魔女の弟子(3)

 親愛なるオズワルドへ。

 僕は今、時を止めた君の隣でこの手紙を書いている。タイムリミット直前まで呪いの件を黙っていた君に、言いたいことが沢山ある。でも書くときりがないので、今はやめておくことにした。次に会う時には覚悟しておいて欲しい。

 僕達は一足先に飛行船で海を渡って、エタンセルという国で君を待つ事にした。

 ヴェスパー王国と貿易している大国といえばシュトレアンだろうと僕らは話していたけれけど、女王は政治的な理由で彼の国には借りを作りたくないらしくて、シュトレアン行きは却下されてしまったんだ。でも海の向こうへ渡れるには違いないから、僕達に不満は無い。エタンセルは、シュトレアンの西側にある小さな国だ。

 行き先が下調べをしていなかった国になったとはいえ、結果的には良かったと思う。エタンセルはヴェスパー王国に友好的な国だから、僕らは密入国をしなくて済む。正式な手続きを経て、堂々と移り住めるんだ。女王が事前に手配してくれたから、あちらへの入国は問題なく出来るだろう。皆ほっとしているよ。

 僕は流れ者の動物使いとして皆で日銭を稼ぐのもいいかな、なんて想像していたから、それが実現出来そうにないのだけはちょっと残念かな。いつか皆で、気ままな旅をしてみたいと思っていたから。でも僕が必死で覚えたシュトレンの言葉はエタンセルの国の公用語でもあるから、無駄にならなくて良かった。あっちへ着いたら、砂地に足をつけて真面目に働き口を探すつもりだ。

 落ち着いたら、また手紙を書くよ。君の無事を祈ってる。

 二月二十日 出発直前のシエロより。





 オズワルドへ。

 この手紙はメセチナさんに宛てた手紙に入れて、お前に届けて貰えるように頼んである。

 お前がまだ寝ているのか、いつ目を覚ますのか。俺達には詳しいことが分からない。だが、息をしているならそれでいい。いや、魔力で時間を止められてるなら、お前の息も止まってんのか? 魔女の魔術の効果も、俺にはよく分からない。まあ、生きてて順調ならそれでいいんだ。

 定住する場所が決まったから、この手紙に住所を記しておく。シエロもユオも心配しているから、これを読んだらすぐに手紙を寄越せよな。

 こっちは暑くて、俺達はすっかり日焼けしちまった。外遊びばかりしているネーベルとその面倒を見ているユオなんて、話さなけりゃ地元の人間と区別がつかないくらいだ。

 俺とシエロは馬車馬の如くせっせと働くつもりでいたが、なんと今は国の支援を受けて魔術学校に通っている。この国では魔術師は尊敬されているらしくて、言葉が通じない場面でもわりと親切にされるから助かるけど、何だかこそばゆくて変な感じだ。とりあえずシエロから、挨拶とか感謝の言葉を先に教えて貰っている。たまにネーベルの方が言葉を知っていて、負けてらんねえなって思う時もある。小さい子って覚えが早いよな。

 大きな街を選んだのは正解だった。ここには俺達みたいな外国人もそこそこいるし、学校では魔術以外の学問も教えてくれる。それに新聞の配達とか、勉強の合間に出来る仕事も見つかりやすくて、空腹とは無縁に過ごせてる。言っておくけど、こっちの飯は施設の飯より断然美味いぞ。お前の好きな甘いものも沢山あるんだ。羨ましかったら早く来いよな。

 そういえば来た頃に金欠で困って何度か教会で飯を貰った縁で、俺達は教会にも通っている。皆でお前の無事を祈ったりしてるんだ。驚くだろ。神様なんか、あんなに信じられなかったのにな。俺はそんなに熱心に祈ってるわけでもないけど、お前がいつものすかした顔で訪ねてきたら、ちょっとは神様を信じてもいいかもな。

