第二章 痕をなぞる A.D.202X/12/28~12/31

第一話 遺されたもの

 痛い、苦しい。まるで、内側からぜるような、或いはもう爆ぜたかのような……。

 でも、何故か考えることは出来る。頭痛とか、酷くなると考えることすらままならなくなるのに。


 ──闇の中に、炎が見える。近くにも、遠くにも。


 でも、なんだろう、視界が変な感じだ。遠くまで見えているようで、近くが見えていないようで。

 思考が、くなってきた。上手く動かないのに、何かをどうにかしたいという強烈な情動に満たされていて。なのに身体は動かない。


 こういう時に使う言葉感情って、なんだっけ。思い出せない……。


 全身が、とても熱いのに、物凄い勢いで冷えていく。かんがえることが、できなくなっていく。


 ……あ。おもいだした。こういうときにつかうことば。



 くやしい、おしい、だ。




§




 電源を入れられたかのように、私は目を覚ました。

 まだ、眠い。瞼が上手く持ち上がらなければ、頭も上手く働かない。


 窓とカーテンの隙間から部屋に入る光は少なく、薄暗い。枕元の目覚まし時計代わりスマートフォンの電源を入れると、十二月二十八日、朝の六時六分だということが分かった。


 意識を手放す直前の記憶は、昨日の午後十時頃のものだ。

 昨日あれだけの事が起こったを起こしたのによく眠れたなと、我ながら呆れる。


「うぅ……」


 呻きながら、思い返す。

 凄く嫌な、でも子細を思い出した方がいい夢を、見た気がする。


「……いや」


 小さくかぶりを振って、眠気を振り払う。そもそも夢を見たかどうかすら定かではないのだ。

 掛け布団を跳ね除け、ベッドから降りて、ゆっくりと伸びをする。


 今日から、やることがある。

 〝合わせ鏡〟とは一体なんなのか。私の親友・寿樹コトホギメグミはどうやってこれを入手し、何をしようとした、或いはしたのか。それを調べる。

 そして可能ならば、寿樹の死の原因も知りたい。


 バイト、今日から一月三日まで休みで良かった。極短期間で調査が終わるとはとても思えないが、纏めて使える時間があるのはとてもいい。

 まずは──




§




 母親が仕事に出かけるまでやり過ごして、朝食を食べて外に出て、家から徒歩五分未満。

 私は、寿樹恵の生家──私が住んでいる団地の別の棟、その前に立っていた。


「案外、あっさり着くモンなんだな……」


 朝だというのに、外に人はいない。冬休みや年末だからだろうか。


「…………」


 無言のまま、寿樹の家族がまだ住んでいるであろう部屋──三階の左側、303号室を見上げる。

 上手く足が動かない。金縛りではなく、気後れする、向き合いたくない、遠ざかりたいものと対面した時の、身体の反応。


「そういうのいいから……」


 自分に言い聞かせて、数分かけてようやく足が動いた。止まらないように、急がないように、三階の寿樹の家に向かう。目の前まで行ったはいいが、今度はインターホンが押せない。迷った末に、ええいままよと、前のめりに倒れるようにボタンを押した。


 しばらくして、返事があった。女性の声だ。


『はい……?』

「え、っーと……おはようございます。逆井です」

『は?』

「あの、逆井綾音です」

『…………。ちょっと待ってくださいね』


 通話が切られ、少しして出てきたのは、四十九日法要の時にちらっと顔を合せた、寿樹の──恵の母だった。

 恵の母は、無言でこちらを見つめてきた。


「えっと……四十九日法要ぶり、ですね」

「……何の用?」


 相手の表情が険しくなった。そりゃそうだろう。朝っぱらからこんな挨拶されるとか私でも腹が立つ、と思う。

 極力平常心を保ちながら──いや無理だ。今回は自業自得だけど、やっぱり他人は怖い。それでもと、やるべきことのために言うべきことを吐き出す。


「──単刀直入に言います。寿樹の……恵、ちゃんの部屋、まだ片付けていないなら、見せてもらえませんか?」


 私の言葉を全部聞くよりも早く、恵の母が力任せにドアを閉めようとした。

 慌ててドアと玄関の間に足を差し込み、ドアが閉じるのを阻止する。滅茶苦茶痛い。差し込んだ足が抜かれた時のためにドアノブを両手で掴む。案の定、差し込んだ足は思いっきり蹴られ、ドアが引っ張られ始めた。


