第八話 溢れる災厄
そして、夜になって。
「ただいま! 綾音、陽太帰って来てる⁉」
家の廊下の電気を点けて何もせずに立って待っていると、玄関のドアを開ける音と母親の
返事をするエネルギーを捻り出している間に、音の発生源がこちらにずかずかと歩いてきた。
「綾音、ちょっと返事くらいしてよ。陽太は?」
「……友達の家にいるって」
極力、無機質に答える。
「……アイツこんな時まで……」
母親が舌打ち混じりに放言した。
「じいちゃんから連絡あった? なんかじいちゃん
「…………無いよ」
「そう──」
「もう来ないよ」
「は?」
怪訝な表情をした母親に向けて、それを放り投げる。
床に落ちて転がって、母親の足元止まったそれは、胴体から乱雑に引き裂いた祖父の生首だった。
「ここにいるから」
「な、え」
影を伸ばして、生首を叩き潰す。頭蓋の中身が弾け飛んで、母親のズボンに飛び散った。
「え、えっ」
「……よくも」
一歩後退った母親へ、一歩前へ進む。
「よくも散々踏みにじってくれたな……」
「え、何? どうしたの?」
この期に及んで、そんな
「努力しろとか、育て方失敗したとか、何か意見したら早く県外に行ってくれとか……その癖、愛してないとでも思ってるのかだって……? その場の気分で適当な事ばっかり言いやがって……最初から理解する気もない癖に、理解される努力を強いやがって……」
過去に言われた事を挙げていく内に、声が獣の唸り声のようにザラザラしていく。
母親の見た目が、白い靄のようになって見えなくなっている。
もう、許すという選択肢を取れなくなっているんだ。
「いつの話」
「黙れ。もう黙ってくれ」
毒でしかない、母親の主義主張は。
「お前、親に向かって」
「黙れっつってんだろ‼」
母親の音を自分の大声でかき消す。かつて私が、そこの人間にそうされたように。
「ちょっと」
「黙れ‼ 黙らないなら……‼」
話を聞いてくれないなら。何をどうしてもぞんざいに扱い続けるというのなら。
右手をズボンのポケットに突っ込んで〝合わせ鏡〟を握り締める。割り砕かんばかりに力を込める。
ふと、脈絡もなく、十八歳だった頃にあった事を思い出す。
あの時は、百万円投げつけられて、出て行けって言われたんだったか。リビングから母親と弟がテレビを見てゲラゲラ笑うのが聞こえて痛烈な疎外感を味わわされた記憶がある。
どうしようもなくなって、SNSで助けを求めて。助言をもらって、児童相談所と市役所に行った。
どっちでも、ほとんど門前払いに等しい扱いを受けた。市役所に至っては、母親に電話させられた。
結局、帰るしかなかった。無力だった。
母親が好き放題放言している物の中に、『社会に出たら誰も助けてくれない』という物がある。
証明されて欲しくなかった。反例を今になっても探してる。それはどうでもよくて。
どうせ、誰も私を助けないというのなら。
「殺してやる……お前ら皆殺してやる!」
〝合わせ鏡〟から、『力』としか言い表しようのない何かが流れ込んでくる。
『力』が、身体の中で膨れ上がっていく。
いや、これは────、私自身が、膨れ上がって──?