 これからもっと暑くなるらしいから、こっちへ来たら一緒に水浴びしようぜ。なんとなくだけど、お前って暑いの苦手そう。鍛えろ。

 四月十五日 キアーヴェより。




 僕らの恩人にして友人、オズワルド・ミーティアへ。

 やあオズワルド。四月にキアーヴェが送った手紙は、ヴェスパー王国に届いているのかな。今回も同じ方法で、メセチナさんに届けて貰えるように頼んでみることにしたよ。

 キアーヴェは、動けるようになったらすぐ手紙を寄越せと書いたらしいね。それから何も知らせが無いから、君はまだ時間を止められたままなんだろうと思う。頑張って、というのも少し変だけど、ネーベルがそう君に伝えて欲しいと言うので記しておく。呪いを克服して君の時間がまた動き出すまで、どうか頑張ってくれ。

 僕らはこちらの生活にも慣れてきて、穏やかに暮らしている。シエロは新しい言葉を覚えるのが得意で耳もいいから、今ではエタンセルの言葉をすっかり使いこなしていて発音も完璧だ。ネーベルが色々な場所に行きたがるおかげで、僕も日常会話なら結構話せるようになってきたよ。

 毎日妹の表情が明るいのは嬉しいけれど、施設の生活しか知らなかった反動なのか元気すぎて、追いかけるこっちは骨が折れる。今月は目を離した隙に、二回も迷子になったんだ。そういう時にはオズワルド、よく君を思い出す。ネーベルの機嫌を損ねずに言いつけを守らせるのが、君は凄く上手だったから。

 ネーベルがこの国で笑顔でいられるのは、君のおかげだ。改めて、本当にありがとう。君が一緒に暮らし始めたら、僕は出来る限りの恩返しがしたいと思ってる。呪いが消えるのに一年はかからないだろうと聞いているから、きっと会えるのはもうすぐだね。

 あの時のことは、皇太女にも感謝してる。オーラで魔力のことだけでなく、自分に向けられている心まで読めるなんて凄いよな。君も皇太女から聞いている話かもしれないけど、ネーベルが他の国に逃げてきたのを察していたなんて、僕は思いもよらなかった。妹を気遣っているつもりで、まさか逆に気を使わせていたなんて。

 亡命する事をネーベルに正直に伝えるようにと皇太女に進言されて、僕は考えを改めた。まだ小さいから、知ったら可哀想だと思っていたこともゆっくり話して、それでネーベルが僕らと来ることを選んだから、後悔は何も無くなった。

 僕はここへ来て良かった。君のことが大好きなネーベルも、同じ気持ちでいると思う。だから亡命の計画を立ててくれた君にも、後悔はしないで欲しい。

 オズワルド。君の時間はまだ逃亡した翌日で止まったままだろうけど、早く追いかけてきてくれ。僕らの自由は君と掴んだものだ。近いうちに会えるのを楽しみにしている。

 六月一日 ネーベルの描いた君の似顔絵を添えて ユオより。




***



 時を止める魔術が解けたオズワルドが最初にしたのは、部屋に置いてあった自分宛の手紙を読むことだった。

 三通の手紙に記されている日付から数ヶ月が経過しているのだと理解したが、仲間に呪いの話を打ち明けたのも魔女マグヌスに魔術をかけられたのも、オズワルドにはつい先程の事としか思えない。体の時間を止められていた間は、生命活動も思考も停止していたのだから当然ではある。まるで時間という長いリボンから数ヶ月分が切り取られ、過去である端と今である端を瞬時に繋がれたかのような感覚だ。



 オズワルドの時を止めた魔女、マグヌス・ディアマンテ。

 彼女は女王陛下に忠実な魔女だった。女王の語りかけには臣下のような口調で丁寧に答え、命令は誉れだと言わんばかりにオズワルドに魔術をかけられている魔術を解くことを了承した。

 女王同席のもと対面したマグヌスは、袖のゆったりした黒い長衣を纏い、黒地に金の刺繍が入った膝掛けをかけて座っていた。そうしていても手足のあるべき箇所に布の膨らみがないことが、四肢を失っている事実をこちらに伝えていた。