「ちょ……あの、待ってください! 別に嫌がらせとかじゃなくて!」

「ざけんなオマエ! やっていい事と悪い事あるでしょ!」

「ぅ……分かってますよ、非道ひどい事してることくらい! でも頼まれたんです!」

「誰に!」

「恵ちゃんにです!」

「はぁ⁉」

「手紙が届いたんです! 困り事あるから助けてくれって、それで」

「……ずっと会わなかった、アンタに?」

「…………。はい」

「証拠は?」

「あります。これです」


 リュックサックから例の手紙を取り出し、ドアの隙間に差し込む。

 恵の母はそれを受け取ると、片手で器用に手紙を開き、文章に目を走らせ、


「……確かに、恵の書く字、だけど」


 恵の母が伏せていた目を上げて、私に手紙を返してきた。向けられているのは『疑い』の二文字。


「分かってます。今の私が、滅茶苦茶怪しいのは。とても信じてもらえないだろってこと、くらいは」

「…………」

「でも、一昨日この手紙が、その……〝合わせ鏡〟と一緒に届いて。でも、これがなんなのか、どう廃棄すればいいのかとか、分からなくて。恵ちゃん、何か知ってなかったのかなって思って、それで今日来たんです」

「…………」

「私、昔助けてもらったんです、恵ちゃんに何回も。今度は……遅すぎるのはそうなんですけど、でも力になりたいんです。私の身に余る事だったとしても」

「…………」

「だから──

「…………」

「こんな理由じゃ、駄目ですか……?」

「…………」


 恵の母は暫くの間黙り続け、


「分かった。いいよ、部屋を見て」


 呟くように言った。


「あなたのことを全部信じたワケじゃないけど、真面目なのは分かったよ。手紙も、恵の文字だったし」

「……! ありがとうございます」

「うん、だから、手ぇ一旦離して。こっちも止めるから」

「あ、はい……」


 私が手を離すと、ドアが少し開いた。足を抜いて下がると、さらに大きく開いた。


「足、大丈夫?」

だい丈夫じょぶです」


 嘘です。本当はめっちゃ痛いです。たぶん青痣あおあざになってます。でも言いません。


「ならいいけど。どうぞ」

「あはい、お邪魔します」


 ことわりを入れて、玄関に上がる。

 ふと、恵の母が、少し疲れているようにも見える笑みを見せた。


「……そんな緊張しなくても、昔はよく来てたじゃない?」

「昔ですよ」

「そっか。恵の部屋まではスリッパ履いてね」

「はい」


 靴をスリッパに履き替え、恵の母を追う。

 ……胸の辺りが、じくじくと痛む。

 痛みは、ポケット越しに右手で握り締めた〝合わせ鏡〟から伝わってくる気がした。


 『恵』とだけ書かれた表札がかけられた横開きのドアの前で、恵の母は立ち止まった。


「ここですか?」

「……恵の部屋ね、まだ、片付けてないんだ」

「え、あ、はい」


 私としては幸運なのだが……とても素直に喜ぶことは出来ないし、したくない。


「恵の手紙、最初に読んだ時、変だと思ったよね?」

「えっ」

「だよね?」

「……はい」

「だよね、あたしたち家族が変ってことじゃないよね」

「……寿樹に、いえ恵ちゃんに、何があったんですか?」


 恵の母は私の質問には答えず、すっと振り向き、私を真っ直ぐ見つめた。


「部屋の中を見れば、何も言わなくても解ると思うよ」


 それだけ言って、恵の母がドアを開けた。


 赤黒かった。床も壁も、天井までも。

 血ではない。種類までは判らないが、高校生の時美術室で嗅いだような──絵の具の臭いがした。

 部屋の中央には、苦悶に歪む人間の生首のように見える絵が描かれた紙が、何枚か落ちている。

 置かれた家具はどれも、穴が開いていたり折られていたりして、どこかしらが壊れていた。

 よく見ると、部屋の四角の内三ヶ所には盛り塩が置かれていた。残り一ヶ所は、皿ごとひっくり返っていた。


 それが、幼馴染の女の子が生前使っていた部屋のレイアウトだった。

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