§
身長は団地よりも遥かに高く、六十メートルを優に超えている。
鹿にも狼にも、黒猫にも見える。蛇や
複数の猛獣が半端に混ぜられたような貌にある複数の目からは、マグマのように紅く光る液体が流れ続けている。
身体の全体的なシルエットは
胸部には大きな空洞が開いていて、闇よりも暗い何かで満たされている。
両腕は大きな鱗に覆われ、太く禍々しい。指の間から鉤爪が伸びている。
脚は付け根には鱗が敷き詰められ、途中から黒い剛毛に生え変わっている。足先からは、全てを踏み砕くような強靭な爪が伸びている。
それ以外にも、背中からは不均衡な腕或いは脚が何本も生えている。
尻尾は短く、ワニや狐のそれが絡み合っているようにも見える。
咆哮で周囲の棟のガラスが破砕され、建物本体が
§
「あれは……⁉」
少し離れた、
そこにいた誰かが、怪獣が団地を破壊して出現したのを目撃した。
「…………!」
誰かは口元を引き締めると、怪獣の方へ走り出した。
§
怪獣はおもむろに足元を見ると、指先で器用に瓦礫をどかし、その下敷きになっていた綾音の母親を引きずり出した。
怪獣が左手で母親を摘まみ上げると、それは下半身が潰されて即死していた。
「……何、簡単に死んでいるんだ?」
怪獣が言葉を話した。多少変質しているが、確かに綾音の声だった。
怪獣は右手と同化した〝合わせ鏡〟に右手の指で触れ、
「私の母親、生き返れ」
さも当然のように願った。
母親の下半身が、さも当然のように再生した。
「っあ⁉ ……え、え⁉」
母親は混乱した様子で怪獣を直視して、更に混乱した。
怪獣はそれを見て、いいかげんな力加減で足元へ投げつけた。母親は鉄筋コンクリートに叩き付けられて潰れた。
「生き返れ、母親」
怪獣の願い事で母親は再生した。怪獣はそれを左手の甲で磨り潰した。
すぐ近くに落ちていたバスタオルに手の甲の汚れを擦り付けながら、
「生き返れ、母親」
怪獣の命令で母親は再生した。怪獣はそれを近くにあったカーテンレールを何本も使って串刺しにした。
カーテンレールをゆっくりと、傷口がぐちゃぐちゃになるように全部引き抜いて、
「生き返れ、母親」
怪獣の呪文で母親は再生した。怪獣は母親の右手と左足を捩じって引き千切り、出血多量で死ぬまで放置した。
指先に付いた鮮血を母親の死体で拭き取り、
「生き返れ、母親」
怪獣の呪いで母親は再生した。
怪獣が、次はどうしてやろうか、と言わんばかりにキョロキョロと足元を見ていると、
「もうやめて……ひとおもいに、らくにころして……」
「あぁ、死ぬ時の内容ちゃんと覚えてるんだ。気が利くなぁ……」
怪獣は、息も絶え絶えに死を乞い願う母親へ淡々と皮肉交じりに言って、
「嫌だね。死ぬのは自己責任だよ」
熱中症になった後で言われた事の意趣返しを交えて、はっきりと断った。
そして怪獣は、母親が絶望しきった表情になったのを見て、自らの表情を消した。
「たったこれだけでか」
飽きた様子で呟くと、顔を上げて、高く広くなった視界に広がる世界を、どこまでも見える両目で見渡した。
「……全部全部、吹き飛んでしまえ」
震えた声で唱えた。
視認した場所を中心に、いくつもの爆発が起こった。
「……ふふ、あはは。ははははははははは!」
楽しいのか悲しいのか判らない声で笑い声を上げ、ゆっくりと移動を始めた。
足で踏み締めた地面が抉れ、持ち上げたその下から、自動車や折れた木材や汚泥を含む津波のようなどす黒い水が湧き出る。
どす黒い水に周囲の道路や建物が破壊され、侵食されていく。人々が飲み込まれ、溺れて沈んでいく。
怪獣は時折り、戯れのように腕を家屋に叩き付けて破壊した。家屋は砂で作られているかのように簡単に倒壊し、どす黒い水の一部になった。
「……あぁ、歩きにくいなぁ。ふふ……」
怪獣は少し楽しそうに言うと、
「空を飛べるようになりたい」
〝合わせ鏡〟に願った。
背中の腕や脚の隙間を縫うように、翼竜の想像図のような巨大な翼が突出した。
怪獣は一度、大きく羽ばたいた。突風に煽られて周囲の街路樹が折れ、建物の屋根が吹き飛んだ。
そうして飛び立とうとして──出来なかった。
怪獣の背後で、ばしゃ、と何か大きな物がどす黒い水に落ちる音が聞こえた。
怪獣が振り向くと、生やしたばかりの両翼が、腐り落ちていた。
「あー……え……」
状況を飲み込めない様子のまま、怪獣は崩れ落ちた。左脚が根元から腐り落ちていた。その衝撃で左腕が鎖骨ごともげ、首がすっぽ抜けるように外れて飛んだ。
すっ飛んだ首は、コンビニの駐車場に停めてあった軽自動車に激突した。
「どう……して……」
訳が分からないまま、圧し潰した軽自動車を枕にして涙を流している内に、怪獣は限界を迎え、絶命した。
§
「そうか……こうなる、のか……ごめん、これは僕の不明だ」
「検証しきれているのか怪しいけど、でもこんな結果もあるのなら……」
その誰かは、決意を秘めた表情で言葉を紡ぐ。
「今、助けに行くからな……綾音」
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