第七話 飲み込む陰

 午後十二時を少し過ぎた頃。

 祖父の家の前に着いた。


 バス代を払うのが勿体無くて、〝合わせ鏡〟にテレポートをお願いしてみようかと思ったけど、流石に怖かったので実行しなかった。

 かといって全部徒歩でいくのも寒くて嫌だったので、駅前までバスで行き、残りを徒歩で行った。


 そして今更になって、〝合わせ鏡〟でお金出せるんだから何もケチる必要ないじゃないかと気付いて、溜め息を吐きながら肩を落とした。

 気を取り直して、祖父の家を見上げる。二階建ての一軒家。パッと思いつく記憶が、嫌なものばかりになってしまった、本当は寄り付きたくもない場所。


歯を擦り合わせて、玄関の前へ。インターホンを鳴らさずにドアを開けて家の中に入った。タイル張りの三和土たたきで靴を脱いで、そのすぐ右横にある居間の横開きのドアを開いた。


 居間の中央にはテーブル。右奥には大型テレビの置かれた台。

 テーブルの左側に置かれた大きなソファには、その真ん中に座り一人で占領している、驚いた表情をした太った老人──祖父がいた。


「え、どうしたの急に?」


 表情と同じように、驚いた様子で祖父が聞いてきた。


「……いや……」


 なんて答えれば嘘を吐けば、思い付かなかった。


「……大丈夫かなって」


 祖父あなたはもう自分で歩くのもやっとみたいで、そのくせ横暴に振る舞うから。


「お昼食べたの?」

「まだ」

「え、食べな。カップ麺あるから」

「…………うん……」


 曖昧に頷いて、台所の奥にある五畳間へ行く。

 正直要らないのだけど、押し付けてくるのを強く断るのも面倒だから、仕方なく。


 正直なところ、今日、祖父とのやり取りの中で何事もなかったら、このまま帰ろうと思い始めている。

 こうして祖父の顔を──余命いくばくもないらしい──見たら、殺意が削がれたというか。自分で自分のことを甘っちょろいと、自嘲するくらいには。


 他人ひとの行動結果を賭けの材料にするなんて、正直どうかしてると思うけど、ほんの一握りでもいいから、私の中では全て偽物に変わってしまったものでいいから、高校一年生で失敗したあの時よりも前の名残があって欲しいと思った。


「おォい、いつまでドア開けてんだ! 閉めろ早く!」


 そしてその願望は、この言葉を以て十分と経たずに否定された。

 居間から怒鳴り声が聞こえた。お茶とコップとカップ麺を持って行こうとすると両手が塞がるから、居間のドアを開けたままにしていて。少しも経っていなかったのに、部屋は暖かいのに、だ。


 昔はそんな風に言われなかったのに。いつからぞんざいに扱っていい事になっていたんだ、私は。


 やっぱり駄目だ。もう駄目なんだ。

 そう思うのと同時に怒りが沸き上がり、ついに完全に破裂した。


 一旦食べ物を台所に置いて居間の入り口まで戻り、


「……ンだとこの野郎!」


 いざ私が怒鳴ると、祖父は一瞬面食らったような反応を見せ、


「何、急にどうしたの?」

「こっちの台詞だ! 何なんだアンタはよぉ! ちょっとドア閉めないくらいで!」


 言いながら、見せつけるわかるように勢いよく、大きな音が出るようにドアを閉める。


「……近所に聞こえるでしょ、大事オオゴトにしたいの?」

「あァ構わねえよ、周りにも聞こえるなら皆巻き込んでやる!」


 祖父と母親は、私に何かを従わせようとすると、

 数には数だ。どんな形であれ外側に最悪な環境という情報を伝達出来るなら、悪評が立とうがやってやる。


「第一お前たちの言ってくる事やってくる事全部、六年前から全部嫌な思いしてきたんだ! アンタあなた自分の苦労話ひけらかして、努力したって自慢して、お前は努力してないとか言って来てさぁ!」

