魔術の弟子(2)

 ウェステリアは特別教室を後にすると、シルバーグレーの柔らかな色味のドレスの裾を持ち上げ、馬車の中へと落ち着いた。護衛の者が少し遅れて馬へ跨れば、一行は城を目指し湖方面へ向けて出立する。

 馬車を牽引する白馬が、石畳の道を力強く軽やかな走りで進んでいく。学生と思わしき若人がちらほらと見られる通りを後にして、石造りの小橋を幾つか渡った。街中に伸びる水路では大きな水車が廻っていて、涼やかな水の音が至る所から聞こえてくる。その周辺には緑も多く、木材を骨組に石や煉瓦や漆喰を用いた、半木骨造の建物が並んでいる。

 中通りから見上げる空には、蒸気を上げる高い煙突も目立つ。王都では織物業が盛んで、水力で綿糸を作り、蒸気の力で布を織るのである。そうして出来た布を扱う仕立て屋は、賑やかな表通りに数え切れないほど存在していた。


 王都の街並みは、先程の授業で一人の生徒が言った通り、確かに美しいものだ。人々の頭上にある空は青く高く、清々しいまでに澄み渡っていて、街中には水の豊富な都市特有の、清涼な風の流れがある。その風は煙突から排出される煙を散らし、大気を浄化している。

 真新しい蒸気機関技術と自然が上手く共存しているこの王都には、絵描きならば一度は描きたくなるであろう芸術的な趣きがあった。


 王都やその他の主要都市は、貴族である魔術師が中心となって守りを固めている。魔術師ではない人々で編成されている国の軍隊もあるにはあるが、戦争が魔術戦へと移行して以来、彼らの役割は力ある魔術師の援護と、王族の護衛が主になっていた。

 ウィステリアは道行く人々を眺めながら思う。この美しき街が、僅かな人数の魔術師達によって守らているものだと、どれ程の国民が実感していることだろうかと。馬車から眺め見る人々は皆、この国の女王と同じブラウンの髪と青い瞳をしている。国一番の人口を誇り、若い独創者の集められている王都でさえ、外見に魔術の影響が濃く浮き出た者達が少数派であるのは否めない。先程までは浮きもしなかったウィステリアの藤色の髪と瞳は、特別教室から一歩外へ出れば稀有なものとなっていた。 



 城でウィステリアの帰りを待っている女王、グレイス・レイラニ・ヴィエルジュは、意志の強さを感じさせる碧眼とブラウンの艶髪が印象深い、聡明な女性である。ウィステリアの実母であるが、約九割の国民と同じように魔力を持たない。魔術師という存在は、遺伝とは全く関係がないからだ。

 女王グレイスは歴代の王に比肩する慈悲深さと知恵を持ち、大いに民に愛されている。在位したのち、唯一国民を長い間心配させたのは、子を授かりにくい体であることだった。高年となってから難産の末に産まれたのは、待望の一人娘。無論それはウィステリアのことだ。王家始まって以来の、王位継承権を持つ魔術師の誕生であった。

 

 ヴェスパー王国の王は性別を問わず、また、女系だろうと男系だろうと王位継承権を認めている。直系とはいえウィステリアはまだ若く、見目からしてはっきりと魔術師だと分かる特殊な存在でもあるので、次の王座を任されるのは従兄弟か母の弟妹でもおかしなことではなかった。

 しかし、奇跡とも捉えられる時期に女王グレイスが宿した命であると共に、ウィステリア特有の力が人の本質を見抜く類のものであったので、人々は次第にあることを口にするようになった。

 あの娘は、神様が女王となるべき存在として遣わされたお方なのではないか、と。


 かつて特別な力を持つ魔女が狩られた時代があったのは、歴史を学ぶ上で誰もが知る事実だ。そして今でも、力ある魔術師を畏怖する心は人々の中に確かにあるのだろう。

 しかしヴェスパー王国は古くから自然信仰を国教としており、自然を司る神に感謝する祭りも盛んな国でもある。近年では信仰の対象である超自然的な存在と、僅かな人数の個人が持つ超自然的な力『魔力』に、関連性を抱いている者も多いのだ。

