第二章 痕をなぞる A.D.202X/12/28~12/31
第一話 遺されたもの
痛い、苦しい。まるで、内側から
でも、何故か考えることは出来る。頭痛とか、酷くなると考えることすらままならなくなるのに。
──闇の中に、炎が見える。近くにも、遠くにも。
でも、なんだろう、視界が変な感じだ。遠くまで見えているようで、近くが見えていないようで。
こういう時に使う
全身が、とても熱いのに、物凄い勢いで冷えていく。かんがえることが、できなくなっていく。
……あ。おもいだした。こういうときにつかうことば。
くやしい、おしい、だ。
§
電源を入れられたかのように、私は目を覚ました。
まだ、眠い。瞼が上手く持ち上がらなければ、頭も上手く働かない。
窓とカーテンの隙間から部屋に入る光は少なく、薄暗い。枕元の
意識を手放す直前の記憶は、昨日の午後十時頃のものだ。
昨日あれだけの事
「うぅ……」
呻きながら、思い返す。
凄く嫌な、でも子細を思い出した方がいい夢を、見た気がする。
「……いや」
小さく
掛け布団を跳ね除け、ベッドから降りて、ゆっくりと伸びをする。
今日から、やることがある。
〝合わせ鏡〟とは一体なんなのか。私の親友・
そして可能ならば、寿樹の死の原因も知りたい。
バイト、今日から一月三日まで休みで良かった。極短期間で調査が終わるとはとても思えないが、纏めて使える時間があるのはとてもいい。
まずは──
§
母親が仕事に出かけるまでやり過ごして、朝食を食べて外に出て、家から徒歩五分未満。
私は、寿樹恵の生家──私が住んでいる団地の別の棟、その前に立っていた。
「案外、あっさり着くモンなんだな……」
朝だというのに、外に人はいない。冬休みや年末だからだろうか。
「…………」
無言のまま、寿樹の家族がまだ住んでいるであろう部屋──三階の左側、303号室を見上げる。
上手く足が動かない。金縛りではなく、気後れする、向き合いたくない、遠ざかりたいものと対面した時の、身体の反応。
「そういうのいいから……」
自分に言い聞かせて、数分かけてようやく足が動いた。止まらないように、急がないように、三階の寿樹の家に向かう。目の前まで行ったはいいが、今度はインターホンが押せない。迷った末に、ええいままよと、前のめりに倒れるようにボタンを押した。
しばらくして、返事があった。女性の声だ。
『はい……?』
「え、っーと……おはようございます。逆井です」
『は?』
「あの、逆井綾音です」
『…………。ちょっと待ってくださいね』
通話が切られ、少しして出てきたのは、四十九日法要の時にちらっと顔を合せた、寿樹の──恵の母だった。
恵の母は、無言でこちらを見つめてきた。
「えっと……四十九日法要ぶり、ですね」
「……何の用?」
相手の表情が険しくなった。そりゃそうだろう。朝っぱらからこんな挨拶されるとか私でも腹が立つ、と思う。
極力平常心を保ちながら──いや無理だ。今回は自業自得だけど、やっぱり他人は怖い。それでもと、やるべきことのために言うべきことを吐き出す。
「──単刀直入に言います。寿樹の……恵、ちゃんの部屋、まだ片付けていないなら、見せてもらえませんか?」
私の言葉を全部聞くよりも早く、恵の母が力任せにドアを閉めようとした。
慌ててドアと玄関の間に足を差し込み、ドアが閉じるのを阻止する。滅茶苦茶痛い。差し込んだ足が抜かれた時のためにドアノブを両手で掴む。案の定、差し込んだ足は思いっきり蹴られ、ドアが引っ張られ始めた。
「ちょ……あの、待ってください! 別に嫌がらせとかじゃなくて!」
「ざけんなオマエ! やっていい事と悪い事あるでしょ!」
「ぅ……分かってますよ、
「誰に!」
「恵ちゃんにです!」
「はぁ⁉」
「手紙が届いたんです! 困り事あるから助けてくれって、それで」
「……ずっと会わなかった、アンタに?」
「…………。はい」
「証拠は?」
「あります。これです」
リュックサックから例の手紙を取り出し、ドアの隙間に差し込む。
恵の母はそれを受け取ると、片手で器用に手紙を開き、文章に目を走らせ、
「……確かに、恵の書く字、だけど」
恵の母が伏せていた目を上げて、私に手紙を返してきた。向けられているのは『疑い』の二文字。
「分かってます。今の私が、滅茶苦茶怪しいのは。とても信じてもらえないだろってこと、くらいは」
「…………」
「でも、一昨日この手紙が、その……〝合わせ鏡〟と一緒に届いて。でも、これがなんなのか、どう廃棄すればいいのかとか、分からなくて。恵ちゃん、何か知ってなかったのかなって思って、それで今日来たんです」
「…………」
「私、昔助けてもらったんです、恵ちゃんに何回も。今度は……遅すぎるのはそうなんですけど、でも力になりたいんです。私の身に余る事だったとしても」
「…………」
「だから──恵ちゃんの部屋を見せて欲しいんです」
「…………」
「こんな理由じゃ、駄目ですか……?」
「…………」
恵の母は暫くの間黙り続け、
「分かった。いいよ、部屋を見て」
呟くように言った。
「あなたのことを全部信じたワケじゃないけど、真面目なのは分かったよ。手紙も、恵の文字だったし」
「……! ありがとうございます」
「うん、だから、手ぇ一旦離して。こっちも止めるから」
「あ、はい……」
私が手を離すと、ドアが少し開いた。足を抜いて下がると、さらに大きく開いた。
「足、大丈夫?」
「
嘘です。本当はめっちゃ痛いです。たぶん
「ならいいけど。どうぞ」
「あはい、お邪魔します」
ことわりを入れて、玄関に上がる。
ふと、恵の母が、少し疲れているようにも見える笑みを見せた。
「……そんな緊張しなくても、昔はよく来てたじゃない?」
「昔ですよ」
「そっか。恵の部屋まではスリッパ履いてね」
「はい」
靴をスリッパに履き替え、恵の母を追う。
……胸の辺りが、じくじくと痛む。
痛みは、ポケット越しに右手で握り締めた〝合わせ鏡〟から伝わってくる気がした。
『恵』とだけ書かれた表札がかけられた横開きのドアの前で、恵の母は立ち止まった。
「ここですか?」
「……恵の部屋ね、まだ、片付けてないんだ」
「え、あ、はい」
私としては幸運なのだが……とても素直に喜ぶことは出来ないし、したくない。
「恵の手紙、最初に読んだ時、変だと思ったよね?」
「えっ」
「だよね?」
「……はい」
「だよね、あたしたち家族が変ってことじゃないよね」
「……寿樹に、いえ恵ちゃんに、何があったんですか?」
恵の母は私の質問には答えず、すっと振り向き、私を真っ直ぐ見つめた。
「部屋の中を見れば、何も言わなくても解ると思うよ」
それだけ言って、恵の母がドアを開けた。
赤黒かった。床も壁も、天井までも。
血ではない。種類までは判らないが、高校生の時美術室で嗅いだような──絵の具の臭いがした。
部屋の中央には、苦悶に歪む人間の生首のように見える絵が描かれた紙が、何枚か落ちている。
置かれた家具はどれも、穴が開いていたり折られていたりして、どこかしらが壊れていた。
よく見ると、部屋の四角の内三ヶ所には盛り塩が置かれていた。残り一ヶ所は、皿ごとひっくり返っていた。
それが、幼馴染の女の子が生前使っていた部屋のレイアウトだった。
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