 二百年以上前に手足を切られた逸話を先に聞いていたので、身体の方の特徴は会う前から予想出来ていた。意外だったのは、どう見ても老婆の顔ではなかったことだ。白すぎる肌と、真紅の瞳。その二つの異様さを除けば、マグヌスは整った顔立ちの妙齢の女だと形容出来た。腰まである長い髪は白かったが、それも加齢による白髪とは異なる艶のあるものだった。

 長い時を生きているにも関わらず老いを知らないその容姿は、時を操る力の強大さをそのまま体現していた。その上、古い魔術に対する知識は、ニコラシュ共和国で学んでいたオズワルドよりもずっと深い。

 解呪は不可能である強力な呪いも、発動時の力は時と共に弱まり、その効力はいずれ消え去る。つまり、肉体の時を止めればやり過ごすことが可能だ。それが自身の経験に基づくマグヌスの見立てだった。

 オズワルドの肉体の時を止めるのはすぐにでも可能だと言われたが、仲間にまだ事情を説明していないのを理由に翌日へ持ち越した。とはいえ、約束された海の向こうへの出立へ胸を弾ませている仲間には、言い出しにくい話だ。結局、マグヌスと約束していた時間の寸前になってから、オズワルドは呪いの件を仲間に打ち明けたのだった。



 読み終えた仲間からの手紙を畳んで纏めてポケットへ入れて、オズワルドは窓の外を見ようと身を乗り出す。眼下には穏やかな湖面の煌めきと薄い霧、広い湖の岸の向こうには、白く霞んだ王都の町並み。事前に聞かされていた通り、自身の身は時を止めていた間、客人用の離れに運ばれて寝かされていたようだ。

 続いて廊下へ出てみると、目の前に見覚えのある金色のベルが現れた。しかしベルは何処かへ案内する動きをしなかったので、オズワルドは無視することにした。コツコツと速足で歩みを進めながら周囲に耳を澄ませてみたものの、屋内には人の気配が感じられない。女王へ取り次いでくれる誰かを探そうと、階段を下りてそのまま外へ足を向ける。宙に浮かぶ皇太女のベルは、リン、と小さな音を立て後をついてきていた。


「おや。おはようございます、皇太女様のお客様。このようなお時間に、如何なされましたか?」

 扉を開いて外へ出たところで、薔薇に水やりをしていた年配の男が声をかけてくる。陽の位置や景色の様子から今は朝なのだろうと思ってはいたが、男の台詞から察するに、客人が目を覚まして出歩くには早すぎる時間なのかもしれない。オズワルドには正確な時間がわからなかった。使い古した懐中時計はネーベルが飾り模様を気に入っていたから、兄のユオに渡してしまっていたのだ。

「じょう……いや、皇太女に会いたいんだけど、取り次ぎを頼むにはまだ早いか? 時計を持っていないから、時間が分からないんだ」

 背後で鳴る小さなベルの音色は、皇太女の客人である証だ。自身が女王へ頼み事があってやって来たニコラシュ共和国の者であるのは秘するべき事実なので、オズワルドは取り次いで欲しい相手を言い直した。

「左様でしたか。今は五時を過ぎたところです、お客様。皇太女様はまだ、朝のお支度がお済みではないでしょう。あと一、二時間ほど、お待ちいただく訳にはまいりませんか」

「面会の約束を取りつけられれば、何でもいい。ついでに聞くけど、今日は何月何日だっけ?」

「今日は七月七日です、お客様。では朝食の際に皇太女様のお耳に入るよう、他の者に言付けておきます。滞在中のお客様がお会いになりたいと、そうお伝えすればよろしいのですね?」

「ああ。それで俺の用件は伝わるだろうから」

 よろしく頼むよ、とオズワルドが続けようとしたところで、遠くから女が走ってくるのが見えた。ツル薔薇の茂った壁に沿うようにして身を日陰に隠しながら、こちらへ向かって駆けてくる。女とはいっても、向かってくるのは男のような服装の人物で、履いているのはスカートではない。走り方の軽さと、結ってもいない長い髪を靡かせている事から女だと判断したまでだ。