 ウィステリアは好意的な世論に推され、母にも女王となる資質を認められ、その他のあまり公には出来ない事情も手伝って、成人を待たずして正式に皇太女となった。立皇嗣の宣明が行われたのは、つい半年前のことである。その際にもウィステリアのオーラを読む力は大いに役立ち、政治とはこうも裏表があるものであろうかとしみじみしたものだ。物心ついた頃より否が応にも人の心向きを知ってしまうのが常であったので、自身に向けられるものが野心だろうと世辞だろうと、殊更失望を覚えることはない。ただ、これから先はどのようなオーラを見ようとも平静に判断することがより必要になるのだろうと悟り、ウィステリアは身を引き締めたのだった。


 馬車は既に、石造りの重厚な建物ばかりの地区に差し掛かっている。古くからあるそれらは全て、各政府機関が本部として使用している建造物だ。

 ここまで来れば、居城の浮かぶ湖はすぐそこである。しかし突然の突風に馬が驚いたようで、馬車は急にその場で一度停止した。

「失礼します、ユア・ハイネス。お変わりないでしょうか」

 護衛の一人が馬車の隣へ馬を進めて、ウィステリアの様子を気にかける。窓越しに頷いて大事はないと示せば、馬車は再び進み始めた。


 優美に流れる薄い雲以外は何もない、湖の上の辺りの空を、藤色の瞳に映す。

 目には映らなくとも、今の突風はメセチナの到着を知らせるものだと分かる。大気を操る偉大な独創者は誰に知られることもなく、女王が非公式で面会する敵国の子らを連れてやって来たのだ。




*****



 ニコラシュ共和国の若者達との面会は謁見の間を使用せず、たまの宴に使用する大広間にて行なわれた。

 ウィステリアが母グレイスに続いて室内へと足を踏み入れれば、そこには四人の青年が一同に片膝を付いて待っており、幼い女児も床にぺたりと座り込んでいた。小さな少女は落ち着かない様子で、隣の青年の顔を何度もちらちらと見上げている。恐らく二人は兄妹なのだろう。

 人払いをしてあるので、彼らの傍に立っているのはメセチナのみだ。メセチナならば不測の事態が起ころうと、一人でこの場を去なせる。そもそも大気を操るあの壮大な魔術の力を体験した後で、異国の彼らがメセチナの不信を買う行いをするとは思えない。よって、他の護衛など不要なのである。


「ユア・マジェスティ、並びにユア・ハイネスにおかれましては。私共の嘆願のために過分なるご配慮を賜りましたこと。衷心より拝謝申し上げます」

 ウィステリア達が用意されていた椅子に並んで腰掛けると、正面で片膝を付いている虹色の髪の青年が言葉を発した。明瞭な発音の芯のある声だが明らかにぶっきらぼうな物言いで、本心からこちらを敬っているような丁寧さは、まるで感じられなかった。メセチナに教えられた挨拶そのままを諳んじただけであるのは、オーラを見るまでもない。

「余はメセチナの顔を見るついでに出向いたまでのこと、礼には及ばぬ。さて、お主が此度の亡命の主導者なのだな。面を上げてみよ」

 女王がそう伝えると虹色の髪の青年は顔を上げ、嘆願する者にしては強過ぎるペリドットの瞳を向けてきた。この国の者ならば即座に席を立たれても文句は言えない、不躾な視線だ。しかし女王は、困り顔のメセチナをちらりと一瞥してその心中を察し、他国の若者の態度を大目に見ることにした。

「名は、なんと申すのだ」

「オズワルド・ミーティアと。ユア・マジェスティ、本題に入る前に要求がある」

 いよいよ自身を睨んでいるとしか思えない瞳に、女王は絶句した。それと同時に、ウィステリアが怒りを胸に秘めてすくりと椅子から立ち上がる。

 女王グレイスは魔力を持たないが、娘ウィステリアの人生を案じて育ててきた為に、魔術や魔術師には詳しい。オズワルドが強い魔力を持つ独創者であるのは容姿からして明らかなので、母は真正面から睨まれて恐怖を感じたのだ。女王らしく顔には出さないが、娘であるウィステリアにはそれが分かる。

