Ⅱ 救いの連鎖
救いの連鎖(1)
ルカ・エルムンドは
気持ちの面でもそうであるし、身体的にも性別を特定可能な特徴を持たない。
ルカが優れた独創者として生まれた事と、性別を区別する心や身体的特徴を持って生まれなかった事に、因果関係があるのかどうかは今もって不明である。魔力の影響はルカの菫色の瞳や銀色の髪のように、髪色や瞳の色のみに影響を及ぼすものとされているからだ。少なくとも身体的特徴を魔力が消失させるなんて話は、聞いたことがなかった。
無論ルカにも、周囲との違いに悩んだ時期が無かったとは言えない。
しかし人格者である両親は、希少な独創者である事も、性別を持たない事も、天から与えられた素晴らしい個性だと教えた。この二つを卑下する理由にも奢る理由にもしてはならないと、幼少の頃から言い聞かせた。そうして厳しくも愛情のある家庭で育てられたルカは、勉学にも魔術訓練にも真面目に励む、真っ直ぐな人間になった。精励は佳良な成績となって返ってきて、ルカの正しさを重んじる心は善良な友人との関係をも育んだ。
努力と結果に裏付けされた自信によって、今やルカは、これが自分なのだと堂々と胸を張る。中性的な見目と声のために男か女か問われる場面では、余程失礼な質問でもない限り正直に説明している。
涼しげな見目に反して何事にも熱くなりがちなのが玉に瑕だが、ルカ自身はそれすらも自分の長所なのだと捉えている。十六歳の若者らしいやる気に満ち溢れている端正なその姿は、正に名前の意味する通り
***
「あれじゃ格好がつかないぜ。せっかくウィザード・コロッセオで勝っても、あんな若造に魔術具を取られちまったらなぁ」
「仕方ないさ。いきなり公道で一戦交えようなんて挑まれたら、お前、本気にするか? あいつだって、お遊びだと思って油断したんだろう」
「そうは言っても呆気ないモンだったぜ。相手は若いのに、魔術戦に慣れてる動きだった。きっと、女王の特別教室に参加してる子だろうよ」
道すがら耳に入ってきた声に、ルカは嫌な予感がして足を止める。
通りで立ち話をしている二人組の男に近づいて、質問した。
「失礼ですが、今のはどういう話です」
「ん? 何だい、あんた」
「いえ、女王の特別教室という言葉が聞こえたので。俺もそこで学んでいる魔術師なんです。知人が何かしたのではないかと、少し気になりまして」
「ああ、そういうことね。こう、派手な色のおかっぱの、ピンクだか緑だかの髪の色した長身の奴でなぁ。片腕に、よくわからねぇ機械もくっ付けてたな。そいつが決闘を終えたピザーロって魔術師に、ウィザード・コロッセオの前で決闘をふっかけたんだ。ピザーロは簡単に魔術具の剣を掠め取られて、負けちまったってわけよ」
ひくりと、ルカの目元が動く。嫌な予感が的中した。ウィザード・コロッセオ以外で魔術師が決闘を行うのは、違法行為にあたる。
「なるほど、話を聞いて良かった。一つ勘違いをしているようなので、訂正させてください。そいつは特別教室とは無関係です。俺の通う教室には、腕におかしな機械を取り付けたピンク髪の奴なんていない」
ルカは特別教室の生徒の評判が下がらないように、あくまで冷静に、にこやかに訂正する。
しかし、その心中は穏やかではない。二人組が納得してくれたと分かると速やかにその場を離れ、早足で目的地へと急ぐ。
そう。特別教室に、公道で決闘をふっかける無法者なんているものか。そいつがいるのは、これから自分が向かう家だ。
腕に機械を取り付けた魔術師といえば、その家に住まうオズワルド・ミーティアしかいない。彼は一つ年上の独創者であるが、特別教室の生徒ではない。即ち、将来的にも戦場に出る意向などない腑抜けだ。何故ルカがそのような人物の家に向かっているのかといえば、それは師であるメセチナに頼まれているからだ。
