随想
あるじまうけ
箸
私が今使っている箸は、私が小学校低学年かそれより前に父と、何か親子ものづくり体験のようなイベントで、竹を削って作ったものであります。それからかれこれ10年以上同じ箸を使い続けているわけですが、たかが体験イベントですから当然、保存塗装などしていません。持ち手の方から黒くなっていって、はじめはクリーム色だった箸は今では上半分炭をかけたような色になっております。これを時々火で炙って殺菌し、もたせているわけです。
私がこれを使い続けるのには理由があります。ひとつには使いやすさです。それは10年使えば使いやすかろうということは、皆様ご想像にかたくないことでありましょうが、構造の上でもやはり使いやすいのです。
市販の箸は木製のよいものでも、直線的で洗練された手に負担のない形状をしており、表面は滑らかに仕上げられています。これはとても見目がよく、食事をひと口ずつ口に運ぶのにこれ以上なく適しています。しかし、それ以外には適していないのです。たとえば取り皿に多めに取り分ける時(もちろんこれには自分の箸を使わないために不便に気づいたのですが)、または細かい異物を取り除く時など、この直線的な形と滑らかな表面は非常に邪魔なものになってきます。
私の箸は父が手伝ったとはいえ、私が幼少に作ったものであるがゆえに、多少の凹凸や不均等があり、やすりがけをした後でもナイフで削って作ったことがわかるくらい、不完全な表面をしています。これがあらゆる目的に適応するのであります。もちろん他の人にはただの使いにくい箸でしょうが、10年以上使っている私にはこれが、五本の指ほども万能な道具であるのです。道具というのは何か特定の機能があって、人がこれを介してその機能を利用するものでありますが、私の箸は私の未熟と、箸というもののシンプルさゆえに無限の機能を備えたものであり、私はその熟練した使い手であるように思われます。
また別の理由には当然、思い入れというものもあります。これを削りながら父と、「先の方を細くした方が良い」だの「長い箸にしたい」だのと、話したことは今でも鮮明に思い出されます。ちなみに私は当時「子供らしさ」や「子供用」などという付加価値が嫌いだったために、「長い箸にしたい」と言ったのですが、同意した父は「大きくなっても使えるように」というつもりだったのだと思います。しかしこれらは思い出であって思い入れではありません。これだけではないのです。
この箸とは私の人生の半分以上を共にしてきました。海外へ旅行に行っていたような時以外は、これを使わない日は無かったろうと思います。これは私の身体の一部であると言っても、誇張どころか比喩や婉曲ですら無いでしょう。というのも、この箸がいよいよ傷んでしまって、あるいは折れてしまって、使えなくなった時、他の箸で食事をする自分の姿が、まるで義足で歩くように思い浮かばれるのです。もちろんそれほどの肉体的な痛みや、リハビリその他の訓練は箸には不要ですが。
随想 あるじまうけ @unsustain
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。随想の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
雑多・メモなど/ユニ
★12 エッセイ・ノンフィクション 連載中 46話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます