【短編】「余命二年のわたしじゃダメですか?」と彼女の妹が言った。
天道 源
「余命二年のわたしじゃダメですか?」と彼女の妹が言った。
高校二年の冬。
僕は、巫陽子(かんなぎようこ)先輩に告白をした。
文芸部で出会った一つ上の先輩だった。
黒い髪は艶々で、白い肌はどこもかしこもぷっくりとしている。
スタイルはモデルみたいだし、目も胸もデカく、顔のパーツは全てが整っていた。
なによりその身に纏う雰囲気は、実に高校生離れしており、必要量以上の色気を常にまとっていた。
そのくせ性格はおっとりとしており、人を疑うことはせず、いつでも微笑を浮かべているような母性がある。
まるで全類の母親のような存在。
心が澄んでいて、真っ白で、いつだって正直な人だったから、人に恨まれることなんて死ぬまでないのだろう。
ただ人に固執されることは多々あるようだった。
たとえば、とある教育実習生が巫陽子先輩のストーキングや盗撮をしようと企てたあげく、捕まった――というエピソードのおかげで、彼女の魔性ぶりは校内どころか地域が知ることとなったのだった。
余談……ということにしておくけれど、その「ストーカー教育実習生」を捕まえたのは僕である。
名誉のために言っておくが、商売仇の別のストーカーを捕まえたというわけじゃない。僕は決して、そういう趣味はない。
ただ偶然に、犯人の思惑を察知し、
ただ偶然に、犯人の計画を知ることとなり、
ただ偶然に、現場を抑えることができた。
偶然の連続を勝ち得た僕は、はれて巫陽子先輩の信頼を勝ち取り、一緒に下校することを許され、そして高校二年の冬に告白をしたというわけだ。
先輩は来年、東京の大学へ通うために、僕らの住む地方都市を離れる。
フラれるにしたたって、きちんと決着をつけておきたかった。
果たして結果は――先輩は恥ずかしそうにコクンとうなずいてくれた。
◇
正直なところ、なぜ僕の告白が成功したかは周囲の賛同を得なかった。
「なんであんなやつが……」とか。
「ぜったいに裏がある……」とか。
「呪い殺してやる……」とか。
まあ散々な恨み辛みをぶつけられたけれど、幸せ絶頂の僕にとっては、紙飛行機をぶつけられるくらいのものだった。
とにかく先輩が旅立つまでの数ヶ月、僕はとにかく幸せだった。
好きな人と「おはよう」と「おやすみ」のメッセージを送りあったり、
好きな人と手を繋いでデートをしたり、
好きな人と見つめ合って、顔を近づけたり、
好きな人と二人だけで朝まで一緒にいたり――。
悔しいことに先輩は一足先に全て経験済みだったみたいだけれど、はじめての僕に技術はなく、逆にリードしてもらえてありがたいと割り切れるほどには、先輩はすごかった。
「はずかしいけど、洋介だからしてあげるんだよ……?」なんて、一矢纏わぬ先輩に言われたら、過去に嫉妬している暇なんてなかった。
いつしかタメ口で話すことも、巫先輩のことを「陽子」と呼び捨てにすることにも慣れてきた。まるで彼氏面だったが、僕は彼氏なので問題はないようだった。
彼女は僕に名前を呼ばれると、「陽子ってなんだか少し古風な感じがして、いやなんだよね」と微笑む。
付き合い始めて、しばらく経った日のことだった。
その日は、いつものセリフのあとに、初めての言葉がくっついてきた。
「妹はなんだかモダンな名前がついてるの。夜の月って書いて、夜月(よづき)。わたしとは大違いだよね」
「妹さんが居たの?」
妹さんのことは初耳だった。
こんな美人の先輩の妹さんなのだから、どうしたって目立つような気がするけれど、そういった話を聞いたこともなかった。
「うん。今度、高校一年。わたしと入れ替わりで高校生になるんだけど――病気で、学校も休みがちだから……今は自然の多いところでゆっくり過ごしてるの。もし会うことがあったら、優しくしてあげてね……?」
「ああ、うん……それはもちろんだけど」
陽子には珍しく、少し落ち込んだように言う。
優しくしてあげてね――当たり前のようで、聴き慣れないフレーズ。きっとなにか事情があるのだろうと思った。
それが「命に関することだ」と、妹本人の口から発されるのは少し先のこと。
◇
僕たちのお別れの日はあっけなくやってきた。
破局ではない。