「……言ったっけ?」

「言ったよ! やったよ!」


 忘れんなよ。

 何かで見た、加害者いじめた側は忘れるってやつ、本当なのかよ。こんな形で目の当たりにするとは思わなかったし、したくなかったよ。


 感情的煮えたぎったな部分と理性的な冷え切った部分が両立していて、それにあまり驚いていない自分がいるのが、少し怖い。

 そう思う自分を蔑んでいる自分がいるのはいつもの事で、いつものように不快で。


「……見ろよコレをよぉ、努力って言葉聞いたり言ったりするだけで震えてるんだ! お前たちがやった事の結果だぞ!」


 ていうか、常日頃それに怒りながら生きてるからって、今関係ない事にまで言及してるぞ。あーあ、都合よく丸め込む隙として使ってくるだろ、これ。

 いいや、もういっそ全部ぶつけてしまおう。どうせこの後殺してしまうんだから。


「なあどうしてくれんだよ、日常生活でも聴くだけで身体強張るんだよ!」

「分かった、分かったから」

「分かってねえだろ! ソレ分かってねえヤツの返事なんだよ!」

なァにを、イキってるの?」

「────────」


 〝テーブルを挟んで向こうにいる、罵倒に使う言葉にすら失礼な物体〟の、余りにもあんまりな物言いに、一瞬の絶句の後、


「…………!」


 表情が怒りと憎しみで歪んでいくのが自分でも解った。

 まだだ、まだ待つんだ。対話の余地が残ってるかもしれないでももうそんな余裕ない


「……ううううう、ウウウウウウウウウウウウウウウウ!」


 歯を食い縛って唸って耐えて。願うよりも先に飛び掛かるのを抑えて。


「ふゥ……ッざけんな! イキるって何だよふざけんなよ嫌な事嫌だって言ってンだけだろ!」


 怒りを乗せて出した大声に私自身が驚いた。普段絶対出ないような、ザラザラとした質感の、声或いは獣の唸り声のような。


 そして、そうやって私が吼えた怒鳴った事で見せたソレの反応は、両腕で何かを遮るようなジェスチャーだった。


「…………」


 


 ふと、子供の頃が脳裏に蘇る。あれは小学校の、三年か四年の頃か。

 中耳炎か何かを患って、コイツの同伴で耳鼻科で診察を受けて。よく覚えてはいないが、鼓膜に穴を開けて中の膿を出そうとしたらしい。

 器具が尖っていたのが怖かった。自分で綿棒や指を突っ込むのとは訳が違ったのだ。

 どうしても怖くて、処置を何度も中断してしまって。それで突然祖父に頭を叩かれたのだ。

 ぶりっ子ぶってんじゃねえよ、だったか。その時言われたのは。

 痛かった。悲しかった。


 散々人を無碍に扱っておいて。意にそぐわないことを言ったらキツイ口調で文句を黙れ逆らうなと言って、命令して。今やってるみたいに、いざこっちが怒りを顕わにして詰め寄られたらそうやって弱者のように振る舞う見せかけるのか。それが『俺はずっと努力した、お前は努力してない』とか平然とのたまった生き物の仕草か。


 いや、自分の言った事忘れてるんだもんな、この卑怯者。


 許せない。

 許さない。

 許すわけにはいかない。


 あまりの怒りに、視界の端に火花が走るような錯覚に襲われる。

 右手でポケット越しに握り締めた〝合わせ鏡〟に、手の骨を砕かんばかりに力を込める。


「この卑怯者っ……お前なんか、お前なんか、


 泣きそうになりながら搾り出した声は右手を伝い、〝合わせ鏡〟へ溶け込んで。

 そうして、物体へ干渉する──破壊出来る能力を得た『私の影』が、祖父それを取り囲むように伸びていった。


 そして、祖父物体の家を中心にした半径五百メートルが、球状に無に帰した。


 

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