尊敬してやまない師である大魔術師メセチナが、弟子であるルカに頼み事をするのはとても珍しかった。
王都の暮らしに慣れぬ者がいる。お主とは歳の頃が近いことだし、時々様子を見に行って面倒を見てやってくれまいか。
秋の始めに恒例の休暇を取って王都へ帰ってきたメセチナに請われた時には、ルカは師の役に立とうと張り切って引き受けたものだ。メセチナはオズワルドが何者かまでは教えてくれなかったが、どんな者だとしても、メセチナの知り合いならば優しく丁寧に王都での暮らしを教えてやらねばならないと考えていた。
──それが間違いだったとルカが気付くのに、そう時間はかからなかった訳だが。
「開けろ! オズワルド!」
くじけず扉を叩き続けながら、家主に呼びかけること八回。九回目を言いかけた時、漸く扉が開いた。
「うるさいな。今、手が離せないから帰ってくれる」
姿を見せたオズワルドが、鬱陶しいとばかりに言い放つ。毎度の事ながら、オズワルドは人の訪問を歓迎しない。そう言われて大人しく帰れるかと、ルカは扉の隙間へと強引に靴先を滑り込ませた。
「オカエリハ、アチラデス。カエレ、カエレ」
家の中へ押し入った途端に、オズワルドとは別の機械的な声がした。足元を見れば、脛を小さな機械の人形がぐいぐいと押している。苛立ちながらそいつを掴み上げると、浮きあがった短い足がギイギイと宙を掻く。
玄関扉を施錠し直したオズワルドは軽く溜息をついて、スタスタと部屋へ戻ってしまう。その家主の背中を追いかけつつ、ルカは片手で掴んだ機械の人形を適当な棚に乗せた。機械の人形はずんぐりとしていて、手足がそれほど曲がらない。自力でそこから下りる機能は無いようだ。
オズワルドの魔術拠点を兼ねた家は二階建てで、一人暮らしの若者が住むにしてはかなり大きいものだ。
一階の大部屋へ足を踏み入れると、一足先に戻っていたオズワルドは手元の作業に集中していた。作業机の上に並べられている部品は、彼の魔力を与えられる度に大きさや形を変え、収まるべきところへ次々に収まっていく。それらが本当に手が離せない作業なのかルカには判断出来ないが、オズワルドが手を止める気がないのは、こちらを見向きもしない態度から伝わってくる。
彼は魔力で機械を組み立てて、そこに魔術を組み込める独創者だ。
魔術拠点の有様は能力や用途によって大きく異なるものだが、オズワルドの魔術拠点はいつ来ても作りかけの機械や金属製の完成品が所狭しと置かれていて、床はそれらと様々な部品が入った木箱で埋めつくされていた。先程ルカを追い出そうとした機械の人形は制作物の中では小さい方で、室内には呆れるほど大きな物も置かれている。これほどの大きな家でなければ、オズワルドの制作物は収まりきらないのだろう。
機械だらけの乱雑な部屋を見回したルカは、こちらを無視して手元の作業を続けているオズワルドの奥の壁に、一本の剣が立て掛けられているのを認めた。
「……それか! 聞いたぞオズワルド、公道で決闘したらしいな」
「ちょっと鋼が足りなかったんだ。いいだろ、鉄鉱石が山ほど採れるこの国じゃ、そう高価なものでもないし。嵌められてた宝石なら、ちゃんと外して返してある」
ぐるりと作業机の後方へ回り込んで剣を掲げてみれば、刃の一部分が焼け溶けてなくなっていた。ルカは自分の険しい顔が映り込む刀身を下ろして壁に戻すと、座って作業を続けているオズワルドの後頭部へ、厳しい視線を向ける。
「そういう問題じゃない。決闘場以外での決闘は禁止だろう、以前住んでいた街では、そんなことも守られていなかったのか?」