陽子が大学進学のために一人暮らしを始めるのだ。
あらかじめ決まっていたことではあるが、別れの時には何を混ぜても薄まらないちっぽけな絶望が胸に去来していた。
「そんな顔しないで? 毎日電話すればいいじゃない」
陽子は俺の顔を包み込むように抱いた。
何度も触れた大きな胸のやわからさが、すべてを無かったことにしようとしたが、それでも現実は現実だ。
僕はとても弱い。
陽子と離れたら、どうにかなってしまいそうだ。
「そうだね。毎日電話しよう。土日はちゃんと会いにいくよ」
「夜行バスで? ちょっと現実的じゃないなあ――ビデオ通話で顔も見れるから大丈夫。洋介なら、絶対に乗り越えられるよ」
何を乗り越えなきゃいけないんだろうか。
そんなことの前に、早く大人にでもなって陽子を独り占めしたかった。
「同じ大学に行けるように勉強する」
「そうだね。がんばって?」
しかし陽子の進学先は国内でも上から数えたほうが早い国公立で、とてもじゃないが、僕の成績では難しい。
そう考えると僕と陽子は実にアンバランスなカップルで、自分で言うのもなんだけれど、よくもここまでの関係になれたものだと感心する。
そう考えると、幾分か心も安らいだ。
いつの間にか陽子と対等になっていた気持ちでいたから、別れが辛くなるのだ。
自分がまるで上位ランカーだと錯覚するから現実とのギャップに苦しむのだ。
以前のように、周回遅れの背後から眺めている気分になれば、落ち込んでいる暇なんてないことに気が付く。
「じゃあね、洋介。元気でね……」
まるで最後の別れみたいに、陽子は言った。
◇
陽子のいない高校生活は実に悲惨だった。人間ランキングがぐっと下がったのは明白だった。
虎の威を借る狐という言葉があるが、僕という人間は陽子の序列にハンガーをひっかけて、ぶらさがっていたようなものだった。
陽子と歩いていれば、自然と誰かが話しかけてくれた。
だがそれは陽子に話しかけていたに過ぎなかったのだ。
僕と言う存在が一人で廊下を歩いていても、誰も話しかけることはない。
人間とは本当に印象の生き物だな――なんて斜に構えてはみたものの、一番気にしているのは、その実、僕に違いなかった。
だが、転機は訪れた。
それは新入生の話――。
◇
高校の入学式で、生徒を代表して挨拶するのは、入試で成績がトップだった生徒である。
巫陽子は新入生代表を務めた。
そして今年の生徒代表の名前は「巫夜月(かんなぎよづき)」といった。
皆、一瞬で理解した――巫先輩の妹だ。
反応を見る限り、やはり巫先輩の妹という存在は、公には知られていなかったようだ。
一年生とはいえ、纏う雰囲気は姉妹ともに半端なかった。
正直、陽子のほうが美人だ。
でもそれはタイプが違うからである。
妹の夜月さんは、母性に溢れている陽子とは正反対の造詣をしていた。
美人、ではなく、ただただ可愛いといった感じ。
短い黒髪。すらりとのびた長い足と高い位置にある腰。
やわらかそうというよりも、弾力がすごそうな健康体。
犬よりも猫といった全体像。小悪魔的な雰囲気は、陽子の柔和さとは比較にならないほど、人を引きつけるようにも思えた。
高校生活の基本というべきかは不明だが、新入生が入ってきた一週間後には、有志作成の校内美少女・イケメンランキングは刷新されたという。
そんな話を他人事のように聞いていると、陽子と付き合う前の自分をまざまざと思い出す。
人生に何も関係のない情報だと思っていた。
告白するどころか、まさか付き合うことになるとは夢にも思わなかった。
◇
放課後の帰り道。
陽子からの連絡が数時間空くだけで心配になる日々。
僕はその日も当たり前のように一人で帰路についていた。
もう、二人でどこかへと寄り道するような学校生活は望めない。
当たり前のことだったが、一度手に入れてしまったものを失うと、人間は渇望感を覚えるらしい。僕はつまり、飢えているらしい。
「与灯先輩、ですか……?」
突然、弱弱しい声をかけられて、僕は振り返った。
誰かに名前を呼ばれるのは久しぶりだった。
視界に入ってきた人間は女子生徒。
普段ならば困惑するけれど、相手が彼女の妹――巫夜月さんであれば、話は別だった。
「そうだけど……えっと、夜月さん、だよね。陽子、さんの妹の」