「これは失礼いたしましたお客様。皇太女様が走って来られるような、お急ぎの用件でしたか」 

 走ってくる女に気付いた年配の男がそう言うので、オズワルドは信じられなくて目を凝らした。


 あれは、皇太女なのか。髪も結わず、朝っぱらから男みたいな格好で、全力で走ってくるのが。

 そんな疑問を打ち消すように、藤色の髪と瞳をした女──皇太女はあっという間にやって来た。オズワルドの前で足を止めると、こちらが唖然としている間に切れた息を整えて、きりりとした表情で見上げてくる。化粧を施してもいない、素顔のままの顔だった。

「目覚めたのだな、オズワルドよ。話があるのだが、少し良いか。余は、本日は所用が立て込んでおってな。朝のうちしか時間が取れそうにないのだ」

 オズワルドは面食らって一拍分反応を遅らせたものの、了承して頷く。仲間を追ってエタンセルへ渡る手筈について、一刻も早く相談がしたいと思っていたのは自分の方なのだ。

「庭師よ。余がここへ参ったのを、母上には内緒にしておいて欲しい。それと、気遣いは無用である。この別館へは、暫く誰も立ち入らぬよう」

 皇太女は初老の男に告げると、オズワルドの手を取って別館へ足を向けた。初老の男はとても気まずそうな顔をオズワルドへ向け見て、それから長い髪がふわりと流れる皇太女の背中に向かって、深々と頭を下げた。

「はい、はい。私は何も知りません。ここへは、おりませんでしたので」

 薔薇の水やりはまだ途中だっただろうに、初老の男はその場を小走りに去っていく。しかしどうにも気になったのか、一度振り返ってオズワルドを見た。


「なあ、おい」

 恐らくあらぬ方向に誤解されているぞと言いたくて、オズワルドは手を引く皇太女に呼びかけた。

「余の齢はお主と同じ、十七だ。この服は乗馬用にと仕立てたものでな。ドレスのように着用に時間がかからぬので、急ぎこれを着てきた」

「? 何の話だ?」

「このような姿だと、初対面の時よりも若く見えると思ったのだろう? 歳が知りたいのかと思うてな」

「……!」

 この手はオーラを読む為に繋がれたものたと気付いて、オズワルドは咄嗟に振り払う。迂闊だった。皇太女が手を介して読み取るのは、魔力についてだけではない。相手が自身をどう思っているのかまで分かるのだ。ユオの手紙にそう書いてあった。

 皇太女は手を払われても表情ひとつ変えず、別館の中へと入っていく。勝手に心を読まれたのは不服だが、誰に見聞きされるかも分からない屋外でこれからの話は出来ない。渋々といった様子で、オズワルドは後に続いた。


「許せ。お主との話に護衛は付けられぬ故、敵意が無いのを始めに確認しておかなければならぬ」

 扉から数歩のところで皇太女は足を止めて、オズワルドに向き合う。確かに、一度しか会っていない敵国の男が相手では警戒もするかと納得し、説明を受けたオズワルドは溜飲を下げた。

「ああ、そう。でも手なんて繋ぐから、今の庭師には逢い引きか何かだと勘違いされてるぞ」

「ふふ、まさか。余が挨拶で手を重ねるのは誰でも知っている。それに、余には婚約者がいるのも周知の事実。お主は魔術方面の知人くらいにしか思われておらぬわ」

 何も気にすることはないと言いたげに、皇太女が微笑する。

 いや、決まった相手がいるのなら、尚更誤解されるのはまずいだろうとオズワルドは思ったが、本人が気にしないならばいいかと口には出さなかった。近いうちにヴェスパー王国を出るつもりのオズワルドにとっては、庭師の勘違いなどさして重要ではない。

「兎に角時間がないので、本題に入る。オーラからするとお主の身も魔術も壮健のようであるし、ここでの立ち話で良いな?」

「……見下ろしたままでもいいなら」

 部屋は幾つもあるが使用せず、この廊下で話を済ませるらしい。身支度も整えずに走ってきたということは本当に時間が無いのだろうし、皇太女が未婚の女だと知ったオズワルドとしても、玄関先で話を済ませるのに異論は無い。オズワルドは壁に背をもたれさせて腕を組んだ。自分の上背は百八十センチを優に超えているので、立ったままだとどうしても仰ぎ見られる形になるのだが、皇太女は構わず話し始める。


