第19話

我が家には白い藤の木がある。

猫の額ほどの庭なのではあちこちに絡みついて正直毎年苦労している。


数年前まで毎年庭師さんが来てくれていた。御年70〜80歳のおじいちゃんである。毎年向こうから電話があり、花火の日に来るという。彼が我が家の庭を作り、ずっと守ってきてくれたのだが、ここ数年来てくれていない。


数年経った庭は荒れ放題。時折藤の蔓を切ったり、雑草を刈ったりしていたが、高さをどうすることもできず、また椿の木が多く、茶毒蛾が発生するため、怖くて庭に近づけない事案が発生したりした。


庭を作った関係者が居なくなり、住んでる人間が住みやすいようにしたいという思いが出てくる。


ある日お隣に来た庭師さんに突如お願いして椿を根元から切ることと、大きくなりすぎた檜は高さを低くしてもらうようにお願いした。仕事から帰ると悩みの種であった木がスッキリしている。だがある日檜が枯れているのを発見する。木を切りすぎるとダメなのか…。


あれからまた数年。庭師の入らない庭はあっという間にジャングルと化してしまう。藤の蔓を切るだけでゴミ袋何袋も出る。毎年子どもとがんばって庭の草むしりをしてきたが、もう疲れた。この藤の木を切って仕舞えばスッキリするのではないか?ジャングルの中で考える。


風呂をいじってもらう関係で、庭をきれいにしなくてはならず、庭師さんに連絡し、藤の木を相談する。


切るってことは『フジを殺すってこと』そう言われて躊躇しつつ、とりあえず短くカットして、それでも嫌なら切ればいい、と。


数年ぶりに庭師さんに綺麗にしてもらった庭はスッキリし、ジャングルが『庭』になった。


夕方終わりがけに子どもを歯医者に送った数分の出来事である。帰宅すると庭師さんが二軒隣の奥さんと話している。昔この庭で遊ばせてもらっただの、大婆ちゃんは綺麗な人だっただのなんだの。帰る間際に『いやー、この木が藤なのか気になってね。来年花が咲くの楽しみにしてるわ。だから切らないでね』という言葉を残して帰っていった。


最後の片付けを終えてベランダに上がり、藤の木を見下ろす。この藤は切られたくなかったのだろう。私が居ない時を狙って人を使って切らないように伝えてきたのだ。


庭師さんにこの庭は教科書に載ってるくらい基本に忠実な庭だと言われ、石灯籠など褒められ、ダメ押しにご近所さんまで連れ出してきた。


もう切ることはできない。


今できるのはこの庭を写真に収め、出来るだけ維持することだけだ。そう思い写真を撮るが、結局最後は庭師さんを頼ることになるのだろう。


家を引き継ぐということは庭も引き継ぐのだ。作り手の想いはわからないけど、どこまで引き継ぐことができるかわからないけど、ご縁がある木なのだから、もう少し一緒に生きていこう。木の方が寿命が長いから看取ることは出来ないけど。看取られるのもいいかもしれない。

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おかんという生き物 おかん @dengo3

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