「母上。この者の話は、私が聞いてご報告いたします。どうぞお下がりください」

 ウィステリアは女王に退室を促す。得体の知れない独創者の無礼な視線から、母の身を遠ざけたかった。するとメセチナが慌てた声で、事情を説明してきた。

「お待ちください、ユア・ハイネス。このオズワルド・ミーティアは、この場にそこの幼子が同席する事、その一点に対して不満があるのです。私めが全員での挨拶をと伝えたところ、このように不機嫌になってしまいまして」

「面会するのは俺だけでも用が足りるくらいなのに、あんたが頑なに強制するからだ。ネーベルが怯えているのが見えないのか?」

 大魔術師メセチナ相手に、ぴしゃりとオズワルドが言い放つ。この面会の意味を全て説明する訳にはいかないメセチナは、返す言葉を持たない。若者を相手にこうも困り顔を深めているメセチナなど、珍しい光景だ。


 ウィステリアはオズワルドの言い分を知って、胸中に湧いていた怒りをおさめた。つまり彼の持つ不満は、自身と同じようなものなのだ。ウィステリアは今、母を脅威から遠ざけようとしたが、彼は仲間である幼子を恐怖から守りたいのである。

 見ればネーベルという名であるらしい幼子は、兄と思われる青年の膝にしがみついて泣きそうな顔をしていた。

「……母上。挨拶はまず、あの幼子から始めて良いでしょうか」

「うむ。オズワルドとやらの気を沈めてやらねば、ゆるりと話も出来ぬ。お主の采配で退室の許可も出してやるがよい」

「御意に」

 ウィステリアは女王の許可を得るとネーベルに歩み寄り、怖がらせないように柔らかく微笑んで、ゆったりと声をかけた。

「ネーベル、というのだな。お主と挨拶がしたい、私の手を握ってくれまいか」

「……」

 ネーベルは差し出されたウィステリアの右手をじっと見ているだけで、兄らしき青年の膝にまとわりついたまま立とうとしない。青年は言われた通り手を握るように優しげな小声で言い聞かせていたが、埒が明かないと判断するなり顔を上げて、ウィステリアに告げた。

「あの、僕はネーベルの兄で、ユオといいます。作法に則らず、失礼になるのは承知していますが……二人で一緒に手を握っても、いいでしょうか」

「構わぬ。そうしてくれるか」

「ありがとうございます。ユア・ハイネス」

 ユオは、そっとウィステリアの手を取る。触れた手から流れてきたオーラは、ユオの優しげな態度と違わぬものだった。読み取れる魔力の質は、彼が独創者ではない一般的な魔術師であることを示している。ウィステリアに対してはまだ疑心暗鬼といったところではあるが、信じたいと願う色を感じた。その心は、ひたむきに助けを求めている。

 兄に倣ってネーベルの手が遠慮がちに加わると、伝わってくるオーラは二人のものが混ざった。とはいえ、幼い子供の魔力量は兄よりも少ない。彼女もまた、一般的な魔術師であるようだ。兄のものと選別するために少しだけ深く探ると、ネーベルからも兄によく似た純粋で素直な心が伝わってきた。

「……うむ。二人はこれにて退室してよい。余の客人と分かる、案内を付けておこう」

 手を離すなり、ウィステリアは空に簡単な魔法陣を描く。ちりん、と軽い音を立てて、宙に浮く小さな金色のベルが現れた。

「これに続いていけば、薔薇が見頃の中庭にて紅茶と菓子にありつける。皆の話が終わるまで、兄とそこで待てるな? 賢き者よ」

「……行こうか、ネーベル。今からお花がいっぱいの庭で、甘くて美味しいものを僕と一緒に食べられるんだよ」

 ウィステリアの難しい言い回しをユオが要約してやれば、ネーベルはぱっと顔を輝かせた。ベルの後に続いて、二人が広間から出ていく。

 残った者にも同じように手を差し出し、ウィステリアは一人一人との挨拶をした。メセチナから事前に作法は教わっていたらしく、手を取って唇を近くまで寄せる様子は、全員それなりに形になっている。挨拶を以てオーラを読むのを警戒されないように、メセチナはウィステリアの能力を彼らに伝えていない。おかげで主導者であるオズワルドも、何の警戒心も抱かずウィステリアの手を取ってくれた。