「お主が時を止めてしまう前に、魔術具を一つ作ると約束した事を、覚えているか?」

 皇太女はそう話を切り出した。

 勿論覚えている。庭師によると今日は七月七日で、あれから四ヶ月以上の月日が流れている訳だが、時を止めていたオズワルドの感覚だと、そう発言をしたのはつい昨日の事なのだ。武器は作らない。そう前置きした上で、頼まれればこの国の為に魔術具を一つだけ作ると、確かに約束した。

 女王の対応が誠実であったことは仲間からの手紙から読み取れたので、今もオズワルドの考えに変化は無かった。仲間は安全な海の向こうへ渡っていて、死の呪いをかけられていた自分は命を助けられている。魔術具の件は元々オズワルドから言い出した事であるし、女王が作れというのなら、出来る限り期待には応えるつもりだ。

 自身を探し回る者はもういないだろうから、依頼された魔術具を仕上げてから仲間を追ったって問題はない。呪いというものは、かけた側も無事では済まないものなのだ。この身に呪いをかけた魔術師は、呪いの発動から間もなくして命を落としただろう。ニコラシュ共和国では当然オズワルドも、その時に死んだものと思われている。


「母上はあれから暫くは、お主の申し出に関心を示していなかった。魔術具の制作が必要である急務も無かったので、忘れかけてさえいたであろう。しかしマグヌスは、お主の機械を用いた魔術に強い興味を持ったのだ。呪いを調べられた折、マグヌスはお主の左腕を覆っている機械についても、二、三、質問していたであろう? 思えばあの時には、母上へ願い出ると決めていたのだろう。オズワルド、お主に自らの手足を作らせたいと」

「……手足?」

「そうだ、手足なのだ。お主が時を止めた後、マグヌスはお主の今後の処遇を尋ねた。母上はマグヌスの考えを受けて、お主がした約束を思い出してしまった。それからは、お主にマグヌスの手足を作らせようとお考えだ」

「やってみるのは構わないけど……難題だな。義手と義足、装着して見た目や機能を補う義肢は、どこの国にもある。でもマグヌスがわざわざ俺に依頼したいというなら、欲しいのはもっと特別な、魔力で動く機械仕掛けの手足ということだろ。どの程度のものが望みなんだ?」

「マグヌスが望んでいるのは、動きも見目も、生身の体と寸分違わぬ手足だ」

「そんなの、まず無理だね。俺は機械に自分以外の独創者の魔術を組み込めるし、誰の魔力であろうと作動するようにもある程度は組めるが、義肢は全くの専門外だ。マグヌスが求めている手足は作れない」

 下手に期待を持たれるのも困る。オズワルドはきっぱりと断言した。

「……やはり、そうか。無理なのだな。お主が出来ると即答出来る程の独創者であれば、余が仕掛けておいたベルも、杞憂であったと思えたのだが」

 皇太女がオズワルドを見る目に、憐れみが浮かぶ。

 いつの間にか背後から消えていた、小さな金のベル。あれはどうやら、オズワルドが動き始めたのをすぐさま皇太女に知らせる為に仕掛けられていたらしい。


「手足を作るのが難しいであろうことは、マグヌスも重々承知している。だからお主に、古い魔術の知識を全て伝授すると言い出したのだ。マグヌスはお主を弟子にして、何としても手足を作らせする気でいる。そうなればお主は自ずと、他に類を見ない稀有な魔術の知識を得た者となるであろう。すると事情は変わってくる。母上は、お主を他国へ渡らせはしまい。オズワルド、お主は相応の重役に就くことを命じられ、この地に留まらねばならなくなってしまう」


 ──自分が時を止めていた間に、予期せぬ構想が練られていたようだ。オズワルドは眉をしかめた。


 ニコラシュ共和国の建国より以前に使われていた、古い魔術。その知識はオズワルドが受けた呪いなどの一部を除き、大部分が失われてしまっている。祖国には希少である資料が保存されていないでもないが、あまりにも年代の古い魔術古語は解読不能とされている。強力にして単純明快なものが多かったとされる古い魔術の全貌は、もう誰も知ることが出来ない。

 しかしマグヌスは、古い魔術が使われていた時代の生き証人だ。対してオズワルドは、自身が直接は使えない類の魔術であっても、理論の変換さえ上手くいけば機械に組み込める。事実として、今は不可能だと思える事も、魔女マグヌスの知識を借りれば覆る可能性があるのだ。それは、認めるところだが。


「母上は魔術師ではないが、人を見抜く目を持ち、話術にも長けておる。こうと決めたなら断れないように誘導し、言葉巧みにお主に了承させようとするだろう。よいか、オズワルド。海を渡り仲間と共に生きたいならば、今日は呼ばれても気分が優れぬと言って、応じぬのが得策だ。母上とは、余が同席出来る日に会うのだ。そして何を言われようと、決して首を縦に振ってはならぬ。何日かかるかは分からぬが、余が折を見て説得を試みる。それまで持ち堪えよ」

「……何故、俺に忠告を? ユア・ハイネス、あんたには、俺をこの国から出したい理由でもあるのか?」

 知らせてくれたのは有り難いが、オズワルドは皇太女の行動を不思議に思う。女王に内密にしてまで自身を出立さようとする理由が、彼女にあるとは思えなかった。


「理由など特にない。余は、お主を待つ仲間の心を知っておる。それを無視出来ぬと思ったまでだ」

 皇太女は迷いのない声で、オズワルドに告げる。

「母上には母上のお考えがあるのも理解出来る。だが、マグヌスと対話を重ねているのは女王である母上のみ。余はマグヌスをよく知らぬ。合わせる手を持たぬマグヌスの、オーラの色は分からぬのだ。しかし、お主の仲間とは手を重ねた。余には、あの者達の望みとオーラを見た者としての責任がある」

「責任って……。俺達はあんたの名前も知らない、通りすがりの人間なのに?」

「ウィステリア・シャルロット・ヴィエルジュだ。お主には名乗り忘れていたな。余は、もう行かねばらなぬ。お主が目覚めたことは母上に申し上げておく、隠せば不審に思われるのでな」


 用件を話し終えたウィステリアは、別れの挨拶も告げずに別館から去っていった。

 オズワルドはまだ話を続けるつもりで開いた口を、仕方なく閉じる。腕を組んで壁にもたれたまま、憮然とした面持でウィステリアの出ていった扉を眺め、それから天井を仰ぎ見た。

「……今の話で、俺が納得したとでも思ってるのか? こっちはオーラなんて読めないんだぞ」

 初めて会った時は、その皇太女たる凛とした佇まいのせいで、同じ人間なのだと意識しなかった。ネーベルに微笑んだ時だって、作り物のようだと感じていたくらいだ。だが実際はどうだ。本当に自国の者でもない通りすがりの若者の望みにまで心を砕いているとしたならば、なんと人間味のありすぎる難儀なお姫様だろうか。


 責任があるという言葉は、生き方の指針を決めている者の口からしか聞けない言葉だ。オーラを通して人の心を知る力に、彼女は優越を覚えていない。見るからには真摯に引き受けていくつもりでいるのだ。負の感情も正の感情も、人のあらゆる思いを。

 次期女王の立場であれば、ああして毎日のように他人のオーラを読んでいるのだろう。それは便利なようで、実は周囲の人間が考える以上の苦痛ではないだろうか。逃げたくはならないのだろうか。王家に生まれなければと生まれを呪った夜は、これまで一度もないのだろうか。

 物心ついた時から独自の力を発揮出来る独創者は、すべからく自問自答するものだ。自身にしか使えない魔術は、一体何の為にあるのかと。ウィステリアはきっと、既にその答えを見出している。