「はい。はじめまして。お姉ちゃんから、聞いてましたか……?」
「そうだね。名前だけはお姉さんから聞いてたけど……」
そこまで言って、ふと思う。
僕の存在というのは、どこまで家族に伝わっていたのだろうか。
話に少し聞くだけでも、巫家の人間が高学歴高収入の集団であることはわかった。そんな大人の前に立つだけの自信が僕にはなかったのだ。
そう考えると、妹とはいえ、離れて暮らしていたらしい相手に、たかが僕のことを話しているものだろうか――夜月さんは全てを承知しているかのように微笑んだ。造形は違うはずなのに。陽子の姿が重なって見えた。
「わたしもお姉ちゃんから聞いてます。とっても素敵な彼氏だ、って。とっても大好きだって」
「ああ、いや、そんなことないけど……」
完璧とも言える容姿を持つ人間に褒められると、恥ずかしさより先に、情けなさみたいなものが先行するようだった。
僕はなんだか逃げ出したくなる。
夜月さんは猫みたいな目を可愛げに細めた。
「あのう、実はわたし、こっちに戻ってきてまだ日が浅いんです。それで友達がいなくて……」
「うん……?」
そういえば療養のために遠方にいるとか言ってたっけ。
なんの病気なんだろうか。
しかしもちろん安易に聞くことは躊躇われた。
突然だが、僕は考えていることが顔に出やすいらしい。
他人から言わせると「扱いやすいやつ」って感じなのかもしれない。よく言えば『裏表がない』とか『素直』とか言えるだろう。
今回も顔に出ていたみたいだ。
夜月さんは僕の考えを悟ったのか、重大なことをさらりと口にした。
「病気なのに、なんで? って感じですかね。これでも、わたし、余命二年なんです。高校卒業までに死にます。それはお医者さんでも治せない事実なんですよ」
「……え?」
二年?
二年で死ぬ……?
「だから田舎で我慢してても仕方がないなーって思って、元気なうちに普通の生活に戻ることにしたんです。お姉ちゃんはわたしとの思い出を作るのが辛いのか、あまり連絡もしてくれなくて」
「あ、ああ……そう」
陽子の辛そうな、悲しそうな横顔が思い出される。
心優しい彼女は、もしかすると妹が他界するという事実を受け入れられないのかもしれなかった。
もちろん自分の身にそういったことが起こってないから言える客観的な評価で、僕だって耐えられそうもない。自分が一人っ子であるのに、そう思う。
「ま、こうして今は元気なもんですし、それはそれでいいとして」
「いや、よくないような……」
でも本人がいいって言ってるし、いいのだろうか。
大体、生死に対して人がどうこう言えるものでもないだろう。
夜月さんは今、不思議なことに、どこか達観したかのような表情を浮かべているけれど、これだって演技なのかもしれない。
本当は不安に決まっている。
それを隠しているに違いない――。
「ふふっ……」
夜月さんが笑った。
「なにか、おかしかった?」
「いえ、なんだか真面目に色々と考えてくれているんだろうなーって思ったら、おもしろくって。本当に真面目で、いい人なんですね――」
真面目で、いい人。
それは褒め言葉なのだろうか。
「もちろん褒めてますよ?」
「ああ、はい、ありがとうございます」
また顔に出ていたに違いない。
顔に出ない人が羨ましい。
「それで――」
夜月さんはにこりと笑った。
それはどこか妖艶で、全く似ていないにもかかわらず、陽子を想起させる笑みだった。
「――友達のいないわたしと、お茶でもしませんか? 一人で、さみしいんですよね」
◇
シャワーを頭から浴びると、どこか思考が落ちついた。
僕は先ほどまで一緒にいた、夜月さんのことを思い出していた。
『先輩、じゃなくて、洋介くんって呼んでもいいですか?』
『お姉ちゃんのどこが好きなんです? ――あ、顔が赤くなった。やっぱりあのおっきい胸だ?』
『でも、わたしだって結構出るとこは出てるんですよぉ? 触ってみます? いや、嘘ですけどw』
とまあ、こんな調子で最初から最後までからかわれてばかりだった。
彼女の一挙手一投足には病気の影は見えず、普通の女子生徒にしか見えなかった。
どこを見ても、基本的には陽子に似ても似つかない妹さんである。