「相手も同意した上での決闘だ、細かいこと言うなよ。説教なら間に合ってるから、暇なら昼飯でも買ってきてくれ。俺の世話がお前の役割だろ」
「自分で買いに行けよ」
「なら、認めるんだな。メセチナに頼まれたのは、俺の世話じゃなくて監視ですって」
「俺は、そんなつもりじゃ……!」
ルカは二の句を告げられず、両手を握りしめた。何故かオズワルドは最初に会った時からこの調子で、ルカが自分の行いを監視しているのだと疑っている。メセチナから頼まれたのは王都での生活を世話することだと、何度もきっちり伝えているのというのに。自身の言動のせいで師の心遣いを信じてもらえないのは、ルカにとって耐えられないことだ。
正しくない行いを注意するのも、世話の範疇だとルカは考えている。彼のためだと思えばこそ言っているのだ。しかしオズワルドは、そうは思わないらしい。
こんな風に彼と気が合わないのは仕方がないとしても、いい加減自分を王都での暮らしを手助けする者だと認識してもらわなければ困る。そうでなければ尊敬する師、メセチナに会わせる顔がない。
「兎に角、この王都では法律をきちんと守れ。飯を食うなら、俺が戻るまでにその机の上を片付けておけよ。分かったな?」
反論を我慢して精一杯の譲歩を披露しても、オズワルドはやっぱり振り返りもせずに、手元の作業を続けている。返事もない。
ルカは力任せに、ばんっ、と家の扉を閉めて外へ出た。冷静になれと自分に言い聞かせるも、オズワルドの態度には納得がいかない。
胸元の内ポケットから取り出した懐中時計を見て、余計に腹ただしさを募らせる。好きな作業に熱中してこんな時間まで昼食を取っていないなんて、まるで子供以下だ。たまになら分からなくもないが、オズワルドの食生活はルカが知る限りいつもそうで、規則正しいものであった試しがない。近くには手頃なレストランも美味いパンを買える店もあるのに、面倒だから今朝は飴と砂糖を食ったと告げられた時には、空いた口が塞がらなかった。
眉間に寄った皺を押さえて何とか平常心を取り戻し、近くのパン屋へ向かう。
酸味が少なく甘そうなジャムを二瓶と、数日は日持ちしそうなシンプルなパンを選んだ。ルカには信じられないが、オズワルドは肉が食えない。そもそも甘い物以外を彼が好んで食べているのを見たことがない。栄養価を考えて選ぶのは、とうに諦めている。
食事をする時も、オズワルドは作業机から離れることはない。彼はそうまでして、何を作ろうとしているのか。ルカには皆目見当がつかないが、メセチナが世話を頼む独創者だ、素晴らしい物を作るつもりでいるに違いない。それくらいの予想はつくから、突っぱねきれずに、渋々だが昼食を買いに来てやるというわけだ。
しかしだからといって、喜んで世話を焼く気には全くなれそうにない。
秋の始めから続けてきた家への訪問は、既に三十回を超えている。にも関わらず、一向に軟化しないあの態度。オズワルドへの理解を深めるどころか、未だに顔を見合わせるのにも苦労しているのが現状だ。
当の本人はルカと親しくなりたいとも考えていないようで、メセチナの弟子だと自己紹介して以降、ルカ個人のことは一度も聞いてこない。そのうち男か女かくらいは聞かれるだろうと構えていたのに、そういう質問すら飛んでこなかった。ならばこちらから距離を縮めようと、「何処から越して来たんだ」「メセチナ・ブランシュの他に、王都に知り合いはいるのか」などと訪ねてみても、まともな返答は一言も返ってこないのだからお手上げだ。
何故自分は、彼の世話を任されたのだろうか。
オズワルドは未成年者なのに、魔術拠点を隠す強固な術式がかけられた大きな家に一人で住み、大量の金属を不自由なく買い付けている。作業をするだけにしては上等すぎる服を着ていたりもするので、最初は裕福な家に生まれた独創者なのだろうと思った。だが、いい服だなと褒めると、似合わない服を指摘されたように居心地の悪そうな顔をして黙ってしまう。