 ──では自身は、どう生きていきたいのか。

 オズワルドはその答えを、まだ掴めていない。


 ニコラシュ共和国と関わりがない国で、仲間と生きていく。これまで生きてきた世界とは全く関係のない世界に逃れて、平和に暮らす。

 そこではもう、武器を作らなくていい。魔術具を作る機会も、殆どなくなるかもしれない。たまに調子の悪くなった機械を直して、苦手な暑さに少し嫌気がさしながらも、人々に尊敬される魔術師として暮らす。かつて機械の独創者として生まれてしまったのを思い悩んだ事も、人を殺す道具の作成に携わった事も、穏やかに過ぎる年月の中で、忘れる。

 悪くない暮らしだ。

 悪くないけれど、平和すぎて想像が追いつかなかった。


 ポケットへ仕舞った手紙の中に、書かれていた通りなのだ。

 オズワルドの心はまだ、逃亡した翌日で止まったままでいる。あの日の、リュゼを失った記憶が薄れていない。ユオはそれを見越して『後悔はしないで欲しい。早く追いかけてきてくれ』と書いて寄越したのだ。距離や時間のことだけではなく、心境の面でも自分達を追いかけいて来いと。ユオらしい、遠回しな表現の優しい激励だった。

 それを嬉しいと思うべきなのに、目を通した時から何かが引っかかっていた。

 ウィステリアと話をしたせいで、その理由が分かった。自分はこれからの生き方について、全くと言っていいほど望みを持っていないのだ。

 

 仲間は皆、最初から新天地での生活を夢見ていた。

 しかしオズワルドは違う。ただ、あの世界から逃亡するのを夢見ていただけだ。自由を求めて、などと大それた事を望んでいた訳ではない。戦争の道具にされる生き方を終わらせる事が出来るならば、何だって構わなかった。終わらる気で、命を使い切るつもりで施設を出た。 

「ああ……そうなのか」

 オズワルドは自嘲するように独りごちて、ため息をついた。

 女王に『どう生きたい』と問われて素直に答えようとしなかった時、何故あれほど女王が怒りを顕にしたのか、今更ながら分かった気がした。

 自分がただ『逃げたい』としか思っていない人間なのだと、女王は見抜いていたのだ。オズワルドは自ら生きる事を選んだつもりでいたが、そうではない。あれは話術に嵌められたのだ。あの時どう生きたいかを具体的に答えさせられたことで、退路を絶たれた。

 女王は呪いのままに命を失う選択を、『生きることから逃げること』を許さなかった。だから自分は今、ここに立って息をしている。そういうことだ。


 オズワルドは部屋へ戻って、三通の手紙をもう一度読み直した。

 自分を待っている仲間と、その気持ちを理解して動こうとしている皇太女ウィステリア。生きる事から逃げるなと自らに命じたも同然の女王と、手足を作らせたい魔女マグヌス。この国の土の中に眠るリュゼと、己の後悔。それらを、時折湖の煌めきを眺めながら暫く考えていた。他にやれることなど無かったので、考えるしかなかった。


 やがて使用人が訪ねてきた。オズワルドが時間を取り戻したことを、ウィステリアが女王に伝えたのだろう。

「女王陛下が、お客様をお呼びです。ご案内いたします」

 女王の用件は、早朝ウィステリアから聞いた魔術具の依頼に違いなかった。ウィステリアは会うなと言っていた。彼女が不在のうちに話術に長けた女王に会えば、魔術具制作を断わりきれないのはオズワルドにも予想がついていた。


「──分かった。行くよ」


 頷いて、オズワルドは使用人の案内に続いた。

 せっかくのウィステリアからの忠告を無駄にするのは気が引けたが、考えた末に女王に会うと決めた。このヴェスパー王国へ留まり、マグヌスの弟子になって手足を作ると決めたのだ。


 あとで紙とペンをもらって、仲間へ無事を知らせる手紙を書こう。一緒に暮らせないのは謝らなければならないだろうけど、それでも。

 シエロ、キアーヴェ、ユオ、ネーベル、ごめんな。

 このまま海の向こうへ逃げたら、俺は過去を精算出来ないまま、後悔し続けてしまう気がするんだ。


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