なんかつかれました
そう、当たり前の話。
さっき自分でも言ってただろう、死んでいると。
死人が生者を羨むのは当たり前かも知れないが、
その線引きはどう足掻いても変えられない。
それは変えられないのだ、絶対に。
死んだら終わりなんだよ。
少しして、何か啜り上げるような、しゃっくりのような声が聞こえてきた。
まさか。
「うぅ…わ、分かってるよ、分かってるけど……うっ、ひぐ…
そんなに言わなくてもいいじゃんかぁ……ううぅぅ…」
泣かれてしまった。
まるで子供のように泣き声を上げている。
いや、確かに少し言い過ぎたかも知れない。
支配人の霊が、女の後ろで唾でも吐きそうな顔で中指を立てている。
……調子に乗りやがって。
しかし、どうしようもないだろ。
俺には俺の生活があるのだ。それは譲れないし、変えられない。
「いや、ほら、たまには来ますって……スイーツとかも買ってきますから」
「ひっく…やだぁぁあっ、ここにいてよぉ」
「いや、それは無理です」
絶対無理です。
「……うっ、えええぇぇんん…ひどいよぉぉ…」
ピシャリとそう言うと、ついには、突っ伏して大泣きを始めてしまった。
後ろで支配人が鬼の形相で指を鳴らしている。
お前は後で殴り合おうか。
さて、困った。
まぁ、泣かれるのは居心地が悪いがそれはいい。
だが、一番困るのは……
俺は、泣き崩れる女の横にある刀を見た。
先程、俺の頭が自由落下しかけたことを思い出す。
逆上されて叩き斬られたらどうしようもない。
仕方ない、妥協案だ。
俺は呼吸を正して、息を整えた。
「…分かりました…一つだけ手段があります」
本当は嫌だが、命には変えられない。
「うっ…ぐすっ……それって?」
「俺に取り憑いてください」
泣き声がピタリと止んだ。
そう、俺に取り憑けば移動も出来るし、スイーツも俺越しになら味わえるだろう。
少ししたら追い払えばいいし、ちょっとの我慢なら泣かせた分くらいならしてやる。
それに、勝手に記憶やら何やらを戻して、成仏するかも知れないし。
そう考えていると、女は急に泣き止み、ケロッとした様子で顔を上げた。
まるで、泣いてなんていなかったような変わり身。
「えっ!いいの!!ありがとう!助かるよ!!!じゃあ早速取り憑くね!」
「おい、待て、泣き真似かよ」
「えーっと、てへ」
てへぺろ、まで付けていたらキレていた。
命拾いしたな。俺の嫌いなものの一つは反応を求めたぶりっ子なんだよ。
「…まぁいいです、ほら好きに取り憑いて下さい」
「うん、それじゃあ立ち上がってくれるかな」
言われて立ち上がると、女は俺の背後に回ってくる。
なんだ、何をするつもりなんだ。
俺は緊張で少し体が硬くなっていた。
そして、おもむろに抱きつかれた。
柔らかい質感と、仄かに甘いお菓子のような香りが広がる。
背中に魅惑の膨らみが山脈となって押しつけられた。
成る程、こうやって取り憑くのか。
いやいや、柔らかい!!なんか甘い香り!!
そしてデカイ!!ふわふわしてる!!待て待て待て!
「ちょっちょっと!!待ってください!その方法でしか無理なんですか!」
「んー?こっちの方が早いからさー……役得でしょ?」
「そんな余裕などない!」
すると、女は俺の肩辺りに顎を置いて、耳に息を吹きかけて来る。
ゾワゾワとした何かが体の底から込み上がってきて、俺の体が震えた。
「あっは、ビクビクしてるじゃーん、嬉しいんでしょ」
「い、いや、その、はい」
なんなんだろう、この釈然としない感じ。
急に主導権を握られたから、何か不満を感じているのだろうか。
そう思っていると、女は俺に抱き着いたまま身動きせず、口も閉ざして静かになった。
なんだかうるさかったものが、前触れなく静かになると不気味だ。
「どうしたんですか?」
反応は、先程とは打って変わって静かな声で返された。
「……あのね」
耳元に落ち着いた声音で囁かれる。
「ごめんね、無理言って」
「なんですか、急に」
何を言おうとしているのだろうか。
申し訳なさそうに聞こえる言葉は、耳に熱となって残る。
「僕はついさっき目が覚めたような、そんな感じなんだ。
でも、多分眠っている間も、ここはどこだろうって彷徨っていた気がするんだよ」
相槌はせず、何も返さない。
俺は黙って話を聞いていた。
「ずっと、どこか分からなかったんだ。
思い出も……家族の顔すら思い出せない」
女が遠くを見たような気配がした。
跡形もなく、欠片も姿が見えない、
どこかの家族を思い出そうとしているのだろうか。
「だから、ごめん、僕は君に取り憑いて、記憶を取り戻したいんだ。
そう思うことは、駄目かな」
それは問いかけというよりも、自問に近かった。
「…どうでしょうか、僕は死んでいないので分かりません」
彼女は、きっと寂しいのだろう。
そしてそう思うのも、ごく自然なことと考えられた。
自分の中から消えてしまった記憶。
良い記憶でも、悪い記憶でも、それを心に保管しておかなければ、何も分からなくなるだろう。
過去を振り返るにしろ、未来を仰ぎ見ようとも、その為に必要なのは心の記憶だと、そう思う。
それは生者にしか許されないことなのかも知れない。
だが、死者がそんな想いを持ったって。
「でも、きっと、誰も文句言いませんよ」
「……ありがとう」
良いじゃないか、別にそんなふうに思っても。
▼▼▼
暫くして、ようやく離れた女は満足そうに、自分の体をペタペタと触っていた。