見ているうちにだんだん分かってきたが、彼は言葉使いや所作からいって、貴族の家柄ではない。それで思い至った。オズワルドには多分、王都で機械を作る環境を支援している者がいる。
思い当たるのは、メセチナが今年の始め頃に国境付近で拾い物をしたという、皇太女から聞いた出来事だ。その時の拾い物がオズワルドなら、彼の支援者がメセチナで、弟子の自分にその世話を任せているのも不思議ではない。
一方で、敵味方共に未成年者は近付かない国境でメセチナが十七歳のオズワルドを拾うのは、おかしなことであるのも分かっている。国境付近の町は関係者以外の立ち入りを禁止していて、メセチナの弟子であるルカでさえ共に行くのを許されないからだ。
けれどオズワルドは今日、違法行為である公道での決闘を仕掛けた。そういう倫理観の男ならば、禁止事項などお構い無しに国境付近にだって行くかもしれない。例えばオズワルドが戦場で役立つ自作の魔術具を売り込みに行き、メセチナに認められたとか──。
「……いや。いや違う、今のは無しだ」
ルカはパン屋から通りに出ると、考えを振り払うようにかぶりを振った。
メセチナなら、危険な場所に来てしまった未成年者をまず叱る筈だ。戦争に参加する魔術師は、遠方からの魔術補佐を弟子に依頼する以外の方法で、未成年者を戦争に関わらせてはならない。この法を厳守せよと目を光らせる、戦場の責任者がメセチナだ。弟子でもないオズワルドに、戦いに役立つ何かを作らせたりは絶対にしないだろう。
ルカは気持ちを切り替えて、自分らしく前向きにいこうと考えた。
きっとそのうちオズワルドを知る機会も訪れるだろうし、自分が世話を任された理由も分かる筈だ。それまではあれこれ考えずに、平静を保って彼に接していこう。
深呼吸して、二度目の訪問は扉を開けるのも静かに、落ち着いて。
抱える紙袋からは、焼きたてのパンの食欲をそそる香りが漂っている。
大部屋へ入ると、機械の部品が一箇所に寄せられた机にはオズワルドの足が乗っていた。人が頼まれた食事を買って戻ると知っていながら、行儀悪く机上に投げ出された両足。その先にある顔を覗き込めば、目を閉じてすうすうと寝息を立てている。
「起きろ!!」
その額をべちんと引っ叩く。結局、怒らずにはいられなかった。
***
「足癖が悪い。これまでに指摘されたことは?」
「お前以外の誰が、そんなこと言うと思うんだ? 机の汚れなんて、魔術で簡単に落とせるだろ」
「ははは。面白い冗談だな。だとしたら君は、このヴェスパー王国じゃなくてマナーの無い国で育ったんだろうよ」
怒りをそのままぶつけるのはやめて、皮肉で打ち負かせるか試すことにした。けれどそれも効果は無いらしい。オズワルドはルカの発言を無視して、ジャムをたっぷり塗ったパンだけを見つめている。それを零さないように、注意深く口に運ぶ。
ルカはその様子を見て、自分だけでなく、この王都の誰しもが彼の価値観には首を傾げたくなるだろうと思った。机に足を乗せるのはマナー違反だし、そのジャムだってあんまりにも乗せすぎだ。もしかしてパンじゃなくて、ジャムを食べているつもりなのか。
ルカが怒りを通り越して呆れていると、突然聞き慣れない音が鳴り始めた。
「……何だ、この音は?」
「電話だよ」
「電話?」
オズワルドは部屋の隅の方へゆっくりと歩いていって、壁に取り付けてある四角い機械から、線の付いた筒状の部分を持ち上げた。それを耳にあてて、本体の方の丸い穴に顔を寄せる。
「ああ、完成してる。明日にでも持って行こうかと思ってた。今? 一人じゃないんだ。ルカがいる。いや、俺からはまだ何も」
