第二話 底に隠されていた物

「なっ……んだ、これ」


 寿樹コトホギメグミの部屋のあまりの惨状に、私は愕然とした。


 不自然なまでに床も壁も天井も赤黒い。床の中央に置かれた不気味な絵苦悶の表情。どれもどこかしらが壊れている調度品。一ヶ所だけひっくり返った盛り塩。


「こ、これっ……女の子の、いや、人が使ってた部屋なんですか? 二ヶ月前まで? これじゃ、まるで、」


 まるで殺人現場じゃないか。

 どもりながら言いかけた台詞を、どうにか腹の底へ押し込めた。


「使ってたよ」


 恵の母は、当然かのように答えた。


「……ここを、ですか」


 恵の母は、私の目を見て頷いた。


「ここを。だから、『家族が変なんじゃないよね』って、さっき聞いたの」

「……あぁ……」

「そうだ。スリッパさ、やっぱり履いたままでいいよ。靴下汚しちゃうのも悪いし」

「すみません、ありがとうございます。じゃあ……見てみますね。終わったら、また呼びます」

「分かった。こっちも用事が出来たら呼ぶよ」

「はい」


 私は小さく頷き、意を決して、疎遠になっていた幼馴染み・寿樹恵の部屋に足を踏み入れた。




§




 ドアを閉め、恵の母の足音が去り。

 私は、改めて部屋を見渡した。


「どうするか……」


 情報が纏められたノートとかがあれば読みたかったのだが、この光景は流石に気になるので、少し調べてみることにした。


 床や壁を調べる。種類までは判らないが、ベッタリと塗りたくられているのは、絵の具で間違いない。背もたれが外れた机の椅子を踏み台にして天井を調べてみると、床や壁と同じものが塗られていた。


 床の中央に置かれた絵を調べる。枚数は六枚。内三枚は部屋の外から見えたもので、


「ん……?」


 残り三枚の内、一枚は風景画のように見えた。

 街が火の海と化している絵だ。顔を近付けると確かに絵の具が使われているのに、建物や炎にすら緻密な書き込みが成されている。


 内、一枚は赤黒い闇の中に浮かぶ、動物の頭から首の付け根の絵──動物画zoological artではなく──に見えた。

 ことわりを入れたのは、描いた動物が何か、よく判らなかったからだ。鹿にも狼にも、黒猫にも見える。蛇やサギを思わせる部分もある。猿や虎や狸のようにも。


 よく判らない──妖怪のぬえか、とも考えたが、それとも違う。鵺は猿の顔に狸の胴体、虎の足に蛇の尾だ。資料によっては背が虎で足が狸で尾が狐だったり、頭が猫で胴が鶏のものもあったらしいけど、それとも違う。これは一体なんだ?


 内、一枚は、


「……なんだこれは?」


 瓦礫の中に、赤黒い物がぶちまけられている絵だ。風景画と動物の絵、それから苦悶の表情たちに比べると、なんだか妙に歪んでいるように見える。


「でも、なんか見たことがある気がする。なんでだ……?」


 記憶をさらってみたが、どれも見た覚えはない。


「分からん……」


 分からないから、保留するしかない。


 盛り塩は……に詳しくないから、なんとも言えない。ただ、四角に置くものを崩れたまま放置するのは、なんとなくマズイ気がする。


 ここまでやって、自分の無力さに溜め息が出た。

 調べてみる、なんて言っておいて、結果は『よく分からない、なんとなくこう見える、感じる』、だ。知識がなければ、推理力もない。


「む……」


 また絵を床に置くのもな、と考え、退避させがてら机を調べることにした。

 机は、ライトが根元からへし折られ、天板の中央付近には何かを突き立てた痕が残っていた。


 机のブックスタンドには、本が十冊ほどあった。数年前に発行され、今年長編アニメーション映画になったもの、毎年一冊発行されるライトノベルのランキング本に掲載されるような人気を持つもの、私が知らない(だけの)タイトル、中には、二十年前に発行されたライトノベルもあった。


 ひとしきり感心や感嘆を覚えて、二十年前の本をちょっとだけ読んでから、気を取り直して、天板の下の引き出しを開ける。中身は新品か壊されているかの筆記用具だけだ。

 三段になっている引き出しの上段を開ける。鍵は掛かってなく、中は空っぽだった。中段も同じ。下段も、


「……ん?」


 下段の中身を見て、妙な違和感を感じた。

 なんというか……引き出しの底板の位置が高くないか?

 ふと、昔、恵──寿樹と会話したことを思い出した。


「もしかして……」


 引き出しの底板と壁の接点、直角になっている場所に右手で爪を立て、軽く押し込んでみる。ほんの僅かに、底が沈み込んだ。

 思い切って力を込めて手を押し込むと、爪を立てた箇所が沈み、反対側が浮き上がった。浮いた方に爪を立て直して引っ張ると、底板はあっさりと引き剥がされた。


 本当二つ目の底には、B6サイズのノートが四冊とA4サイズのスクラップブックが一冊、ボイスレコーダー一個、USBメモリ一個があった。

 B6ノートは二冊が『調査メモ』、二冊が去年の十二月から始まる日記。スクラップブックは『〝合わせ鏡〟についての調査結果』と題されていた。どれも例の手紙と同じ、寿樹の文字で書かれていた。


「これは……!」


 どうやら、親友は私が欲しくなる物を残してくれていたらしい。

 ありがとう寿樹、と思いながら、『〝合わせ鏡〟についての調査結果』を引き出しから取り出し、一ページ目を開いた。


 表紙の一ページ目には、その三分の二を使って『調査内容を見る・聞く時は、部屋を明るくして、周囲に人が誰もいないことを確認する』と書かれていた。残りには、『今対峙している物の呪い/禍いは、末広がりに拡散する可能性があります。忘れないよう』と。


「え、何これ……」


 物、とは〝合わせ鏡〟のことだろうか。

 呪い、禍いが、末広がりに拡散する……昨日の交通事故のような事が、末広がりに?


 半信半疑のまま周囲を──特に、ドアとその向こう側に気配があるか確認する。恵の母の気配はなかったし、ふとした時に空想するような、『窓の外に何かいる』といった事は起きていなかった。


「……じゃあ、ここで全部見るのはキツイか……?」


 小さく呟き、考える。

 まず、ボイスレコーダーだ。部屋の外まで聞こえたらマズイと考えられる。

 次に、USBメモリを見るためのパソコンがこの部屋にはない。

 ノートは、読んでいる途中で恵の母が用事が出来たからと部屋へ入り、その拍子に中身を見られる、という可能性危険性がある。


 正直、いつまでこの部屋に居座れるか分からない。部屋に入った時に時計を見るのを忘れていたし、しかも途中で本を読んでいるので、どれくらい時間が経過したかも分からない。

 何度も通うのも、迷惑だろう。〝合わせ鏡〟を使う手もあるが、これ以上は出来るなら使いたくない。


「…………」


 幸いというべきか、荷物がほとんど入っていないリュックサックを背負ってきている。ノートもスクラップブックもボイスレコーダーも六枚の絵も、全部余裕で入る。


「く……ええいままよ、寿樹ごめん……!」


 寿樹、ごめん。

 私は人殺しだけじゃなく、泥棒にもならないといけない──いえ、なります……。

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