「良し!これで取り憑けた…のかな?」
「分かんないですけど、どうですか、なんか変わったところとか」
あぁ、そうだ、分かりやすい方法があったな。
俺は片方のポケットに入れていたガムを取り出した。
「何それ」
「ガムです、俺に取り憑けたのなら味とかも分かるはずですから」
「……何味」
「コーラです」
「ふーん…ねえ、早く食べてよ、早く」
「はいはい、分かりましたよ」
包み紙を剥がし、口の中に放り込む。
少し生温かい感触とともに、いつもの安っぽいコーラの味が広がった。
いくらか噛みつつ、ガムが馴染んでから、
女の方を見ると僅かに首を傾げているようだった。
なんだ、何かおかしいのか。
「どうですか、味はします?」
「……うーん」
「どうしました」
「いや…なんていうか……あんまり美味しくない」
そんなん知らんわ。
「問題ないみたいですね、後は帰るだけです」
「おー……ところで君は一人暮らしかい?」
「そうですよ、貴方みたいな変なのを連れて帰っても誰も文句を言いません」
ほんと、なんでこんなのをくっつけることになってしまったんだか。
ただ教科書を取りに来ただけなのに。
「いや、そもそも見えないんじゃないかな」
「でも、うちの親父だったら殴りますよ」
「え?誰を?君を?」
「……いえ、幽霊である貴方をです」
家の家系は代々霊能力者が多い。
だから退魔の術が受け継がれているのだが…
そう、うちの親父は除霊師…もどきをやっている。
何故もどきなのかって一応、悪霊などを退治することは出来るのだが、
その方法があまりにも脳筋すぎて、そう言うのが憚られるのだ。
俺と同じ数珠を手首に巻いて、ただ殴る。ひたすら殴る、たまに蹴る。
殴り一辺倒の盛り塩パンチみたいなことを、リアルでするのがうちの親父だ。
アホじゃなかろうか。
それを説明すると、女はへぇーっと声を上げた。
「確かにそう考えれば、君が私を見ることも喋ることが出来るのも納得だよね」
「俺の場合は少し特殊です、中学の頃あたりから急に見えるようになって…
どうやら祖父の覚醒遺伝みたいなんですけどね…ただ」
「ただ?」
「眼が良すぎて、人の魂まで見えるんです、それのせいで人の嘘も分かるので…」
人が嘘を吐く時。主に人を悪意から騙そうとした時に、その魂は揺らぎを見せる。
それだけじゃない、悪意がある言葉、行動、つまりはネガティブな感情全てを
俺は視ることが出来た。
中学の頃以来、そのせいで俺は人との関わりを避けている。
これは眼が視えなくなるまで……いや視えなくなっても変わらないかも知れない。
だから俺は幽霊なんて、みたくないのだ。
「あー…そっか、それはやだねぇ」
「まぁ、俺のことはいいですよ、それよりあのおっさんに
挨拶とかしなくていいんですか?」
「ん…?あぁ、支配人さんのこと?」
「もう、会えないかも知れないですよ」
因みに俺はもう、会いたくない。
というか、ここにはもう来たくなかった。
女の幽霊は支配人の霊に向かい合った。
「そうだねぇ…お世話になったんだろうし……あっ君もーーー」
「待て、何を言おうとしている」
俺は反射で発言を遮った。
「いや、君に取り憑いちゃえばって思ったんだけど」
「俺を集合住宅か何かと勘違いしていないか……ですか?
無理です、定員オーバーです」
「えーケチだなぁ…ケチだから彼女もいないんだよ」
「……いるかも知れないじゃないですか」
「じゃあ、いるのかい?」
いないが、何か文句でもあるのか。
学生全てが彼女なんていると思うなよ。
彼女がいなくても享受出来ることも…いやいないからこそだな、ある幸せもあるんだよ。
たぶんきっと。
「どっちにしろ、無理ですからね!」
「あっ、やっぱりいないんじゃんー、ふーんそっかー、へー」
俺の周りを、犬みたいに回る女。
こいつ、うざいな。クーリングオフ出来ません?
なんなら受け取りだけでいいですから。
と、そんな茶番をやっていると、支配人が女に近づいて頭を撫でた。
その表情は暖かなもので、まるで家族に向けるそれだ。
慈しむように頭を数度優しく触る。
「うぇっ!?ええと、その…ありがとうございます?」
支配人は何度か満足したように頷くと、一礼してどこかへ消えていく。
あっ、殴れてないじゃん、成仏してないだろうなあいつ。
女は女で、感触を確かめるように頭に手をやっている。
「なんか、不思議な感じ…」
「それは、良かったんじゃないですか、もう行きますよ」
「あっ!待ってね!」
そう言うと女は刀を手に取った。
そのまま刀身を勢い良く抜き放つ。
月光に照らされ、輝く鋼から血が滴ったような幻覚が見えた。
「お、おい?あの、どうされましたか?」
「ん?切るの」
「切るって何を」
「んー?だからー!」
少し短めの刀を振りかぶると、女は刃を煌めかせた。
「これだよ!」
ばさり、と黒い髪が落ちる。
まるで、重量以外の何かも落ちてしまったかのように、
勢い良く床に髪が広がった。
何度かそれを繰り返すと、女は明るい笑顔を浮かべる。
短いショートカットの黒い髪を艶やかに月明かりに照らし、
弾けるような笑みを浮かべた。
「これからよろしくね!能見君!」
楽しげに、彼女はそう言った。
変なやつに取り憑かれました、相変わらず世の中上手く見えません Ciielo @ciero
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