 全員のオーラを読み終えたウィステリアは、暫し無言で考えてから、自身の知り得た結果を女王へ耳打ちした。女王は深く頷いて、室内にいる者達に告げる。

「お主らの望みは、海の向こうの国への亡命であったな。メセチナの頼みでもある、概ね叶えてやるとしよう。シエロ、キアーヴェ。二人はこれにて下がってよい」

 ウィステリアの描いた魔法陣から、先程と同じベルが出現した。キアーヴェが、ユオに吉報を早く知らせてやりたいとばかりに立ち上がる。しかし、シエロはふわりと広間の扉へ向かい始めたベルを追わず、異を唱えた。

「いえ。オズワルドがまだ残るなら、僕も残ります。他国へ渡った後の計画を立てるのは僕の役割だから、今後のことは詳しく聞いておきたいんです。それに、ここに来るまでオズワルドにばかり頼ってきたから、僕は彼の補佐を──」

「ならぬ。余は先のことではなく、ここへ来るまでの経緯をオズワルドより詳しく聞いておきたいのだ。よって、独創者であるお主が如何なる役割を担っていようとも関係がない。お主がこの場に残ることは、オズワルドも良しとしまい」

「えっ……?」

 シエロは女王からの言葉に困惑して、オズワルドを見やった。

 この場に一人残されるのは何故なのか、オズワルドには既に心当たりがあるようだ。こくりと頷いて、シエロに「行ってくれ」と告げた。

「……分かった。待ってるよ、オズワルド」

 立ち止まっていたキアーヴェも心配そうにオズワルドを見ていたが、シエロが歩いてきて扉を開くと、二人揃ってベルを追って広間を出ていった。

 足音が扉から遠ざかっていくのを確認した後で、オズワルドは自ら話し始める。


「……シエロが独創者だと分かっているなら、つまり、さっきの挨拶は魔力の性質を読み取るためのものだったんだろ?」

 シエロは独創者ならではの稀有なオーラの色を持っていたが、一般的な魔術師程度の魔力量しか持っていなかった。彼が独創者であるという事実は、特徴の少ない見た目だけでは伝わらないものだ。オズワルドはそこから、ウィステリアの能力を魔力の性質を知ることが出来るものだと判断したようだった。

「それで、俺が詳しく話すべきなのは魔術銃の件? それとも別の話?」

「さて。どちらにあたるのかは、余には分からぬ。だが、我が娘はこう言うのだ。お主の身には、死に至る魔術がかけられていると」

「ああ、そっちか。まあね、その通りだよ。単純だけど解術は不可能な、古典的な呪いだ。これは許可なく勝手に施設を出たら発動して、遅くても七十二時間後には死ぬ。今回の脱走が成功したのは、監視も俺にかけられた呪いを知っていたからだ。奴らは施設を出たら確実に死ぬ俺が逃げる筈はないと思い込んで、警戒を緩めていた」

 オズワルドは足を崩して胡座をかいた。仲間が飛行船に乗れるのは確約されたのだから、もう礼儀を守る必要はないと言わんばかりの態度だ。口調も女王に対するものとは思えない、すっかり砕けたものになっている。

 女王はそんなオズワルドを咎めなかった。彼にかけられている呪いは、こちらが約束した飛行船の手配とは関連性がない。個人的な関心を抱いて、引き止めているのはこちらの方なのだ。

「……その古典的な呪いとは、如何に優れた魔術師であっても、解術は難しいのか?」

 尋ねたのはウィステリアである。呪いはオーラから感じ取れたもので、死へ向かう気配の強さも理解出来たが、どのような手順のどんな呪いであるのかまでは分からなかったからだ。

「無理だろうな。今どき信じられないだろうけど、これは生きた供物を用いる呪いだ。強力な呪いで、かけた側も無事では済まないから、大昔には悪魔との契約だと信じられていた。魔術研究が進んだ今も、解術出来たって話は聞いたことがない」