壁の機械を使って、ここにいない誰かと話しているようだ。ルカが認識しているオズワルド作の完成品は、何の役に立つのかも分からない、小さな機械の人形だけだ。こういう実用的な物も作れるのかと、関心を寄せる。
「別にいい、判断は任せる。俺は……まあ、問題ないと思う。分かった、伝えるよ」
機械を使用した会話は、直ぐに終わった。ルカは、オズワルドに思わず尋ねる。
「あれは、便利な機械なんだな。君が作ったんだろ?」
「いや、電話は俺が作った物じゃない。本来は直流回路に、電気ってやつをどうとか……魔術が関係ない技術だからよく知らないけど、そのうち国中に普及させる予定の機械らしい。銅線で話したい相手と繋げる物だから、俺はその仕組みを利用して魔術で使ってる」
意外にもオズワルドは、今までになく丁寧な説明を返してくれた。
「つまり電話は本来、蒸気機関と同じように魔術を用いなくても使える技術なのか。オズワルド、君は金属製の機械なら、それを魔術で使えるようにも改造出来るって事だな?」
「そういう事だ。お前にはなかなか理解力があるようだから、単刀直入に言うけど」
「何だ?」
「用事が出来たから、俺はこれから城へ行く。ウィステリアにお前がいるのを伝えたら、話がしたいってさ。一緒に行くぞ」
「……誰だって?」
「皇太女のウィステリアだよ。お前も特別教室ってやつで時々会ってるんだろ? ウィステリアに、ルカも連れて来いって言われたんだ。今の電話で」
言葉の意味は分かるが、電話の相手が皇太女なのも、皇太女を平気で名前で呼んでいるのも、気軽に城へ行くと宣言しているのも意味が分からない。
オズワルドは自分の足と同じくらい長い、布で包まれた何かを重たそうに運んできた。それは部屋の一番奥の角にずっと置かれていたが、大小の機械がひしめく部屋では特別目立つ代物でもなく、ルカは気にもとめていなかった。
「お前……お前は何なんだ。まさか王族なのか?」
「そんな訳ないだろ。ほら、出発するからもう少し近くに寄ってくれ」
オズワルドがポケットから取り出してみせた真鍮製の円形には、ルカも見覚えがある。懐中時計とは、似て非なるもの。戦場での緊急退避に使われる、瞬間移動装置だ。危うくなった時にこれを使えば瞬時に国境付近の町へ戻れるのだと言って、以前メセチナが見せてくれた事があった。元々は軍用のもので、今は国境付近を守る魔術師にのみ支給されている特殊な魔術具である。
「これ、ヘリオスだろ。なんでこれで城へ行けるんだ」
「城のとある場所へ座標を固定してある、特注品なんだ。仕組みが知りたくて一回分解してみたけど、よく出来てる魔術具だな」
「俺はもう、お前の何を注意すればいいのか分からなくなってきた」
「いい傾向だ。小言を聞かなくて済むな」
オズワルドの手の上で、魔力を注がれたヘリオスが作動する。小さな竜巻に、体が捩られるみたいな感覚がした。
***
城へ行くとオズワルドは言ったが、ヘリオスで移動した先は殆ど日の当たらない暗い場所だった。
目の前には上階へ続く狭い階段があり、その先からは明るい陽の光が注いでいる。薄暗い階段の上り口には皇太女が待っていて、ルカに穏やかに微笑みかけた。
「帰りは自力で帰れよ」
オズワルドはそう言い残すと布に包まれた荷物を肩に担いで、一人で階段とは真逆の暗い方向へ歩いていってしまう。光の届かない廊下は、あっという間にオズワルドの姿を闇に溶かした。一体どこへ行くというのだろうか。
「ルカよ、待っておったぞ。城へ呼ぶのは初めてであるのに、このような場所で驚いたであろう」
「……いいえ。お呼びいただいて光栄です、ユア・ハイネス」