しかしふとした瞬間に陽子を思い出すパーツが見えてくる。
それがなにか――と言われると、なんだかわからないのだけれど、彼女は間違いなく陽子の妹なのだろう。
浴槽につかる。
防水携帯へわざわざ機種変更したのは、いついかなる時でも陽子の着信に気が付くためだ。
東京に行ってしまった彼女との物理的な断絶が、僕をどうしても不安にさせる。
現に、1日数回は帰ってくるチャットアプリのメッセージも、どこか無味乾燥としたものが混ざっている気がした。
うん、とうなずく仕草を見せてくれれば、心はあたたまるけれど。
うん、とだけしか記されていない返信は、嫌な思いを増幅させる。
僕は自分が嫌になり、肩まで使っていた浴槽に、勢いよく潜る。
自分の中の全てを出し切るように、息を吐き出すと、頭を出してからスマートフォンを手に取った。
『洋介:こんばんは。今日、妹さんに会ったよ。陽子はどんな1日だった?』
今までは当たり前に交わしていた会話も、どこかしっくりとこないのはなぜだろうか。
田舎と東京。
高校生と大学生。
ランキング外の男と、ヒエラルキートップクラスの女。
ポコポコ、と着信音。
珍しいことに、返信がとても早かった。
ただただ嬉しくなる。
『ようこ:夜月のこと、よろしくね』
ただそれだけだった。
昼間の夜月さんとの会話を思い出す――やはり陽子は妹さんのことを受け入れられていないのだろう。
きっと、辛い思いがあるに違いない。
僕は単純だ。
考えていることはすぐに顔にでるくらいに。
だからこのときも、純粋な気持ちでこう思った――なら、僕が姉妹二人間に立ってやろう。そして陽子の辛い気持ちを、少しでも軽くしてあげるのだ。
だって彼氏なんだから――その時は、そう思っていた。
◇
夜月さんとは積極的に話をするようになった――というよりも、学校に居てもあちらから話をしてくるようになったのだ。
「洋介くん。食堂いきましょうよー?」
夜月さんは昼休みになると必ず教室に訪れた。
上級生の教室なんて、普通は物怖じしそうなものだけれど、彼女は他の人間の視線など意に介さないかのように一直線に僕の机へやってくる。
彼女は見た目以上に、肝が据わった人間のようだ。
僕は僕で、陽子がいない今ではぼっちの代表格であるので、いついかなるときでも彼女の要望を断る理由がなかった。
彼女が笑うと、周囲はざわめく。
それほどに危うい笑みだった。
危うい、というのは本人のことではなく、見ている周囲の心の問題だ。
誰もが彼女の姿を目で追う。
その威力だけを見れば、陽子よりも周囲への影響は強いと思われた。
一年なのに三年を黙らせるほどの力がある。
僕はその横に立っているだけで、勇気をもらえるみたいだった。
しばらくすると、変な噂が流れ始めた。
『あの冴えない奴は、巫陽子先輩とは別れて、妹の巫夜月と付き合うことにしたらしい』
そんな噂だ。
普通に考えれば、『彼女の妹の面倒を見ている』となりそうなものだけれど、そこはそういう素直なものの見方というのは難しいようだ。
夜月さんは噂を気にしていないようだった。
「そもそもこんなに可愛い女の子を横にして、なにもしないっていうのも、おかしい気がしますけどね」
「いや、なにかしたらまずいでしょ……彼女いるんだから……」
「ふうん?」
夜月さんはいつもの、周囲をおかしくさせる笑みを浮かべると言った。
「でも彼女にバレなきゃいいんじゃないですか?」
「……?」
「余命二年の女の子と、未来のことは忘れて遊んでみます……?」
「え?」
突然、おかしな話になった気がした。
旧校舎の屋上だった。
話があるというから、放課後に二人でやってきたのだ。
ベンチもなにもない場所。
手すりが設えられた段差に腰を掛ける。
背後は山で、視線はない。
別名部活棟とも呼ばれる旧校舎は、放課後になると人口密度は増すものの、屋上などに人影はなくなる。
「え、じゃなくて。お姉ちゃんの代わりにわたしじゃダメですかって聞いてます」
「いや、ダメとかそういう話じゃないと思うんだけど……」
「わたしが黙っていれば、誰にもバレないようにしますよ」
「いやいやいや」
「わたしには、魅力ないんですね……」
「そういうわけじゃ――」
決してそういうわけではない。