 他国でも解術の方法は見つからないと覚悟していたようで、オズワルドは己の命があと二日ともたない状態だというのに冷静だ。

「仲間の中で俺だけが呪いをかけられているのは、施設内で請け負っていた仕事が特殊だったせいだ。俺は機械に魔術を通すのが得意な独創者で、武器になる魔術具の開発をしていた。お察しの通り、魔術銃の開発にも携わってる。国の機密を漏らさないように、こういう魔術具の開発に関わる奴には全員呪いがかけられているのを、一緒に来た仲間は知らない。あいつらは俺が亡命するついでに誘われたんだと思って、ここまでついてきたんだ」

 オズワルドは、持参してきた魔術銃を懐から取り出して床に置いた。

 彼の得意とする魔術が機械に関わるものであるという事までは、オーラから読み取れなかった。しかし先程触れた手がまだ痺れている程に、その魔力が強いのは確かである。武器の仕組みを知る特別な仕事を請け負っていたからこそ、逃亡を防ぐ意味で呪いをかけられている。その説明はオズワルドの魔力の量と質を鑑みれば、納得のいくものだ。

「なれば此度の脱走を企てたのは、偏に仲間を逃がす為か」

 女王が問えば、オズワルドからは意外にも「いいや」と否定が返される。

「言っておくけど、自分は死んでもいいから仲間だけはとか、そういう自己犠牲の気持ちで計画を立てた訳じゃないからな。俺は自分の仕事が嫌いだった。死ぬまであの国で人殺しの道具を作らされるくらいなら、ほんの少しでも気を晴らせる行動をした上で、今死んだ方がましだと思っただけだ」

 ウィステリアはその返答を聞いて、先程触れた憎しみの深いオーラを思う。オズワルドの本質は厚く重々しい憎しみの心に覆われていて、短時間で読むのは困難だった。自身やヴェスパー王国に向けられているものではなくとも、誰をここまで憎んでいるのかと溜息をつきたくなり、恐らく呪いをかけた相手を憎んでいるのだろうと予測して、ウィステリアはその心を探るのをやめた。憂鬱になるオーラに無駄に深く触れるのは、兎角不快であるからだ。

 ──だがオズワルドが憎んでいるのは、人ではなかった。彼が憎んでいるのは戦争だ。人を殺める道具を生む役割そのものだ。長く抱えていたであろうその苦悩は、投げやりに吐き捨てた言葉からも明らかであった。

 女王にも今の発言から、ニコラシュ共和国で生きてきたオズワルドの苦しみは伝わったことだろう。彼が良心の呵責に耐えきれず、成人して本格的に戦争に加担することを拒絶したのだということも。


「……オズワルドよ。一つ、お主の考えを聞かせるがよい。その身にかけられている呪いを解けるとしたなら、お主はどう生きたいのだ」

「どう生きたいのかなんて、考えるだけ無駄だ。これはニコラシュ共和国が建国された頃の呪いだけど、二百五十年も前の魔術について詳細に書き残した文献は、この国には現存してないだろ。俺が読み込んだ古い文献の内容ならいくらでも話してやるけど、この国の魔術師が呪いの仕組みを今更研究し始めたところで、明日の夜には俺は確実に死んでるよ。何なら時間が惜しいから、研究の材料になりそうな所だけでも今話しておこうか? この呪いは魔術銃にも応用されていて、儀式に必要な供物は長寿で神聖な生き物ほど──」

「余が問うていない知識について話すのであれば、それは紛れもない侮辱よ! 貴様は先の問いにのみ答えよ!」


 女王のこれまでにない厳しい声が、オズワルドの話を遮った。広間に響いた声は、先程から場を見守っているメセチナが瞬時に表情を硬くするほどの怒気を含んでいた。


 オズワルドも驚いて、目を見開き口を噤んだ。目線を彷徨わせた後に、床の一点をじっと見詰める。それから、あり得ない夢物語でも語るかのような口調で呟いた。女王の厳しい問いに対する確かな答えだと確信していない、自信の無さげで微かな声だった。


「まだ生きていられるなら、医者にでもなりたかった。これまでやらされてきた事とは正反対の、命を繋ぐ仕事だ」


 その聞き取りにくい小さな声を然と耳で拾い上げた女王は、オズワルドの答えに満足したようだ。ウィステリアのような魔力を持たなくても、女王グレイスは意思の強さの宿る青き瞳と会話を以て、人の本質を見定める。