光の差す方へ顔の向きを戻して、ルカは皇太女ウィステリアへいつもの挨拶をした。そこで、皇太女に会えば必ずしなくてはならないこの手を取る挨拶を、オズワルドは交わしていないと気付いてハッとする。本当に、何なんだあの男は。
「上へ参ろう。急なことで大した用意は出来なかったのだが、タルトとショコラは好きか?」
「はい。楽しみです、ありがとうございます。その、ユア・ハイネス。オズワルドは同席しないのですか?」
階段を上りながら、ルカは皇太女に伺いをたてた。全て上りきった先には、アーチ状の高い天井と柱に施された彫刻。今までいた場所は城の地下だったのだと、はっきり認識した。
「あやつは、師にあたる独創者に度々会いに来ておるのだ。呼ばれれば指導を受けて帰るのが常なので、本日も長くかかるであろう。友人であるお主は、これについても知っておいて良い立場にある。そろそろ説明しておく時期だと判断し、余は先程の電話で、お主を呼んだのだ」
広い廊下の左右に並ぶ大きな扉のうちの一つが、皇太女によって開かれる。部屋には誰もいなかったが、テーブルには菓子が並び、お茶の用意が整っていた。
「……友人だなんて。俺は、オズワルドに煙たがられるばかりで」
「謙遜はいらぬ。もてなしをする余裕も持たぬ自分に、お主は熱心に王都のことを教えてくれると、オズワルドは感謝しておったぞ」
──それから皇太女が話し始めたのは、ルカにとって想像もしていなかった真実だった。
オズワルドが、師匠マグヌスの失った手足を作ろうとしているということ。類まれなる鬼才である師匠マグヌスが、オズワルドに己の持つ魔術の知識を叩き込もうとしていること。
彼らの活動を秘密裏に支援しているのは、驚くことに女王陛下だという。師と弟子が会っているのが城であることから何か深い事情があるのだと察し、ルカはこちらからは質問はせずに頷いた。
「秘密裏に……なるほど。だから制作している物について、これまで答えてくれなかったのか。尤もオズワルドは、他のことも俺には一切教えてくれませんが」
「オズワルドには、王都へ来る以前に辛いことがあったのだ。尋ねられても答えたくないこともあるであろう。過去については、特に」
「……そうでしたか。じゃあ、知らずに無神経な質問をしてしまったかもしれません」
「気にすることはない。オズワルドも、その程度で落ち込みはしまいよ。マグヌスの手足にかける意欲が、今は何よりも上回っているのでな」
皇太女の言葉からは、オズワルドがルカを嫌っているわけではない事も汲み取れた。
新たな魔術知識を学びながらマグヌスの手足をどのように作るか考えなくてはならない彼は、本当に忙しいのだ。食事が面倒になるほどに、オズワルドは難しい挑戦に悩み、毎日試行錯誤しているのである。
ルカの事を何も聞いてこないのは、皇太女から話を聞いていたからだ。ルカの性別のことや、特別教室での成績やこぼれ話も、初めて会った時には既にオズワルドは知っていたという。彼にしてみれば、あの丁寧さに欠ける口調はとっくに打ち解けていると信用してのものなのかもしれない。世話でなく監視をしているのだろうと度々言ってくるのは、頼りたい相手に厳しい事を言われて拗ねていただけなのか。
思い返してみれば、オズワルドはどんなに注意しても本気で怒ったことがない。家を訪ねれば玄関扉が開くまでには時間がかかるし、至極面倒な顔もされるが、扉を開けてもらえなかった事は一度もなかった。
オズワルドは、あれで自分を友人だと思ってくれているのか。なんてわかりにくいんだ。
ルカはオズワルドという人間を漸く少し理解出来た気がして、安堵と驚きに包まれた。
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