ただ『余命二年』と連呼されると、様々な感情が胸に去来するのも事実だった。
彼女はこれから、楽しいことも、夢も希望も、すべて消えていく恐怖を抱いているのかもしれない。
そんな中でもやりたいことはたくさんあるだろう。
その手助けをしたいとは思う。
そしてもしもその希望が恋愛「ごっこ」みたいなことだったら――いつの間にかそらしていた視線を夜月さんに向ける。
彼女はいつの間にか泣いていた。
初めて間近に見た美少女の涙は、僕の精神をおかしくさせた。
「お姉ちゃんとどうしても比べちゃうんです。お姉ちゃんはとってもモテるし、男の子はいつもお姉ちゃんのこと目で追ってました。いつもお姉ちゃんが羨ましかった。だから、バチがあたったんですね……病気になったのも、わたし自身のせいです……」
「そんなことないよ。夜月さんだって、陽子と同じくらい魅力的だと思う」
「本当に……?」
「うん。本当に」
「なら、抱きしめてもらえませんか。それぐらいなら、いいですよね……?」
「っ……」
僕は逡巡したが、すぐにその思いを忘れた。
目の前で涙を流す一人の少女を、どうにかして慰めてあげたいと思ったのだ。
僕は陽子にするみたいに、夜月さんを抱きしめた。
懐かしい感触。
でも確かに違う感触が、腕の中にある。
「うれしいです、洋介くん……」
それだけで終わればいいと思った。
でも、それだけで終わるわけがなかった。
◇
僕は陽子への連絡をこれまで以上に行った。
それは夜月さんとの行動を重ねるほどに、増加していった。
反面、陽子からの連絡が遅れても、何も気にしなくなった。
『ようこ:最近、サークル活動と勉強で忙しくて……ごめんね。そちらは変わりない?』
『洋介:うん。変わらないよ。もちろん、返信は気にしないで。いつもありがとう』
業務的な会話。
スマホをベッドに投げる。
その横で、夜月が微笑んでいる。
彼女は衣服を纏っておらず、僕と同じベッドの中で寝ていた。
つまり、そういうことだ。
屋上で抱きしめた日から数ヶ月。
僕は日に日に夜月さん――いや、夜月の『余命』に同情を覚え、彼女の望むことをだらだらと受け入れてしまっていた。
『お姉ちゃんと同じデートコースにいってみたいです』
『お姉ちゃんと同じようにキスしてもらえませんか』
『お姉ちゃんとしたこと、全部わたしにしてください……』
だから、そう。
これは僕のせいじゃない。
もはや余命一年ほどとなった夜月を助けるための善意なんだ。
ベッドの上で夜月が起き上がる。
「お姉ちゃんですか?」
「……うん」
「だいじょぶだよ、洋介くん。わたし、死んでも黙ってるから」
彼女はそういうと、いつも持ち歩いているピルケースをあけた。
そこには大量の薬が入っている。
彼女の延命のためにどうしても必要な薬の数々。
いろんな副作用があるらしく、その一つ一つを丁寧に僕に説明してくれた。
夜月はいつも真っ直ぐだ。
反面、 僕はずるい。
巫姉妹の美味しいところを全部食べようとしている。
それも、余命二年を盾にして、逃げ切ろうとさえ思っている――。
◇
ある日のことだ。
夜月はとても嬉しそうにこんなことを言った。
「洋介くん。わたし、赤ちゃんできたみたい」
「……え?」
そんなことはない。
だって彼女の飲んでる薬は、そういうことを回避する副作用があると言っていた。
だから、僕は何をしても問題は――。
「もう、ほんと、洋介くんって面白いなあ。なんでもかんでも信じちゃう――」
夜月はにたり、と笑った。
それは今までで見たどの笑顔よりも、陰険で凄惨な笑みだった。
「――ねえ、洋介くん。わたしが病気で死ぬなんて、いつ言ったっけ? わたしは確かに世間でいうところの病気かもしれないけれど、寿命は別の話だよ? わたしはわたしの意思で死のうと思ったの。だってこの世の中は本当に暇なんだもん。みんな嘘ばっかりで、本当の気持ちを隠してて、綺麗事ばっかりならべて、上部だけで生きてる。だからこんな世界で生きるくらいなら、十八歳になる前に死のうって決めてたんだけど――まさか赤ちゃんができるとはおもわなかったから、寿命、もう少し伸ばそうかなって。だってその子も透明なら、わたし、もっと浄化されると思うんだぁ」
思うんだぁ?
