け足した。
「オズワルド、違うからな。さっき君のことは君に聞けるって言ったのは、聞き出したいって意味じゃないからな? そういうのは君が自然に、話したくなった時でいいんだ」
「いや。お前の言ってる内容は理解してるし、自分のことを説明しなくて済むのは助かる。けど、そういうことじゃないんだ。もっと初歩的なアレだ」
「初歩的?」
ルカは量る手を止めて、テーブルの上を見渡した。そうして、気付いたとばかりにはっとする。
「ああ、俺の話で君の作業を妨げてしまっているな。計量はもう終わるから、作り始めてくれていい。まずはオリーブオイルに鈴蘭の精油を注ぎ、水晶の欠片を沈めてから魔力を込めた月桂樹の枝で混ぜる。混ぜ方はプリエール法を三回だ。次にフィア・リアス・モールの涙を加えて孔雀の羽根で攪拌、これはセレモニー法で五回。それから鍋に移して、このアルカリ性の白粉と塩を加えて火にかける……何してるんだ、オズワルド?」
オズワルドは書物を凝視していた。開いているページには、混ぜ方の基本動作が図解付きで載っている。
隣にやって来たルカが無言で見守っている中、オズワルドは手順の通りにオリーブオイルをかき混ぜた──つもりなのだ。適当ではなく、本当に慎重に、真剣にやった。けれどオリーブオイルは、既にキッチンにある液体と同じ色に変色してしまった。つまりは失敗である。
「君……。もしかして、混ぜ方の基本すら覚えてないとか言わないだろうな。プリエール法なんて初歩の初歩だぞ」
「違う。何度も読んだし動きは大体覚えた。多分、俺の魔力がこういうのに向いてないんだ」
「そんなわけないだろ。もう一度、枝に魔力を込め直してみろよ」
ルカはそう言うと、素早く無駄になった材料の分を図り直す。オリーブオイルに精油を注ぎ、水晶を沈め、オズワルドの手から抜き取った魔力注入済みの月桂樹の枝でそれらを混ぜた。
「最初は時計周りに二百七十度、更にそこから百八十度、そして逆に九十度、一度止めてから混ぜ始めの起点まで戻す。ここまでを五秒以内。プリエール法はこれで一回だ」
同じ混ぜ方をルカが三回繰り返せば、オイルはメモにある通りの正しい色に変化する。
「ほらな、魔力の質のせいじゃない。君は角度が足りなかったり行き過ぎたりで、全体的に混ぜ方が大雑把なんだ。あと、さっきのは最後が遅い。五秒を超えていた」
「……なんで石鹸ってやつは、溶けてすり減るんだろうな。はっきり形がある物なら、こんな面倒な事をしないで機械で魔術を組み込んでやるのに」
ため息混じりにオズワルドが言えば、ルカは笑った。
「君がそういう事を言うから、君の師匠のマグヌスはこれを課題にしたのかもな」
「魔法薬みたいな、液体とかの形の定まらないものを扱うのは苦手なんだ。液体金属ならまだいい。金属は俺と相性がいいからな」
「個体の物体ならいいのか。なら宝石の使い方はどうだ、これも魔法薬には基本がある。今回は水晶だけど、何故水晶なのか、一般的な魔術理論に基づいて説明出来るか?」
問われて、不機嫌になったオズワルドは眉間に皺を寄せた。
「知るか。大多数の魔術師は宝石の力を有り難がるが、俺の魔術に宝石は無意味だ。俺にとっては金属こそが万能で、宝石より遥かに大きな力を秘めている」
「分かるよ。独創者は一般的な魔術法則と自身の持つ魔術法則の間に、少なからず違和感を覚えるものだ。だから魔法薬作りや、それに近い作業には苦手意識を持つ者が多い。自身の体感と実際に起きる反応が異なっていると、気分がいいものではないからね。でも、それはそれとして学ばないと」
「得意なら全部君がやってくれ」
「それは駄目だろ。君が出来ないままだと、俺が君の師匠から教わったことになってしまう」
ルカは改めて、最初からキッチンの隅にあった失敗作の液体を見やった。その液体の量の多さが、何度も失敗を繰り返した様子を物語っている。
焦って大量に作ろうとしたのではないのだと、ルカも察したのだろう。一呼吸置いてから、オズワルドに告げた。
「この課題、期限はいつまでなんだ」
「別に決まってないよ。俺としては早い方がいいけど」
「ゆっくりでいい、まずは基礎からちゃんと覚えよう。早く課題を終わらせて義肢作りに専念したい気持ちも分かるけど、基礎を学ぶことは、いつか君の役に立つと思うから」
鈴蘭の石鹸は課題などではなく、メセチナに気付かれることなくリュゼの墓参りをするには必要だという、オズワルドの個人的な事情だ。ルカが石鹸を完成させてくれれば当面は助かるものの、在庫が切れる度にルカに頼める保証はない。
結局、混ぜ方などの魔法薬の基礎を、いずれは自分が覚えなくてはならないのだ。
この間から人に頼むことばかりだなとうんざりしながら、オズワルドは渋々言った。
「わかった。もう一度やるから、違っていたら助言をくれ」
「勿論だ。友人の頼みなら、何度でも付き合うさ」
友人って誰のことだよ、という言葉を飲み込んだオズワルドの傍で、機械人形二号に新たな言葉と知識が備わった。ルカ・エルムンドは主の友人。
後日、オズワルドは二号のそのデータを消してしまおうと思い立ったが、迷った末に消去しなかった。これはただの気紛れ、ルカに友人だと思われていたって困ることはないのだからと、自身に言い聞かせた。
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