 女王は自身の判断で、常ならば他言無用の城の秘密をオズワルドへ打ち明けた。

「お主が亡命を企てた動機はよく理解した。しかと聞くがよい、オズワルドよ。この国には古い魔術の文献は残っておらぬが、二百五十年前にお主と同じような死の呪いをかけられた魔女の伝承がある。魔女の名を、マグヌス・ディアマンテ。マグヌスは呪いの込められた刃で四肢を切られ、相棒とする犬と共に、この湖の底に打ち捨てられた」

「……ユア・マジェスティ。魔女狩りの歴史なら俺も知ってる。残忍で不幸な話だけど、昔はどこの国でもよくあったんだろ。だからニコラシュ共和国が出来た」

 女王が語るのは、ウィステリアが出向いた本日の特別授業でも丁度触れられていた、古き魔女の話だ。だがこの伝承には、一部の者しか知らない続きがある。

「城の建設が計画された折に湖の調査が入念に行われ、二つの棺が引き揚げられた。湖の底に沈んでおった棺のうちの一つには、魔女と犬の身が封じられていた。我が王家はそれから百五十年もの間、動けぬマグヌスと相棒である犬を、城で保護している」

「動けぬ……? 動かぬ死体を安置してるってことか?」

「いや。動かぬではなく、動けぬ身だと言ったのだ。マグヌスは四肢を失っている為に歩行もままならぬが、今も生きている。かの魔女は類まれなる時を操る力で己の呪いを無きものにしたばかりか、同じ呪いを受けた犬の命をも助けて傍に寄り添わせておるのだ。これがどういう意味であるか分かるな、オズワルドよ」

「……まさかだろ。俺の呪いを解ける可能性のある魔女が、この城にいるっていうのか」

「解けるか否かは、マグヌスにしか分からぬが。直接話をしてみるのが良かろう、どうだ、会ってみるか?」


 女王に問われて、オズワルドはすぐには返答せず、暫し逡巡する。

 彼は仲間以外の他人をそう簡単には信用しない性分であるようだ。誰の思い通りにもなりたくないという反骨精神も、これまでのやりとりから透けて見える。


「助かっても、この国の武器の開発には協力しないぞ。それに俺は、ニコラシュ共和国の軍の情報は持っていない。詳しく知っているのは、魔術と魔術具についてだけだ」

「よい。我が国は他国を味方につける為にも、現在は防戦に徹しておる。ニコラシュ共和国との戦争を、武力で解決しようとは思っておらぬ」

「さっき医者になりたいって言ったけど、あれは言葉の綾だ。正直に言うと魔法薬の調合がてんで苦手だから、医者には全く向いてない。俺は普通の魔術師でも作れる回復薬すら、まともに作れたことがないんだ」

「医者を目指せとも、我が国へ留まれとも命じぬ。お主も仲間と共に、祖国から遠く離れた地で安寧を得たいのであろう? 運良く命が繋げられたならば、望むままに海を渡ればよかろう」


 仲間と共に海を渡る。命さえ助かればそのような未来があるのだと伝えられたオズワルドは、静かに目を伏せた。しかしその表情には、希望を見出した顔とは思えぬ悲痛が浮かぶ。

 ウィステリアと女王は、彼には失った仲間がいるのだとメセチナから伝えられていた。瞼の裏に思い描いた光景は輝かしい自由であると共に、失った者の不在をも痛感させたに違いない。

  

「……ならば、その魔女とやらに会わせてくれ」

 決意を固めた様子のオズワルドが、女王の青い瞳を真っ直ぐに見据えて申し出る。

「けど俺は今、助かる命に理由が欲しい気分なんだ。ユア・マジェスティ。あんたの言葉に嘘が無いなら……俺は一つだけ、この国の為になる魔術具を作ると約束しておこう」


 

 機械に長けた独創者であると自負するオズワルドは、命の対価ならば安いものだと考え、得意分野での恩返しを自ら申し出たに違いない。

 しかしこの時は、まだ誰も予想していなかったのだ。『ヴェスパー王国の為に魔術具を一つ作る』という約束が、後の彼の命運を決めることになろうとは。

 


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