なんだその、舌足らずな提案は――。
「わたし、お姉ちゃんのもの、なんでも欲しくなっちゃうの。最初は小学生のころ、お姉ちゃんの人形がほしくて、でも手に入らないから、バラバラにしたの。そうしたらとっても気持ちよかった。だってお姉ちゃん、人形のほうしかみないかったのに、わたしを見てくれたの。お姉ちゃんはわたしの知ってる人間のなかではトップクラスで心が綺麗。だから、わたしはずっとお姉ちゃんの持ってるものが、欲しくなっちゃうの。だってどんなに綺麗なものでも、汚い人間が触ったら汚れちゃうじゃない? でもお姉ちゃんが持ってるものなら、浄化さえされると思うんだ。だから、死ぬまではお姉ちゃんのものを奪い続けようって思った。中学生一年の時、お姉ちゃんが高校で先輩と付き合うことになったから、わたしはそいつと一緒にホテルにいって、世間にいろんなことばらまいたの。そしたらそいつ、頭おかしくなったんだよ? 自分が犯罪おかしてるのに、本当に勝手だよね。でもそれからかな、お姉ちゃん、なんだかわたしのこと、本格的に避けるようになっちゃって、わたしも田舎の病院に閉じ込められちゃってさ。ようやく出てこれたからお姉ちゃんに聞いてみたの。そしたら今とっても好きな人がいるって教えてくれたから、じゃあちょうだいってきいたら、お姉ちゃん、心が透明だからバレバレの笑顔で、こう言ったんだよ。うんいいよって。でもわたし気がついてた、お姉ちゃんはこの男をエサにわたしを謀ろうとしてるんだなって。わたしのこと、騙そうとしてるんだって。最初はむかついたけど、わたし、本当に運がいいよね。だって洋介くんも、お姉ちゃんみたいにとっても素直で、真っ白で、馬鹿みたいに疑うことを知らないんだから。そういう人に触れられたらきっとわたしも浄化されると思ったから、あんたみたいなのに色々とさせてあげたの、どう? 嬉しいでしょ。それでね――」
なんだ?
なんなんだ?
目の前の物体は何を言っているんだ?
壊れたラジオみたいに、何かを言っている。
でも、すべてに思い当たる節がある。
何せ今日までの間、どんどん陽子からの連絡が少なくなり、陽子との接点が薄くなり、次第に夜月は薬を飲まなくなり、僕の精神は何かに侵されたように情緒不安定になり、それでも夜月と肌を重ねていたから、自分をごまかせていた――突然、スマートフォンが揺れた。
着信だ。
表示は『陽子』――僕はあの幸せだった日にタイムリープをするための切っ掛けを探すみたいに、受話ボタンを押して、電話を耳に押し当てた。
懐かしい声がする。
陽子の声だ。
『洋介くん、子供のこと、夜月から話は全部聞いたよ。お父さんとお母さんにも今伝えました。だから、ごめんね――』
とんでもない話のはずなのに、どこか、嬉しそうな気配が伝わってくるのは思い過ごしだろうか。
まるで、やりたくもない鬼ごっこから解放されたかのような、安堵感。
言葉の端々から、感謝と畏敬と侮蔑の雰囲気が伝わってくる。
『――洋介くん。夜月のこと、よろしくね? ちゃんと、責任とってもらわないと……ちゃんと、最後まで』
ふふ、っと背後から笑い声。
僕の思考はショートした。元々ストレスに強いタイプではない。途中から夢のようにさえ感じていた。陽子の言葉がきっかけだったとはいわない。夜月が悪いとも言わない。僕が全て悪かったのだ。余命二年を盾にして、相手を救いたいだけだと誤魔化して、僕は陽子と一緒に歩いたヒエラルキートップの道の快感を忘れられずに、今度は妹の夜月の威光を借りて、ふたたび他の人間の上に立とうとしたのだ。それを否定するつもりはない。でも本当に僕が悪いのか? 僕が悪いと誰が決めるんだ? 決めたのは、僕じゃないだろ。夜月か? なら話は簡単だ。僕はとっさに机の上のあった鋭利なハサ――。
END
【短編】「余命二年のわたしじゃダメですか?」と彼女の妹が言った。 天道 源 @kugakyuu
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